総括・合宿(3日目)

今日は敗戦記念日です*1。いろいろ気になることも多々あるけど、合宿最終日なのでそっち優先です。
朝、うちの卒業生と結婚した他校の卒業生が発声を見てくれました。で、「腹式呼吸、できてませんね」というご指摘をいただきました。ま、その通りです。この指摘、ちゃんと覚えておいてね。
朝ごはんの後は制作した番組の発表会。
うん、今年は少しマシな番組もあったな。最初に「問題の所在→先行研究→調査→考察→結語」という流れを提示したんだけど、やはりこの流れに沿うとわかりやすいです。ちゃんと覚えておいてね。
で、最後に「この3日間でできたこと、できなかったこと。学んだこと」を出し合って…。って、なんでみんな番組制作の話ばかりなんだ?「この3日間」だよ。全体を見渡し、個別に焦点をあて、ふたたびそれを全体から見る。そういうズーミングをしなくちゃ。てことで、再度出し合って、今年の合宿も終了。

家に帰って昼ごはんを食べたら倒れてしまいました。
やはり疲れてるのかなぁ。それでも晩ごはん時にはおなかが減ってきたりして。やはりヘモグロビン工場のコロボックルさんがパワーをほしがっているのかも。
晩ごはんのあとはウトウトテレビを見たけれど、頭は使いたくないし、頭を使わない番組はおもしろくないし。
そうだ。せっかくつくった原稿だけど、なんか気に入らない。あした書き直そう。

*1:光復節」でもある

今年は待機組・合宿(2日目)

もともと合宿のプログラムって、かなりルーズでしたが、ここ数年なんとなく固まってきました。てことで、2日目の午前はシチュエーションに応じた機材の選択とソフトの使い方の講習です。前半はわたしが担当して後半は2・3年生にやらせます。にしても、ソフトなんですよねぇ。昔はスプライシングテープだったんだよなぁ…。
合宿の2日目の午後だけはプログラムは不変です。今年も実施します、山登り。
ただ、今年はあまりにもアレなできごとがあったので、さすがに登るのは断念。この年以来です。
でもま、この年と同じく、信頼できる卒業生がいるから安心して外界で待機です。原稿も書かなきゃならないしね。
でも、近くにムラがあるのがわかったので、ちょいとおさんぽ。「あぁ、ここがそうかぁ」と、しばし感動したものの、いろんな人からぁゃιぃ人を見る目で見られました。そりゃ当たり前だわ。なので、いちいち「ぁゃιぃ人ですみません」と謝り続けました。
帰ってきてからは、切羽詰まってしまっている原稿をとりあえず完成させてホッと一息。そのままなぜかウトウトしてしまいました。なんにもしてないのに疲れてるのかなぁ…。まぁもしかしたら、体内ではいまだコロボックルさんたちがヘモグロビンをつくるべく必死で働いてくれているのかも。感謝です。
夜は番組制作。わたしはやることがないので、卒業生とダラダラ話→ウトウト。そうこうするうちに、昨日の夜仕事を終えて来てくれた卒業生が今日も仕事を終えて来てくれて、起きようとするものの、やはりウトウト。
と、気がつくと布団がかかっていました。やさしいなぁ…。

こいつら、来てくれるんだなぁ・合宿(1日目)

