「豊かな人権教育の創造」実践交流会

今日は「全人教*1」の集会です。京都市内で実施ということで、わたしたちにも動員がかかりました。てか、別に動員がかからなくても行くつもりでしたがね(笑)。

午前中は神野ちどりさん@東大阪市立平岡東小学校長の講演「子どもの心を耕す人権教育をめざして −人権教育の指導方法等の在り方について(第3次とりまとめ)をどう活かすか−」。
はじめのうちは「説教かいな(;_;)」と思いながら聞いていたのですが、
「自分の話をさせていただきます」
と仁義を切ってからは、えらい勢いで自分が実践の中で出会ってきた生徒達、教員達について語りはじめられました。やっぱり、子どもの話は迫力があります。でも、それ以上に、神野さん自身が迫力ありすぎ^^;;。まぁ、東大阪で校長をやっておられるぐらいですから、「そーゆー人やろなぁ」とは思っていたのですが、やっぱり「そーゆー人」でした。
ただ、オチがなぁ…。
「「第3次とりまとめ」には、いままでの同和教育の流れにプラスして「社会づくりをしていく」という文言が明記されている」
みたいなことを言われていたけど、それ、いままでから言ってたし…。てか、うちのトランスジェンダー生徒交流会では
「身のまわりから社会を変えていく主体はお前らや」
と好き放題言いまくっていますし(笑)。

午後は3つの学校からの実践発表*2です。
京都の高校・大阪の中学校・長崎の小学校からそれぞれプレゼンがあったのですが、校種による違いみたいなものを実感しました。
地域と非常に密着した実践・他県の学校と交流をしている実践の紹介があった小学校。中学校では小学校との連携や異学年間の交流をうまくとりくんでおられます。こうしたとりくみと比較すると、やっぱり高校は地域・保護者から少し離れたところに実践があります。
高校の教員としては、小・中の実践の「ベタベタさ」をうらやましく思いながら、でも、高校として何ができるのかというあたりを考えなくちゃいけないなぁと思いました。具体的には、地域や保護者から一定卒業している子どもたち同士をどうつなぐのかというあたりかなぁ。

プレゼンの後はパネルディスカッション。なんか、高校だけかみあっていない気がしたのはしかたないかなぁ。
パネデの後、たまたま中学校の人を知っていたのであいさつをしに行ってみました。あちらも予想外だったのか「いつきさん!」と驚いていただけたのはうれしかったですね。
その後、文科省の人が「人権教育の指導方法等の在り方について(第3次とりまとめ)」についての解説。まぁあんなもんかなぁ…。

*1:全同教がこの7月に社団法人化して、さらに「同和」から「人権」に変わったそうな。

*2:プログラムには「プレゼンテーション」とか書いてありますよ。違和感があるなぁ…。

前夜

いや、夜ではないのですが、あしたから2学期がはじまりますので、「決戦前夜」みたいな…。
生徒交流会〜全外教〜高知と動いてきたので、感覚が職場から離れています。とにかく今日はリハビリ&雑務&研修という感じです。
まずは、午後の研修のレジュメ印刷&ホッチング。職員室で同僚とダベリながら淡々と作業をこなします。続いて職員会議開始です。いきなり文化祭があるのでたいへんですわ。
11時半頃職員会議終了。昼ご飯を食べて午後に備えましょう。

午後からは人権教育研修会。今日のテーマは発達障害の生徒にいかに対応するかという話です。
いままで何度か発達障害についての研修は受けてきたのですが、たいていの場合、特別支援学校あたりの話です。普通科高校でのノウハウみたいなところにつなげるためには、ちょっとハードルが高い感じがありました。そのハードルを下げるというか、ハードルのあちらとこちらをつなぐというか、そういう話を聞くことが必要なんです。
で、話を聞いて…。
あまりにも当たり前なのですが、結論は

