そっちかい!

で、朝日を見たところで、移動開始。
実は昨日のお座敷を入れたあとで、ふと嫌な気分がしてメールの過去ログを見たら、今日の昼に兵庫県中部でお座敷を入れていたことが判明。
「果たして行けるのか?」
と真っ青になりましたが、幸い始発とは言わないまでも、7時半くらいの電車に乗れば間にあうことが判明。ホッと一息ということでした。
にしても、かつてトリプルブッキングとかやったことあるからなぁ。こわいです。
てことで、4時間ほど電車に揺られて、福知山線沿線の駅に到着。そこから小一時間ほど車に乗せてもらって、会場に到着。

ところが、車の中の話題が、なぜか「部落史の見直し」です。なんでも、現在研究途中とか。となると、ついいらん虫が騒ぎはじめます。
「ちょいとちょいと、ええ資料、ありまっせo(^^)o」
てことで、会場に到着したところでいろんな資料をパソコンから出したり。
さらに、昼ごはん中も部落史談議。結局、お座敷開始15分前まで部落史の話で盛り上がっていました。
うーん、頭のモードの切換しなくちゃ^^;;。

で、お座敷の方は…。
主催者の方が
「動員ではない集まりをと思ってはじめた」
というセミナーだけあって、みなさん、すごく積極的な感じです。たしかに人数はそんなには多くはないのですが、そのかわりに「ほんとに聞こうと思って来た」という人たちなんですね。なんというか、しっかりと食いついてきてくださる感じ。おかげさまで、なんかすごく噛みあった感じで話ができました。
終わってからも、いろんな人と、楽しい話やまじめな話ができて、なんだろう…。「小さな大切」が生まれたいい時間を過ごさせてもらいました。

やっぱりそうだよ

朝起きて、窓の外を見ると…。

夜と朝がきれいに溶けあっています。
この瞬間にしか見られない色です。
光が弱いからこそ溶けあえる。
弱さと弱さが出会った時こそ溶けあえるんだとするならば…。わたしは強さはほしくないなぁ…。

うまい!

今日も、昼ごはんを食べてからお座敷中を含め、水分を一滴もとっていません。コンディションは整いました(笑)。
てことで、懇親会突入!
まずはビール。沁みわたりますo(^^)o
で、うつぼ、うまいです。このわたの茶碗蒸し、うまいです。サワラのお刺身、うまいです。焼き牡蠣が出てきて
「あの、これ、一口で食べるのもったいないです。ここで一口噛み切って、ここでもう一口」
と弱気なことを言うと、
「ダメです!一口でつるりといってください!」
と怒られてしまいました(笑)。
つるりとやると、うまい!
あぁ、しあわせ!しあわせすぎて、いっぱいいらんことをしゃべってしまいました。みなさん、すんません、すんません^^;;。

で、ホテルに行って、とりあえずお風呂。空をみあげるとオリオンがきれいです。
あしたは晴ですね!

すごい!

校正は、とにかく強制一段落プレイです。いや、他のことがまったくできません。
てことで、この一週間やり残してきたあんなことやこんなことをさくさくやります。まぁ、頭を使う仕事は最後まで残るわけですが(T_T)。

で、夕方から移動開始。
夜は三重県南部に到着。なんでも、夏に行かせてもらった時に「もっかい来い」となったみたいです。
しかし、人権教育研究会の研修会が、金曜日の夜のゴールデンタイムにあるってのが信じられません。思わず
「うちの研究会だったら、確実に飲み屋の座敷でやろうかとなって、参加者見たらカウンターでできるやんみたいな人数になりますよ」
と、わけのわからんマクラではじめたのですが、ウケませんでした^^;;。

集まってこられたのは130人ほど。研究会の人数が200人くらいということなんで、半分以上の方が参加されていることになります。
つくづくすごいと思います。
みなさん、研究会に入るのが当たり前で、研修会に参加するのも当たり前なんですね。いや、「それが当たり前ではないところに行ったら」って批判は可能なんですが、でも「当たり前でないところ」しか知らないわたしにとって、やはりすごいことだと思うわけです。というのは、それが当たり前である間に、いかにたくさんの蓄積が得られるかと思うわけです。
おそらく、なんにつけても、どんな逆風が吹こうが、たとえそれが暴風であろうが、あくまでもやる「確信犯」なんてのは、ごく少数の人なんだと思います。
例えば、わたしだって、ある局面では「確信犯」でしょうが、別の局面ではまったくそうではない。そんなもんです。
で、「確信犯」はどうでもよくて、そうではない人がどれだけ蓄積を得られるかは、やはり「当たり前」であることが大切だと思うのです。そして、今目の前にいるみなさんにはそれがあると思った時、素直に「すごい!」と思ってしまうわけです。

かと言って、みなさん、嫌そうでもなければ、まじめくさっているわけでもありません。「どうせ聞くなら楽しく」という空気がすごく伝わってきます。
今日は二時間もらっているおかげで、普段しゃべれないところまでしゃべらせてもらえて、うん、感謝です!