本来は合宿は15日〜17日でした。が、学校行事の関係で日程変更を頼まれて、急遽、今日からの3日間になりました。でも、それを決めたのが先月の中頃。そんな時期から予約なんて間に合うはずもなく、かなり苦労しましたが、「公共の宿」から「民宿」まで探す範囲を広げたら、案外近場でいいところが見つかったので、それはそれでよしとしましょう。
で、かなりゆっくり目にスタートして、それでもチェックインの15時には宿に到着。
まずはいつもの機材講習です。今回は子どもたちに任せてみましょう。が、あかん。系統立てて伝えることができないのかな。系統立てて伝えることができないということは、自分自身が系統立てて考えていないということです。ということは、普段から場当たり的にやっているっていうことになりますね。それはミスを呼び起こします。どうしようかと思ったけど、とりあえず導入だけ伝えて、卒業生Aを駅まで迎えに行くことにしました。
卒業生たち、急な日程変更に対応しきれず、仕事の休みがとれなかったみたいです。なので今回は「自営業的」な仕事をしている卒業生以外は全滅です。それでもそんななか、日帰りでとりあえず顔を出してくれる卒業生がいて、これはもう、感激としかいいようがありません。なにしろ、やはり卒業生がいると、どこかピンと空気が締まりますからね。
で、宿の帰ってきたら、ちょうどお風呂→晩ごはんです。
その後、いつものミーティング。まずは自己紹介。
「じゃぁ、今から10分あげるから自己紹介の内容を考えて」
1年生はキョトンとしています。2・3年生は「ぐわー」とか言ってます。
で、自己紹介開始。いや、「○年」はいうのいいけど「○組」はいらんやろ。学校内では意味があるかもしれないけど、卒業生に言うためには「○組はこれこれこうで」と、その意味もあわせて言わないと伝わらない。
自己紹介は、番組制作と似ている気がします。自分のたくさんあるもののうちのどこを切り口にして、どう伝えるのか。その題材として「自分」を使うのは、実はとても難しいです。でも、そういうトレーニングをしないといけないんじゃないかな。なので、
「はい、もういっかい自己紹介。5分あげるから作戦タイムね」
まぁ、こんなのも合宿というものです。
あとはブレーンストーミングをさせてみたり。そんなこんなのプログラムが終わったのは11時過ぎ。と、これまたいつも来てくれる卒業生Bがひょっこりと顔を出してくれました。なんでも、仕事が終わってから来てくれたとか。ちなみに、明日も仕事なので、夜中に帰るとか。なんかもう、すごいです。と、夕方来てくれた卒業生Aのパートナーさんが来てくれました。ちなみに、このパートナーさんは、わたしが今の学校に赴任した時の2年生。わたし的には「第1期」の放送部員です。なんか、髪の毛に白いものが混じってるよ。笑顔は相変わらずだけど。

それにしても、今年は人数少ないけど、少しまじめかな。今年の番組作成のテーマは「この宿について」です。かなりむずかしいです。そのことを指摘したら11時過ぎから作戦会議をしたりしています。さてさて、どんな番組ができるのかな。

久しぶりのインタビュー

思えば、数年前にはずいぶんとインタビューを受けました。新聞やテレビもあったけど、一番多かったのは「研究のため」でした。研究者の人はもちろん、卒業論文のための「ネタ」にもよくなりました。でも、ここ数年インタビューを受けることはほとんどなくなり、逆にインタビューする側になったりして、いろいろ複雑な思いをしています。
そんなわたしに、久しぶりに「話を聞かせて」というメールが来て、「いいですよ」とふたつ返事で受けてしまいました。その理由は、ひとつは友だちからの頼みだったこと、それからもうひとつはいままでのテーマとはまったく違う切れ込み方をしようとしておられることです。なんか、「これ、まとまるのか?」「これ、まとまったとしたら、どんなふうにまとめていくんだろう」みたいなワクワク感があるテーマなんですよね。
で、インタビューを受けたのですが、なるほど。お定まりの「ライフヒストリーを」とか「違和感を感じたのはいつですか?」とかはぜんぜんなくて、なんか、言いたい放題というか、気の向くままにというか、そんなのに随時おもしろい質問が飛んできて、さらにインタビューアーも語りはじめるという、とてもスリリングなインタビューでした。
てことで、4時間弱、楽しい時間を過ごしました。

で、総括。なんか、京都駅あたりで肉が食べたいということなので、これは「わかば」かなと。
定番のメニューを頼んで満足満足。そういえば、久しぶりのハイボール濃い目も飲めたことだし。
さてと。帰って明日の準備をしなくちゃならんけど、たぶん寝ちゃうな(笑)。

もう一歩踏み込みが…

今回の移動ほどエレベーターとエスカレーターとタクシーを使ったことはありません。でも、身体への負担には代えられません。で、難波へ移動。向かうは「ミルトン・ダイヤモンドvs東優子」です。
会場に着くと、UさみさんとOかっちさんが「わあ!」という顔でこっちに来られました。で、3人でハグ。あぁ、この世に帰ってきたんだなぁと、あらためて実感。
で、聞きはじめたのですが…。開始から数時間たっていて、ほとんど内容終わりかけですさらにここでも身体への負担を考えて、部屋の外の廊下にソファを持ってきて寝転がって聞いていたので、よけいわからない。ま、仕方ないです。
途中、休憩になって、みなさんが部屋から出てこられました。「今日もだらしないヤツと思われたらどうしよう」と思ったら、出てくる人出てくる人「大丈夫?」と声をかけてくださったり、思わずハグをしてくれる人がおられたり。みなさん、なぜか知っておられるんですね。うーん。すごい…。まぁ、人数が少ないこともあるかもしれないけど、やはり「こちら」が自分のホームなんだろうなと、あらためて感じたりもしました。
で、シンポの内容の方は…。バトルが聞きたかったな。あと、質疑応答ももう少し深めてほしかったかな。テーマ設定はものすごくおもしろいんだけど、そして語られている一つ一つはすごく興味があるんだけど、それらがコラボレーションし切れていない感じ。
なので、このテーマでもう一回やってほしいなと思ったり*1

