骨休め・大分遠征(0日目)

明日はなぜか別府でお座敷です。てことで、今日は大分に行ったらいつも行かせていただくお宅におじゃますることにしました。ここのお宅、もう10年を越すかなぁ。北海道で日教組教研があった時のたまたまの出会いがはじまりでした。こういう「たまたま」が長いつきあいになれるのが、組合のいいところのひとつかなと思います。

で、とりあえず新幹線に乗って、パソコンを開いて、レポート作成です。あしたはお座敷ではありますが、あしたはレポートの締切日でもあります。このレポートを出さなかったら、一年間が無駄になる(;_;)。でも、思いつかない時は思いつかないものです(;_;)。うーんうーんとうなりながら、なんとか書き終えたつもりになりました。ま、あとは一晩寝かせて完成です(^^)。

てなことをやっていると、大分に到着。駅で車に乗せてもらって、山の中へ。到着したのは日本一の炭酸泉の小さな町です。
とりあえず、あいさつもそこそこに温泉に連れて行ってもらいました。すごいです。あわあわです。身体に泡がまとわりついてシュワシュワしてます。
小一時間ほど温泉を楽しんで、お友だちのお宅にもどって宴会開始です。大分は、とにかく食べ物がおいしい。「山海の珍味」ってわけではないのですが、普通の食べ物が普通においしいんですよね。ビール飲んで、日本酒飲んで、ワイン飲んでとしているうちに、メッチャ眠たくなってきたので、そろそろお開きかな…。

ダウン・放送部合宿(3日目)

朝、起きません。卒業生が「起きろ!」と起こしているのに、なにやら「あと、1ポイント足りないんです」とか寝言を言っているヤツがいます。わけわかりません(笑)。
それでもなんとか発声練習に送り出して、ほっと一息。
朝ごはんの後は、番組発表会です。
一通り聞き終わって、卒業生たちからの辛口のコメントです。
「おもしろくない」
もう、その通りです。番組のつくりかたがまったくわかっていません。
「おもしろいこと言わはったから、それをみんなに聞かせたらいい」
という発想です。
まぁここから出発するほかないです。それでも、いくつか収穫はありました。それを大切に育てていくことにしましょう。

意味は自分の内側にある・放送部合宿(2日目)

朝、なんか「発声」に行くみたいです。なので、見送りがてら
メディテーションの時間ももっておけよ」
と指示を出します。いや、ヤツら、よくしゃべる。ほんとにしゃべる。でも、あれだけしゃべるのは、おそらく考えずにしゃべっている。であれば、一日の中に「沈黙」の時間を経験させなきゃヤバイだろうと。
朝食のあとは機材講習第2部。のはずが、はじまる時間になってもダラダラしています。で、またまたお説教です。
「君たち、自分の行動の隅々まで意識化しよう。指の先の先まで神経を行き渡せて、それを感じとろう。頭は常に働かせよう。とにかく考えよう。それ以外方法はない」
午後はいつもの山登りです。これ、性格が出ます。おもしろいです。
ヤツらはひたすらしゃべりながら歩きます。うーん、ダメですね。とにかく、ペースが斜度に左右されます。やたら早かったりやたら遅かったり。考えていないからですね。自分のストライドとピッチを意識しながら、足の裏の隅々まで神経を行き渡らせていれば、ペースは一定になるし、下りで滑ったりもしません。ましてやこけたりもしません。それができない。どうすればいいのかなぁ。
夜は、またまたミーティング。といっても、今回はいつもよりもたくさんの卒業生が遊びに来てくれているので、またまた自己紹介。今日は人も多いし、時間は少ないしということで、「学年・名前・ネタ一個」というお題を出しました。3人ほど話したところで、卒業生からダメだし。
「おもしろくない」
きついな(笑)。ネタが宙に浮いているわけです。と同時に、内輪ウケなわけです。そこを気づかせてくれる卒業生はさすがです。
まぁ、ひととおり終わって、あとはフリータイム。もちろん、フリータイムというのは言葉だけで、番組制作の時間です。のはずが…。
もうええ。寝る。

