朝、ショートホームルームから帰ってきたら担任さんから生徒の希望用紙を回収。これであとふたり。そろそろ調整に入れるか?
リビングライブラリは2セッションやるので、それぞれのセッションの人数が均等になるように調整をしなきゃなりません。さらにその人数を見て、どの教室を割り当てるかも考えなきゃなりません。ただ、かつてはプロジェクタを使うか使わないかでいろいろ考えなきゃならなかったけど、それはなくなりました。そのぶん楽になりましたね。
とりま1時間目の授業ですね。教室に官給品のPCを持っていこうと思ったんだけど、起動にメッチャ時間がかかります。8分くらいかな。そこからExcelを立ち上げるのに、またまた時間がかかる。しかも、ログインせよと。知るか、そんなもん。使えへんな。教室に持っていったらスタンドアロンになるのでログインできなくなります。てことで、PCは断念。
授業冒頭の雑談で
「年とっても最後までやりたいことは?」
って聞かれたので
「研究かな。あとはかくめい?」
って答えたら
「スケールが違うわ」
とか言われました。いや、フツーやろ(笑)。
で、授業を終えたら、さらにひとり回収できたので、調整スタートです。残りのひとりはなんとかなるでしょう。
今年の特徴は突出して多い「本」がないです。それだけセンセーショナルな話題に引きずられてないってことで、それはとてもいいなと思いますね。
うーんと考えながら30分ほど調整したら、ストンとはまりました。この瞬間が快感です。しかし、このコツをどうやって伝えたらいいだろう。てか、こんなことやってるって、たぶん誰も知らないだろうな。
調整が済んだら、他のいろんなことができるようになります。担当教員の希望調査したり名簿をつくったり。月曜朝に掲示してもらわなきゃならんプリントもつくりましょう。
さらに明日のスライドもつくらなきゃなりません。いろいろ過去に書いた文章を探しまくって、あちこち貼り付けて。さらに文字が大きすぎるので、いろいろ調整。
とにかく最終セクションまできました。
そうだ!追認の子に宿題を渡さねば。てことで宿題づくり。放課後手渡せました。よかったよかった。
そして再びスライドづくり。んー、最後のセクションまで来たかな。まぁでも、そろそろ限界です。なにせ、7時半に職場に着いて、そこからノンストップで仕事しています。
定時間近なので、帰る前の最終メールチェックをすると、教研がらみのメールが来ていました。中身をチェックすると、イマイチな内容です。いや、メールを送ってくれた人ではなく、規則があまりにもイマイチです。少し腹が立ったので、文献をつけることにしました。てか、すでに書籍になっている高橋裕子さんの実践を出すのに名前を出す許可はいらんやろ(笑)。
そんなこんなで、定時が来たので帰りましょう。
家に帰っておふろに入ったら、思わず
「あー」
という声が出ました。さすがに疲れました。でも、一気に進みましたね。やはり詰まりがとれたのが大きい。
カテゴリー: work
仕事の詰まりをとる
今、完全に仕事が詰まってます。とにかくあまりにもいろんなことが重なりすぎています。日程順で行くと
1、土曜日のzoomのレジュメ
2、土曜日のスライド
3、日曜日にくるゲンコの〆切
4、水曜日のリビングライブラリ
というところでしょうか。ちなみに土曜日のzoomの内容と日曜日のゲンコは内容的には同じなんですが、そのふたつを同時にこなすのは不可能です。あと、水曜日のリビングライブラリは水曜日が忙しいのではなく、金曜日までが忙しい。ところが、子どもたちがどの本を選ぶというアンケートが完全には集まってません。まぁ昨今、休みが多いですからね。さらに、本のみなさんから「いくよ」のリアクションがなくて、少し不安です。まぁ「便りがないのは元気の証拠」って言葉はあるけど、やはり不安です。
で、こういうのがすべて重なっているので、メンタルがすごく悪い。どうしたものか…。
これは「詰まり」をとるしかありません。簡単に言うと、動かせない日程はそのままにして、動かせそうな日程を動かす。ということで、ゲンコの〆切を伸ばしてもらうように泣きつくことにしました。あと、さっさとできることはさっさとしましょう。てことで、本のみなさんにリマインダメールを送りましょう。さらに確実さを求めるために、必要なところには電話ですね。
てことで、行きの電車の中で、リマインダメールを出して、さらに昨日頼まれてたメールも出して、さらに泣きつきメールも出しましょう。
ガッコに着いたら、少しずつ返事が返ってきてメンタルが浮上。ゲンコも1週間伸びました。ただ、日曜日は1日ウトロだし、リビングライブラリのあとは感想文読みがあるので、どうにかなるとも思えませんが、それでもまぁ余裕はできました。
職員朝礼のあとは担任さんのところへ行って、休んでた子の希望調査を依頼して、帰ってきたら、返事の内容を転送し…。ようと思ったら、相談電話がかかってきました。いや、そうとう逼迫してる感じが伝わってくるし
「いつがいいですか?」
と聞かれたら
「今かな」
としか答えられません。
てことで、いろんなことを中断してしばし電話対応。まぁでもそれはそれで結果オーライです。
とりま授業を2発やって、レジュメづくり。あいも変わらず項目だけなので、せめて文献ぐらいは出しましょう。ただ、文献によってはネタバレするので、それは出さない(笑)。その代わり、あけておきました。
で、レジュメを送ったら、お次はスライドづくり。
まぁなんだかんだ言って、今まで2本ばっか同じような文章を書いたし、そこで考えたり調べたりしたことが役に立ちます。そんなのをダラダラと羅列。なかでも最重要文献があって、それの紹介。ゲンコの中では結論だけしか紹介してませんが、せっかくおもしろい文献なので、もう少していねいに紹介しましょう。
てことで、結論部分までいったところで、タイムアップ。結論部分は明日に持ち越しです。てか、明日はリビングライブラリの準備をしなきゃならんな。うーん、まぁ両方か。スライドはあと数枚でいけるでしょう。
でも、詰まりがとれたら流れたな。明日も忙しそうだけど、まぁなんとかなるか…。
朝と夕方をハードにこなし、工作をする
今日の集合は7時です。
職場に到着したら、1年生がひとりだけ。なんでも3年生もひとり来てるらしいけど、こんなのでいけるのか?
