語り

今日は2学期の人権学習。2年生は部落の人に来てもらって講演です。
この人、高校時代メチャクチャやんちゃをしていた人で、その後の人生も、そうとうハードな日々を送っておられました。でも、そういう自分のありようを、常に心の中では「あかん」と考えられていたようです。で、やがて子どもができて、もう一度人生をやり直して行かれたんです。と同時に、そういう自分の人生のバックに、部落差別があることもわかってきて、「語ること」をはじめられた。
ところで、かれこれ10年くらいこの人の話をあちこちで聞くんですけど、最近本当に「ええ話や!」と掛け値なしに誰に対しても言えるなぁと感じてきました。かつては、ものすごく攻撃的だったんですよ。それが、最近は、一度自分の心の奥をくぐらせて、そこからわきあがってきた語り口になってきました。すると、そのソフトな言葉が、わたしの心にしみ通ってくる。
なんでかなぁ…。
ふと気づいたのが、今回。
いままでその人、「自分のこと」を語っていたんですね。どうしてもそこには「うらみつらみ」とか「忸怩たる思い」が込められてしまう。ところが、最近は変わってきた。自分のことも話をするんだけど、自分の妹のこと、自分の子どものことを話されるようになってきたんです。なんか、「大切な人」のことを話す感じなんですね。それがすごくいいんです。
まぁ、単純に歳をとっただけかもしれないです。でも、一方で、だからこそできる「年輪」みたいなのを感じました。今年も来て下さって、ありがとうございました*1

*1:って、こんなとこ読んでねーよ(笑)

で、今日も12ch

今日もさっさと晩ご飯を食べて、家族4人でテレビの前へ。
オープニングは置いといて…。
いきなり「カムアウトは酔っぱらって」はないっしょ…。あれ、カットするって思ってたんだけど、ああいうのをわざわざ入れるのが、あの番組の「作風」のようですね。その後も、「それ入れるかorz*1」みたいなのが多発していました。
それにしても、昨日の分もそうでしたが、今日の分も収録自体は2時間以上かかっていました。それを、よくぞまぁあの時間にまとめたもんだとおどろきました。しかも、収録の時には、しゃべりのおばはん2人とお姉さん1人、兄ちゃん1人がものすごくしゃべっていて、パートナーとか杏野さんとかはぜんぜんしゃべれていなかったにもかかわらず、ふたりの話の一番大切なところをピンポイントでフォーカスをあてていたのにはまいりました。
それにしても、杏野さん、役回りとは言えおいしいなぁ…。昨日の番組では「社会の中にある偏見を自分の中に取り込んでしまわないようにしてほしい」という名言があり、今日の番組では「最初のカムアウトは自分自身へ」という名言を吐かれていました。最後の〆にたいして堀尾アナが「よくわからん」とコメントしていたのはご愛敬、というか、かなり疲れておられたようです*2。もっともそれを、お姉さんがきれいにまとめてはりまして、それが〆になりましたか。
あ、〆のところで「針間先生は、今日のためにわざわざ服を買われたんですよ」の後に、わたし「でも、ズボンの丈が短いんですよ」といったのに、さすがにそれはカットされてました(笑)。
それにしても、一番出番が少なかったのは、案外ソニンさんだったのかなぁ。で、その次は虎井さんね。
そうそう、それと、わたしの最大の見せ場は、結局ガッツポーズだったのかな…。

*1:例えば、パートナーが泣いているのにわたしが笑ってる、みたいな…

*2:それにしても、ここでも「いままでで最長記録」とかいう内輪ネタを出すしなぁ…

間にあわなかった…

1時間目、授業。昨日の夜、テレビを見ながら、それでもなんとか採点を終了して、朝、えんま帳に転記。どうにかテスト返しができました。もっとも、採点間違いだらけでしたけどね(笑)。
で、次の授業は4時間目。こいつもテスト返しがしたいんだけど、とてもじゃないけど2時間ではムリポ。というか、実質1時間だし、いかに採点の早い数学といえども*1、やっぱり採点は無理。てことで、あきらめました。はぁ…。
午後からは、あさっての人権学習の準備でなんだかんだんとやっていたら、あっという間に夕方。

*1:他の教科の人たち、「テストをつくるのはあっという間だし、採点もあっという間やし…」ってうらやましがっています。

で、夜は12ch

12chは関西の人間だけなのかな…。もちろん、NHK教育ですわ。
とにかく、7時頃に家に帰って、あわててみんなで晩ご飯を食べて、8時になったら全員でテレビの前に座りました(笑)。
まぁ、見事な編集です。約2時間半に渡って収録があったにもかかわらず、15分でまとめるわけですから、そりゃそうだろうな、と。あんなことやこんなことを話しておられたにもかかわらず、見事にばっさりとなくなっていました。
さて、あしたは専門家の方や諸先輩方からどんなアドバイスがもらえるのかな?

