サポート(その2)

それでもとりあえず、昼前に家をスタート。駅までパートナーが送ってくれたけど、車を降りがけに、思いっきり頭をこづかれてしまいました。怖いよぉ…。
で、大阪へ。ここで、M木ちゃんとYちゃん*1に合流。あ、UIコンビももちろんいます。で、「かかし荘」へ。
しばし「はなちゃん」とか「K坂さん」とかと話をしながら、大阪の生活についてよもやま話。
やがて時間が来たので天王寺へ。ここでT原さんと合流。
まずはお好み焼き屋で大阪の高校生活について話。
5時頃になったところで
「河岸を変えましょう」
ということに。ちょうど京都からUITトリオのTさんも登場。さらに、なぜかBんちゃんも合流。いよいよ異種格闘義戦の様相を呈してきます。
とは言え、今日のメインテーマはYちゃんのサポート*2
「どんな絵がほしいの?」
「あ、いかにも相談している感じが…」
「了解。みんないい?1・2・3・Q!」
これで、T原さんがいきなり相談をはじめるのがすごい。Bんちゃんもしっかり聞き役にまわっています。で、わたしはコーディネーターをするフリをしながらM木ちゃんにも話を振ります。みんな役者です。おかげさまで、無事ロケも終了。ってか?

*1:米子の現役ニューハーフ

*2:と、それをしている風景のロケ

ちょっとマジメに

続いて東九条へ。UIコンビからUITトリオになって、とりあえずインタビューとか。
基本的にはインタビューはしない方向みたいなんですけど、やっぱり落ち着いてまとめた話を聞きたいとか。そりゃそうでしょう。さらに言うと、今しかだめな話もあるわけで(謎)
にしても、クーラーの音がうるさいからとクーラーを切ったもので、暑いのなんの…。
インタビューの後の打ち上げのビール&チューハイのおいしかったこと。もっとも、打ち上げ会場も扇風機しかないけどね。
暑いさなかに、会話も暑い。
U「バブルのあとに生まれたヤツって、夢がちっちゃいんだよな」
I「え、そんなことないですよ」
U「あるって。お前ら、世界征服の夢とか見てないだろう」
D「あ、あるある。世界同時革命とか、今でも考えてる」
U「な、お前ら、そんなこと考えてないだろう」
I「た、確かに」
でも、考えてみると、大学の頃って、こんなんだったよなぁ…。

サポート(その1)

この3連休、サポート第1回目です。
今回は、2年ほど前に中国から来た子どものサポート。と言っても、なにをするわけでもなく、友だちにつきあってサポートの付き添いをしただけのことなんですけどね。
にしても、たいへんですわ。いや、たいへんなのは本人です。
学力はあるんです。わかればぜんぜんOK。ところが、日本語がわからないから、問題文の意味がわからない。だから答えられない。
ほんまに「学力」ってなんやねんと、つくづく思いました。なんとか高校に受かって欲しいなぁ…。

で、おたふく・もうひとつの祇園祭

お店に入ると、Kっくんがいます。久しぶりです。
再会を喜びあって、あとはグダグダと呑んで食べてしゃべって。
と、ここでちょっとおどろきの話が聞けました。
Kっくん、えらい疲れた表情だったので
「どないしたんですか?」
と聞くと、
「昨日、神輿かついだんや」
とのこと。神輿洗いだったんですね。
祇園祭山鉾巡行がメインじゃなくて、本来は「神幸祭還幸祭(神輿渡御)」がメインだったようです。
で、この神輿、「錦(にしき)」「三若(さんわか)」「四若(しわか)」の3基プラス「子ども神輿」の4つになります。ちなみに、子ども神輿は「四若」の神輿です。
「錦」をかつぐのは、錦市場近辺の人々。「三若」をかつぐのは、三条通商店街近辺の人々。そして、「四若」をかつぐのは、「おたふく」近辺の人々です。と言うと、「えっ?」っと思う人がいるかもしれません。
てことで、ちょっと探してみると、灘本さんのブログがひっかかってきました。確かに「祭り」には「キヨメ」がつきものですから、当然と言えば当然なんですが…。
さらにKっくんは、
「うちらのところだけじゃ人が足りひんから、他のムラからも手伝いに来てくれるんや」
と話します。まぁ、友だち関係ということもあるのかもしれませんが、でも、誰でもいいかというと、きっとそうではなくて、ムラの人じゃないといけないんでしょうね。
祇園祭と犬神人については、京都部落問題研究資料センターの「センター通信第10号(2008年1月発行)」に『日吉山王祇園祭礼図屏風』の図入りのがあるので関心のある人は読んでいただければと。
でも、こうした「歴史」の話ではなく、「いま」も祇園祭の最も大切なところをムラの人々が担っているということは、すごく興味深い話です。

