仕事仕事

やらなきゃならんのはわかってはいたのですが、ずっとほったらかしにしてしまってた仕事のしめきりが今日ってわけです。
なので、朝からカチャカチャデータ処理をしてたのですが、最後の最後でとつぜんcalcの画面が消えちゃいました。
「わたしの30分を返せー!」
と、つぶやきをぶつけたら、とある方から
「3TB飛んじゃって」
との悲鳴に似たつぶやきが聞こえてきて、それはたいへんだと(;_;)。
まぁ、そんなこんなで、午後から気を取り直してデータデータ。勤務時間終了間際に
「遅くなりました。こんなもんで」
「おつかれ」
みたいな会話で無事終了。あとは、自分の雑用を…。と思いきや、うがー!めんどくさい!これは校正というよりも訂正だよ!とにかくパソコンの画面にブツクサ文句を言いながら作業をしていると、うるさいと思ったのか、同僚の人が見に来たりして。まぁ、そんなこんなで、7時前に退勤。
まぁ、平和ではありますわ^^;;。

フラフラあけの日

フラフラになった翌日って、これなんなんでしょうねぇ。
いや、決して二日酔いではないんです。でも、ものすごくしんどい。寝不足と空腹とほのかな膨満感と。いろんなものが渾然一体となって、体の中に埋め込まれています。
とにかくしんどい。
しんどいなぁとは思うのですが、試験前やし、サクッと範囲を終わりたいし、なにより試験範囲の論議はリードしたいし。
まぁ、放課後になって、少しマシになったかなぁ。
今日はさっさと寝るぞ!
と思ったけど、「脱法ハーブ」も大切かもしれんけど「サッカーの負け」も大切かもしれんけど、なぜに「集団的自衛権」のこととか「金目発言のその後」とか「セクハラ発言のその後」とかの扱いがそんなに小さいんだ!と怒っているうちに日付が変わりそうになるわけで(;_;)。

で、打ち上げ。
こんな時いつも行く数人とBんちゃんの5人で、夕方明るい時間からビールです。うまいです。ついでなんで、Y姐に「来る?」ってメールすると「メキシコバーなら」という返事が返ってきました。ここで興味津々のBちゃん。
てことで、二次会はメキシコバーです。
今回はビールからはじめたのですが、やはりマルガリータに行くのは必然です。てことは、酔っ払うのはこれまた必然です。
10時半頃にはフラフラになって帰りましたとさ(笑)。

「Do the 在日」

今日は研究会で一日出張です。
午前は朝鮮中高級学校の見学です。研究会の参加者、みんな「あるのは知ってたけど、どこにあるのか知らなかった」「どこにあるのかは知ってたけど、来たのははじめて」と言っておられます。
まぁそうなんですよね。なかなか来る機会がない。でも、「それについて考える」ためには、さまざまなデータが必要だし、「見る」ってことはそんな必要なデータの中のうちのひとつだし、それもかなり大切なデータなんじゃないかと思うのです。
そしてもうひとつ大切なのは「聞く」っていうことかなぁ。朝鮮学校のソンセンニムの話をきちんと時間をとって聞く機会って、なかなかないです。もしかすると「ソンセンニムの話、バイアスがかかってるやろうし」なんてことを考える向きもあるかもしれません。でも、そう考えた時点で、そう考えたわたしもバイアスがかかってる。
であるならば、バイアスがかかっている「わたし」がバイアスがかかっている「ソンセンニム」の話を聞くことで、新たな発見がある可能性がある。
なんというか「理解する」っていう上から目線じゃなくて「(バイアスのぶつかりで)混乱する」っていうところからしかスタートしないんじゃないかなぁ。
まぁ、そんなことを考えていたのですが、終わってからいろんな人に感想を聞くと、「行ってよかった」との答えがいっぱい返ってきました。「見て聞いて知って」からしか「考える」ことはできないってことなんでしょうね。

