解散は4時半頃。学校にもどると5時過ぎ。勤務時間も終了。さて、帰りましょう。
昔は解散の時生徒たちに「家に着くまでが遠足です。途中寄り道をせずにまっすぐ帰りなさい」などと定番のあいさつをして、解散後に教員同士で待ち合わせをして「ご苦労さん!かんぱ〜い!」とかやっていたのですが、すっかりご時世は変わりました。最近はバスでの移動が増えたため、集合・解散は学校の近く。必然的に教員も車で出勤。なので、遠足のあとは仕事をしたり(涙)クラブをしたりとふだん通りだったりします。おもしろくないなぁ…。
カテゴリー: 趣味
東京で散歩
なんか、昼から東京でみんなで散歩をするとかいうので、行くことにしました。
朝、ウチの組合員の6%ほど(笑)が京都駅に大集合。一路東京をめざしました。最寄りの駅を降りて地上に出ると、けっこう散歩仲間がたくさんいます。散歩のスタート地点に行くと、北は北海道から南は沖縄まで、全国各地から参加者がいました。やがて、スタート前の行事が行われます。主催者のあいさつには、当然のようにヤジが飛びます。この、一枚岩ではないええかげんさが好きです。連帯のあいさつには元気がでます。
やがて、散歩の開始。と、そこにさらに現地で合流の人が一人参加。これで、ウチの組合員の7%が参加になりました(笑)。ますます意気があがります。
会場を出ると、マスクをしたお兄さんとか、帽子をかぶって耳にイヤホンをつけたおじさんとかがたくさんいます。みんな忙しそうにメモをとっています。新聞がないから競馬じゃないと思うのですが…。
散歩をしながら、みんなでしゃべらなくちゃならないのですが、東京は車の騒音がうるさくて、何をしゃべらなくちゃならないのかさっぱりわかりません。しかも、事前の打ち合わせとは違うのが出てきたり、アドリブで少し長くなったりします。長くなると覚えられません。ふと「◯貧」の旗が目の前でたなびいたのは、わたしだけじゃないと思います。
約2時間、雨の中を散歩して、無事終了。
しかし、◯キの一人もいずに、ロードコーンに制圧されての散歩は屈辱だなぁ…。
病状
土曜日の夜、大分で呑んでいる時に病院から電話がかかってきていました。なので、今日は学校帰りにお見舞い。
「病院」に着くと、奥の方にいました。心臓をおろして、4ヶ所にわかれています。ちょっと見ただけでは病状がわからないので、お医者さんに病状を聞くことにしました。
基本的に悪い所は2ヶ所。ひとつは左のピストン。これは完全に焼きついていました。いや、みごとなひっかき傷です。そのおかげで、コンロッドのベアリングもいっています。さらに、不可解なのは、右のコンロッドの根本にあるクランクシャフトのベアリング。これもいってます。どうやら、この2ヶ所は別々の原因だったようです。
左の焼きつきは、クランクのシールが硬化してしまって、そこからエアが入ってきて、オイルが薄まっていたせいだったようです。右のベアリングのほうは、まぁ簡単に言えば、老化現象だそうです。いずれにしろ、エンジンは寿命だったみたいです。
問題はパーツ。メーカーに聞いてもないわけです。ところが、どうやら好き者はどこにでもいるみたいで、社外品でけっこうパーツが出回っているそうな。なので、お医者さんは「たぶん、手にはいるよ」と言ってくれていました。さらに「これだけ直したら、エンジンは新品になるね。ということは、このバイク一生モンになるね」と続けてくれました。
問題は、その代償です。なんでも17〜8万円かかるそうな。10月の事故で修理が17万円。今回とあわせると、35万円ほどか…。すげぇ。でも、前回の修理でフロントブレーキのキャリパーまわりとブレーキフルードのタンクが新品になったし、今回でエンジンが新品になります。まぁ、4L3が新品になるなら、安いと言えば安いか…。
なんしか、お金ためよ(涙)。
やってみよう!
