昨日の日記の内容を、通勤途中に考えていました。
で、いろいろ考えているうちに、ふと出てきたフレーズが「公正な競争」という言葉でした。
で、次の瞬間、「あれ?」と思ったわけです。はたして「公正さ」に裏打ちされた「競争」ってあるんだろうか。そもそも、「競争」ということと「公正」ということは、相反する概念なんじゃないだろうか。
例えば、「誰に対してもカンニングを許さない」というのは、「公正さ」を保証するための大切な方法です。でも、例えば日本語が不自由な子が設問の意味がわからないために、設問が問う意図にまでたどりつけないとするならば、「意図」にたどりつくまでの説明をしないと「公正な競争」にはならないと思うのです。でも、この時の説明って、実はすごくむずかしいんじゃないかなぁ。
まぁ、この例はあまりよくないかとも思うのですが*1。
「公正な競争」というフレーズは、スタートラインが同じということを前提にしているように思うのです。でも、実際にはスタートラインはバラバラなことの方が多いだろうし、その「責任」が必ずしも個人の努力のみで解決できるとは思えないことも多々あるんじゃないかとも思うのです。
てことで、なにが言いたいかというと、
「競争と公正は相容れない概念である」
ということを前提に物事を考えないといかんのじゃないかなぁということを、バイクに乗りながらふと思ったという、ただそれだけのことです。
*1:だったら出すなよ(笑)
> 実際にはスタートラインはバラバラ
うん。なので、スタートラインも色々取りそろえる、つまり、色んな選別・競争のルールを作って置くのが良いんじゃないかしらん?と思うんです。
学校に限らず、社会でも。
まぁ夢想が入っています(^_^;)けど…
よく言われるのは、「機会の平等」か「結果の平等」かという話ですよね。
スタートラインのバラエティは「機会の平等」になるかと思うのですが、その結果についても「それぞれについてそれなりのもの」が保障されていないと、結局、特定のルートのみに集中してしまうんじゃないかなぁと。
> 結果についても「それぞれについてそれなりのもの」が保障されていないと
えぇ、それが私が「社会でも」と書いた趣旨なんです。
ただ、「保証」は難しいけど、学力以外の分野も、実はソコソコだと思うんですよね。一番安定しているのが、学力ってだけで。他の分野は波がある、けど期待値的にはソコソコ頑張っているような。
スポーツとか、別に一流プロ選手になれなくっても色々つぶしは利くし、社会に出て一番問われるのはコミュニケーション能力だったりするし、一芸は身を助けるし…
逆に、東大出たって赤貧(^_^;)にあえいでいる人だっているわけで。
なので、社会の調整はあと少し頑張ればなんとかなるような気もします。って楽観的に過ぎるかしら(^_^;)。
なるほどなるほど。「社会でも」を読み落としていました。
う〜ん、なんとなく、「どうせ大学でても」というところで均衡を保っていたりして^^;;
この「胃部検診」、私はめちゃんこいやで。バリウムはまだいいけど、あっち向かされたりこっち向かされたり、ゲップのひどいのしたりで、個人的には内視鏡(胃カメラ)のほうが好きです。
そろそろまた飲みに行ってこようっと。おいしいよね、胃カメラ。
お土産に写真もらえるし・・・。(笑)