午後は場所を変えて講演会。講師はBんちゃん。何年も前から話してほしいと思っていたのですが、ようやく実現しました。名前の話やサッカーの話からはじまり、カウンターや仲パレまで、あれほどふくらんでいくんやなぁ。それは、Bちゃんが経験を内側に蓄積しながら、常に社会の中で相対的にそれを評価し続けることをしてきたからなんだろうなぁ。というか、「在日」という存在が、いや「在日をする(Do the 在日)」という行為そのものが「それ」をするということなのかなぁ。でも、それは在日に限らず、トランスでもゲイでも部落でも障害でも、たぶん誰にでもあてはまるはずなんだろうなぁ。で、もしもそれをせずに生きることができるとしたら、それは「あらかじめ配慮されている」からこそなんだろうなぁ。
なんかそんなことを考えながらの、2時間弱のひとときでした。

効果絶大

現在使ってる持ち歩き用パソコン…。というか、おふとん用パソコン。とにかく起動が遅い。しかも、動きが遅い。よく見ると、ハードディスクにアクセスしまくりです。こいつ、どうしてやろうと、ふと考えたわけです。で
「メモリを増やそう」
と。なんせ、2GBではどーしよーもありません。まぁ、はじめてのパソコンのハードディスクが10Mだったってのはおいといて。
で、「型番 メモリ」でぐぐると、いっぱいやってるひとがいることがわかりました。てか、増設スロットあるんだ(笑)。
てことで、尼で発注。とりつけてみると…。
うわすご!めっちゃ早い。
これでしばらく買い換えられないな(笑)。
次に「遅っ」って思ったら、ハードディスクをSSDに変えればいいか。

で、打ち上げ

交流会が終わったら、みんな三々五々散らばっていきます。他のトランス系グループに行く子もいれば、トランス外のグループに行く子もいます。それもまた大切なことなんでしょうね。
で、わたしは当然近場で飲み会です。
ま、今日の子どもたちの話をしたり、他の交流会のことを話したり。あーだこーだ言っているうちに、あっという間に2時間ほどがたちました。お店を出るとまだ明るい。でも、そろそろ限界です。帰ることにしましょうか(^^)。
帰りのわたしをちゃんと介抱してくれたI城さん、ほんとにありがと!あなたのおかげで守山まで行かずにすみました^^;;。
って、ここ読んでないよな(笑)。

幸、多からんことを!

今日はトランスジェンダー生徒交流会です。今回もあちこちからアクセスがあったので、どうなるのか、わくわくものです。
集合場所に行くと、なにやらいっぱいいます。これはえらいこっちゃなと。てか、誰が当事者なのか、ほんとうにわからなくなってきてます。初参加の人は、かなり緊張気味です。が、これまた当事者なのかなんなのか(笑)。
とりあえず、みんなでハンバーグづくり。これは今回最年少参加者のリクエストです。が、来られなかったのは残念。ま、最年少参加者さん、ほんまにおちびさんだから、しゃーないです。
みんなでつくったハンバーグをみんなで食べて、そのごみんなで「だるまさんがころんだ」をやりにお外へ。あ、わたしも誘われましたが、「いつきさんがころんだ」になったらシャレにならんので、わたしは会場の中でワインを飲んでました(笑)。
その後、話しあい。
今回はMTFFTMでわけてみました。もちろん、どちらでもない人はどこでも自由参加です。ちなみに、小学生は「MTFってどういうこと?」と真剣に聞いてくるのがメッチャおもしろいです。でもま、そりゃそうだろな。
で、集まった時点で「しまった!」と。MTFはほとんどが小学生です(笑)。こんなん、どないやって話しあいをせいと(笑)。
と、ここでK子ちゃんが才能を開花させました!ひとりひとりをひざの上に抱っこして、いろんな質問をしていきます。みんな、真剣な眼差してその答えを聞きます。
「次、あんた、こっちおいで」
とK子ちゃんが呼ぶと、素直にひざの上にあがります。
なんか、そんな風景を見ているうちに、涙が出てきました。きっと、こんな風景を見たいからいままで交流会をしてきたんだろうな。
交流会に初参加の子は、きっと同じ思いをしている子と出会うのははじめてなんですよね。そんな子にとって、もしかしたらこの出会いはしんどいことかもしれない。でも、そのしんどさの先に、きっと「いい出会いだったな」って思える日がくるはずです。
そんな時まで、まだまだこの交流会は続けなきゃならんなぁ…。