 当事者の「自己理解」
→当事者からの「支援」「配慮」の要求
→「支援」「配慮」の実現

なんですね。
もちろん、具体的なノウハウはたくさんあります。ただ、それとて分析的に考えるとそう新しい話ではなく、いままでやんちゃな子どもたちやキレやすい子どもたちに対して向きあってきた時のノウハウや、勉強が苦手な子どもたちへのノウハウなんかからつながるところがあるように感じました。
大切なのは、そういうていねいなとりくみを、「結果」に対して行うのではなく「原因と解決」に対して行うというあたりかなと思いました。
うん、かなり勉強になった気がする。
にしても残念だったのは、講師の方の声が小さいことですね。ボリュームをあげればあげるほど、話をされる声が小さくなって、スピーカーから出る声は結局一定になるんです。まぁ、スピーカーの位置が悪かったというのはあるかもしれませんがね。でも、もしかしたら
「お前ら、聞き取れなかったら前に来ぃひんかい!」
というメッセージだったのかもしれませんがね。

日常へ

黒潮町の方に中村まで送っていただき、汽車に乗ります。太平洋の横を通り、大歩危小歩危を通り、瀬戸大橋を通り、本州へ。そこはわたしにとってのいくつめかのふるさと・岡山*1です。
で、今回も岡山では降りず、K本さん@長崎やK久保さん@高知なんかがいるであろう神戸にも降りず、日之出でも降りず、ようやく京都に帰ってきました。
空を見上げると、すでに秋の雲。さぁ、あしたから日常がはじまる。

*1:岡山は、かつて日教組教研で「はじめまして −ゲイの彼に出会った日−」というレポートを出した場所であり、中島豊爾さんと出会った(わたしの初診ね)場所であり、はじめてG研に参加した場所なんですよね。でも、それ以来行っていない(笑)

死のロード・5日目・お墓参り

宿毛に来たら、どうしても行きたいと思っていたところがありました。池上誠(いけのうえまこと)さんのお墓です。
池上さんの結婚差別事件については、結婚差別についての教材づくりをしたことがある人なら、必ずと言っていいほど出会うんじゃないかと思います。わたしも「宇治のモミジ谷」という地名と、震える手で書いた
「くやしいよ、お父さん」
という涙でにじんだ文字は、わたしも何回も見ました。
詳しいことについては、川口くんのブログに譲ることにしましょう。
今回宿毛に来ると決まった時から、絶対に行きたい。お墓の前で手をあわせたいと思っていました。
M越さん*1の紹介で、池上さんの出身の隣町の隣保館の館長さんに案内をしてもらいました。
宿毛市郊外の小高い丘の上にお墓はありました。

なんでも昔はもっと奥の方にあったのが、墓地の移転に伴って、最近こちらに移されたとか。
裏側にまわります。

一九七二年五月三日
差別への悲憤に自ら生命を
絶った若者ここに眠る

死の果てにやすらぎはない
生の闘いの彼方にこそ
部落の解放があり 自由が
ある
若人よ
ふたたび悔恨と挫折の道を
歩むな 起って 人の世の
熱と光を求め続けよ
一九七二年十月
部落解放同盟建立

とあります。

結婚差別についての授業資料をつくる時、よく
「そんなに古いのじゃなくて、最近の事件はありませんか?」
と聞かれることがあります。その言葉を聞くたびに、わたしは悲しさを通り越して怒りすら感じます。
死ぬのは一人でたくさんです。いや、一人の命もなくなってほしくない。にもかかわらず、これまでにどれほどたくさんの人が、結婚差別にあって、命を自ら絶ってきたことか。
池上さんのお墓の前で手をあわせながら、そんなことを思い出しました。
昨日の長浜のお墓のこと、今日の池上さんのお墓のこと。うちの子どもたちに、そして生徒達に伝えたいなぁと思いました。

