流れはじめた一日

今日の午前は終業式。
なんかこの間、「体育館付属の放送設備よりも仮設の方がいいので、終業式も仮設のでやって」とか言われてしまいました。付属の設備はスピーカーの取りつけ位置が悪くて、反響しまくって何も聞こえないんですよね。たしかに仮設の方がはるかにクリアです。
てことで、朝からせっせとスピーカーの設置作業です。
さて、音が出たところで、あとは生徒にまかせます。とりあえず、一日が流れはじめました。昼にいろいろ作業とか調査をして、午後からは、新入生説明会。こちらも生徒にまかせます。
「ながら」になったので、一安心。

で、落ちた

会議が終わってから、なんとか「考え」を前に進めようと思ったのですが、まとまりません。しかも、出張の時間が迫っています。となると、残る選択肢はひとつだけです。
「すみません、今日が〆切ですよね。あと2〜3日ください」

「〆切とゴムひもは、切れる寸前までどこまでも伸びる」

という名言がありますが、まぁそこまでひっぱるのはあかんですな。
とりあえず、北海道への行きに書きますか。

原点となる日

今日は進級判定会議です。
「今年はやつらは進級しているかな」。いつもドキドキします。
そういえば、わたしがほんとうに教員として何をしなくちゃならないかわかった日は、1991年のこの日だったのかもしれません。その日、うちのクラスで卒業不可が確定した子がいました。その子にそのことを告げに家庭訪問をしました。
あの日を境目に、わたしの考えが変わったなぁ。うん、あのときの気持ちだけは忘れないでおきましょう。

春が近づいてきた

職場からの帰り、久しぶりに鴨川の河原を走ってみました。ふと気がつくと、なんとなく河原がほんわかした感じがします。そうか、桜か。
でも、まだまだ九条です。七条にも達していません。これが四条→三条と近づくと4月かな。そして、出町まで来た時に新入生が入ってくるという感じです。やがて比叡山を登りはじめる頃には新たな「闘い」がはじまります。
まぁそれまで、しばしの休戦状態です。

で、呑みに行くんだけど…

もちろん職場の人間と行くわけではありません(笑)。いや、いっしょに行きたい人は何人かいるんですが、まぁなかなか行かないものですよ。
今日は、T中のKよぽんと一緒に、「おたふく」です。
Kよぽんはずいぶんとおたふくは久しぶりみたいで、このあいだ呑んだ時に「久しぶりに行きたいなぁ」と言っていました。なので、せっかくですから行こうかと。
待ちあわせはいつもの土下座しっぱなしの人の前です。
おたふくにつくと、常連のお客さんが3人いるだけです。ちょっと寂しいな。Kよぽんと最近の話をしたり、頼みごと(笑)をしたりしながら、たまに常連さんとも話をします。なんか、テレビではビューティーコロシアムをやってるし、妙に気になったりします。途中から、常連さんが
「姉さんらも化粧したらもっときれいになるで」
と、ちょっとうれしいツッコミが入ったりします。
そんなこんなでいい感じになってきたところで、ちょいと河岸を変えてみることにしました。で、行ったのは、ずいぶん前に行ったことのある居酒屋なんですが…。なんとなく雰囲気がしんどい。なので、早々に撤退。
ふたりで
「どこに呑みに行こう」
「ラーメンにしよう」
天一かなぁ」
「このあたり天一どこにあったっけ」
と酔っぱらいならではの会話を続けます。でも、近くにある長浜ラーメンの香りに勝てず、けっきょく長浜ラーメンへ。
ふぅ、久しぶりにお腹いっぱいにたべて、しっかり呑んで、いい気持ちです。
にしても、今日も終電か…。

最後の会議

といっても教科会議ですが。
あ、高校の評価って、基本的には「担当者」→「小教科会議」→「教科会議」→「職員会議」→「校長」という流れで決まります。でもまぁ、最後の方になって担当者が出す原案がひっくり返ることは、まずありませんが…。でも、教科会議レベルまでは、まだまだ論議があります。
てことで、いよいよ天王山となる教科会議です。
いろいろデータを準備して、頭を下げる時は下げるだけの理由も準備して、必要な根回しもして、会議に臨みます。で、約2時間の論議の後、ほぼ評価は確定。
これで、ヤツらとの1年間の闘いが終わったわけです。ふぅ…。

少しずつ終わりを迎える

今日が〆切の原稿。なんとかギリギリで出せました。タイトルは「航海図を描きながら」。まぁまぁのできだとは思いますが…。さてさて、どうなることやら…。
18日〆切の原稿が、あと2本。
それでも書き続ければ、必ず終わるはずだと信じながら…。でも、書かないと絶対に終わらないorz。

少しずつ終わりを迎える

今年度も3月半ば。
担当クラスの成績処理もほぼ終了。あとは、教科会議を経て職員会議を経て、最終的な成績が確定します。とはいえ、教科担当が出した原案がひっくりかえることは、高校の場合はほとんどありません。そういう意味では、子どもたちの1年間の足跡の結果が、数字の上ではほぼ確定したということです。
4月からはじまった「ヤツら」とのバタバタした1年間。長かったような短かったような。数字の上ではそれが「1〜5」にしかなりません。もちろん、ただそれだけのつきあいしかできなかった生徒もいます。でも、そうではなかった子もいるはずです。それを信じるのが、たぶん教員という仕事なんでしょうね。
どうも3月は、そういうことを考える季節みたいです。