山辺@市場

お座敷が終わって、お友だちのFさんと、なんとなく「飲みに行こうか」となるのは、あまりにも必然です。
「八木ならあるでしょう」
とかいうことになったのですが、そのうち
「そう言えばお好み、このへんにあります?」
「あー、だったら市場かなぁ」
となるのも、これまた必然です。てか、こっから車で30分?
「あ、こんなん、いつもやし(笑)」
さすがは奈良です^^;;。
てことで到着した山辺食堂。いい感じです。
おばあちゃん、腰の角度が75度くらいです。小柄なおばあちゃん、腕を精一杯伸ばしてお好みを焼いてます。にしても…。お好みの大きさ…。
とりあえず
「あの…。カスのお好みありますか?」
とたずねると、おかあちゃん、「お前さん、何言ってるねん」的な視線をこちらに送ってこられます。すみませんすみません。ないはずがないことをあえてたずねたわたしのミスです。そんなわたしの気持ちを見透かしたかのように、優しい眼差しで
「あるよ(^^)」
とのこと。ホッとしました。
にしても、このお店のお好み、なんしかデカイです。半端ないです。

奥のお好みが普通サイズで、手前の大きいのが売れ筋のモダンです。ちなみに、モダンがデフォです。これだけではわからないので、衝撃の映像を。

持ち帰り四人分はビニール袋ではなくダンボールです(笑)。もう、わけわかりません。焼いてるおばあちゃん、めっちゃ重そう。と、おばあちゃんの手を見ると、手がお好み焼き用にカスタマイズされてしまってます。簡単に言うと、指がコテにフィットするように横方向に曲がってしまってる。どんだけ苦労してはんねん。
「このお店、何年くらいやってはるんですか?」
「57年目や」
すごいです。鉄板は五枚目くらいだとか。
「そろそろやめたいけど、やめさせてくれへんねん」
そらそやろなぁ。
「わたしの前はお母さんがやってたんや」
てことは、法律よりも前からやってるんや。すごいです。
すごいのは歴史だけじゃなくて、カスの入り方です。包丁でガンガンガンと切って、バサリと乗せます。

ビールを飲んでると、
「ほれ」
出されたものは…。

メッチャさっぱりしていておいしいけど、いったいなんなんだろう。テッチャン?にしては味が淡白。ハチノス?にしてはもようがない。
「最上級のテッチャンや」
びっくりです。
で、お好み焼き完成!

ひとくち食べると…。
生地は少し重めです。ところが、カスがとんでもなくおいしい!すごくいい香りです。このカスに、菱梅ソースの香りがまたあいます。重いなぁと思ったけど、なんか、三人だとものたりません。
「すんません。モダン。ちぢで」
メッチャあぶないので、焼きそばは半量にしてもらいました。

こちらはうまい!どうやら生地はモダンに最適化してあるみたいです。パリっとした生地と柔らかめのそばにコラーゲンたっぷりのちぢがまとわりついて、絶品です。これはみなさん、食べるわけです。
「すんません。どても」

正統派のどてです。
すでにビールはとっくにやめて、あとから来られた知り合いの焼酎をいただいています。
が、時間が5時をまわったあたりから、お客さんが集まってこられました。これから8時までは、常連さんの憩いの時間です。そろそろわたしたちはおいとましたほうがいいようですね。
てことで、恒例のdata

お好み 500円くらい
ビール キリン中瓶500円くらい
スタイル ベタ焼き系(モダンが得意)
その他 練り込みの生地はやや重めです。わたしの好みではないけど、どっしりしたのが好きな人にはいいかと。でもこの店の真価が発揮されるのはモダンです。それから、定食とかお弁当なんかもやっておられます。さらに、サイドメニュー的なものもたくさんあります。中には、どてとかおでんとか、曜日で決まってるものもあるみたいです。おでんの日はお好みにおでんを入れることも可能です。なんしか、一度行く価値はぜったいにありますね。
独断的評価 ★★★★★(練り込みだけだったら星4つ。でも、モダンは星6つなんで、平均して5つです。ちなみに、3人でお好みとモダンとビール3本とどてとテッチャンで4500円とのこと。個々の値段はわかりませんが、めっちゃ安いです)

さらに詳細なリンクも更新しましょう。

できるかな?