立て直し・放送部合宿(1日目)

体調は激悪ですが、すべて自業自得ですから、どうしようもありません。
とりあえず、合宿の日が来てしまいました。なんしか、細く長く、3日間もたせる以外、方法はありません。
合宿所に到着して、まずは機材講習です。瞬間、卒業生に頼もうかと思ったけど、そういうわけにもいきません。いつもの通り「動脈の線と静脈の線が」とごまかしておきました。
夜は、ミーティング。まずは卒業生もいることなので自己紹介。
「学年・名前とあとひとこと」
というお題を出したら、ほんとに「ひとこと」しか言いません。そうじゃない。さんざん粘って、ようやくそれぞれが自分のことや自分の関心事を話しはじめました。それでええねん。
その後は、これまた今年も「KJ法」。正直言って、いま、放送部は危機的状況だと、わたしは思っています。しかし、どう見ても、子どもたちはそう思っていない。なぜ子どもたちは危機的状況だと思わないのか。そして、わたしは危機的状況だと思っているのか。わたしの考える危機的状況の理由は?そして、顧問と生徒の間の状況把握の乖離はなぜ起こるのか?その理由を考えさせたいと思ったのです。
で、ポストイットに書かせたら、いろいろ出てきました。でも、キーワードが出てこない。さらに子どもたちに揺さぶりをかけます。すると、少しずつ出はじめました。これが一発で出てこないのが、実は危機的状況なんですよね。でもまぁ、そこからスタートする以外ないです。
最後に「反則」ではあるけど、
「みんなの中に答はあるよね?その答を見つけられない。とりあえず、答を探そう。考えよう。何気なく行動するのではなく、自分の行動の隅々まで意識化しよう」
と呼びかけて、夜のミーティングはおしまい。
さて、これから番組づくりの長い夜がはじ…。お前ら、遊ぶのか?それは違う…。なにもわかってないじゃん(;_;)

ちゃんとしたフィールドワーク

今日は午後から、某研究会のフィールドワークです。「お散歩」などとは違う、ちゃんとしたフィールドワークに参加しなくちゃと思い、参加しました。
コースは、「耳塚」→「祇園さん」→「水平社設立記念の碑」です。
感想をひと言で言うと…。よく知ってはりますねぇ。だって、説明のたびに「質問はありますか?」って、ちゃんと聞かれるわけです。「質問はしないでください」というわたしとは大違いです(笑)。さらにもうひとつ、確信を持てないことは言わない。例えば、豊国神社の鐘楼ですが、当然の疑問として
「戦時中になぜ持って行かれなかったのか」
なーんていうことを考えるわけです。で、質問するわけです。すると、案内の方は
「重かったということですけど、それだけかなぁとは思いますよねぇ(笑)」
とは答えられます。でも、本編では語られません。思わずその答を聞いて
「重かったって、ぜったいウソですよね(笑)」
と言ってしまうわけです。で、たぶんわたしなら
「ウソだと、わたしは思います」
と言ってしまうと思うのです。まぁはじめに「ウソが混じってます」と言ってるから、ウソが混じっててもいいんですけどね。
てことで、これがちゃんとしたフィールドワークかぁと思いました。なんしか、もう少し勉強しないと、案内するの、恥ずかしいですね^^;;

ダラダラと・全国在日外国人教育研究大会(3日目)

今日は分科会。でも、さすがにパワーが切れ気味です。本部で少し休んだり、細々した事務仕事をしてみたり。分科会にちょこっと顔を出したり。いろんな人と話をしたり。そんな感じで一日を過ごしました。
さてと。関西はえらいことになっているみたいですが、帰れるだろうか。
これが案外帰れたんだな。新幹線はほぼオンタイム。よかった。
家に帰ったらぐったり。
とにかくお風呂に浸かって、晩ごはんを食べて、さっさと寝ることにしましょうか。

オルタナティブな班の必要性?・全国在日外国人教育研究大会(1日目)