*1:って、「やってほしい」とか思う立場じゃないって話もありますが^^;;

再会・全国在日外国人教育研究大会(2日目)

M木ちゃん家は、大会会場から徒歩圏内。なので、のんびり朝を過ごしてブラブラと会場に向かいました。いや、「歩くな」と言われているのですが、たぶんタクシーだと乗車拒否にあうくらいの距離なので、やむを得ません。ちなみに、たぶん心配なんでしょうね。M木ちゃん、ついてきてくれました。ありがと!
てことで、分科会。今回は「差別と排外に抗して」分科会です。
分科会の会場に入ると「お久しぶりです」という声が。この時一緒にスタッフをしたM本さんが覚えていてくれてあいさつをしに来てくれました。実は、わたしは大会資料集をつくっている関係で、レポーターの方が誰かは把握をしています。最初にレポーターがあがってきた時M本さんの名前を見つけ、古い同士の名前を見つけ、「やってたんやなぁ」ととってもうれしい思いがしていました。いや、なんかM本さんには失礼なんですけど、でも、8年お互いにほとんど連絡がとれていなくて、「再会」はとてもうれしいのです。今日の分科会のレポート、とても期待です。
で、会場の前には最初のレポーターのKムクァンミンさんがおられます。なので、しばし「生きてるんかいな」「足、ありませんねん」というあいさつなどしまして…。と、、分科会開始です。
まずは、「ヘイトスピーチ」にかかわる問題提起。ご本人が「ほっとくとなんぼでもしゃべります」と言われるとおり、ほんまになんぼでもしゃべられます。でも、現状分析から今後の課題まで、ほんとうに縦横無尽な話の一つ一つが「そやな!」と思える話です。貴重な提言をもらったなという気がしました。
そして、M本さんたちのレポート。
はじめに「カムアウト」の大きな文字です。M本さんがご自分のカムアウトをされ、さらに、同僚の方の「色覚障害」のカムアウトを受けた時の話をされました。なんでも、メッチャ関心を持って「どういうふうに見えるの?」とか「どうやって区別するの?」とか、メッチャがっついたらしいです。それに対して、その同僚の方が「いままでみんな「普通に」してた。流されていた。でも、関心を持ってもらってうれしかった。はじめての経験だった」と語られました。
ここからスタートするレポートが悪いわけがない。「カムアウトに真摯に向きあう関係」からつくりだされた教員同士の仲のよさに裏打ちされた子どもたちへの迫り方。そして、そこからつくりだされていく子どもたちの関係が語られました。
で、質疑応答でM本さんに「なんでそういうふうになったの?」という問いがあって、そこへの答に、なんと8年前の生徒交流会との出会いが語られました。
あー、もしかして、あの時M本さんのカムアウトに、わたしがっついたよなぁ。だって、うれしかったしおもしろかったんだもん。もっともっと聞きたいと思ったし知りたいと思ったもん。だからがっついた。もしかしたら、それ、M本さんにとってうれしい経験だったのかなぁ。だとしたら、それが「今」につながっているっていうことになるし、それはとてもうれしいことですよね。
レポートが終わって、前に行ったら、そこにいた人がM本さんに向かって「いつきさんとどんな関係?」って聞いておられて、それに対してM本さんは「友だち」って答えてくれて、これまたメッチャうれしかったです。そうなんですよね。友だちだし仲間だし。わたしはみなさんに「とってもよかった。ありがとう!」とお礼を言って昼ごはん。
昼ごはんはM木ちゃんとT野さん@島根と3人でうどん屋さんへ。大阪で食べる讃岐うどんはなかなかおいしかったです。
昼ごはんのあとは、生徒交流会の担当されたM山さんとしばし話しあい。交流会で子どもたちから出された問題提起について話しあいました。なるほど。そんなことがあって、それが「聞くことの大切さ」という発言につながったのね。
そんなこんなで、全外教大会を過ごして、次の場所へと移動。