*1:前のエントリの2番目の人で、いつも高知に行くとお世話になる人

呑んだくれ達の交流会・その18

交流会の会場に着くと、ビールが出たとたんにあちこちで乾杯がはじまっています。なんでも黒潮町方式らしいです。そういえば同じようなことを神戸のGID研究会の時にやっていた人がいたなぁ…(笑)。
ちなみに今回わたしに声をかけて下さったのはM越という人なのですが、わたしの向かいに座っておられる方もM越さんで、その隣におられるのもM越さんです(笑)。最後のM越さん曰く
「話を聞くのは3回目です。ネタの途中に笑いそうになって、こらえるのが大変でした」
す、すみません。いつも同じネタで…(笑)。
そうこうするうちに座の方は大盛りあがりです。なんだかいろんな人とワイワイ語りあっていました。
で、2次会はわたしの部屋。いつものように「カフェいつき どなたでもどーぞ」と張り紙をしておいたら、いろんな方が遊びに来られました。わたしの話を聞くのが2回目という人もおられて、
「いつきさんが来た時に声をかけようと思ったけど、ネタバレを恐れているのがわかっているので、ちょっとあいさつするだけにしておきました」
とのこと。ご協力ありがとうございます。
呑むほどに酔うほどに、深い話になっていきます。左腕がない人がいたので
「どうされんたんですか?」
と聞くと、事故でなくしてしまったとのこと。で、どういう人か聞いたら、鬼守家のお母ちゃんでした。
「一昨年言った時はおられなかったので、わかりませんでした」
と言うと
「最近お店に出るようになったんよ。この腕で「ハイッ」って料理出してるよ」
とのこと。それぞれが自分の持つしんどさと向き合いながら、でもそれをさらけ出して生きておられるんだなぁと実感しました。
で、12時過ぎに解散。そのままベッドに倒れ込みました。

で、宿毛へ

今日は黒潮町が主催する「女性泊まりあい合宿」にお座敷がかかりました。高知から汽車に乗って宿毛へ向かいます。途中、横浜のムラが見えます。まだ2度ほどしか来たことがないにもかかわらず
「帰ってきたなぁ」
という気になります。こんな気持ちになれるムラで他に思いつくのは…。京町か…(笑)。
わたしのお座敷は「ネタ」が命です。なので、一番恐れるのは「ネタバレ」です。お座敷は午後から。でも、どうしても午前中の体験発表が聞きたかったので、ふだんとはまったく違う「寡黙ないつき」でごまかすことにします。
この合宿の「体験発表」はすごくおもしろいです。通常ならば部落の当事者の体験が語られるんでしょうが、ここでは結婚して部落に来た人がよく発表されるとか。たしかに、部落外の人が部落にはいることによって、さまざまな「気づき」や「変革」があるだろうし、そういう話を聞くことによって、「わたしはどう生きるか」ということを考える手がかりが出てくるように思います。
で、午後から話。
高知の人はとっても好きです。だって、みなさんよく笑って下さいますし(笑)。てことで、いっぱい笑ってもらって、いっぱい話をして、無事お座敷終了。
と、終了後、話をしに来られた方がおられます。
「わたし、ウーマンズダイアリーの初代編集長です」
でぇ〜!まさかこんなところでそんな人と出会うとは思いませんでした。とても高知にいるとは思えない、きわめて関西圏のセクシュアリティ関係の話で、しばし盛りあがりました。にしても、いやぁ、驚いた…。
さて、この後は待ちに待った「交流会」です(笑)。

死のロード・4日目・歴史を拓くよみがえりの家とか…

起床は6時。今日の午後のことを考えて、なんしかシャワーを浴びます。ロビーに降りるとT橋さん・M本さんはお待ちかね。3人で長浜へと向かいます。
去年長浜を案内してもらった時は、どちらかというと「教科書無償化の闘い」の足跡をたどる感じでしたが、今回は「歴史を拓くよみがえりの家」を見せていただくことにしました。
「よみがえりの家」は女性史研究者のもろさわようこさんが、長野の「はじめの家」、沖縄の「はじめの家うちなぁ」に続いて長浜につくられたものです。

「歴史を拓くはじめの家」は「愛に満ちて歴史を拓き、心華やぐ自立を生きる」をテーマに、「自然と出会い、歴史と出会い、自分自身と出会い、そして人びととの出会う場」としてもろさわようこがよびかけ、全国の人びとの自ずからなる拠金によって長野県に建設され、1982年8月1日「家開き」をしました。
無組織・無会費・無規則、かかわりたい人がそのかかわり方・参加のしかたを、自分で考え、自分の責任で物事を行い、営むことを原則として、歳月を重ねてきました。

と『あけもどろ』の扉にあります。
「よみがえりの家」の扉を開けます。正面には教科書無償化をエプロン姿で闘った田村智子さんの写真が、来る人を迎えてくれます。一歩中にはいると、ここがほんとうに人々に愛され、大切にされ、「場」として使われていることを実感します。
ここを訪れた人が記帳をするノートがあります。T橋さんに
「書いたら」
と言われ、名前を書きました。すると、その横にT橋さんが自分たちの名前を書かれ「仲間が一人増えました」と書かれます。「ええ?いいの?」と思うと同時に、なんか背筋が伸びる気がしました。