朝、6時にふと目が覚めるのは、単なる習慣なのか、歳のせいなのか。おとつい大学生からは「え〜、感じが同年代なのにぃ〜」と言われたのですが、たぶん、それは精神年齢だけなんでしょうね。
7時過ぎまで15分ごとに寝たり起きたりしていたのですが、「えいっ」と思い切って起きることにしました。
しばらくボーとしていたのですが、やっぱり昨日決めた行動をとろうかな、と。
ちなみに、昨日決めた行動とは「走った次の日は走る」なんですけどね。
まずは、ホテルの部屋でストレッチ。下に降りてランニング開始。少し肌寒いくらいの気候です。今日も目的地は「海」。少しコースを変えてみましたが、これがまた少し遠回りのコースだったみたいで、結局50分走ることになってしまいました。いまはまだグランドしか走れない状態なので、25分も走ったら「もうええわ」という気になるのですが、やっぱりロードだと長距離を走れるんですね。たいしたものです。
今日の目的地は、川の中にある三角州の町。三角州であるがゆえに、まわりと隔絶されています。三角州にいたる橋も、かなり道幅が狭いようです。走っていてわかったのですが、完全な漁村です。そして、その三角州で、ひとつの「町(村?)」として成立していた感じがあります。ということは、まわりの人たちのその三角州の人たちへのまなざしは、推して知るべきだなという感じがしました。あとで聞いたら「中津の中の済州」と友だちは言っていました。なるほどという感じです。
ランニングから帰って、朝ご飯→お風呂と、見事に健全な生活です。体が悪くなりそうです(笑)。
その後、友だちと待ち合わせて、中津の城下町の散策。お城の近くの「上級武士」の居住地町並みとお城から少し離れた「下級武士」の居住地の町並みの、あまりにも歴然とした違いに驚きました。道幅といい、区画といい、ほとんどそのままなそうなんですけど、ぜんぜん広さが違います。もちろん、今もそこに子孫の方々が住んでおられるわけで、こうなると、「生まれた家」による価値観の違いとかがでてくるよなぁということを実感します。日本は階層分化が進行していると言われますが、その根底に「階級」が厳然としてあるんじゃないかなぁという感じがしました。
その後、駅前の商店街で昼ご飯。おいしいお刺身と鶏の唐揚げ、あとは冷た〜い生ビール。いい昼ご飯でした。ごちそうさまでした!
あとは、ソニック*1→新幹線*2→新快速*3→地下鉄でお家へ。
知らない街の楽しみ
別に、中津は知らない街というわけじゃないんです。友だちにあちこち連れて行ってもらっているので、スポット的にはわかっている。でも、それらがつながっていないんです。街を連続的にとらえようと思ったら、自分で散策するしかないかなと思うわけです。なので、せっかくですから、ランニングです。今回はそのためにジョギングシューズで足元を固めていました。
とりあえず、海を見ようということだけを目標に、あちこち走り回っていると、あっというまに45分ほどたっていました。いや、いい時間でした。お腹も減りました。のども渇きました。昨日の「いらないもの」もずいぶんと減ったわけで、夜へ向けてコンセントレーションが高まります。シャワーを浴びてさっぱりした頃にメール。「17時50分、中津駅改札口集合!」了解です。
鉄の心
今日は福岡から中津までの移動です。博多駅に着いたのがちょうど昼時。どこかでラーメンかお寿司…。と思ったのですが、それよりも灸^H急を要したのはマッサージ。とにかく、肩と首に激痛が走っています。30分ほどマッサージをしてもらって、かなり復活。ちょっとぜいたくだったけど、こんなのもありな日ということで…。そのかわり、昼ご飯は駅弁ということで。
今回は、中津までは鈍行で移動することにしていました。お金がないということもあるんですけど、時間があるということもあるし、さらに、単に友だちと飲みに行くだけということもあって「旅気分」だったというのが大きかったかなぁ。青春18切符で北海道を回った頃のことを思い出しました。西小倉で乗換の予定が、寝過ごして小倉まで行ったのはご愛敬。ひさびさに、のんびり気分で鉄道の旅を感じることができました。もっとも、普通の快速で駅弁を食べるのはちょっと恥ずかしかったです。というか、駅弁より恥ずかしかったのは500mlのビールかな。ソニックなら1時間ちょいのところ、2時間ちょいかけて中津に到着。
東京より友きたる
その後、東京から来たお友だちと京都駅近くで合流。
会って最初に「ところで、兵庫県の」「あぁ、あれねぇ」といきなりの会話。みんな知ってるよなぁ。ふたりで「あれ、危ないよねぇ」と合意。
そこに、Yさん*1も合流。再び「兵庫県の」とふると、「あ、あれあれ!もう、第一報が入ったらあとはあちこち見に行きましたよ!」といささか興奮気味です。そのあたりが一応収まったあと、みんなで「青春時代、暗かったよねぇ*2」とか、しばし黒い話で盛りあがりました。おかげさまで久しぶりに思い出しました。わたしが中学時代に写真部で、鉄道研究会をつくったとかいう話。
やがて、「これを見せに来た」というとっておきの「ブツ」が開陳されました。いや、見事な春画です(笑)。サブリミナル効果はもちろんのこと、身もふたもない「モノ」とか、よくもまぁ…。まいりました。しかし、この作者、何を考えているんだろう…。
てことで、2時間大いに盛りあがって解散。
いや、いいものを見せてもらいました。ありがとね(謎)!