今回は迎える側・全国在日外国人教育研究大会(1日目)

朝、のんびりと家を出て大阪に向かいます。京都駅に着くと、まもなく新快速が来ます。が、やめときましょう。ここは時間がかかっても各駅停車で。そうでなくても「身体に優しくない2日」を送るのだから、少しでも身体に優しい行動を。
てことで、のんびりと大阪に向かって、さらに環状線に乗って桃谷へ。
今日から明日にかけて、全国在日外国人教育研究大会が開催されます。実は昨日から生徒交流会をやっていますが、そちらは卒業生に任せることにしました。なんか「任せる」というと上から目線的でアカン気がするのですが、あらためて「行かない」という選択をしたら「とても行きたかったんだ」ってことがあらためてわかります。たぶん、ヤツらと一緒に熱い空気を吸いたかったんでしょうね。
でも、今回は迎える側。はじめての経験です。
大会会場に入ると、みなさん「大丈夫?」って声をかけて下さいます。いや、めんぼくないっす。
で、大会開始。身体への負担を減らすために、すこしでも横になろうかな。てことで、最近買ったエアマットを机の下に敷いて、なんともだらしない格好でしばし全体会に参加。うーん。たぶん「だらしないヤツがおるなぁ」と多くの人が思うんでしょうね*1。そうこうするうちに、生徒交流会の連中が到着したとの連絡が入ったので、お出迎え。みんなくたくたに疲れながらも、「やりきった感」が伝わってきます。と、京都出身の卒業生と久しぶりの再会。思わずハグです。で、今回の交流会のあんなこんなを教えてもらったり。
やがて、個人的には「全体会」の最大のイベント「生徒交流会報告」です。代表の生徒の口から出てきた

「しゃべる側」「アドバイスする側」じゃなくて「聞く側」になることが大切。

という言葉に深く深くうなずきました。
なんか、今回の交流会は(も?)いろんなことがあったみたいです。その「いろんなこと」の中から出てきたこの言葉は、でもとても普遍的ですよね。子どもたちは「アドバイスがほしい」んじゃないんです。「聞いてほしい」んです。それを教員はつい忘れがちになる。というか「先に生まれたもの=人生の先輩」として語りたがる。そんな必要はないんです。というか、アドバイスがほしい時はちゃんと言ってくれます。その言葉を待つことが大切なんだけど、待てないんですよね…。
うん、いい気づきをもらいました。

*1:これは明日の日記への布石です(笑)

子どもとつくる貧困とひとりぼっちのないまち

今日は某人権教育研究会の夏季研究大会です。まぁ、自分の役割が役割なので、ちょいとリハビリがてら参加しようかと。てことで、パートナーの運転の車で会場まで向かうことにしました。ちなみに、会場はこないだまで入院していた病院のすぐ近くで、ついでに「お勘定」もすませてしまおうかと。
ただ、問題は服装なんですね。前回も「どん引き→騒然」となったけど、今回はもっとハードル高いしなぁ。なにせ、総括○○○○とか、某校○とかも来るしなぁ。てか、うちの新採も来るよなぁ。
でも、ここは根性決めてスカートで行きましょう。いや、単に「締めつけが緩いから楽」というだけのことなんですけどね。
で、会場に行って同僚と会うと、やっぱりどん引きされました。ま、しゃーないです。不徳の致すところでございます(笑)。

で、今日の講演は山科醍醐こどものひろばの村井啄哉さんです。村井さんとはこの時にはじめて出会って、なんとなく意気投合して、でも、それ以来会っていない人なんですね。なので、今日は存分に話を聞けるなと楽しみにしていました。
話の内容は、「こどものひろば」の発足当初からの歴史や、それからの変遷、さらには「子どもの貧困」にかかわる話です。「貧」に焦点をあてるのではなく「困」焦点をあてるとか、ボランティア大学生の組織化の話とか、既存のネットワークの利用とか、ほんとうに参考になる話がいっぱいありました。
が、たぶん、これ、わからない人にはさっぱりわからないでしょうね。というのは、村井さんの持っている力というか魅力というのは、おそらくは教員が持つべきと思われている方向とは斜め60度くらいずれているからです。例えば、ボランティア大学生を募るとする。たいていの組織は「やってほしいこと」があってボランティアを募る。なので、その「やってほしいこと」に合致しない大学生は来ないし、来ても定着しない。ところが村井さんは「集まった人がやりたいと思ったことを支援する」というスタンスです。いや、もしかしたら「支援」もしないかもしれない。でも「やりたいこと」のためなら、工夫をします。それを見守る感じ。すると、活動が広がっていきます。活動が広がった分だけボランティアも来るし、利用者も来る。ただし、お金もかかり仕事も増える。この最後のところを村井さんは担っておられるんですね。これ、すごいことです。すごく「ええかげん」な言い方をしておられますが、それもまた魅力ですね。
それから、話を聞いていると、まさに同和加配がかつてやっていたことを彷彿とさせます。あの頃は法律の後ろ盾のもと、お金と人が会った。それがないところで今、子どもの貧困のことが論議されている。おそらく「いろんなご託はいらんから、金と人をよこせ!」という気持ちだろうけど、それを自分のスキルで集めているんですね。
ということがわかるかどうかが、村井さんの話がわかるかどうかの分水嶺なのかな。で、もしかしたら、一般的なというか「教員らしい教員」にはわかりにくいところなのかもしれません。

