今日からこんな連続セミナーがはじまります。
今日はその第一回目、康さんvsSam Winterさん*1です。テーマは「子どものトランス」です。さてさて、どうなるやら。
とりあえず、仕事を終えて難波まで。遠いわ…。
で、セミナースタート。
康さんは3人の症例を紹介しながら、具体的な話を展開されました。
子どもの場合は身体治療の話はほとんど関係ないので、どちらかというと「サポートのあり方」と「カムアウトの是非」の話になります。結論的には「ケースバイケース」なんですが…。でも、出された症例に限って言うなら、カムアウトしてる子のほうがうまくやってるように見えますねぇ。なんというか…。ノンカムの子の「やり過ごし方」は、常に「ウソ」が伴うんですよね。それがすごく気になった。ま、「方便」っちゃあ、それはそうなんですが…。
続いてWinterさん。
いきなり「脱医療」です。「Gender DysphoriaではなくGender Different」とか「Trans GenderではなくTrans Gifted」とか、なかなかおもしろい言葉が並びます。で、話は当然DSMとかICDの話になるわけですが…。まぁ、それぞれ脱医療の方向に向かっているのはいいんだけど、DSMやICDに入っている時点で「病理」だと。そこの矛盾をどうするか。で、「Zコードに入れたらええやん」と。ま、そんな話でした。
(ここから追加)
そうそう。とても印象的だったのは、「子どものトランスジェンダーをもしも社会が受け入れられないなら、それは社会の側がGIDであるといえるのではないですか」という言葉でした。
わたしもたまぁに人前で話をするときに「子どもたちが社会に適応不良を起こしているのか、社会が子どもたちに適応不良を起こしているのか」って言いますが、そうなんですよね。
(追加、ここまで)
で…。
なんか、モヤモヤしちゃいました。ま、Winterさんが客層を把握しきれてないってことはあったかもしれません。が、それよりも大きなモヤモヤの原因は「脱医療と言いながら、論議されているのは医療者としてのサポートの方法」ってあたりなんでしょうね。まぁもちろん、スピーカーが医療者なんで当たり前っちゃあ当たり前なんですけど。でも、会場からの質問も、医療者にHUBの役割を期待するような感じなんですね。
このあたりにモヤモヤを感じるのはなぜかなぁと考えると、きっとそれは、わたしが在日外国人の交流会や隣保館学習会にかかわってきたからなんでしょうね。
おそらく医療者にHUBであることを期待する根っこにはやはり「専門家」っていう意識があるんじゃないかなぁ。
でも、隣保館学習会も在日外国人生徒交流会も、部落外であり日本人である「わたしたち」がやってきました。やる人に専門性や当事者性がなくともできるというところからスタートしたからこそ、「広がり」ができたんだと思います。
考えてみると、例えばサポート体制をつくることや、専門家を育てることって、「他者を動かすこと」です。でも、交流会を企画することは「自分が動かすこと」です。前者と後者では、後者が圧倒的に楽だと、わたしは思います。だって、やろうと思った「わたし」が「やろう!」と手をあげればすむからです。
そんなことを、わたしは解放運動や在日朝鮮人教育運動から学んだ気がします。
うーん。
このモヤモヤ、どうしよう…。まぁ、「第3回」があるか(笑)。
*1:≠うぃんた(笑)。って、見てねーよな^^;;。