朝「お先に食事に行きますよ」と声をかけられて目が覚めました。でも、ダメです。身体が動きません。いや、そういうわけにはいきません。動かさなきゃならんのです。
なんとか食堂に行って朝ごはんを食べて、そのあとY美ちゃんの事後処理(笑)開始。といっても、基本的には全部他の人がやってくれているので、最終段階の処理だけです。
そんなことをやっていると、班別討論には入れません。というより、入れる体調ではないわけで…。てことで、「班には入れない生徒や卒業生」の班を勝手につくることにしました。ちなみに、ひとりではなんなので、K野さんも引きずり込んだりして。そんなこんなで2時間ほど台風情報を見たりしながら過ごして、そのうち全体会があって、記念写真を撮って、今年の全国在日外国人生徒交流会は終了です。

で、Tーますの車に乗せてもらって本大会の会場に向かいます。
到着すると、ちょうど大会がはじまるところでした。いいタイミングです。いろいろ知りあいとあいさつをして、とりあえず本部に荷物を置いて、大会に出ようかと思ったけど、そのまま本部でダウン。まぁ、どうせいろんな人のあいさつの時間だからいいや。ダウンしている間、H野さんが、いろいろかまってくれたので、ありがたやありがたや。
そうこうするうちに、お待ちかねのシンポジウムのはじまりです。若い世代の人たちはどんなことを考えているだろう。話を聞いていると、
「基本的には今も昔も変わらないんだなぁ」
と思いました。それは「自分が外国人であることがわかった時になにがおこるかわからないという「おそれ」」と言えばいいのかな。もしかしたら
「そんなん考えすぎ」
と一笑に付されてしまうかもしれない杞憂。でも、その杞憂がリアリティをもって存在する時、おそらく「語れなくなる」のかなぁ。そして、その「おそれ」「杞憂」が存在している限り、やはりそこに「差別」はある。
まぁ他にもセンセーショナルな発言^^;;があったりして、なかなかスリリングというか課題を残すというか、そういうシンポジウムでした。でも、だからこそおもしろかった。

卒業生の相手は得意なのさ・全国在日外国人教育研究大会(0日目)

徳島の待ちあわせ場所に着く頃には、台風の影響でえらい雨です。待ちあわせ場所にはすでにK野さんがおられます。ちょいと食べ物飲み物を補充して、広島へ向けてGo!途中、しょーもない話とか、しょーもなくない話とかしながら、9時過ぎにはなんとか広島の山中にある青少年施設にに到着。とりあえずおなかにものを入れて、いきなりルーツ別の話しあいです。ハードやなぁ。
わたしが担当した「ルーツ」は日本人の班。ここの話しあいが、実は一番難しいですよね。完全アウェイのところにあえて参加しているわけで、そこにはいろんな思いはあるんだろなぁとはおもうのですが、それを言葉化できるかというと、それはそれで難しいわけです。はじめは通り一遍の話をしていたのですが、なんとなく膠着状態になってきて、「うーん」となってしまいました。で、ちょこっとチャレンジしてみようと思い、爆弾を投下。逆にみんな黙り込んでしまったりして^^;;。

ルーツ別の話しあいの後は、わたしはサポーター*1としばらく打ちあわせ。今日一日の論議を振り返って、子どもたちの様子や話しあいの内容についての振り返りです。で、1時間ほどいろいろしゃべって、「さて、どうしよう」。ここらでちょこっと燃料補給をしたいところですが、大人の引率と混じるのはなぁ…。いや、ポリティカルコレクトな選択をするのであれば「ミックス」なわけですが、卒業生は卒業生ならではの話があって、それは教員の前ではなかなかしにくい。というか、教員が卒業生と話したくて、卒業生同士になかなか話させてくれない可能性が大です。
「ま、いっか」
ということで、急遽卒業生交流会の開会です。いやぁ、おもしろい。きっと教員の前では見せない卒業生たちの姿が目の前にあります。
ちなみに、わたしは教員ではないのかというと、もちろん教員なわけですが、なんだろ、あまり教員と見てくれていないというか、なんというか…。まぁ、それを物語るかのような論議があったわけで、
「○○先生の頭をはたけるか」「No」
「いつきちゃんの頭をはたけるか」「Yes」
みたいな話が繰り広げられていました(笑)。
てことで、最後はY美ちゃんがえらいことになりはじめたので、強制的に布団に放り込んで、上から押さえつけて、電気を消して、お開きです。
うわ。3時半。わたしも着替える元気もなく、ベッドに潜り込むと同時に落ちました。