それでもスピーカーをグラウンドに運んでもらって、わたしもグラウンドに移動して朝ごはん。少し冷えた朝の空気の中、誰もいないグラウンドを見ながら食べる朝ごはんはおいしいです。この光景は、この時間に来なきゃならない人間にしか見られません。
そうこうするうちに、少しずつ部員が集まってきたので、準備のピッチをあげましょう。てか、部員じゃないのがひとり混じってるぞ(笑)。まぁ「放送部友の会」なんでしょう。
途中、伝統芸能の「さる」をやらせようとしたら、1年生ができない。情けないな。今年はわたしがやりました。
そんなこんなで、8時過ぎに音がなりました。よかった。
しかし、みんな集まるのが遅いぞ。
で、開会式。うーん、去年のままだったデータ、修正するのを忘れてました。来年へ向けてやっておかねば。ただ、去年もワチャワチャだったらしいし、今年もワチャワチャなので、同じ状況です。どこかにメモをしておかねば。
競技がながらに流れはじめたので、わたしは職員室へ。やらなきゃならないゲンコに取っ組みます。ちなみに、かなりムリクリつないでいますが、どうしても三段跳びくらいにムリクリなところの「つなぎ」を思いついたのが、今日の収穫ですね。とにかく書かねば。
昼前になったので、再びグラウンドへ。昼休み中の指示だけ出して、わたしもおべんと。
午後はJ体操からの行進です。
それが終わったら、再び職員室へ。まぁこんなのも毎年のことです。やがてリレーの時間が来たので、再びグラウンドへ。
それにしても、みんな速い。ガチで走ってます。ふと、自分が担任をしてた頃の子どもたちを思い出して、遠くまで来たなぁと思うなど。
今年も3年生のクラス対抗リレーは「We will rock you」です。そして今年も手拍子が出てきます。わかりやすい子らです。
そんなこんなで閉会式。そして崩しです。
崩しの「さる」をある1年生にやらせたら「痛い」とか言いながらできたので、来年はまかせましょう。ちなみにこの子、メッチャ重たいスピーカーを「やばい」とか言いながら運ぶ子なので、なにげに信頼しています。
と、撤収している部長のクラスが卒アルの写真撮影をしてるとのこと。なんか「制服着てこい」とか言われて、パニクってます(笑)。そりゃ、ムリやわ。
それでも、4時過ぎにようやく撤収完了。最後はケーブル拭きという恒例行事です。3年生が
「やったなー、思い出してきたわ」
とか言ってます。よしよし。
さらに、なぜか放送室の片づけがはじまります。久しぶりにPCに火が入り、アンプの電源が入り、スピーカーから音が出ました。よしよし。
家に帰ってビールを飲んだら工作開始。できたのはこれです。
純セレブスピーカーというらしいです。
前から気になってたけど、なんとなくNobsoundのアンプを買ってしまい、なんとなくダイソーでスピーカーを買ってしまい、なんとなくスピーカーユニットをとりはずし。ここまではよかったのですが、エンクロージャーをつくるのがひと苦労。とりま百均で紙箱をもらって、いろいろ測ってつくりました。片側は苦労したけど、もう片方は楽勝でした。
いろんな音楽試してみたけど、ピアノとかボーカルはいいですね。しかも、中に紙を入れるとドンドン音が変わっていきます。おもしろい。もう少し鳴らしたら、たぶんもっと音が変わりますね。楽しみです。
てか、両スピーカーの真ん中に顔を置いたら、びっくりするほど定位します。笑ってしまいました。スワン以来の感動です。
てことで、今日はテレビを見ずに寝ちゃいました。
「遊所」としての祇園・清水の歴史 ー門前町の成立と展開ー
今日は午後から講演&フィールドワークの出張です。ちなみに、講師は下坂守さん、タイトルは「「遊所」としての祇園・清水の歴史 ー門前町の成立と展開ー」です。すでに人権教育研究会の講演かどうかわからないタイトルですが、これもまた人権です。
ちなみに、下坂さんの話は4年前と3年前の2回聞いています。それぞれ近接する内容ではありながら、別の話で、メッチャおもしろかったし、いろんなことがストンと落ちた記憶があります。なので、ぜひとも呼びたいと思っていました。ただ「マニアックすぎるかなぁ」と思って伸ばし伸ばしにしていました。が、近年のcovid-19のために遠方へのフィールドワークを自主規制してるので、京都府内で行き先を考えなきゃならなくなって、それなら下坂さんにお願いできるではないかと。てことでお願いしました。
もちろん、みなさんには「マニアックですよ」とは伝えてあります。が、同時に「マニアにはたまらないですよ」とも伝えてあって、さぁどうなるか。
講演開始は13時ですが、会場設定のために12時には行かなきゃなりません。それのさらに事前準備のために、朝イチは家で待機。で、頃合いよしとスタート。会場設営をして、ひと息です。ところが下坂さんが13時直前になっても来られない。もしかしたらと思い、メールの過去ログを見ると、暫定的に13時半と伝えたメールがあるだけで、確定した時間を伝え忘れていたことが判明。アカンやん。それでも13時に来られました。