で、フィールドワーク・刑場跡をたずねて

お昼にA久◯さんと合流。今日は九条山近辺の散策です。
京都の町中には2ヶ所刑場があって、ひとつは円町のあたり。もうひとつは九条山*1にあったらしいです。
てことで、前々から行きたいと思っていた九条山を、最近刑場マニアになりつつある阿◯Zさんに案内してもらおうという趣向です。
蹴上で合流したのですが、駅から外へ出ようとするとすごい雨。ふだんの行いの悪さが如実にあらわれます。まぁいいでしょう。
しばらく浄水場の横を歩いて、やがて山の中に入ります。といっても、横を走っているのは東海道、つまり三条通で、えらい車の量です。と、右手に石碑がありました。
今回は雨が降っているので近づくのはやめました。その代わりにこんなところを見つけちゃいましたので、紹介しておきましょう。
この九条山、他にもなかなか謎に満ちた感じがありまして、そのあたりについてはもう少しきちんと調べてみたいですね。
やがて、山を下っていくと、旧東海道との分岐点に行きます。
いちおう三条通東海道ということになっていますが、当然のことながらかつての東海道はあんなに広い道ではありません。旧東海道は、軽自動車一台がやっと通れるくらいの狭い道です。でも、稜線をうまく使って*2高低差がないようにつけられています。やるな…、昔の人。けっこう道ばたには灯籠なんかもあって、こちらもゆっくり歩くといろんなものが発見できそうです。
で、三条通に降りて、こちらはよく知られた供養塔をちょっと見ました*3
てな感じで歩いていたのですが、お腹が減ってきたので、おたふくへ移動です。
そうそう、御陵の駅に向かう途中、変な名前の中華料理屋さんがありました。なんでも、読みスジはマッカーサーだとか。なるほど…。

*1:現在の都ホテルとか浄水場のあたり

*2:いずみちゃんの指摘

*3:にしても、なぜ日蓮宗なんだろう…

西成フィールドワーク

この日に約束した西成高校とうちの「若手教員の合同の研修会&宴会をしよう」が、今日実現しました。
とりあえず、午後からみんなで「聖地・西成高校」へ。みんなで
「ここが西成高校かぁ」
としばし感慨にひたります。でも、迎え撃ってくださったH下さん
「なんもないしなぁ」
とええ感じの脱力感です。結局、校内をひとまわりして校長室へ。現在の校長はこの時の講師の方です。この方も、ええ感じの脱力感で、しばし西成高校の歴史について話。
「昔はうちの学校には3つの派閥があって、あるところがひきまわしをしてなぁ」
「それって、◯国委員会ですか」
「そうや」
もう、他の教員にはさっぱりわからないだろう話ですね。
「校長の写真の下見たらわかるけど、任期のおわりが3月ちゃうねん」
「なんでですのん?」
「まぁもたへんかったんやな(笑)」
あまりにもすごいです!
その後、西成のフィールドワークへ。案内してくださったのは、釜ヶ崎支援機構の方です。
労働センターからスタートして、支援機構の建物やシェルターを次々にまわります。
わたしは大学生の頃、釜ヶ崎で夜まわりのボランティアなんかをしたことがあったのですが、なんか、明らかに高齢化しています。てか、自分も高齢化してるんですけどね(笑)。まぁ言ってみれば、同時に進行しているというか。
ひとまわりして感じたのが、釜ヶ崎の運動って、まさに「生き抜くための闘い」なんですね。それが、比喩なんかじゃなくて、掛け値なしにその通りなんです。もしも運動がなければたくさんの死者が出る。例えばシェルターの中にはカーテンがありません。カーテンに閉ざされてしまうと、その向こう側で例えば吐血をしていてもわからない。プライバシーよりも命が大切という世界。
一方、雇用をつくりだすことも大切な運動。「カマからの脱出」だけをめざすのではなく、「カマで生き抜ける」ということも大切。
なんというか、ひとつの価値観だけじゃなくて、さまざまな「現実的な解」を模索しながらの運動のように思えました。

にしても、三角公園のまわりで、さいころがいい音を立てていたのには笑いました。そのあたりは相変わらずなんですよね〜。

プロジェクトX

ちょいと所用があって名古屋へ。でもお金がないので普通運賃の旅です。
鈍行列車の窓から見る風景って、すごくいいですね。新幹線はもちろん、特急から見る風景も流れていきますが、いかに新快速とは言え、そこはけっこう余裕があります。沿線に思わぬ発見があったりして、かなり楽しめました。
などというのんきな感じを楽しんでいたのですが、突然列車が予定外の駅で停車しました。
「信号待ちかなぁ」
と思っていたら、車内アナウンス。
米原駅で信号トラブル発生。復旧の目途はたっていません」
ありゃぁ…。バスに比べてJRの方が時間が読めるかと思ってJRにしたのに、こっちが読めなかったのかorz
1時間ちょっと待ったところで、ふと思いました。
「ここ、K瀬やん…」
近くに3年ほど前にお世話になった友だちがいます。かなり迷ったけど、背に腹は代えられません。M由姉に電話をします。返事は
「いつきちゃん、ちょっと待っててな」
しばらくしたら、前◯長さんが来られました。
◯長さん曰く
「どれくらい待ってたんや?」
「あ、1時間ほどです」
「もっと早う電話せんとあかんやんか(笑)」
なんという優しい人たちやねん…。てことで、無事米原まで送ってもらえました。
まぁものは考えようでして、なんのトラブルも起こっていなければ、それはそれで順調なのかもしれなかったけど、トラブルが起こったおかげでM由姉とか◯長さんとかと久しぶりに話をしたりお会いできたりできたわけで。しかも「仮」をつくってしまったので、また「返す」という機会も増えたわけで。それはそれでええかと。
にしても、マジで人騒がせやなぁ>自分