*1:卒業生および卒業生(笑)

「あたりまえのこと」を「あたりまえのこととして」

今日はとある人権教育研修会。
午前はレポート発表をしなきゃなりません。考えてみると、ここ3年連続でレポートしてます。おととしは、久しぶりに本気で
「全国行ったるねん!」
と思ってレポートしましたが、年々モチベーションは下降して、今年は
「んー。誰かやろうよ。あー、やらへんの。ほなしゃーない、やるわ」
でレポートすることにしました。
子どもにかかわるレポートはすでにできる立場にはないのですが、自分なりに新たなことにチャレンジし続けているので、それを言葉に置き換えたらレポートはでっちあげられます。でも、ほんとはそんなレポート、一文の価値もないんだけどなぁ…。
それでも、分科会終了後、昼休みに新採の人が
「レポートのあの部分が心に残りました」
なんてことを言ってくださって、これはかなりうれしかったですね。
で、午後は講演。講師は住友剛さんです。テーマは「子どもの人権」。わたしたちの研究会でははじめてとりあげるテーマです。ちなみに、最近、「いじめ」や「体罰」について研修をしろとかいうお達しがいろいろ来ていて「それならば」ということで設定したのですが。さてさて、どんな話になるかなぁ。
話を聞きはじめると、ほんとに「あたりまえ」のことを言っておられます。一貫して言っておられるのは「子どもたちとは「応答的な関係」を」ってことです。何も新しくない。でも、それができていない。そのことに気づかされる。
とにかくいろんな事例を出して「こんなふうな関係を」「こんなふうに対応を」って言われるのですが、そのひとつひとつがストンと落ちてくる。でも、実際の学校ではそうはなっていない。そのギャップに苦しんでいる自分に気づきます。あるいはあきらめそうになっていた自分に気づきます。
話を聞き終わって、なんか、すごく勇気と元気がもらえました。
うん、明日から、もう少し自信を持って「ダラダラ」やろう。

今日も研修会

今日は第二のふるさとの人権教育研修会。
講演はなくて、レポート発表と協議です。ガチです。わたしは「学力部会」なる分科会に出てみました。
ここの地域の特徴は、保小中が合同でやっているところにあります。そもそも、保育園って管轄としては「教育機関」ではないんですけど、実際にはものすごくきめ細かな教育・啓発をしておられます。そんな保育園ですから、保育士さんの洞察力がすごい。で、小中もそれに負けず劣らず子どもや保護者に対して細かい見方とケアをしておられます。
じゃ、高校の教員はなにができるのか?たぶんそれは、「大雑把さ」なんじゃないかなぁ。きめ細かだからできることと、であるがゆえに見落としてしまうこと。前者を学ばせてもらいながら、後者を提案する。更に言うなら、その「大雑把」な場所に、いずれ子どもたちは巣立っていくわけで、そこの話を交流することは、保小中の人たちにとっても、たぶん意味があるんじゃないかなぁと思うのです。
てことで感じたこと。
んー。小中の教員は教えるプロですね。まぁ、太刀打ちできません。じゃ、わたしのアドバンテージは?たぶん「考え方を教える」ってことなのかなぁ。「いかに教えないか」みたいな。言い換えるなら、小中の勉強の仕方から脱皮する手伝いと言えるかもしれません。
まねる→学ぶ→考える→研究する
という感じでしょうか。
そんなことを連携できるって、たぶんかなり意味があるんじゃないかなぁと思いました。