「すみません、伝え忘れてました」
「いいですよ。そのままはじめましょう」
どんだけものに動じない人やねん。そういや、4年前にも「資料を使ってください」って言われたし、きっとそういう人なんやろなぁ。
てことで、到着されて、すぐに講演開始です。
今回の話は近世における祇園の成立がひとつのテーマです。ここで、近世の祇園近辺の地図や絵図をこれでもかとばかりに何枚も何枚も見せられます。このマニアックさがたまりません。特に今回は「遊所としての祇園」なので、そこで働く女性たち[1]茶立てや遊女や芸妓・舞妓が、幕府と祇園社や建仁寺の利害関係の中でさまざまに翻弄されていく姿を語られます。
それにしても、文書や絵図を見ると、歴史の変遷はわかる。でも、歴史学者って、それがなぜだったのかを考えられるんですね。で、それを裏づけるための資料を探す。そうやって、ひとつひとつの歴史を位置づけていく。
印象的だったのは「これがどこにあったのかはわかっています」「これがいつだったのかはわかっています」という言葉が何度も出てきたことかな。そこまで確定させているってことです。
やがて話は清水の話へ。なんでも清水寺の舞台は3つあったんだとか。でも、現在はふたつしかない。消えたひとつはなぜ消えたのか。これをまた、丹念に絵図と文書から明らかにしていかれます。「執念」という言葉が頭をよぎります。たぶん「知りたい」んだろなぁ。
なんでも清水が焼けて、時宗の僧侶が勧進をして清水寺を再建したんだとか。でも、その僧侶は清水の中に入れてもらえなかった。そこで、清水の隣にお寺を建てて、その横に清水寺を模した小さなお寺をつくった。ところが、時宗の寺が焼けて、それが小さな寺に延焼して、清水の舞台が焼けた。そんな中で、時宗の寺は谷向こうに追いやられ、小さな寺は撤去された。なんか、そんなストーリーでした。
そして最後の最後に「坂」の話。
清水の絵図には清水に参拝する人がたくさん描かれてます。でも、そこに反対方向に行く人が何人かいる。それが「坂者」です。腰になにやら吊り下げてます。「弦(つる)」です。ここから、弦を売るのが生業だったことがわかります。さらに弓矢町の入口にある門の横で物乞いをしてる人がいます。死者の服である白装束や柿色の服を着てることから「癩者」とわかります。したがって、ここが物吉村であることがわかります。そんなことをサササっと、でも濃密に説明されました。
1時間半の濃いぃ講演の後はフィールドワークです。
まずは清水坂を東へ。ここ、尾根道だったんですね。両側を音羽川と轟川が流れてたんだとか。やがて秀吉が新しい五条通りをつくって、そちらにメインストリートは移動して、そのあたりに非人小屋をつくったんだとか。でも、後に再び清水坂も発展する。
その後、東山通りができる前の南北の道へ。この入り口のあたりが鳥辺野で、そのあたりに無縁仏を放り込む穴があったんだとか。で、南北の道にもやっぱり非人小屋をつくる。まぁこのあたりは、もともと田畑しかないところだったわけですからね。
南北の道を抜けると松原通りです。ただ、ふだんのパチモンおさんぽの時はもっと手前で引き返すので、「へー」という感じです。
そして「弓矢町」です。
「坂者」は弦を売るだけじゃなくて、葬送が終わったあと、その道具を奪う権利があったんだとか。このあたりになると、今の価値観からは理解できません。あと、鴨川の河原の耕作もやっていたんだとか。これ、おそらくスキルが必要で、坂者にしかできなかったのかな。だから、坂者はけっこう裕福だったらしいです。さらに同じ非人でも、清水近辺の人たちは外部から流入してきた人であるのに対し、坂者は地の人なので、まったく違うとのことです。ちなみに、弓矢町は祇園社の寺領でも建仁寺の寺領でもない。どうやら、愛宕念仏寺の寺領ということを主張してたとのことです。で、その愛宕念仏寺は坂者が交代で管理してたので、独立した寺領でいられた。さらに坂者は祇園祭のキヨメをやっていて、先頭の人がそれにあたる。さらにその後ろに武者の姿をした人が配置されていて、それも坂者がやっていた。今はその役目はないけど、今も祇園祭の時は弓矢町のあちこちに兜や鎧が出されるんだとか。
そして物吉村(長棟堂)あとです。
物吉村もおもしろい。どうやら物乞いも権利で、都のあちこちに物乞いをするルートがあって、まぁおそらく追い払うためだろうけど、けっこうな金額を集めることができてたらしいです。だから、「死を待つ貧乏な人」という悲惨なイメージとはまったく違ったらしいです。なんなら、癩を患ってなくても癩者になりすまして物吉村にいた人もいたとか。となると「業病」とかいって感染を恐れられてたんじゃないかって話にも疑問がつきますね。逆に言うなら「業病」って概念は、例えば物乞いの権利を剥奪する過程でできた案外新しいものかもしれませんね。知らんけど。
ここから団栗通りのあたりへ。四条通の両側、祇園の門前町は「ちゃんとした」遊所で、多様なニーズに応えられる場所は、もう少し南側。つまりこのあたりだったんだとか。ここで「陰間茶屋」という名前が出てきて震えが走りました。思わず