小ネタの神様降臨

この間、長らく苦しんでいた「人権学習」のプリントがようやくできました。
なにせ、内容は結婚差別。でも、今日日の子どもたち「結婚差別なんてせぇへんもん」「好きやったら関係あらへん」でおしまい。もう少しつっこんでも「わかってる、わかってる。差別したらあかんにゃろ?」程度でおしまいです。ちなみに、実はその通りなんです(笑)。したらあかんのです。
で、こんなに「わかりきったこと」について学習をしようと思うと、それなりに意表をついたり、新しい資料を提示したり、なによりも子どもたちの気を引いたりしなくちゃなりません。
で、考えついたのが、以下のような流れでした。

  1. 多様なパートナーシップがありうる
  2. にもかかわらず、「結婚」という形態だけが優遇
  3. 日本の場合、結婚制度と戸籍制度が不可分
  4. なので、「家筋」「血筋」などの考え方が存在する
  5. そのひとつのサンプルとしての「釣書」→書いてみよう!
  6. 「人の価値」は「釣書」ではどこにあるのか
  7. まとめへ

まぁ、自分的には「釣書」を思いついたのがヒットという感じです。ついでに言うなら、結婚制度に乗っかるつもりがない・のれない生徒について、最初のところでフォローをしたいな、と。まぁこんなことを考えて、一気につくりました。まぁ、学校でやってる人権学習の教材としては、ちょっと斬新だと自分では思うんだけどなぁ…。

今日は安全側に振りました

今日の夜は打ち合わせ。
昨日の夜は場所選びで大きく失敗したので、今日は安全なところで「」にしました。
相も変わらないたくさんの落書き、相も変わらないおいしい卵焼き、相も変わらないあの雰囲気に囲まれながら、かなり楽しく打ち合わせをすることができました。
てことで、昨日の人、ほんとうにすみませんでした。

自主フィールドワークとか…

今日は、人権教育がらみで「ツラッティ千本」の見学と西陣のフィールドワークでした。案内してくれたのは、小林丈広さんです。この人の話は、近代史を「衛生」という観念から解き明かしていくもので、ものすごく面白いです。
今回は、とりあえず、軽〜く「町式目*1」にかかわる説明を受けたんですが、それぞれの町の「まちづくり」への考え方というのがよくわかりました。
で、その上で西陣へ。おそらく織物産業が繁栄していた時は現代の「町式目」みたいなものが不文律としてあったんだろうけど、いまや完全に崩壊しはじめていることがよくわかりました。それがいいことなのかわるいことなのか…。なかなか評価は難しいですね。
午前のフィールドワークが終わったら、午後の講演まで時間があったので、ふたたびツラッティの近辺を自主フィールドワーク。「お土居」があるのが京都の「町」の面白いところなんですけど、このあたりには残っているんですね。で、そこを境目にしてがらっと町のたたずまいが変わります。なるほどなぁ、と。
午後はふたたび小林さんの講演。実は、同じような話を5年ほど前に聞いているので、さほど新しい収穫はなかったんですけど、明治30年あたりからの部落の有力者層の流出の話は、やはり刺激的でした。まぁ、個人的には流出する気持ち、わからんわけじゃないけどね…。