ま、そんなこんなで、とてもおもしろい話が聞けました。
今日は体調あきませんから、また秋になったら呑みましょう。

闘いはここから闘いは今から

闘いはすでにはじまっていました。それは、たぶん、70年前からはじまっていたんです。で、転換点はいくつもあった。そして、わたしにとっての転換点は、まぎれもなく9年前のこの日です。あの日から敗北を続けてきました。そして、何度となくこの詩を思い出しました。

きょうから ぼくらは泣かない
きのふまでのように もう世界は
うつくしくもなくなったから そうして
針のようなことばをあつめて 悲惨な
出来ごとを生活の中からみつけ
つき刺す
ぼくらの生活があるかぎり 一本の針を
引出しからつかみだすように 心の底から
ひとつの倫理を つまり
役立ちうる武器をつかみだす
しめっぽい貧民街の朽ちかかった軒端を
ひとりであるいは少女と
とおり過ぎるとき ぼくらは
残酷に ぼくらの武器を
かくしている
胸のあひだからは 涙のかわりに
バラ色の私鉄の切符が
くちゃくちゃになってあらわれ
ぼくらはぼくらに または少女に
それを視せて とおくまで
ゆくんだと告げるのである

とおくまでゆくんだ ぼくらの好きな人々よ
嫉みと嫉みとをからみ合はせても
窮迫したぼくらの生活からは 名高い
恋の物語はうまれない
ぼくらはきみによって
きみはぼくらによって ただ
屈辱を組織できるだけだ
それをしなければならぬ
(「吉本隆明詩集」思潮社 1966.0601 第6刷)

でも、昼に「強行採決」というニュースが入ったその瞬間、頭の中に鳴り響いた歌は、ほんとはこっちでした(笑)。

1.がんばろう
  つき上げる空に
  くろがねの男のこぶしがある
  もえあがる女のこぶしがある
  闘いはここから闘いは今から
2.がんばろう
  つき上げる空に
  輪をつなぐ仲間のこぶしがある
  おしよせる仲間のこぶしがある
  闘いはここから闘いは今から
3.がんばろう
  つき上げる空に
  国のうちそとのこぶしがある
  勝ちどきを呼ぶこぶしはひとつ
  闘いはここから闘いは今から

今はあの時みたいに国会前に行く時間はないです。でも、いまここでできること、やらねばならないことをする。たとえ一人であってもやる。いや、逆でした。「ひとりになってやる」。
まずはここから。

非安静3日目(笑)・下見

今度、トランスジェンダー生徒交流会では、初の試みとして「キャンプ」をしようかと。
ということで、今日はその下見です。まぁ、車で行くのでそんなに身体に負担はかからないでしょう。
と思っていましたが、完全に読みが外れました。そりゃそうです。往復はベンツに乗せてもらって快適でしたが、現地では歩きまわらなくちゃならんわ、ハチの巣駆除はせにゃならんわ、薪拾いはせにゃならんわ。気がつくと「普通の生活」をしていました。
昼は「とれとれ市場」でご飯を食べましたが、ここはぐっとガマン。生まれてはじめて「ノンアルコール・ビール」を呑んだりして。うー。炭酸水の方がおいしいな。
帰りは魚屋さんでおいしそうな魚を買って帰りました。なんせ、サバの刺身。かつて北海道で食べて以来です。
家に帰って子どもたちに食べさせたらえらい喜んでました。

にしても、9時過ぎに頭痛がしてきてダウン。これは動きすぎだな。とにかく寝よう。