で、帰りの新幹線

news23の人の「新幹線の中はやっぱりビールでしょう(笑)」との力強いお言葉に勇気づけられて、ビールとついでに日本酒(ふなくち)をつい買い込んでしまいました。で、新幹線で京都まで。途中1時間ほど爆睡。まぁ、それはそれでいいかも。寝不足気味だし。
京都駅でおみやげの551を買って、無事帰宅。よかったよかった。

起床…

朝起きると、電気全開テレビ全開クーラー全開…。寒い…。眠い…。と思ったら6時前でした。
しばらくゴロゴロして、とりあえずシャワー。ほっと一息ついたのですが、忘れてた。今回ドライヤー持ってきてなかったんだ。しゃーないので、自然乾燥です。
しかし、ほんまに6時起きが身についてるなぁ。

で、夜(爆)

なにがメインの目的かわからない、東京行きなのですが、今回も「夜」が来ました。集合場所は新宿南口花屋の前。
ところが、人が多すぎてわかんな〜い!どうしようと思っていたのですが、ふと見ると、おられました!姐さん。しかも、はじめて見る洋装です。「いや〜、この恰好で新宿に来るのは久しぶりなのよね〜。3年ぶりくらいかなぁ」。なんでも、旧世紀の頃はたまに洋装もあったけど、新世紀になってほとんど和装になったそうです。「階段の上り下りで、つい裾をあげたくなるのよね〜」なるほど。ジーンズ族にはわからない話ですけど。
で、みんなでサラリーマンのいく居酒屋に移動。あとは寝ないようにがんばるだけです。
話は、いつもの定番の話からはじまって、姐さんのバンコクのみやげ話、さらにF見さんの話とか、いつもの通り言いたい放題です。気がついたらあっという間に閉店の時間。ふだんだったらここからカラオケタイムですが、今日は姐さん曰く「あした家族サービスなのよね〜」。いや、大切です。で、お開き。わたしは唯一シングル(笑)の友だちを強引に誘ってちょこっとだけ2次会。
あとはホテルに帰ってジーンズを脱いでテレビをつけたら気を失っていました。

パートナーとのケンカとその後

これも日常ですわ。
そら、こんだけ毎日毎日で歩いていたら、普通は怒りますわね。で、きのうの晩、きっちり怒られた、と。でも、頭ではわかっていても心にストンと落ちるには時間がかかります。わたしの場合は、少なくとも一晩かかるかなぁ。
で、一晩かけてストンと落ちたところで、反省。おとなしく犬の散歩に行ってきました(笑)。

水尾の里

丹波から京都市北部までの最短コースは、越畑→水尾→平野屋前→観光道路→北大路ということがわかりました。1時間ちょっとで帰れました。
ただし、メチャ大きいグランビアなんぞで走るとえらい目にあいます。途中のヘアピンで何回か切り返しが必要でした。はぅ。

