先シーズンはスキー人生の中ではじめて滑走日数0でした。でも、仕方ないですね。だって、「おべんきょ結果」を書いていましたから。てことで、2年ぶりに雪と氷の世界に行くことに。と思いきや、到着したところは、雪と氷と地肌の世界でした。あまりにも雪が少なすぎる。でも、お天道様には勝てません。
8時半に到着したら「お客さん、いるからね」とのこと。てことは、9時からレッスンか…。30分で支度をしろと。
今日のお客さんは中級者の方おひとり。実は、何度も一緒に滑っています。今更何をしろと。でも、とりあえず滑りを見て、課題を決めました。
課題が決まったら、それを克服するためにどんな練習をすればいいのか。ひたすら考えます。スキーの「クセ」というのは、それそのものを何とかしようと思ってもまず無理です。いろんな練習課題をしながら、そのクセがとれるような動きを少しずつ入れていかなきゃなりません。そのためには、トライアンドエラーです。でもそれでいい。少しずつ少しずつ修正をしていって、ある瞬間、フッとクセが消える。そんな感じなんです。
今日も1日、いろんなことを試してみて、でも3時過ぎには一番はじめに何とかしたいと思ったクセが抜けていました。これはかなりうれしかったです。
レッスンのあとは2年前に買った板に履き替えて、しばしトレーニング。
てことで、心地よく疲れた1日でした。
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年末のごあいさつ
今日も午前は赤点の子らの相手…。と思いきや、時間変更があったらしく、すでに終わっていたというオチでした。まぁ、ひとり「ひとこと」言わなきゃならんヤツがいて、そいつを捕まえられたからよしとしましょう。
で、職場を出て、地域連携しに行きました。
この地域連携、かつては丹念にやっていましたが、社会情勢の変化とか、その他諸々の変化の中で、ここ数年あまりしなくなっていました。でも、最近、地域連携の大切さをあらためて感じることがあり、かつてほどではないにしろ、きちんとやろうという気になりました。
あらためて感じたのは、地域は待ってくれているということです。地域から学校に働きかけることは、実はとても難しい。でも、学校から地域に働きかけるのは、ルートさえあればさほど難しくない。そして、かつてそのルートはあった。そのルートを知っている人にとっては、とても簡単なことです。そして、働きかけたら、ちゃんと受けとめてくれます。
高校ではできない、とてもきめ細かなことが地域や中学校にはできます。その人たちの力を借りながら、よりたくさんの網の目で子どもたちをサポートしたいな。そんなことを考えながら帰路につきました。
帰りに、ふと前のおべんきょ場所に行ってみました。みんなきっと鉄火場だろうなと思ったら、やっぱり鉄火場でした(笑)。
がんばれ(^^)。
一緒に歩こう!
朝、一通のメールが来ました。なんでも、とある場所で
「来年度、いつきさんが引き受けてくれた」
って発表したら、拍手の嵐だったとか。いや、ほとんどネタに近い引き受け方で、ネタに近い仕事を引き受けたんだけど、それが拍手か…。でも、「爆笑の嵐」でなくて、よかったよかった。
で、午後はSEALDsKANSAIのデモ。「あれ」から3ヶ月たったけど、怒りはおさまってない。
「民主主義ってなんだ!」「これだ!」
「ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、ぜったい、押し返すからな!」
約二時間練り歩きました。ちなみに、練り歩いたコースの後を見たら「9」の字です。
デモのあとは、少しだけ呑み。でも、今日は用事があるから、帰らなくちゃ…。
こんなフィールドワークもいい
どうやらわたしは「人」にあまり興味がないらしいです。こないだ生徒にも言われました(笑)。かと言って、「自然」に興味があるかというと、ないわけじゃないけど、そんなにガッツリとあるわけでもない。じゃ、きれいな町並みが好きかというと、ぜんぜん興味はありません。じゃ、なにに興味があるかというと、例えばトマソン的なものとか、人の生活臭のするものなのかな。「人」そのものではなく「痕跡」に興味があって、その痕跡から「人」を感じる。たぶん、そんなあたりなんでしょうね。
そんなわたしにとって、「竹田地方」はうってつけのところのようです。というのは、このあたり「隠れキリシタン」の痕跡があるとか。なので、連れて行ってもらいました。
うわぁ!こ、これは!