こんなのがあった

某所をフラフラしていたら、こんなものがありました。
http://kawango.hatenablog.com/entry/2013/01/18/084457
少々長いけど転載。

ナベタくん(仮)の選挙   ※大塚英志さんのメールの転載
※HPもフェイスブックもやっていないから、という大塚英志さんからメールで送られてきた文章をそのまま転載しました。

ぼくの昔の教え子にナベタくん(仮名)、という子がいる。

十年以上か、もう少し前、ぼくが専門学校で二年ほどラノベの書き方を教えていた時の生徒だ。真面目な子だから卒業後は書店でアルバイトをしつつ小説を書いている、という近況を聞いたのは七年か八年前だ。彼らと卒業後やっていた勉強会も、ぼくが神戸の大学に行くことになって止めてしまったので、この何年か何となく音信不通になっていた。

 ところが去年、ニコニコ動画の公式チャンネルで月イチのまんがの番組を公開録画で始めると、当時の教え子の姿がちらちらし出した。介護士をやっている奴や、中には誰でも知っている携帯ゲームを考案した奴もいたけど、ナベタくんは色々あって本屋のバイトも辞めて、ニートというか微妙に引きこもり状態だという話で、リハビリを兼ねて(?)会場に顔を出すようになった。昔から真面目すぎる奴だから本屋でのアルバイトで人間関係とか色々なことでちょっとだけ心療内科系のお世話になることになったらしく、なんていう彼のプロフィールは多分、今の時代、少しも珍しくはない。

 そのナベタくんが誰に言われるでもなく始めたのがブログで、そこまでは本当に普通なのだが、その内容がちょっと変わっていた。彼は東京郊外のとある市に住んでいて、住民票もそこにある。つまり選挙権もある。有権者のはしくれである。彼はその地元の市長選挙だか市議会選挙が始まると、候補一人一人の選挙事務所を訪ねていって、そこでの受け答えをブログに載せたのである。別にツテやコネがあったわけでもなく、直接選挙事務所に電話をしてアポをとり訪ねていく。大抵は門前払いだが、驚くのはそれでも会って話をしてくれる候補がいたことだ。質問はコンパクトにまとめ、それをブログに短く書き込む。

 ナベタくんには特定のイデオロギーや政治的背景はない。本当に見事にない。ぼくはその専門学校で政治の話は一切しなかったし、彼とそういう話をしたこともない。覚えているのは、いつも彼が四方を何かに囲まれた世界から主人公が何とか脱出しようというモチーフの小説を繰り返し書いていたことだけだ。仲々うまく描けなくて、それは今思えば何だかその後の彼の人生を象徴しているように思えるけれど。

 ナベタくんのブログは政治の話とはいえ、ネットでの政治の語り方と全く異質で「ネット右翼」でもないし、そもそも何か政治的主張が左右どちらかに対してあるわけでもない。ただ、選挙に出た人たちがどんなことを考えているか、特に地方選では少しもメディアは伝えてくれないから、それなら自分はヒマだし聞きにいってブログにでも書いたら誰かの役に立つかもしれない、ただ、それだけの動機で始めたのだ。だから「見たまま、聞いたまま」をそのまま書く。

 ぼくは去年、その話を聞いて、君の人生がそれでどう変わるわけでもないだろうけれど、とてもいいことをしているから次の選挙でもやるといいんじゃない、と夜中のマクドナルドで百円のコーヒーを奢って彼に話した記憶はある。

 さて、その「次の選挙」が実は去年末の衆議院選挙であった。ナベタくんは少し社会復帰したらバイトして安いカメラを買ってインタビューを動画でアップできたらいい、と考えていたようだ。そして選挙が近づき、本当に偶然だけど、ナベタくんは街中で彼の先輩とあった。先輩は社会人でナベタくんよりお金がある。何やってんのさ、オマエ、みたいな話の中で、この選挙のブログの話となった。先輩はその話を聞いて「とてもいいことだから」と、そのまま彼を家電量販店に連れていって一番安い動画の撮れるカメラを買ってくれたという。ナベタくんはとても恐縮したけれど、何だか背中を世の中に押された気がした。