学力問題

今日は府立高校の人権教育研究会の夏季大会です。午後からはレポートしなくちゃならないのですが、まぁそれは人数あわせなのでいいかな、と。
午前中は、大阪大学の志水宏吉さんの講演でした。現在の学力低下論争の論点を、イギリスの教育施策の変遷とあわせながらわかりやすく話していただけました。
イギリスでは、「むかし」「サッチャーの時代」「労働党の時代」と3つの変遷があるとのことです(詳細は忘れた)。「むかし」というのは、まぁむかしですわ。なんでもありの時代ですね。わたしが高校の頃「イギリスでは教科書検定なんかなくて…」なんてことを言いながら、イギリス史の授業で、イギリスの中学校で使っている教科書を使った先生がいたなぁ。さっぱりわからんかった。
それに対して「サッチャーの時代」は、「競争の時代」になる、と。つまり、大英帝国の没落は「ええかげんな教育」にあるという反省から、学力をあげた学校には重点的に投資をし、学力をあげなかった学校からはお金の配分を引き揚げると言うことをやったそうです。でも、これって結局その学校に入学する層で運命がわかれるわけで、しんどい学校はしんどいままになりますよね。なので、「労働党の時代」には、しんどい学校が自分たちなりのプロジェクトを立てて、それに対して重点的に予算化する。そして、成果をあげたらOKというものにかわっているようです。
で、現在の日本の状況はというと、「サッチャーの時代」というわけです。「新自由主義」が蔓延して、かな〜り厳しい競争の時代、というか、スタート地点がぜんぜん違う「競争」の時代に入っているわけです。じっさい、ウチの学校とよその学校を見たらわかるのですが、ウチの学校なんて、鉄筋で雨漏りをしているわけです。ところが、「中高一貫」とか「◯◯学科」とか「スーパー◯◯スクール」とかいう学校にはふんだんに予算がまわされています。なんちゅーか。積極的に格差を広げているとしか思えない。まぁ、でもそれならそれの生き残り方があるとは思うのですが、どうも教員側がそこの腹のくくりかたができないようです。
というのは、おいといて…。
で、大阪で学力調査をしたら「学力の階層間格差を縮めた学校がある」ということがわかった、と。それが「力のある学校=布忍小学校・松原三中」だったというわけです。まぁ、この2校を見に行った感想は、おそらく去年の11月終わり頃の日記にあると思いますので、またアーカイブをつくりますので省略。
で、結論。今の状況は厳しいなぁ、と(笑)。でも、転勤したら楽になるだろうなぁ(爆)。

大分…って日常か?

あした午前中に大分の竹田という町で話をすることになっています。なんでも、小・中の管理職・教員・教育委員会の研究会だとか。いったいどうなってるんだろうなぁ…。で、朝からあるもので、今日は前泊です。で、指定された飛行機が、なぜか熊本空港行き。大分なのに、なぜ熊本なのか、よくわかりません。そういえば、去年福岡に行く時も、「熊本からすぐだから」っていわれたなぁ。九州ってどうなっているんだろう…。
で、伊丹へ行くルートを検索すると、どうやら南茨木からモノレールに乗るのが安くて早いようです。モノレールかぁ…。太陽の塔が見えますね。ワクワク。
伊丹空港でお昼ご飯にたこ焼き生ビールセットを食べて、フライト。熊本空港には、今回お世話になる方がすでに迎えに来ておられます。車に乗せてもらってドライブ。途中、ついフラフラと阿蘇山に寄ってみたりしながら、2時間半ほどで竹田につきました。ホテルに入って地図を見てみると、いろんなものがあるんですね。お城の跡もあるし、キリシタンの礼拝堂跡の洞窟もあるそうです。ちなみに、「頭料理」というのが有名らしいのですが、これはおいといて…。
で、一休みして懇親会(笑)。蔵を改造したビアホールのようで、いろんな種類のビールやビールカクテルがあります。おしゃれ…。で、ビールを飲み始めると…。徐々にスロットルが開きはじめてやがて全開。「小学生に自尊感情を持たせるのは早い」とか「自分らしさなんて中学生の分際でわかるわけがない」とか。さらに「オールロマンス事件が…」。そこまで行ってもいいんかいという感じです。で、10時過ぎにはお開き。なんといっても明日が早いらしいので…。でも、わたしを入れて3人ほどで、12月にこの近くに来ることになっているので、それの打ちあわせ。となりにあったショットバーに入ることになりました。ショットバー…。おしゃれ…。小さな町に思えたのに、いろんなものがあるみたいです。おそるべし…。
てな感じで飲んでいたら、メール。お友だちのMさんからプレゼントでした。「セレスト・ブルー」の着メロ。さっそく登録です。
ここで約1時間、打ち合わせのような打ち合わせでないような話で盛りあがって、とりあえずホテルへ。部屋に入ってMさんにお礼のメールを打って送信した瞬間に落ちました。