T字型の十字架です。
別のところに行くと、こんなものが…。
隠れキリシタンの洞窟礼拝堂です。前の白い扉、実はカギはダミーでかかっていません。中をのぞくと…。暗くて何も見えない。けど、ストロボをたくと…。
ぼんやり十字架が浮かび上がります。
こんなものが武家屋敷のすぐ裏手にあるんですから、江戸時代の武士たちがこっそりキリシタンやってたんだろなとか、妄想が広がります。
時間はちょうど5時すぎです。この暗さがいい。きっと、こんな時間にここに集まってたんでしょうねぇ。
てことで、フィールドワークを堪能したところで、懇親会会場へ。
「友喜荘」というところです。
雰囲気、最高です。料理おいしいです。ビールはヱビスです。
そんなところで、いろいろ話。楽しい話も、しょーもない話も、ちょっとつらい話も、こんな時は大切です。
もしかしたら、こういう時のわたしは「マレビト」的ななにものなのかもしれません。ふだん誰にも言わないことを、ふと話す。それは「わたし」に話しながら「自分」に話すこと。すでに結論はわかってる。でも、「自分に話す」ことで、その結論を発見する。
わたしは、ただ、そこにいるだけ。
8時すぎにおいとまして、そこからK村さんのおうちへ。
暖炉で焼いたピザをごちそうになりながら、呑み直しです。
楽しい夜はまだまだ続きますo(^^)o
松代大本営
せっかく雪のない時期に長野市に来ているので、やはり「松代大本営」に行かなきゃならんでしょう。
ただ、昼のしなので帰る人もいるので、朝のうちにサクッと行くことにしました。
タクシーに乗って、なんしか松代へ。実は詳しいことはまったく知らないので、とてもわくわくしています。
入坑料は無料!けっこう維持はたいへんだろうに、やはりそれ以上に「残す」ことと「公開すること」の大切さを優先してるんでしょうね。
さてと。坑道の入口です。
坑内に入ると、なんか、もう。すごく長い!
はじめのうちは狭い坑道でしたが、どうやらそこは入口部分の通路みたいです。やがて、広い坑道に出ました。
後で聞いたところによると、ここに居住スペースがつくられていたとか。
で、この坑道、横に全部で20本。それらをつなぐ坑道が縦に走ってます。
坑内はきちんと整備されていますが、それはのちに整備しただけじゃなくて、もとのつくりがとてもしっかりしているってことです。坑道は広いし天井の高さも高いです。圧迫感がまったくありません。東京の機能を移して居住を考えてるわけです。で、その居住者は、もちろん日本人で軍部の中枢の人です。だからこそ、こんな立派な坑をつくった。そのあたりは「どんづるぼう」や「丹波マンガン坑」とはずいぶん違います。
それにしても、歩いているうちに笑いがこみあげてきました。だって、アホや。こんなもんつくって、それであの戦況がどうにかなるわけがない。でも、戦争ってそんなもんかもしれません。もう前へ進むことしか考えられない。なので、アホとわかっていても、いや、もうそれすら考えられない。
で、その壮大なアホな行為のために、たくさんの命が奪われ、たくさんと土地が奪われ、たくさんの人生が奪われた。
で、この「アホ」は、当時だけのことなのかというと、今も現在進行形で続いてる。そして、日本政府はそこに参加したがってる。いや、もしかしたら、政府だけじゃない。サイレントマジョリティもまた、そこに参加したがってるのかもしれません。「自分は大丈夫」って思いながら。
坑道から出て、資料館へ。
こと手の施設にはもれなくついてくる「慰安所」の存在に暗澹となります。しかもそこにいた女性はたった4人。身体に痛みが走ります。
資料館をあとにして、歩きはじめました。のんびりした里の光景が目の前にあります。その裏山に「あんなもん」がある。
そのギャップにめまいを感じながら、なぜか「真田宝物館」へ(笑)。
あかん、おもしろくない。どうやら、わたしの関心は、人ではなく、自然でもなく、人工物。それも整ってない人工物らしいことがわかってきました。なので、唯一おもしろかったのが「古地図」でした。だって、千曲川と神田川の合流点で、街の門の外にある「馬喰町」に一軒だけある家とか、メッチャ興味がわくじゃないですか!
