と言っても、なにがあるわけでもありません。単にちらし寿司を食べるだけ。
それでも満足なわたしたち…。
月: 2009年3月
待合室のセンス
右手が梅雨の頃から荒れていて、「そのまま治るだろう」と放っておいたのですが、ぜんぜん治る気配がありません。どちらかというと悪化している感じ。
なので、半年以上経って、ようやく皮膚科に行くことにしました。
とりあえず、今日診察しているのかどうか電話。
「皮膚科を受診したいのですが…」
「どうぞどうぞ!」(えらい歓迎されてるなぁ…)
「あの、夜なんですが、何時までですか?」
「7時までです」
「受付が7時で終了なんですね」
「いえ、7時に終わりますので、6時40分ぐらいには来ていただきたいのですが」(やる気ないやん(笑))
てことで、6時半に行くことにしました。ギリギリだわ。
待合室に到着すると、待っている人は誰もいません。なるほど、早く帰りたいわけですわ。
保険証を出して待合室の奥にある本棚を見たら…。噴き出しました\(^o^)/
いきなり目の中に飛び込んできたのが『屠場文化』。こんなもの置く医者がどこにおるねん!
そう思ってズラズラと見ていくと、『とりかえばや、男と女』とか『連合赤軍「あさま山荘」事件』とか『東電OL殺人事件』とか、なんかそそるような本がいっぱい並んでいます。しかも「貸し出しいたします」とまで書いてある!
にしても、待合い時間0分の待合室に似つかわしくないですよね。
なんか、この医者、これから行きつけになりそう…。
友だちがいるとやっぱ緊張するなぁ…
今日はA住町の人権問題研修会とのことです。
会場に到着してしばらく友だちとダラダラしていると、「あの〜」と言いながら入ってこられた方がおられました。阿波木偶箱廻しを復活する会の方です。
おどろきました。だって、前にお会いしたのは宮崎全同教の時でして、それも瞬間お会いしただけでしたから。そんな、わざわざあいさつに来られなくても…。ほんとうに恐縮です。でも、機会があったら「木偶」を見に行きたいなぁ。
さて、いよいよ時間。午前中にムラを案内して下さった方もおられます。それだけじゃなくって、徳島のお友だちが何人か観客席に座っておられます。ちょっと緊張です。まぁ、「真っ正面」に座らないだけ優しいんですけどね(笑)。
なんでも今日は町の婦人会の研修講座も兼ねているそうです。年配の女性の方々がけっこうおられます。こちらのほうは「話しやすい」パターンですね。
で、はなしをはじめたら、きちんきちんと要所要所でウケてくださいます。さすがは四国の中の関西圏。
おかげさまで、気がついたら1時間半があっというまに終わっていました。
終わってから、いろんな人がこられて、ごあいさつ。こんな活動をされている方もおられるんだ…。
あとはバスに乗って家に帰って風呂入ってご飯食べて寝るだけです。
布団に入って携帯を見たら、今日の話を聞いて下さったお友だちからのメールに気づきました。
自分の感性くらいって詩を思い出し…
という一節がありました。
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄自分の感性くらい
自分で守れ
ばかものよ「自分の感性くらい」(茨木のり子)
読みながら涙が出てきました。
わたしの話が直球であったとしたら、それをまっすぐ投げ返してくれる友だちの存在が、ほんとうにうれしい。
番外編・豆玉
お昼ご飯はムラ中のお好みと行きたかったのですが、あいにく日曜日でどの店も閉まっています。まぁ、そのあたりもムラらしいといえばそうなんですが(笑)。
なので、チェーン店に行くことにしました。
メニューを見ていたら、ありましたありました。豆玉。
徳島のお好みの中には甘納豆を入れるものがあると聞いていたのですが、まさに目の前のメニューにあります。これは頼まないわけにはいきません。
出てきたのがこれです。
たしかに甘納豆が入っています。
お味の方はといいますと、甘い(笑)。
でも、生地のフワフワ感とあいまって、これはこれでいけるかもしれないという気になります。さらに、紅ショウガ*1の味がいい感じで、甘納豆の味とマッチします。もしかしたらいいかもしれない…。
さらに、サイドメニューはフィッシュカツです。
これ、お好みにトッピングをする場合もあるらしいですが、今回は鉄板であぶってそのまま食べました。ほんのりカレー味がなかなかいいです。
てことで、今回は番外編なので、dataとかはなしです。
*1:といっても、あの真っ赤な刻みショウガじゃありません。
ここにも銀座があったのか
ムラのある場所って、それぞれの街特有の配置があるように思います。
徳島の場合も、考えようによっては「銀座」とでもいうような感じで、すごく特徴的な形で配置されているように思います。もちろん、ムラの成り立ちや生業がそこに大きく影響しているんでしょうけどね。
今日の午前中は、ムラの人やムラの学習会にかかわった人が、ご自分のムラをていねいに案内をしてくださいました。
わたしが知っているのは、基本的には都市部のムラです。農村部にあったとしても、農業を生業とする経済的に比較的豊かなムラはあまり知りません。
今日案内して下さったムラは、ひとつはそれなりに豊かな感じでした。ただ、それよりもなによりも、そのムラの教育にかける思いに、ちょっと胸に来るものがありました。子どもたちが学べる環境を、自分の能力を発揮できる環境を、ムラの人々がほんとうに真剣に考えつくってこられたことが、ムラの中をまわっていると伝わってきます。そして、それを支える教員たちの心もまた伝わってきます。
徳島の同和教育の分厚さを感じたひとときでした。