い「いたんですね」
下「いましたね。たくさん史料が残ってます」
とのこと。
そこから建仁寺の前にある花見小路です。ここが京都で一番新しい「遊所」です。入口にある「一力」は昔からあったんだとか。ちなみにもともとは「一力」ではなく「万」で、「よろずや」だったらしいです。
ただ、花見小路はもともとはここから南しかなくて、北へ向かう道がなかった。つまり、「おたふく」前の道はなかったってことです。北へ向かう道は「切通し」だったんだとか。で、「切通し」に来た時、思わず「ここかぁ!」と叫ぶなど。おさんぽコースです。
最後は、大和大路の入口で説明されます。一銭洋食の店の人が不思議そうな顔をされてます。
「ここが大和大路で、あそこが目やり地蔵。あっちが南座です。かつて鴨川の堤防はこの大和大路だったので、南座は河原にあった」
とされたあと
「京都はいろいろなものが残っていて、地図や絵図と今を比較するといろんなことがわかります。ただ、今の人は、そういうことに興味がなくなってきてるように思います。たいへん残念です。なので、もっと研究が進むことを願っています」
でフィールドワーク終了。タイムオーバーで余部まで行くことはできませんでしたが、ほんとうにメッチャおもしろかった。
実は下坂さんの説明で五条・四条をまわるのは夢でした。やっと実現したなぁ。
その後、夜の仕事へ。今日から模擬授業がはじまります。学生さん、うまいなぁ。きっとプレゼンの場をかなりこなしてるのかな。
まぁわたしが言えるのは「何を」ではなく「いかに」です。なので、そんなコメントを少ししておしまい。
長い長い1日が終わりました。
今日のビールはうまいだろうな。
footnotes
↑1 | 茶立てや遊女や芸妓・舞妓 |
---|
わわわな1日
今日は午前も午後も出張です。まぁ午前が出張なのは助かります。一部例外を除いてですが。ただ、どうやら昨日の夜にA〇澤さんからメッセージが来ていたみたいで、それについて調べてしまったから、起きた時間は一緒ですね。ただ、家でゆっくりできるのはありがたいです。
てことで、朝は少しゆっくりして、第2のふるさとへ。今日の議題は学力をめぐる話です。
最近のテスト問題って、めちゃくちゃ文章が長くてまわりくどい。結論はたいしたことないのに、無駄に迷走するようにしてある。でも、日常生活ではそんな文章に触れる機会はない。そしたら、そんな文章を読解する必要なんてないじゃないかと。今、必要とする学力ってなんやねん、また、求められている学力ってなんやねんという話。
そこでわたしにいきなり質問が飛んで来ました。
F「iphoneの操作って、どういう力が必要なんや?」
えーと…。
い「学力はいらないです」
F「そしたら、どういう力が必要なんや?」
い「直感ですね」
F「そやな。取説ないもんな」
い「わたし、androidとipad使ってます。androidは、ファイルをどこに保存するかを自分で選択します。なので、どこにあるかが把握できる。でも、ipadは自動的に保存してくれるから、わざわざ保存先を選択する必要がない。わたしはそれがものすごく使いにくい。自分で把握しておきたい。でも、一般的には勝手にやってくれる方がいいらしいです。まぁマニュアルミッションか自動運転かって感じですかね。わたしはマニュアルミッション派ですけどね」
みたいな。
おそらく、今、「ユーザーとして」生きるだけなら、巷でテストに出てくるような学力は必要ないです。てか、ほとんどの人はスマホやタブレットにワープロや表計算などの機能は必要としていない。使うのはカメラとSNSや動画配信サービスへのアクセスかな。あと、クリエイティブな人は写真の加工とか、動画編集や作曲かな。これらも直感的にできて、高いクオリティのものが完成する。理論や理屈はいらない。これらを触るのに、テストに出てくるような学力は必要ないです。
てことは、例えば就職時に
「表計算ソフト使えますか?」
と聞かれる。すると
「使えません」
と答える。すると、表計算ソフトが不要な仕事にまわされる。そして、表計算ソフトを使う仕事には一生つけない。別に表計算ソフトを使う仕事がえらいとは思わないけど、選択肢の幅が狭まる。
一方、ややこしい文章につきあえる忍耐力と読解力がある一部の人間は「ユーザーではない」生き方も選択できるようになる。それはもしかしたら「提供する側」になるかもしれない。提供する側って、デバイスを通して「ユーザー」をコントロールする側、つまり社会をつくる側だったりします。
こうやって、多くの「ユーザー」と、一部の「提供する側」をつくる。その選別のために、ややこしいテストがあるんじゃないかなと。
問題は「楽しく使えればいいじゃん」という世界が確立していて、そういう人は「だから読めなくていいじゃん」という価値観も確立している。だから、人々は積極的に「ユーザー」になり、消費する側にまわる。こうやって、人々は二分されていく。