てなことで、松代をあとにしました。
手放すとき・全同教2日目
朝、身体が動くのかと心配した昨日でしたが、案外マシみたいです。
てことで、分科会場までテクテク。途中、高知の人たちがバスから手を振ってくれたりして
「なんで長野で高知の人と会うねん」
と少しうれしくなるのも、全同教の楽しさです。
今日のレポートは3本。
まずは、ひとりの子に徹底的にかかわりつづけた人からのレポートです。ほんとにすごいです。小学校の担任なのに、高校生になってもかかわりつづけている。しかも、メッチャしんどい家庭のメッチャしんどい荒れたくりの子どもです。でも、レポートからはそんな荒れたくった子どもの姿が出てきません。きっとそれは、その子をまなざすレポーターの目線であろうし、レポーターに見せるその子の姿なんでしょうね。でも、聞けば聞くほど疑問が湧いてきます。それは崩壊した家庭が家庭をとりもどす時、自分もその片隅にいたいというあたりです。真意はよくわからないけど、違和感です。というか、わたしの根本的な考え方は「子どもは自分の力でその子の道を歩む」です。なので、ある子と別の子をつないで、わたしは静かにフェードアウトしていく。その引き際、手の離し際が勝負なんだと思っています。逆に、手を離さないということは、子どもから離れられない自分がいる。もしもそうであれば、それは「子どもへの依存」ということになるんじゃないかなと思うのです。
わたしが「こうありたいな」って思うのは、人と人をつないで、わたしの存在はフェードアウトしていく。とっても寂しいけど、でも、つながった人にとってはわたしの存在がいつまでもあったらジャマになる。だから、気づかないうちにいなくなる。それが自分のやるべきことだと思ってるんですよね。そんなわたしからしたら、正反対の生き方です。
どちらが正しいかはわからないけど、「違い」を強烈に感じました。
次のレポートはうって変わって正反対。わたし好みのレポートです。小学校から中学校への「接続」と「連続性」についてのレポートでした。ただ、これはこれで少し疑問がありました。連続性は大切なんだけど、発達段階を考えなきゃ、中1ギャップは乗り越えられても高1ギャップが乗り越えられない。
なので、意見発表の時間に「連続しながら変化することが必要なんじゃないか 」などという、わかったようなわからないような話をしたりして。
で、昼ごはんは香川+高知+大阪+京都の混成部隊。「昨日の夜から今日の夜までの間に連続的に変化するためには、燃料補給が必要なんだ」とか、さっそくネタにしたりして。でも、そば屋での大阪の教員ふたりの掛け合い漫才には「そら勝てんわ」と納得したりして。
で、午後のレポートは、さすがに集中力が切れてしまいました。なので、残る総括討論でリベンジです。
この2日間考えたことを話してみました。と、三重のレポーターがきっちり話を拾ってくださって、感謝感謝です。
てなことで、今年の全同教大会も終了。来年は熊本かぁ(^^)。
違和感・全同教1日目
昨日、あまりにも遅かったので、さすがに今日はしんどいです。なので、ついつい寝坊。一緒に全体会場に行くはずだった人とは別行動になってしまいました。でも、このあたりは安心です。なぜなら、同じ宿舎に三重のお友だちのTにさんがおられるからです。てことで、連絡を取り合って、一緒にタクシーで行くことにしました。
とりあえず「三重の書籍販売のところに来い」とHやしさん@三重県同教から言われていたので、全体会場に入って、すぐに本売り場へ。と、「中に入って」「座って」「これ着て」ということで、なぜか三重県同教にレンタル移籍してしまいました(笑)。
午後からは分科会。今回はGIDの子どもへのとりくみがあるので、そこの分科会に参加することにしました。
まずは1本目のレポート。吃音の子どもへのとりくみです。
とてもていねいなとりくみで「すごいなー」と思うのですが、どこかひっかかります。なんだろう。やがて、質疑応答の時間。と、ある教員の方が「わたしも吃音です。でも、わからないでしょ?方法があるんです」と語りはじめました。ほう。なるほど。吃音の人も「パス」できるんだと思ったのですが、これまた違和感。吃音が吃音として生きることはあかんのか?ということです。で、ついそんな発言をしてしまったりして。
で、2本目のレポートは、本命のGIDの子どもへのとりくみです。が、これまたなんとも言えない違和感です。たしかに医療機関につなぐんじゃなくて、当事者団体につないだりしているし、いいのはいいんですが…。なんか、子どもの姿が見えてこない。あと、話を聞けば聞くほど「この子、ほんとにGIDか?」という思いがこみ上げてきます。さらに、最後に「カミングアウトの必要のない学校が目標」みたいなことを話されたので、ここには反応してしまいました。で、これまた発言。