民族料理研究会

今日は京都・在日外国人生徒交流会の例会です。
毎回生徒が来るのかどうか、かなり不安で、プレッシャーに負けそうになるのですが…。今回は、なかばあきらめモードです。
というか、おそらくはこういう交流会って「続ける」ということが大切なんだと思います。
10年ほど前に、まったく生徒が来ないことがあり、引率と卒業生だけでしみじみと交流会をしていた時期がありました。でも、その翌年だったかにいっぱい参加があって、それから数年はほんとうににぎやかでした。もしもあの「しみじみ」していた時に「やーめた」と放り出していたら、その後はなかったんだと思います。
もしも「会」があれば、来ようと思えば来る「場」がある。でも、「会」がなくなったら、来ようと思ってもその「場」がない。「場」を維持することにも意味があるんだと、最近強く思います。
で、今回、フタを開けてみたら、案の定卒業生ばかり。でも、京都の子らだけじゃなくて、奈良の子らも来てくれて、ほんとうに気を遣わない楽しい会になりました。
ちなみにメニューも今回はすごかったですね。
まずは恒例の水餃子。

中のあんにしっかり味つけがしてあるので、めちゃくちゃおいしいです。あと、中国人の子がつくってくれたタレが、また、めちゃくちゃおいしい。単にしょうゆ・酢・ごま油・ニンニクだけなんですけどね。つくりかたなんですね。また玖伊屋で紹介しましょう。

続いて、これまた恒例のチヂミです。

たっぷりのごま油で焼くので、エッジの部分がカリッと揚がります。めちゃくちゃおいしいです。ちなみに、チヂミを焼くのは歴代の「チヂミ焼き職人」です。初代はもう30歳はゆうに越しています。現在は4代目なんですが中国に留学中なので、今回は3代目が焼いてくれました。

お次はトッポギです。これは交流会としては初メニューですね。つくってくれた人の好みで、少し甘めにしてありますが、でも、すごくおいしい!ちなみに、交流会作成の「焼肉のタレ」でやってもいいみたいです。

最後は、交流会卒業生がつくって持ってきてくれたボルシチです。この子、2年ほどロシアの日本人学校に行っていた経験をもっています。でも「だからといって、みんながボルシチが好きなわけではない」と、これまた味わい深い発言をしてくれました。デンマーク産のビートを使ってくれいているので、鮮やかな赤が美しいです。さらに、サワークリームと葉っぱ*1を散らしてあるので、香りもいいです。

で、ある卒業生曰く。
「わたし、この交流会、ただでおいしい昼ご飯が食べられるから来るねん」
なるほど。もっともです。なにせ、参加者がそれぞれ腕によりをかけてつくる料理ですから、まずいわけがない。しかも、たまにすごく珍しい料理も食べられます。
で、ある卒業生曰く。
「この交流会の名前、民族料理研究会にしたら?」
それでいこか(笑)

*1:種類は忘れた

頼れる人たち

今日は朝から某在日外国人教育関係の会議です。
午前はいつもの通り、事務局メンバーで事前打ち合わせ。昼食の後、午後からは本格的な会議です。
まぁ通常はわたしはダラダラモードで会議に参加しているのですが、今回はそうもいかなさそうです。
人権関係の組織・グループはどこともそうなんでしょうが、うちらのグループもご多分に漏れず、なかなかじり貧の状態です。なんというか、世代間の継承がうまくいかないんですね。
今、喫緊の課題というやつはやっぱりありまして、まさにその課題で集まる「若い人」はたくさんいます。でも、その人たちが前からやっている人とつながるかというと、そうはいかない。かといって、前からやっている人が「若い人のグループ」に行くかというと、みなさんいっぱいいっぱいだから*1、これまた行かない。で、同じようなことをやっているけど、いろんなグループがあって、それぞれがバラバラにやっている。ほんとうは、そういうさまざまなグループを横断的に動く人がいたらいいんだけど、そういう人こそ、中心メンバーとして動いているので動きがとれない。
てなことで、今日の会議の内容もかなり厳しい状況をどうするかということを、直接的ではないにしろ、話しあわざるを得なかったんです。
そんな中で、
「2011年のセミナーをどこでしよう」
という話題が出てきまして…。何気なく
「T島…」
と漏らしたら、
「それ、おもしろいな。ちょっと模索してみて」
となりまして、速攻メール。そしたらしばらくして
「やりますよ」
という返事が返ってきました。さすがや…。そこにいた人たちも、どよめいていました。
てことで、2011年5月に、T島でセミナーをやることになりそうです。おそらく、「在日外国人教育とは何か」あたりの、そうとう基本的なあたりを攻めることになるかと思います。でも、やはりいつも原点を見据えながらとりくみをする必要があると思います。なので、ちょっとワクワクしています。

あ、じゃぁT島の人たちとわたしとのつながりっていったいなんだろうと、あらためて思うと…。
もちろん、課題としての共通点はあります。でも、それはそれぞれがそれぞれの場所でやればいいこと。じゃなくて、
「互いが互いをおもしろいと感じている」
というところにあるんじゃないかなぁ。
もしかしたら、「課題」で集まるんじゃなくて「興味」で集まったら、もっと横断的につながることができるんじゃないだろうか。
たしかにみなさん忙しさの中で、そういう余裕を奪われているとも思います。最近連絡を取りあっている極北の地(m(__)m)の人も、ほんとうに忙しそう。でも、その人、好奇心と興味の塊みたいな人なんです。そういう人こそが、横断的に動くし、つながりをつくれる。
そんな人たちを頼りながら、わたしも横断的に動けるかな…。

*1:それだけじゃなくて、テイストがあわないとか、見ていて歯がゆいとか、まぁいろいろあるわけですが