デバイスが使いやすくなることによって、例えば障害者が社会にアクセスしやすくなるというメリットはもちろんあります。それはそのためにあればいいはずなのに、でも、それを利用して人々を二分するという新自由主義的な目論みを持った「誰か」が、この社会を誘導していく。
もしもそう考えることができるなら、あらためて「学力ってなんだ」という古い問いが、ここで再び浮上してくるんじゃないかな。
そんなことを考えた午前でした。
午後は近場の人権教育担当者の会議です。まぁいろいろと論議をしたあと、最後にビデオ動画視聴。「君が僕の息子について教えてくれた」の前半です。
とてもいい映像ですね。ただ、これを子どもたちはどう捉えるか。
紹介してくれた人権担当者は、自校の生徒が、例えば電車で「それらしき人」に会ったときに、今であれば「キモい」とか、下手したら写真を撮りかねない。でも、この映像を通して、「そういう人なんだ」と認識を変えてくれたらという期待を持っているとのこと。うちの生徒も同じことをやるだろうから、とてもよくわかります。ただ、それはそれでなんだかなと。「当事者」に着目することは、えてして「感動ポルノ」になりがちです。なので発言。
「あの映像には、本人と母親と作家の3人が出てきますよね。その誰に着目するかが大切なんじゃないかなと思います。わたしは作家に着目します。なぜなら、コミュニケーションを取りたいと思うなら、取りたいと思う側が相手に合わせることが必要だと思うからです。もちろん、コミュニケーションをとるのが苦手な人がコミュニケーションを取りたいと思った時に、その人がなんらかのツールを使うのはいい。それは、その人がコミュニケーションを取りたいと思っているから。でも、わたしたちは、つい、コミュニケーションが苦手な人に対して、「そちらが合わせろ」ってやってしまいがち。それは間違っていると思います。やはり、コミュニケーションを取りたいと思う人が相手に合わせる必要があると思う。その時、作家の態度が参考になる気がしました」
みたいな。もちろん読み筋は「ある時聞いた講演」です。
そんな感じで午後の会議も終了。
お次は夜の仕事です。最寄りの路線が人身事故で止まっていたのでどうなるかと思ったけど、全部止まっていたから、運転再開したら、定時運行になるという不思議です。なので、やってきた電車に乗って、仕事場へ。余裕で間に合ったので、メールを一本。
で、お仕事開始。今までは、わたしが話をすることが多かったけど、今回からは学生さんに話してもらうことにしようかなと。なので、ディスカッション中心の運営をしてみました。さすがに皆さん、いろいろおもしろい意見を出されて、すごく参考になりますね。みんなで考えるってこういうことなんだなと、あらためて思いました。
そんなこんなで1日が終了。約12時間、脳みそを使い続けたな。さすがに疲れました。ビールが恋しいな。
今回もしゃべってしまった
今日は某人権教育研究大会です。去年最後かもと思ったけど、そんなこともなく、やっぱり来てしまいました。
ちなみに、今年は受付があたっているので、雨の中メッチャ早い時間に会場に到着。当然のことながら会場は開いてません。寒い中、外で読書です。てか、ベンチが屋根の外にあるから座れない。やれやれ。
そうこうするうちに会場も開いたので、受付業務開始。と思いきや、「やったげるよ」との優しいお言葉を吐いて下さる人がいたので、甘えることにしました。
午前は記念講演。去年はF川さんの予定でしたが、中止になりました。今年の講師は黒川みどりさんです。タイトルは「水平社百年の歴史と部落問題の今」。冊子にスライドが全部載ってます。おもしろそうです。
黒川さんは『つくりかえられる徴』というのを書かれていて、これがわたしの部落差別のとらえ方とか、部落問題学習のつくりかたに大きな影響を与えています。ただ、読んだかどうか覚えてない(笑)。で、話を聞くと、あちこちに「境界線」という言葉が出てきます。つまり、さまざまな形で「部落/部落外」の境界線をつくるということです。言いかえるなら「部落(民)とは何か」を研究する。そして、その時々の言説において部落民が構築されていく。もちろん、それはそのような「境界線」を必要とする社会背景があるわけです。つまり、以前の境界線が使えなくなる。するとあらたな境界線がつくられる。それが、今回は使われなかったけど「徴」なわけですね。
黒川さんの話は(いわゆる)解放令からはじまったけど、そこにおいてもさまざまに「境界線」がつくりだされていくということは、知ってはいたけど、意識していませんでした。自分の部落問題学習のスライドが、もう少しつくりこめるかな。いや、やめておきましょう。わたしが知っていて、それを認識しながら話をすることが大切です。わたしは数学の教員ですから、部落史「を」教えることはできない。部落史「で」教える。そのために必要な知識だったな。でも、自分のとらえ方でいいということを、あらためて言ってもらった気がします。
講演のあと、控え室に乱入してみました。