今日は昼から奈良でお座敷です。オファーが「応用編に基礎編を混ぜて」ということだったので、それは無理だなと(笑)。まぁ、新ネタでいきましょう。
で、スライドを選んで、話はじめたわけですが…。なんか違和感があります。ビミョーに順番が違う。てか、削除したスライドがあるっぽいです。んー。
あ!バージョン間違い^^;;?まいった…。
とりあえず、スライド見て何をしゃべるか考えるって戦法で攻めることにしました。おかげさまで、なんとかかんとかしゅうりょ。
ふぅ…。
でも、在日のオモニがすごく共感してくださったみたいで、メッチャうれしかったo(^^)o

やはりこの空気がいい!

2年前は興味の向くままにしていたおべんきょですが、最近は「必要に迫られて」みたいな感じになってきています。なので、「んー」と思うこともないわけではないのですが…。
今日のおべんきょは久々にヒットでした。
元来わたしは「役に立たないこと」が好きなんですよね。ところが、なーんか「今日から役立つ」みたいなおべんきょが最近多くて、「役に立つなぁ」と思いながらも、イマイチ感がじわじわ来ていたんです。
ところが今日のおべんきょは、ひさびさに「だからなんなの」感があって、おもしろかった。

話の発端は「現代とはどういう時代か?」みたいな話で、いきなり「役立たず感」満載です(笑)。
ものすごく簡単に言うなら、前近代→近代→ポストモダンという流れの中で、近代からポストモダンの移行期にあるということです。
では、近代とはどんな時代であるかというと、「葛藤」の時代であると。例えば夏目漱石。「こころ」の「先生」は、ひたすら悩む。どこまでも悩む。解決なんてないけど悩む。そこには、「近代的自我」の芽生えと「エゴイズム・罪悪感・孤独」があると。そしてそれは「抑圧的パーソナリティ」であると。
に対して、現代は「解離」の時代であると。例えば「村上春樹」。「多崎つくる」は傷ついた自己を抱えている。で、巡礼の旅に出るけど、それは自らの主体的な意志で行ったというよりも状況の流れのままに行われる。そこには「現代的自己」があり、「心の傷つき・離人感・孤独」があると。そしてそれは「解離的パーソナリティ」であると。
で、この「葛藤」から「解離」へという移行期が「現代」の特徴であると。
ここで「アイデンティティ」が登場します。「アイデンティティ」とは、「「わたし」が「自己」であることの責任を引き受けること」「本来引き受けようのないことを引き受ける「主体的」な「判断」である」「「他者」からの承認を必要とする」ものであると。つまり、自分の中にあるバラバラなものを選択的に取捨する行為で、そこには「葛藤」が生じる。しかも集団なしには個は成立しない。
ところが、「解離」とは「パーソナリティを多様な自己のままにおいておく」。そこには「悩み」がない。

ちなみに、センセは
「どちらがいいのかわからないけど、自分が生まれ育った時代は「葛藤」と親和性が高いので、どうしても「解離」に否定的になってしまうんですよね」
って言っておられました。

で、この「解離的な現代」の思春期・青年期の特徴は「悩まない」「悩めない」。すると、もしも問題が起こった時はどうするかというと、その問題の所在を内面化するのではなく外面化する。具体的には「現実化」であり「外在化」させていまう。端的に言うなら
「悩まない人は他人を責める」
と。
では、なぜ「解離」へと進んでいったのか。
「葛藤」には、その悩みの伴走者となる他者が必要となる。しかし、そのような伴走者がいなくはってきているのではないか。
このようななかで、例えば子どもたちのコミュニケーションは直接性を強く希求する。と同時に冗長性への不寛容さが起こる。
しかし、今ある社会や学校のあり方は、このようなバラバラさを促進しているのではないか。

みたいな話でした。
あー、疲れた(笑)。

でも、なんか「あー…」みたいな。
ちなみに、わたしの村上春樹観は…。
「主体的な「判断」を下しても、結局それを実現できない社会の中で、小突かれながら生きていかざるを得ない。その中でアイデンティティを喪失しながら、状況の流れのままに「やっかいごと」に巻き込まれる」
みたいな感じがあるんですけどねぇ。そういう意味では、センセの言われるほど「現代的」ではないとうか、その「現代」を先取りしていたというか。

でもま、久しぶりにめっちゃ眠い頭が少しシャンとしました。