 ナベタくんの暮らす市が含まれる選挙区には主だった政党が皆候補を立てていた。市議会選挙だったら数十票で結果がひっくり返ることだってあるから、ナベタくんのようなよくわからない青年だって一応「一票」なのだからと、相手をしてくれる候補もいたけれど、今度は国政選挙である。

 そもそも彼はアルバイト先で対人関係でのトラブルがあって以来、調子を崩していて、ぼくの教え子だけれどぼくとは正反対で全く押しの強いタイプではない。それでも勇気を出して一人一人の選挙事務所に電話をし、訪ねていった。結局、ちゃんと話してくれたのは日本共産党の候補だけだった。けれども断られ方も色々で、それもそのまま脚色せずに文章にして、候補者のポスターの上にテロップで載せた。生まれて初めて動画を編集し、ニコニコ動画YouTubeに自力でアップした。どうにも不格好な動画だけれど、とにかく全部自力でやった。

 各候補の対応の中で日本未来の党の事務所の対応は、どうもナベタくんの話を聞く限りやや心なかったようだ。もちろん一人一人の有権者のアポにいちいち対応できない、というのはその通りだけれど、彼に向かって指を差して怒ったことは、同じように昔、アルバイト先で指を差されてなじられた経験を持っていたナベタくんにはちょっとショックで、その後丸一日、足が震え、心が折れかけたみたいだ。逆に自民党などは断り方もソツがないな、と感心するし、ナベタくんに一時間近い時間を割いて真面目に話してくれた共産党の人は親切すぎる。ニコ動で「やべ、共産党の人、やさしすぎ」なんていうコメントがあったぐらいだ。

 ここまで読むと、何だかナベタくんのやっていることを昔のマイケル・ムーアのアポ無し取材のように感じる人もいるかもしれないが、全く違う。本当におそるおそる、思いっきり腰が引けている。そこが実はとてもいいし、共感できる。

 ナベタくんは優しく話してくれた人も、何となく足蹴にされた人もなるべくニュートラルにその経緯を書き、そしてインタビューに応じてくれた共産党の人の動画を含め、一本の動画にまとめた。そうすると直接候補の話を聞けなくても、やはりその候補なり政党の有権者への態度は伝わってくる。選挙演説や政見放送ではわからない生の情報がそこにある。少なくともそれは誰に一票を投じるか、とても大切な基準になる。

 結局、選挙当日までに動画を見てくれたのは、ニコ動とYouTube合わせて一〇〇〇人に満たない。何だ共産党の宣伝じゃない、というコメントもあったが、別に公明党でも未来でも話してくれればそのままナベタくんはネットに載せた。未来の党の人の対応に批判が集まったが、無論、未来の党を叩くことが目的ではない。全て「ありのまま」だ。質問がつまらない、というコメントもあったが、それは今後の課題だし、だったら「こういうことを訊くべきだ」と言ってほしい、とナベタくんは思う。ナベタくんも、もう少し勉強しなきゃいけないけどね。ヒマ人しかできない、という声もある。しかし、ニートだから時間だけはあるのだ。そう考えると、ニートも社会の役に立つ。時間以外は先輩に買ってもらったカメラだけが、今のところナベタくんが持っている全てだ。

 それでも書き込みの中には「とてもすごいことをしているのかもしれない」という声も少しだけあった。ぼくもそう思っている。

 ぼくはもうこれ以上、繰り返さないが、柳田國男が何故、日本人がちゃんと選挙がやれないのかを第一回目の普通選挙の時に憤った話をしたのか、と思う。柳田は自分の見たことや感じたことを正しく記録し、それを持ちよってみんなで考える仕組みを作るしかこの国の選挙は正しい形にならないと考え、彼は民俗学にそれを託した。けれど民俗学はただの「学問」になってしまった。

 でも柳田の考えたことはできないことなのか。

 ぼくには、ナベタくんがたった一人でやったことは柳田國男の考えたことの実践のように思う。一人一人の選挙民が「選挙群」として考えなしに空気を読んで投票する愚かしさを、昭和の初めからこの国はずっとしてきている。ナベタくんは自分の選挙区で誰に投票したらいいか判断する材料をニコ動を使ってニュートラルに提供しようとした。繰り返すが、彼にイデオロギーがあるわけではない。しかし「考えるため」の材料を人々に提供し、そして考えてもらう、という彼のスタンスはとても正しい。ニコ動で柳田の理想が形になった気がした。