「よみがえりの家」を出て、近くのお墓へ。朝早くから地元のムラのおばさんたちがお墓の掃除をしておられます。そんな中のひとつに差別戒名が書かれた墓石がありました。生まれてはじめてみる「生の」差別戒名が刻まれた墓石です。そのお墓を、ムラのおばさんはていねいに掃除をしておられます。
差別戒名をつけられてもなお、その先祖のお墓を大切に扱われるおばさんの姿に、さまざまな思いが去来します。

呑んだくれ達の夜・その17

さて、移動開始です。
新幹線に乗ったはいいけど、京都には行かず、岡山で下車。海を渡ります。山を越えます。到着したのはなぜか高知(笑)。
高知駅に着くと、なぜか徳島のお友だち・T橋さんとM本さんがおられます。なんで高知なのに徳島の友だちなんだ?
とりあえずホテルに荷物をおいてひろめ市場へ向かいます。もちろん途中でヘパを買うのは忘れません(笑)。
ひろめ市場でおいしいたたきを食べていると、高知のK村さんとO崎さんが到着。徳島の濃いぃ人々と高知の濃いぃ人々のコラボが実現です。はじめのうちは、軽いジャブの応酬でしたが、そのうちストレートやアッパーやフックが飛び交うすごい飲み会になりました。なんだかんだで話をしていると、あっという間に11時。ひろめ市場閉店の時間です。と、電気が消えはじめました。そうか、放送が入ったら、その後いきなり電気を消すんだ(笑)。
ここで高知の方々とはお別れ。T橋さん・M本さんと3人でフラフラとホテルに向かい、フラフラと部屋に入り、フラフラともう一杯飲んだあたりでダウンです。あしたは大丈夫かなぁ。

死のロード(3日目)・闘いすんで…

全外教の大会も2日目。
分科会が始まる前、子どもたちが交流会でつくった班ごとの寄せ書きを壁に貼ります。参加者は寄せ書きを真剣な面持ちで読んでいます。中には写真をとっている人もいます。
寄せ書きの中には、子どもたちの生の声があり、2日間の成長の跡があります。その成長の場に自分も居あわせたことに、ちょっと誇らしい気がします。
さぁ、今日で今年の大会も終了だ。来年は三重。来年への準備がそのうちはじまるけど、それまでちょっとひと休み…。

「ためにする」でいいんじゃないの?

なぜ自分は交流会にかかわるんだろう?なぜ自分はこどもたちにかかわるんだろう?
もちろん答えは「おもろいから」です。
でも、そのスタートは「〜のためにする」です。
昨日のルーツ別討論で、それぞれの討論班の報告をしている時に、いじめにあっている子どもの話が出てきました。子どもたちは
「とめない先生が悪い」
みたいな話に流れていきます。まぁそれはそうなんですが、そんな話をいくら繰り返しても明るい明日(笑)はこないので、
「先生の悪口言ってもしゃーないし、自分がその子のために何ができるか考えへんか?」
とアドバイスをしてみました。
それに対して、ある教員が
「「誰かためにする」んじゃない。自分は外国人の子どもとかかわることで、自分自身が豊かになっている気がする」
という話をしました。
いや、それはそうなんですが…。
はたしてはじめから「自分が豊かになることをめざして」って、できるのかなぁと思います。というか、はじめからそういうのをめざしたり、あるいはそういう発言が出てくるとしたら、それは「ウソ」が混じっているような気がしてならないんです。
正直、交流会なんてやらなかったら楽です。夜更かしもしないし、飲み過ぎにもならないし(笑)(→違)。
じゃぁなぜやるのかというと、ひとつは、やめてしまうことは、いままでかかわった子どもたちへの裏切り行為になると思うからです。そしてもうひとつは、未だ出会っていない子どもたちと出会うためです。
なんのために?それは、子どもたちのためです。
でも、子どもたちのためにやっていると、いつのまにか、わたしが子どもたちと出会わされていることに気づきます。その時、実は誰よりも自分が豊かになっていることに気づきます。
たぶん、「自分のために」って、そういう「結果として」のことなんじゃないかなぁと思います。
まぁ結果は一緒なんですけどね…。