あとは…

焼肉しゃぶしゃぶ食べ放題のお店でさんざん肉を食べました。根っから解放教育にどっぷり浸かっているラガーマンと濃いぃ話をしました。結局終電には間に合う時間だったのですが、わたしを呼んでくれた人が、家まで送ってくれましたm(_ _)m。
今日はクズになりませんでした。いい一日でした(マル)

眠〜

今日は京都府南部で研究集会があります。わたしは録音・録画を担当するので、機材つきで最初に到着しなくちゃなりません。まぁ、いつものことなんですけど。てことで、9時過ぎに現地に着くためには、7時前に六甲を出なくちゃなりません。なので、起床はいつもと同じ6時です。ところが、どうも緊張していたみたいで、夜中に何度も目が覚めて、どうも眠りが浅いです。しかも、コーヒーを飲むヒマもなかったせいで、めちゃくちゃ眠いです。まぁ、自業自得ですけどね。

子ども会のキャンプ

この3月に引っ越しをするにあたって、一番気になっていたのが子ども会でした。
パートナーとわたしがかかわる以前は、行政や某運動体が丸抱えと言っていいような状態でした。行政の人たちから出てくる言葉は「親がもっと子どもにかかわらなあかん」。一方親から出てくる言葉は「なんで子ども会なんてやらなあかんねん」。親たちは、子ども会をやる意義を完全に見失っていました。キャンプについても「これこれやって」と行政から言われた親たちは「なにやんの?」「なんでせなあかんの?」「なんでわたしばっかりやらなあかんの?」と口々に言っていました。子どもたちもぜんぜん把握されないままにバラバラ。ひとつひとつのプログラムも「遊ばされている」という感じで、楽しんでいる感じが伝わってきませんでした。もちろん、こういう状態を「なんとかせなあかん」という親もいました。が、どうすればいいのか方法がわからない状態でした。
そこで、いまから2年前、わたしたちが中心的に子ども会を担う時に、行政からの独立を宣言しました。独立を宣言するということは、財政面も含めて、あらゆる援助も断ることを意味していました。でも、子ども会費を集めたりバザーに出店したり、いろいろな方法でお金を集めながら、「子どものため」をかけ声に活動をしました。1年間の活動を終えた時、ものすごくしんどかったけど、「やりきった」という充実感が親たち全員にあったんじゃないかと思います。
実は、子ども会の運営方法を変えることの本当の意味は、親を変えるところにありました。なので、上の子どもは卒業しましたが、翌年下の子どもが小学校に入学したことで、パートナーとわたしは引き続き子ども会活動を続けました。そのなかで、ようやく「親自身がやる子ども会」が定着してきたかなぁという気がしました。
でも、子ども会の運営には細々としたことがたくさんあります。そうしたことを、わたしたちがいない状況でやりきれるのかどうか、やはり不安でした。引っ越しをするにあたって「キャンプとか祭りとか、また手伝いに来るしな」と言い残して引っ越しをしました。
で、今回は「新体制」でのはじめてのキャンプでした。
実は、少々不安もありました。でも、そんな思いはとても失礼なことだということがよくわかりました。現地に着いた子どもたちを班ごとに並ばせてインフォメーションをする。班ごとに親がついて工作や遊びをする。もしかしたら他から見たら「あたりまえやん」と思われるかもしれない子ども会の姿がありました。
考えてみると、親たちにもプライドがあるんですね。でも、行政が抱え込むことでそのプライドを育て発揮する場所がなくなり、反対の方向を向いてしまった。行政の介入を切ることで、自分たちがやらなければならない状況ができ、そのことが親たちの「力」を引き出すことになったんだと思います。
みなさんの生き生きとした姿を見て、無性にうれしくなったし、そこに「助っ人」としてしか参加できな自分の今のありように少し寂しさを感じました。でも、子どもたちが楽しんでいるんだから、それはそれでいいかな。