 もちろん候補にしてみれば素性の知れないニート青年にいちいち対応していられない、というのは正論だ。ナベタくんを諫めた未来の人の対応にもその意味で一理ある。例えば「名刺もないのか」とその人に言われ、ナベタくんはそうか名刺か、と思い、生まれて初めて名刺を作った。彼は名刺をどこに注文していいかも知らなかったので、その時だけぼくは相談に乗ったのだが、「webジャーナリスト」とでも書いとけば少しは対応マシにならないかな、とぼくが言ったのに対して、ナベタくんはそれは違うと思いますと考え込んだ。そして結局「市民」という肩書きの名刺を作った。住所と携帯の番号とサイトのアドレスが書いてある。「市民」なんてすっかり死語か胡散臭いものになってしまったけど、ナベタくんの「市民」はカッコいい。ぼくは彼の話を聞いて、どこかで「物書き」という特権に甘えている自分が恥ずかしくなった。

 ここでもちょっといい話がある。生まれて初めて自分で名刺を作ろうとした彼は、ぼくにタウンページでも探せよ、と言われ、電話帳の広告を見て「格安」と書いてあった会社を訪ねていった。そこで「市民」という肩書きの名刺を作ろうとするナベタくんは、印刷会社の人にあれこれと聞かれた。まあ、怪しいし、不審に思う。ナベタくんは一時間ぐらい自分が何をしてどうしてこの名刺を作ろうとしているのかを真面目に話した。印刷会社の人は最後に「自分は実は在日なので選挙権がない。けれども君のやっていることは正しいよ」と言って名刺の印刷を引き受けてくれた、という。出来過ぎのようだが、本当の話だ。また、誰かが背中を押したのかもしれない。

 ぼくの周りのどちらかといえば左翼やリベラルの人たちは、今回の選挙の結果に本当に呆然としている。そして、実は「右」の人でもちょっとあり得ない、とことばを失っている印象がある。ぼくはというと去年の初めに散々「土人」だ「愚民」だと悪態をついたから、絶望することももうなかったが、けれども単にニヒリズムに陥らずに済んだのはナベタくんの行動のおかげだ。

 何だか自分が放り出した教え子に、いいかげん「土人」って言ってても仕方ないでしょ、と叱られた気さえした。ナベタくんはこの国の選挙に一つの可能性を示した。

 例えば、次の選挙でネットが解禁される可能性は高い。そうすると橋下徹ツイッターが象徴するように、有権者をいかに自分の優位な方に動員するか、プロパガンダ合戦になる。実際、ネットを使った選挙とは、候補者や政党がどうネットを使うか、にしか議論はなく、有権者がどうネットを使うか、ましてや特定の候補や政権のためでなく選挙をまともに行うにはどうネットを使えばいいのか、という発想は全くない。ニコ動だって、結局、小池百合子の「断髪式」を生中継するかしないか、レベルの対応しか今回だって出来ていない。この先もそうだろう。ぼくはその意味で半端にNHKにでもなろうとしてる「情報の送り手」としてのドワンゴに少しも期待していない。しかし、ナベタくんが使って見せたように、この国の選挙を少しだけマトモにするためにニコ動は使える。YouTubeもだ。

 例えば、だ。次の選挙で全ての選挙区にナベタくんみたいなニートくんがカメラを抱え、一人一人の候補にアポをとり、同じ質問をし、答えてくれた人はそのまま、断られた人はその経緯をなるべくニュートラルに平等に動画に挙げていく。質問もたくさんだと迷惑がかかるから、日本中同じものと地域に根ざしたもの三つぐらいがいいかもしれない。

 とにかくフェアに、ニュートラルに、がルールだ。

 そういう動画が全ての選挙区にアップされたとして、それでも次の選挙は少しも変わらないだろうか。この国の民主主義は相変わらずこのままだろうか。確かに何人もが同じことをしても仕方ないから調整も必要だし、特定の陣営の人が紛れ込むリスクもある。編集のちょっとしたニュアンスでバイアスをかけることだって出来なくはない。

 そういうリスクや問題点を一つ一つ挙げていったらキリがない。けれども、ぼくはナベタくんがこの国の選挙や民主主義についてwebを使って少なくともやってみる価値のある答えを出した、と思う。