実は、黒川さんとは1年半前にお会いしています。ただ、この時は黒川さんは忙しかったらしく、すぐに帰られました。なので、認識されているかどうか…。と思ったら、きっちり覚えておられて、恐縮しまくりです。
しばし話をして、でも、すぐに帰られました。静岡ですしね。
てことで、昼ごはん。今日は荷物が多いのでおにぎりです。お茶を買おうと思ったけど、大きいのしかありません。どうせ飲みきれないので、水分なしでおにぎりをパクついて、最後に朝に買ったコーヒーで〆にしました。その後、知りあいと雑談。で、午後の分科会。
分科会は4本のレポートです。静かにしていようと思ったけど、やはり静かにできませんでした。
例えば1本目のレポート。「部落」と言えばいいのに「これまで差別されてきた地域」などという、まわりくどい表現をされます。まぁ、「ないこと」にするよりはいいんでしょうが、なぜこういう言いまわしをするのかな。そして「根深さ」を強調されます。わたしはあまり「根深い」と思っていないので、なんだかなと。てか、根深さを強調することによって、部落問題の特殊性をつくりだす気がしてイヤなんですよね。
2本目のレポートではコミュニケーションの問題を「コミュニケーションに問題を抱えるとされる子」に原因を求めているところにチクリ。
「ある時聞いた講演の中に「コミュニケーションって、相互行為なのに、その原因を一方にだけ求めるのはおかしい」って話を聞きましてね。ガッテンボタンを1万回くらい押したくなりまして。ガッテンボタン、ご存じですか?」
すると、レポーターの方
「今の話を聞いて、わたしもガッテンボタンを押しまくりたくなりました」
とのお言葉。話が通じてよかった(笑)。
レポートが終わってから『ソーシャル・マジョリティ研究』を推薦しておきました。
3本目のレポートが、これまたマニアックです。なんと、題材として「◯ぐみ」を取り扱っておられる。さすがにはじめて見ました。そして、部落・在日・障害といった、いわゆる「三題噺」を一切取り扱っていない。すごいな…。まぁいろいろ質問したけど、おそらくわたしとは違う感覚なんだろうなぁ。もちろん、わたしの感覚が正しいとも何とも思っていないけど、「めんくらった」というのが感想ですね。
そして4本目は夏の研究会で発表して下さった高校のレポート。これはサポート的な質問をしなくちゃね。てことで
「発達障害と日本語指導が必要な生徒を「特別ニーズ教育」とくくっておられますが、どういう経緯でそうされたんですか?」
と援護射撃。なんでも5つに分類していて、その5つ目が「その他」なので、そこに全部をぶっ込めるという(笑)。
その後、総括討論。誰も手をあげないので、これまた仕方なく
「差別の問題を心の問題や人間関係の問題にしてしまいがちなんだけど、ほんとうは社会構造や制度の問題として捉えないといけないと思う。みなさんはどんな仕掛けをしておられますか?」
と爆弾投下。さらにそれだけではダメなので
「昨年度、日本語指導を必要とする生徒が府立高校に4人しか入ってこなかった。ほんとうはもっといるはずなのに。小学校・中学校の状況を教えてほしい」
とさらなる爆弾投下。
結局、司会の人のまとめの時間を奪ってしまって、ほんとうに申しわけありませんでした。
しかし、去年は「最後かも」と思ったけど、今年は路線変更」もあるので、「どうせ来年もくるだろうな」と思いながらの終了でした。まぁでも、現役を続けているから参加できる。だから問題提起もできる。それでいいのかも。
1日仕事
朝起きて、ちょっと待てよと…。
明日は1日出張。来週火曜日も1日出張。水曜日は労働者の権利を1日行使…。てことは、次の出勤は木曜日?ヤバイやん。てことは、昨日の人権学習の作文を返すのはいつになる?いつもの通り、遅くとも翌週前半に返そうと思ったら、今日読んで入力する以外方法はありません。さらに火曜日の午前午後の出張の準備もしなくちゃなりません。そうだ、夜の仕事の準備も必要ですね。
とにかく一番急ぎの仕事は、明日と水曜日の授業の手当です。課題を代講の人に渡して、やってほしい指示を伝えて。
続いて、作文読み&入力です。なので朝イチ
「作文、朝イチ貸してくださいね。今日中に返します」
てことで、1時間目が空きなので作文読みスタート。ふだんは全部読んでから入力しますが、今回はひとクラス読んで入力を7回繰り返すことにしました。
しかしおもしろい。導入部がよほど印象的だったんですね。みんな
「人権学習は思いやりではなく、「自分の権利をとりもどす」「自分の特権を認識する」ためとはじめて聞いた。そしてそれは「みんながハッピーになるため」ってすごくわかった」
みたいなことを書いてます。
まぁでも反省ですね。いままで、なぜ人権学習をやるのかきちんと伝えていなかったってことです。もしかしたら、それは「当然」と思っていたからかもしれないけど、ほんとうは、個別の課題に振りまわされて、全体に低通するテーマを話していなかった、いや、言葉化できていなかったのかもしれないなと。だから、うちの職場の人権学習では、「なぜやるのか」を繰り返し伝えようかな。
