わたしは、毎年4月、最初の授業で「わたしの授業の受け方」というレクチャーを1時間ほどかけてやることにしています。ここでちょっと紹介。
- 準備物
必ず持ってきてほしいものは、教科書とノートと筆記用具(できれば黒+3色程度)。
教科書は、まずは基本です。勉強するすべての内容が教科書に書いてありますし、問題も書いてある。で、わたしが黒板に板書する内容は、わたしがまったく教科書を見ないとしても、ほとんど教科書と一緒になります。ということは、よく必死で板書をうつす生徒さんがいますが、あれって実は無駄な作業なんですよね。どちらかというと、わたしの話を聞きながら、「ふんふん、ここをしゃべっているのか」と思ってくれたら、それで充分なわけです。で、教科書に書いてないことを話した時、はじめてそれをメモする。
ところで、その部分だけをノートにメモしても、前後の脈絡がないのでなんのことかさっぱりわかりません。なので、そのメモは教科書にすればいい、と。そうすると、1年経ったら世界でたった一冊の「君だけの教科書」ができあがります。ということで、教科書には必ず名前を書いて、なくさないようにしましょう。
じゃ、なんのためにノートを持ってくるのかというと、問題を解くためです。
よく教科書に答を書く生徒がいますが、あれはやめてほしいですね。というのは、教科書に答を書いてしまうと、「解答つきの問題」になってしまって、次に解こうという気が起こらないです。さらに、スペースが小さいので、「答だけ」の解答になってしまう。
なので、問題の解答は、ノートに書くようにしましょう。もしも解答があっていたら、きちんと「◯」をしましょう。もしも間違っていたら、きちんと「×」をしましょう。よく、まちがえた解答を消して正解を書く生徒がいますが、あれはあきません。もったいないです。自分がなにをまちがえたのか、それを分析して、次に活かすことで、「力」がつきます。生徒たちには「人間は失敗から学ぶ」とえらそうなことを言って煙に巻いておきます(笑)。
- 授業のリズム
数学の授業にはリズムがあります。
- テーマの提示
- 解説
- 例と解答
- 問い
- 解答
「テーマの提示」はあっという間なので、これは必ず聞くこと。
「解説」は、より深く理解したい生徒が聞くものであって、「あかん、パニクッた!」と思ったら、とりあえず無視をしてもかまいません。
「例と解答」。これが一番大切です。とにかく「どうやって解くのか」ということがわからないと、どうしようもありません。
「問い」。必ずやりましょう。間違いをおそれないことです。体育の授業なんかだと「間違い」は時としてケガにつながりますが、数学はとっても安全です(笑)。とにかく、自分で問題に触れることが大切です。
「解答」。あった問題はどうでもいいです。間違った問題については、「どこで間違ったか」ということをていねいに分析しましょう。そのために、わたしは「ここでこういうミスをしがちだよ」とか「この中に、きっとこういう間違いをした人がいるんじゃない?」と分析の補助をするようにしますので、それを参考にして下さい。
これら5つのリズムが、簡単なテーマだとひとつの授業で2〜3サイクル。むずかしいテーマだと1サイクルあるわけです。とすると、「解説」とか「問いのあまった時間」なんかをうまく使うと、50分の授業の中で集中しなくちゃならないのは30分程度ということになるかと思います。逆に、その程度の時間だけを集中していればいいわけですから、数学の授業*1は楽なもんです。
- わたしがやりたくないこと
これは生徒たちには基本的に言わないことですが、わたしがやりたくないことは「試験前日の補習」と「プリント学習」です。
いずれも、日常の授業をおろそかにしてしまうものです。
「試験前日の補習」は、当然おろそかにしますよね。だって、普段やらなくてもそこで教えてもらえばいいや。ということになってしまいます。なので、わたしは「試験前日」じゃなくて、できるだけ普段補習をするようにしています。逆に、その積み重ねがあれば、試験前日にやらなくてもいいということです。
もうひとつは「プリント学習」です。「プリント学習」をやると、生徒たちはだんだん教科書やノートを持ってこなくなります。そうすると、たとえば「問い」をやる時に「◯ページの◯番」と言うだけではダメで、黒板に問題を書かなくちゃならなくなります。そうすると、マジメな生徒はそれを写しはじめる。となると、ものすごく時間がかかります。ですから、どんどん授業が遅れだす。一方、やる気のない子は黒板を写すことすらしなくなります。すると、ますます時間があまってしゃべったり漫画を読んだりとなっていきます。必然的に、クラスが崩壊していきます。
それだけならいいのですが、わたしの時間だけじゃなくて、他の時間にもそれは飛び火していきます。「◯◯先生はプリントくれはった」とか「去年の先生はプリントくれはった」となります。こうなると、もうお手上げです。わたし個人の問題じゃなくて、学校全体の問題になります。なので、どこかでそれを防がないといけません。で、わたしは基本的には「よそはよそ、うちはうち」と言い放ってプリント学習はしないようにしています。
ところがですね、プリント学習をしないと、もう持たない時が来るんです。
生徒たちは、実は小学校の頃からプリント学習にならされています。「いよいよ勉強をしないと赤点の危機」という時になると、とりあえず勉強をしなくちゃならんなぁということで、とりあえず前を向きはじめるのですが、その時点では「どうしていいかわからない」ということになる。で、混乱したままあきらめて寝てしまうということになります。
こういう時のカンフル剤として「プリント」を出さざるをえないんです。これが悪循環を招くということはわかっているのですが、どうしようもありません。そして、この「プリント」は見事に効きます。
しかしね。このプリント。生徒たちから力を奪っていくものなんです。だから、使いたくない。
「プリント」は、授業をするものにとっては、劇薬*2です。
で、今、ある講座でとうとう使いはじめました。効果はてきめんですねorz。