 ぼくの友人でリベラルな人の中には「もう亡命したい」とか「有権者一人一人に訴えていくなんて、橋下や安倍相手にそんな正攻法はやってられない」という思いつめた声がけっこうある。しかし、ぼくは何だか少しも絶望していない。ナベタくんみたいな人が日本に現れることに、この国の民主主義の可能性を託してみたい気になってしまう。「それどころじゃない」のかもしれないけれど、でも、こういう足場を作っていくことでしか民主主義も選挙も変わってはいかない。

 そういうわけで、この文章は「全文をまとめて、かつ、修正とかは一切しないこと」を条件に、サイトや印刷物にいくらでも転載してかまわない。

 ナベタくんの動画は、

youtube衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるか やってみた」

http://www.youtube.com/watch?v=iI6nOYOmXEE&feature=youtu.be

ニコニコ動画衆議院選挙東京第25区の候補者に会って質問できるか やってみた」

http://www.nicovideo.jp/watch/sm19560813?mypage_nicorepo

 で、見ることができる。ぼくが今、こういう文章を書いていること自体、ナベタくんは知らない(依頼された原稿ではないのだ)。ぼくもこっそり背中を押してみる。

 ぼくは『愚民社会』のあとがきで、どうしたらいいかなんて自分で考えろ、と書いた。ナベタくんは多分、ぼくの本なんか読んでさえいない。ぼくの本など読まない彼は、しかし自分で考えれば「答え」などいくらでも転がっていることをわかっている。

「ナベタくんの選挙」が、さて、どこまで広がるか。広がらないかもしれない。それでも少なくとも、次もまた彼は一人で候補者に電話をして、断られたりしながらカメラを回すと思う。

不思議なこと

夜、新聞を見ていたら「教育再生実行会議」なるものについての記事があったのですが…。
メンバーみたら「プロ」がいない。いや、わたしがここで言うプロは教育学の研究者のことなんですがね。
なぜ素人に論議をまかせるのか、なぜ研究の成果に学ぼうとしないのか、わたしにはよくわからない。まぁ、研究の成果に学ぼうとしないことが教育の再生につながるとお考えなんだろうけとわど、そうして「再生」された教育って…。なぁ…。

眠気が覚める

とにかく眠い。なのに、なぜか今日はイレギュラーな「おべんきょの日」。なんで明日の代わりに今日があるそうな。わけわからん(T_T)。
とにかく、この間、文字を読みつづけ、考え続けてきたので、かなり頭と目が疲れています。ガチで今日のおべんきょ時間は寝るかも^^;;。
と思ってはじまったのですが…。
寝ませんでした(笑)。
てか、おもしろい!
何がおもしろいかというと…。
今日のペーパーは「エスノメソドロジーを用いた授業分析」なんですが、読み進めながら、みんなで言っていたのが
「これ、エスノメソドロジー?」
なんですよね。
いや、トランスプリクトもあるし、なんか「ぽい」んだけど、語られていることは、かなり通りいっぺんの分析なんです。
「これならエスノ使わなくてもええやん」
がみんなの意見。
でも、ふと考えました。これ、4か月前のわたし(たち)であれば、たぶんこんなことは考えずに「エスノメソドロジー萌え〜」とか言ってたんでしょうね。というこのは、この4か月間で、少しは前へ進んだのかな。
そう思うと、なんとなくうれしいひとときでした。
おかげさまで、目がぱっちり(笑)。
いやぁ、楽しかった!

今年も今日が来た

「先の戦争」と言えば「応仁の乱」という話は有名ですが*1、わたしにとっては「先の地震」と言えば、やはり「阪神淡路大震災」です。
いや、
「何言ってるねん!東日本大震災やろ!」
という向きもおられるでしょうが、あくまでも「わたしにとって」でして。たぶん阪神淡路大震災をある程度の切実さを持って経験していない人にとって
「じゃ、その前の地震は?」
って聞かれたら、あれからもいろんな地震があったから、いろいろ出てくるだろうと思うのです。なんと言うか、みんなが一色に塗り固められなくてもいいかと。
てな話はいいとして…。
今年も語ることにしました。
というのは、この間聞いた講演中に、「災害を語れるのは災害を経験した人」というくだりがあったけらなんですよね。で、3種類の経験者がいる。ひとつは「被災者」。でも、被災しないに越したことはないし、被災といっても程度の差もあるし、なによりなんだかんだ言って少ない。で、もうひとつは「ボランティア経験者」。被災はしていないけど、現地に行くことによってわかることがたくさんある。でも、誰もが行けるわけではない。で、三つ目が「災害について語られたことを聞いた人」。「これであれば、誰でもできる」と言われたのですが、実は誰でもできるわけではない。誰かが語ってくれないと、三つ目の人にはなれない。とするならば、ひとつめふたつめの人は、三つ目の人のために語らなきゃならんだろうと思うわけです。
てことで、いつもの話をしたわけですが…。
「そうそう」と思ってつけ加えたこと。