とりま、1時間目だけで2クラスやりました。が、このペースでは終わりません。ペースをあげねば。
2時間目と3時間目は授業。昨日の話を聞いてくれた子らなので
「応援してくれてたの、伝わってきた。ありがとう」
とお礼。
4時間目・昼休み・5時間目のコンボが来たので、一気に読んで、一気に入力しましょう。なので、おべんと食べながらも作文読み。
と、3年生が来て、入試用のプレゼンを見てくれと。なんでも、わたしがお座敷やってるからプレゼンつくるのうまいだろうと思ってるらしいです。うーん、うまくないけどな。てか、クセ強いし、入試には使えんぞ(笑)。
ただ、いきなり内容の話になったので、これはアカンと。今の脳みそは作文モードなので頭に入ってきません。しかもごはん中。
「放課後な」
ということにしました。で、5クラス入力したので、それを返しに行って、残り2クラスをゲットしようかと。ところが、1クラスしかない。担任がいたので
「作文は?」
と聞くと
「あ!」
とのお答え。どうやら回収を忘れたらしいです。そこにいた学年主任が
「次の時間、授業に行くし、回収したるわ」
とのお言葉。ありがたや。
てことで、残りの2クラスも無事入力終了。あとは若い衆に投げたら、なんとかしてくれます。まぁこのスピードでやったのはわかってるから、火曜日には出してくれるでしょう。
お次は火曜日の出張の準備です。こちらはひたすら印刷。しかし重いぞ。これをいったん今日持って帰るのか…。てか、山の上の出張場所まで担ぎ上げるのか?まぁしかたないか。
そして、夜の仕事の準備です。こちらはあまりないんだけど、若手の同僚からもらわなきゃなりません。
「あの、新採の時の学習指導案、もらえません?」
快くもらえました。ありがたい。なにせ、わたしは指導案とか書いたことないからなぁ。
ここですでに放課後です。でも、さっきの3年生は7時間目があるから、まだ来るまでに時間がある。ほんの少しだけでもおべんきょしましょう。
で、7時間目終了のチャイムが鳴って、そろそろ来るかなと思った瞬間来ました(笑)。
早いわ。
まだテーマをもらって3日目で、何をいうか考えているところらしいです。ただ、話を聞くと、与えられている時間は3分間とのこと。ならば、枚数は少ないな。てか、そもそもプレゼンがなんたるかわかってない感じです。なのでこれを見せました(笑)。
と、退勤ミュージックが流れてきました。すると3年生
「ありがとうございました!」
と去っていきました。わたしが定時に出るのは有名ですからね。そういや、昨日も
「あのせんせいが5時10分までいるのはすごいことだ」
とか言ってた人がいるとか(笑)。
まぁそういうふうに認識してもらうと楽ですね。
てことで、いつもの電車に乗れたので、さっさと帰りましょう。
しかし、9時間休憩なしのぶっ通しはさすがに疲れた…。とはいえ、それだけの時間で金・火・水の3日分
今日も「本」と会う
朝、眠いけど、とりま、なんとかガッコへ。1時間目のクラスでは金曜日に出した問題の答えあわせから。ところが、ひとりやらない子がいます。10分たってもやらない。
「あのな。土日があって、しかもすでに授業がはじまって10分たってるやん。立ち歩いてもしゃべっても教えてもらってもええって言ってるのに、なにもせぇへんやん。これは答えないって意志があるときか解釈できへんな」
と言っても、まわりの子とごそごそ話してるだけで出てこない。
「もうええわ。時間のムダや。この問題の答えはヤミな」
と言って
「いま、メッチャ怒ってるしな。できへんのはかまわん。やらへんのはアカン」
と攻撃の手を緩めません。すると机に突っ伏したので
「すねるなよ」
と追い打ちをかけたら、完全にすねました。なので「チッ」と舌打ちをして授業再開。
今日のテーマは三角不等式。簡単に解き方を示して、4問板書。
「名誉回復のチャンスをやるわ」
と言ってさっきの子を指名。まだ机の上に突っ伏しててこっちを見てないので、ちょうどよし。まわりの子に「あの子頼むわ」のジェスチャーをしたら、みんなわかってくれました。なのでそのまま教室を出て職員室へ。しばらく経って教室に帰ると、友だちと一緒に問題を解いてました。よしよし(笑)。
なにをやってもいいんです。問題を解いてくれたらね。その子にはその子なりのプライドがあるやろうし、それを潰したから、わたしの前ではやらない。ならばいなくなればいい。
他の子がいい解答をしてたので
「すばらしい!」
と言うと
「ほんま?!」
とうれしそうな顔をしてたので、気分もほっこり。
怒ったりほめたり、なだめたりすかしたり。すべては問題を解くためです。そのためには、あちこちで教えあいがないとダメ。でもその動きが出るためには時間がかかる。だから説明はしない。解き方を見せて、あとは考えることです。
放課後は追認指導。先週はお話をしたので、今週は足し算・引き算・掛け算です。引き算を間違えたので
「引き算はめんどくさいよね。間違えやすいねん」