在日韓人歴史資料館
会議は趣味じゃない
朝9時から会議。これ、こんなに早いのは、一応表向きは遠くの人が帰れるようにするためなんですけど、本当の理由は、午前いっぱいで会議を終えて、昼からみんなで呑むためなんだと思います。
まぁ、会議でした。みんなきのうの晩の影響でしんどそうでした。ごくろうさま。
在日外国人教育のセミナー
新幹線に乗ったのは、東京は蒲田で在日外国人教育のセミナーがあったからなんです。で、会場に入ったのですが…、なんとなく違和感。セミナーがはじまったのですが…、なんとなく違和感。なんでだろうと思ったのですが、やがてわかりました。わたし自身がすっかり「セクマイ系」に染まっているからなんですね。これは、やばいです。頭を切り換えなくちゃ。
てことで、話を聞きながら、徐々に徐々に「在日外国人教育系」に頭をシフトしていきました。
で、話を聞いていたのですが、まぁ「大都会・東京」の実践ですね。わたしの勤務している田舎町ではまったく役に立ちません。あと、「日本語指導」のことと「母語保障」のことが話題になっていました。これはもちろん、両方ともしなくちゃならないということがずっと提起されているのですが、考えてみるとたいへんだよなぁ。
ウチの学校にいた生徒のことを考えると、小学校・中学校でさんざん勉強して、もういっぱいいっぱいなんですよ。高校に来て、ようやく当面の目標まで来たんだけど、「え〜、また勉強!」みたいな感じなんです。ここで、「高校の勉強」「日本語の勉強」「母語の勉強」をしようと提起しても、無理ですね。わたしなら「いや」と言います。
おそらく大切なのは、そんな状況であってもやるための「仕掛け」をどうつくるかということなんだと思います。そのあたりが、ぜんぜん話題にのぼらなかった。で、質問しようかと思ったのですが、「どうやったら勉強しますか?」みたいな質問、あまりにもみっともなくてできませんでした(笑)。まぁコツコツやるしかないでしょうね。
セミナーが終わったら、全国交流会。
オジさまたちは奥の方に座っています。わたしは早めに出なくちゃならないので、出入り口近くに場所をとりました。交流会がはじまって、まわりを見ると、全員(おそらく)女性ばっかり。おもしろいもんだ…。
たまたま隣に座った人が、朝鮮語の先生と養護学校の先生。朝鮮語の先生とは「在日の存在が不可視化されている」ということで盛りあがりました。これ、こういうことなんです。
- 1985年の国籍法改正後、日本国籍を持つダブルが急増している。
- 新渡日の子どもたちの急増により外国人問題=言葉の問題・在留資格というとらえ方されている。
- なので、日本語がしゃべれて、在留資格が安定している在日朝鮮人のことがあまり「課題がある」とされなくなってきている。
でもね、在日朝鮮人の子どもたちの持つ、アイデンティティをはじめとするさまざまな問題は、将来的には新渡日の子どもたちの子ども・孫の問題なわけです。ここをきちんととりくんでいかないと、結局問題を先送りにするだけになってしまうことにつながっていくんですよね。
あと、養護学校の人とは「養護学校の在日外国人のこと」で盛りあがりました。
- 「障碍をもつ」ということと「外国人である」ということのどちらが本人にとってより大きな問題になるんだろう。
- 日本語の能力のために、養護学校に強制収容されている子はいないだろうか。
みたいな話でした。これも、なかなか刺激的でした。
てな感じで、約1時間、しゃべくりまくって退散。移動です。