*1:「これこれこういう仕事の人には家を売るな」という約束事

打ち合わせの場所

今日は、夕方ちょっと打ち合わせがあって、大学街のとある終着駅(始発駅)で待ちあわせをしました。で、その後近くの居酒屋に行ったのですが…。
基本的には、わたしはその居酒屋の隣の店の方が好きなんです。そんなに高くないし、そこそこの味だし、夏場はクーラーがききすぎたり、夕方は子どもたちが走り回っているという程度のことしかないので、けっこういい店なんです。
ところが、たまたまそちらのほうが閉まっていることがあって、隣の店に入ったことがありました。で、その店の安さにぶっとびました。生中181円って、どんなんやねん…。さらに、帰りに10%引きの券をもらったので、今日はそちらの方に行くことにしました。
で、結果から言います。
変な店…。
安い生中、よく見たら、マグナムドライでした。それを見て、急遽瓶ビールを頼むことにしました。で、お店の人に「銘柄はなにがあるんですか?」と聞くと「モルツです」とのことだったので、ちょっと不満だったけど「じゃ、それください」と頼みました。出てきたのはサッポロ黒ラベル(笑)。うれしいけど、ぜんぜん話が違うやんか…。
出てくる食べ物もすごいです。串カツの盛り合わせが妙にぬるい。いや、一応あがって入るんですが、ぬるいんです。「ホソと九条ネギ」の味は…。九条ネギはおいしかったです(笑)。結局一番おいしかったのはミミガーでした。でも、あれならわたしも同じ味を出せるぞ(笑)。
もう2度と行くものか…。

パレード行ってきました

この間の玖伊屋、ちょっと先に帰らなくちゃならなかったので、カギ締めをY子ちゃんに頼みました。そのカギの受け渡しを兼ねて、パレードに行くことにしました。
阪急河原町で待ちあわせ。車中でカギの受け渡しが終わったので、ほとんど用事は済んだんですが、まぁせっかくなのでそのままパレードに行こうかと。ちょうどお昼は梅田だったので、定番の「新梅田食堂街」に突入。立ち飲みで軽くひっかけるのはいつものことです。で、Y子ちゃんと二人で、入ってきた人を見ては「あの人、MTFっぽい」とか、「連れの人、実はFTMやったりして」とか、しょーもないネタで盛りあがっていました。いや、最近、ちょっと背の高い美人を見ると、つい「MTFや」って思ってしまうんですが、こんなわたしは、きっとダメ人間ですね。
で、パレード会場へ。向かう道中、やたらたくさんゲイ*1がいます。やっぱりたくさんいるんだなぁと再認識。到着すると、いきなりO辻さん。顔を隠したけど遅かったです。「なんで隠すねん!」とツッコミが飛んできました。
そのほか、まぁいろんな人があちらこちらから来ておられました。わたしって地味な人間だなぁと、あらためて感じました(笑)。
歩いていると、みんなほんとうにうれしそうなんですね。心の底から「よかったね!」という気持ちがわきあがってきます。
でもね、「みなさ〜ん、わたしはゲイで〜す!」って叫んでいる人を見て、ふと「あの人、日常もああやって叫んでいるんだろうか」と、いじわるな気持ちが起こってきました。
考えてみると、このパレードって、一種のカタルシスの場なわけですよね。だから「解放」される。でも、トランスの人間にとって、その手のカタルシスなんて日常イヤというほど味わっているし、逆にカタルシスのない瞬間がほしいわけです。だから、玖伊屋なんて、カタルシスの正反対の方向へ向かっていきます。ついでにいうと、わたしにしても、「24時間一人パレード状態」はあまりにしんどいので、わたしを知らない人達の中では「あぁ、埋没したい」とふと思ってしまったりもするわけです。
さらにいじわるな気持ちになってきたのは、あまりにも「整然」としていること。主催者側が「もっと端っこを歩いて」とか言うんです。いや、ポーズだけだったらいいんだけど、どうも本気で思っているらしい。でも、これ、デモでしょ?デモって、車線を占拠してなんぼでしょ?1車線は当然、2車線、3車線と占拠して、フランスデモをした時の解放感と、横からガンガン弾圧をしてくるジュラルミンの盾の恐怖とが同居するのがデモでしょ?そうそう、ジュラルミンの盾は一枚もありませんでしたorz。弾圧をするのは、主催者じゃなくて権力のはずなのに…。
あぁ、管理されたカタルシス
そうか、ここでこうやってガス抜きをすることで、あしたからまた従順な市民にもどっていくんだ。だとしたら、「24時間一人パレード」をやっぱりし続けないといけないのかな…。

そうそう、笑顔のひとつもなく、ひたすら歩道に向かってプラカードを見せているインターセックス(らしき)人の姿が印象的でした。自分の姿をさらすことで、ひたすらそこにいる(かもしれない)仲間に呼びかけておられました。

*1:らしき人