とフォロー。30分ばっか補習をしておしまい。それ以上やっても定着しません。
退勤前に若い衆と会話。
い「今から「本」と会って、飲みながら打ち合わせするんやけど、仕事やんなぁ」
若「それは立派な仕事です!」
い「出張にならんかなぁ」
若「それはなりませんね!」
どうやら打ち合わせをする場所と飲むものの問題のようです。
で、京都駅で待ちあわせ。今日もリビングライブラリの「本」と打ち合わせです。
「なにをしゃべればいいんですか?」
っことだったので、いろいろ話。すると、昨日の本が来られました。ここでガールズトークが爆裂。なにやらふたり、仲良くなったみたいです。よかった。
たぶんその中で、なにをしゃべればいいのか、なんとなくつかんでくれたみたいです。
今日の「本」は、「福祉について考えていき隊」のTさんで、施設で働いておられます。でも、リビングライブラリのみなさん、おそらく施設に対しては批判的です。Tさんには、そこの危ういバランスをとってほしい。そのバランスをおしえてくれるのが、昨日の「本」のKさんかなと。で、どうやらはまったみたいです。よかった。
ただ、今日も10時をまわってしまいました。ヤバイよ。明日は健康診断ですよ。
採点の祭典→クズの宴
朝、目覚めはそれなりにいいです。やはりパートナーのアロママッサージのおかげですね。少し前までは、ところどころで「あれ?」とか言ったり、いろいろ迷いながらマッサージをしてくれていましたが、昨日はそんな迷いもなくスムーズに施術してくれたので、安心して受けられました。それが大きいかな。
今日やらなきゃならないタスクはふたつです。ひとつは盆明け仕事の採点です。とは言え、70人程度ですから、いろいろな人の叫びを見ると、まったくたいしたことはありません。てことで、気合いを入れて採点スタート。1000字くらいのレポートですから、そんなに時間はかかりません。とにかく基準点を決めて、加点方式でやればあっという間に点数が決まっていきます。3時間ばっかがんばって祭典終了。その後、excelのシートに入力。点数を換算して、合計点を出していきます。まぁこのあたりはふだんやっていることですね。で、最終チェックをして終了。
その後、友だちの家に移動。お次は晩ごはんづくりです。久しぶりにお惣菜系をガッツリつくろうかなと。玖伊屋が再開した時のためのリハビリみたいなもんですね。てことで、2時間ほどつくったら、ほぼほぼできました。
かぼちゃの炊いたん。
わらびの炊いたん。
茹で鶏。
なすの煮浸し。
イモの蔓のきんぴら。
で、夕方クズのみなさんが来られたので、さらに追加。
HSMで焼いたハンバーグ。
ゴーヤチャンプルー。豚肉は肩ロースのブロックを切りました。そのほうがおいしい。
ただ、やはり身体が疲れているらしいです。やっぱり寝てしまいました。が、2時くらいに復活。そこから5時頃までがんばって、再び睡眠です。まぁええか。
撤収!
朝イチ、職場に着いたら放送機器の立ち上げです。てか、部員がやってない。アカンな。放送部は他のピーポーど同じタイミングで動いちゃダメってことが理解できていない。まぁしかたないです。この3年間で、そういう継承はすべて断たれました。なので、イチからつくり伝えなきゃならんです。
放送機器を立ち上げたらzoomの準備です。今回はこれがめんどくさい。カメラだけだといいんだけど、集音マイクがありますからね。これをいつ撤収するか。とにかく3日目は撤収のことを考えなきゃなりません。
午前にプログラムはクラス発表なので、わたしはレスト。少しおべんきょをしてみたり。
やがて昼休み。集音マイクを撤収するタイミングはここですね。そうだ、午後の部活発表ではバウンダリーもいらないから、こいつも撤収しましょう。てことは、ミキサーも1台撤収できます。ケーブルも大幅に撤収できます。これはあとが楽になるな。
午後の部活発表は1年生を投入。やらせなきゃうまくならないです。が、ボリュームの動かし方が大きすぎます。これはまいったな。
それでも少しヒマができたので、大物の撤収の準備です。
やがて全プログラムが終わっだ瞬間から、本撤収開始。まずは放送機器からです。が、遅い。放送席あたりは他のものの撤収も交錯するから、とにかく早さが命です。が、遅い。あれこれ指示を飛ばしながら、それでもなんとか撤収完了。あとは放送室内の片づけですね。なんとか4時くらいに撤収完了。
長い長い3日間、いや、1週間が終わりました。
そこからは、職員師でクールダウン。なんでも、今回の文化祭を中心的に担った若い衆ふたりが今日飲みに行くとのことで、なんとなく誘われたけど、何時になるのかわからないので、「また今度」ということにしましだ。
「では、またジョッキの持ち方を教えてください」
とお願いして、念のために放送室に行くと、1年生がふたり
「ケケケケケ」
とかいう、変な声で鳴いてました。なんか、1人前の放送部員になりつつありますね。
そしてお家へ。
まずはお風呂です。そしてこれ。
やっと会えたよ!
さてと、のんびりしましょうか。