で、無事名古屋へ。
用事が無事済んだところで、同行のUIコンビ*1と祝杯です。
UIコンビはこの後神奈川へ。わたしは大阪に向かいます。

帰りももちろん普通運賃の旅。さすがに祝杯のあとなのでおねむです。それでも米原で乗り換えて、大阪をめざします。さすがに京都で降りなかった時には
「アホやなぁ」
と思ってしまいましたが、まぁ半分仕事なんで、それもありでしょう。

*1:今後これでいこう

たまには場所を変えて

朝起きるとすごい雨です。こんな日は、すごくウトロのことが気になります。大丈夫だろうか…。思わず安否を確かめに行きたくなるのですが、そういうわけにもいきません。
てことで、とりあえず東九条へ。といっても、今日は某在日外国人教育関係の会議です。いつも使っているところが、大人の事情で使えないってことで。
まぁ会議は淡々と進みます。途中、ものすごい眠気がきます。まぁ当たり前ですよね。会議中に寝るのは、実はけっこう珍しい*1んですが、久しぶりにウトウトしてしまいました。
でも、午前遅くから続いた会議は無事終了。

*1:「起きなくちゃ」と思っているというよりは、単純に寝られない性格なんですわ

活気のある街やなぁ…

「夜」までまだ時間があるので、ちょっと縁のできた大阪府東部のムラに散歩に行くことにしました。ちなみにこのムラ、運動が3つありまして、そのうちひとつはたぶんここだけじゃないかと*1
今回は完全な「散歩」です。頭の中にある地図と、自分の嗅覚だけが頼りです。しばらく歩いていると、細い路地の町並になります。

道がある。道が狭くなる。そこに部落がある。

とは、名作「人間みな兄弟」の冒頭のシーンですが、それは昔のことです。たぶんここは違います。さらにしばらく歩いていると、突然街並が変わりました。見慣れたムラの風景です。とりあえずずんずん進んでいきます。やがてムラの中心街に入ります。すごくお店がたくさんあります。人の行き来も盛んです。さらに、一番にぎやかなところに水平社宣言の碑が建っています。あまりにもすごすぎます。
さらに進んでいくと、またまた突然街並みが変わりました。
「あ、出た」
再びムラの中にもどります。と、お墓があります。
「ムラ墓かな?」
ちょっと中に入るも…。なんか違う。ムラに隣接しているのに、なんだか違います。もうしばらく歩くと、再びお墓があります。
「こっちかなぁ…」
なんだか混乱してきました。と、電話が鳴りました。お友だちのC木さんからの電話でした。
「人権文化センターで待ちあわせましょう」
人権文化センターに入ると、ちょうど識字のおばあちゃんたちがつくられた「法」以前の街並みのジオラマがありました。長い間識字にかかわっておられる方からジオラマを見ながら説明を聞きます。
なんでも、お墓については、もともとは混在していたのを、後に
「一緒はイヤだ」
というムラ外の人の考えで別々にしたんだとか。なるほど、あの妙な違和感はそこにあったわけですね。
一方、このムラ、ずいぶんとまちづくりに力を入れておられるとか。なるほど、活気がある→ムラから出ていく人が少ないのは、そういうこともあるんですね。
自分が感じた空気に、どんどん説明がついていきます。
「またゆっくりと来て下さいね。今度は案内しますよ」
「はい、またゆっくりと来ます」
てことで、再び移動です。

*1:いまでもゼッケン登校しているとか。すごいよなぁ…

教具づくりは楽しい

ふと思い立ってつくった教具第2弾。
「つくろう」
と思い立って、技術職員室に行って
「番線ください」
あとは、ペンチを使ってグニャグニャ曲げたらあっという間に完成です。
前作は「微分係数理解マシーン」でしたが、今回は「2次関数最大最小理解システム」です。

使い方は簡単です。グラフに沿いながら横に渡してある番線を上下させます。番線にチョークをあてておいて、それをy軸に沿って上下させば、見事に値域が色塗られます。で、一番上が最大値で一番下が最小値。ちなみに、黒板への固定はガムテープで行います(笑)。
もちろんコンピューターで再現することもできるわけですが、けっこう大がかりですし、なによりも「ブラックボックス」っぽくていけません。その点、この「システム」だと、手づくり感満載ですし、生徒に補助させないと使うことができないという、最大の利点もあるわけです。
「こんなもんつくってる教員、たぶん世界でひとりやで」
とか、テキトーなことを言っておけば、生徒をだますことも簡単(笑)。
「どんだけかかったん?」
と聞かれたら
「30分もかかってつくったんやで」
「30分しかかかってへんのや〜(笑)」
と、ウケをとることもできます。
まぁ、授業なんて笑いをとってなんぼですからねぇ。