なんかね、みんな「がんばろう日本」って言うんだけど、一体誰が何をがんばるのかわからない。ちなみに、「絆」とかいうのもあるけど、わたしは「絆」って言葉はきらいなんだ。
阪神淡路大震災の時は、たしかに「がんばろう」って言ってたけど、あれは「がんばろう神戸」だった。誰のために声を発しているのかわかったし、誰ががんばるのか、それは神戸の人も「がんばろう」と思っただろうし、神戸の人ではないわたしも「がんばろう」と思えた。
でも、「がんばろう日本」には、そういうリアルさがない。
では、リアルさがない中で、誰が何のために「がんばろう日本」と言っているのか。
わたしはそこになんとなく「他の意図」を感じてならない。簡単に言えば、震災を利用して、あるいはそこまではいかないかもしれないけど、きっかけとして、なにか他の意図を持って「がんばろう」と言っているような気がしてならないんだ。

なんというか…。
たぶん、言葉は大きく広げずに、対象を絞ることでリアルさを持ち、意図が明確になる気がします。そして、それが誠実さにつながるのかもしれないとも。
自戒の念を込めて…。

*1:ほんまかいな^^;;。

エージェント役

やはり、ひとにものを頼む時は、ちゃんと会って頼まなくちゃならんかなと、いちおう思ってはいるのですよ。そうはならないことが多々あるわけですが…。
てことで、今日は会って頼もうということで、D大学まで行ってきました。
ここの研究室の人たち、なぜかわたしのことを知っておられるんですよね。まぁ、原因はいろいろあります。でも、最大の原因はUJでしょうね。なんというか^^;;。
てことで、なぜかというか当然というか
「ご飯を食べに行こう」
ということになって、近くのお店へ。なんだかんだと2時間ほど話をしながらおいしいビールとお酒をいただいて。
にしても、やはり話の内容が刺激的やなぁ。おもしろい。わたしは専門外ですが、ちょい背伸びをしたくなります。その「背伸び感」が、学生時代を思い出させてくれて、妙にくすぐったい気持ちになります。
刺激的なひとときを過ごして11時前には終了。あ、ちょっと小腹がすいた。目の前には天一!うー…。
いかん。ここで食べると泥沼や。いろんな意味で。K田さんからは
「お茶漬け」
というヒントも来たから、それでいこう^^;;。

すすまん(T_T)

今やっている作業を、なんとか今日すませたいと思い、準備万端整えて職場へ。さて、やろうかと思ったところへ、まったく別の仕事のメールが続々とやってきます。
うー…。どれからやろう(T_T)
とにかく、緊急度はどれもこれも似たりよったりです。てことは、「Sジョブ*1」からやることに決定!とにかくガシガシやっていると、思いのほか時間がかかって、結局、午前が終了です(T_T)。
午後からは「Bジョブ」にかかります。こいつは調べものをしながらやらなきゃならないからしんどい。しんどいけど、勉強になります。勉強になるからおもしろい。おもしろいけど、リソース使いまくるからしんどい。まぁそんな仕事です。
とにかく、なんとか帰らなくちゃならない時間までにひと通り終えたけど、まだ最終のめんどくさい部分が残っています。てか、クオリティ低い仕上がりだなあ。そのわりを食うのはM前さんなんだよね。って、ここ見てないからラッキーかな^^;;。
なんしか、勝負は明日だ…。でも、予定より一日遅れなのがねぇ(T_T)。

*1:わたしが大学生の頃は「パーソナルコンピュータ」なんてのはなくてですね、FORTRANでプログラムを組んで、穿孔機で一枚一行穴を開けて、それをコンピュータ室に行って食わせるわけですよ。コンソールは4回生しか使わせてもらえないと。で、TTSで処理をしていて、自分のジョブがどのあたりにあるかをモニタでみているわけなんですが、順番は早いもん順じゃなくて、CPUを使う時間が短いものからやっていくんですね。で、わたしらみたいなペーベーはほとんどCPUを使わなくて、そういう超短いジョブをSジョブと言いまして…。ま、ええか^^;;。