今日は見たい番組がバッティングしまくりです。ニュースで日比谷の状況も見たかったし、ケンミンSHOWで笑いもしたかった。でも、結局見たのは先週に引き続き「世界イチバン」でした。
今日は「世界一陽気なお墓 ルーマニア」。実は見はじめた時は、おもしろくなければいつでもチャンネル変えられるようにと思っていたんですが、どうしても変えられませんでした。というか、いつの間にか家族全員そろってたし^^;;。
墓標をつくる人も、お葬式で歌うための歌詞をつくる長老も、死者のことをとってもよく知ってます。墓標をつくる人は、死んだ人がきっと残したかったであろうメッセージを墓標に刻もうと、懸命に想像力を働かします。歌詞をつくる長老は、死者の「日常」を思い出しながら「事実」を赤裸々に綴ります。いずれの人も、想像する力とふだんのつながりが、すごく大きいんだなぁと思います。
なぜチャンネルを変えられなかったのか…。
それは、このどーしよーもない日本だからこそ、逃げたくなる。でも、そこから逃げずに、そして、あの淡々とした「生」と、その後に当たり前に来る「死」を見たいと思ったのです。そしてそれが当たり前のこととしてある、おそらくは半径数メートルのコミュニティを見たかったのです。でないと、自分の軸が動きそうになります。もちろん、あの村にわたしの軸があるんじゃないですけどね^^;;。
そして、やっぱり見てよかった。
番組の最後、まだ生きているけど、すでに墓標と歌をつくってもらっているおばあさんと、その娘さんが登場しました。歌の中に「100歳まで生きた」って節がありました。それが、まわりの人とおばあさんの「つながり」なんだろうなぁと思いました。
番組を見終わって、ふと気づきました。あのおばあさんは死を恐れていない。それは誰にでもくるものとして引き受けています。死が来たら天に行くだけ。ただそれだけのことです。
でも、たぶん秘密保護法を通そうとやっ気になっている人々は死を恐れているんでしょうね。どちらが深く思索をしているんだろう…。