「カミングアウトは、当事者にとっては社会を変える武器です。だから、当事者からカミングアウトを奪わないでください」
たぶん、この教員の方、かなり能力が高そうです。が、それが災いしているのかな。子どもが主体的に動くというよりも、子どもを引っ張り回している感じがします。で、それを裏打ちしているのが、子どもと出会った時にはじめた「知識の獲得」です。でも、なんかポイントがずれているんですよね。なんとももやもや感を抱えたまま、分科会終了。
でも、そんなことを共有できるMら越さん@高知とか、Aらいさん@新潟なんかと偶然で会えたのはよかったなぁ。
もう身体のことはいいと思う
今日は関西GIDネットワークのセミナーです。てことで、岡山から大阪へ。少し遅れて会場に入ると、三橋さんの話の最中でした。
三橋さんの話は、日本の仏教の中に見る性別移行という感じです。基本的には『女装と日本人』の中で語られていることですが、今回は観音にまつわる話が特に多かったかな。あと、僧侶の転性の話も新しかったかな?なんしか、豊富な知識と深い論考は「すごい」のひとことです。すごくおもしろかった。
で、高垣さんの話。こちらもすごいというかマニアックというか。三橋さんが「歴史」という縦糸ならば、高垣さんは「民族誌」という横糸という感じ。なんしか、縦横無尽に「野」を駆け巡る。そして、いろんな人にインタビューした成果から論考したことを語ってくださいました。
で、質疑応答を聞きながら、いろんなことを考えました。
基本的に、おふたりのスタンスは違います。それは「歴史」と「民族誌」という意味ではなく、トランスのスタンスです。三橋さんは、基本的には身体加工には言及されません。あくまでも、「社会的な役割」に話をとどめます。に対して、高垣さんが聞き取りをした場所はタイ。特に病院です。当然のことながら「手術をする/した人」が多い。勢い、身体加工にまつわる話が多くなります。で、これはおそらくはおふたりのトランスのスタンスと一致しています。
で、こういうおふたりが話をされると、どうしても微妙な「ズレ」が出てきてしまう。そこに質疑応答をする人の関心事がからむ。で、それがこれまあ「身体加工」にまつわる話がどうしても出てきてしまう。例えば特例法の手術要件の話とか、手術関係の「知識」のこととか。なので、どうしても話の内容がそちらへそちらへと動いていく。
で、それを聞きながら「これ、違う方に行ってるなぁ」と、ずっと考えてました。
例えば、「特例法の手術要件をはずしたら公衆浴場はどうなる」とかいう質問が出ましたが、わたしにはさっぱりわからない。だって、手術して戸籍男の人と手術してなくて戸籍女の人がいたとして、公衆浴場に入るときどちらが自然かというと、手術して戸籍男の人なんじゃないかと、わたしは考えます。たぶん、先の質問者は、その前提として「手術→戸籍の変更」というステップでものを考えているんじゃないかな。だから、手術要件をなくすというのは「ステップを減らす」となる。でも、わたしはふたつが完全に独立しているので、その場その場に必要なことが満たされていればいいと考える。
同じようなことが、「伝承」にかかわる話でもありました。高垣さんは「身体加工にまつわる伝承は不要」とバッサリ。なぜなら、「それはリテラシーの問題である」ということなんです。わたしもそれは同意です。なぜなら、身体加工の問題は自己満足というか趣味というか、そういう領域のことで、それは「知識」の問題でしかないと思っているからです。でも、「社会的な役割」は違う。これは「技術」の問題です。技術は得るものではなく習得するものです。こちらは伝承が必要になる。
で、三橋さんがずっとずっと言い続けてきたのは、まさにこのことなんです。でも、それが出てこない。最後の最後、たまりかねて質問というか呼び水というか、そんなあたりのことを三橋さんに「ですよね?」って問いかけちゃいました。
てなことはあったにしろ、おもしろかったのは、タイのトランス男性、手術してない人がほとんどってことでした。手術が技術的に難しいということと、手術なしでQOLの向上が得られるというのが、その根拠のようです。まぁ、このあたりも手術要件のこととからめて考えるとおもしろいでしょうね。
練られたワークの力
今日はp4cのある日です。
この間、名前のワークをやったり、パワーグラフのワークをやったりしてきました。で、今回は「ソクラテスの対話ゲーム」のワークです。
準備は先週、「絵本のワーク」でやりました。その時の目標は「問を立てる」でした。「不思議」から「個別の問」へ。そしてそれを一般化する。
みんな「難しかった」という感想を書いていました。
今日の「ソクラテスの対話ゲーム」の目標は「問答」です。「問うソクラテス」と「答える若者」そして「記録するプラトン」の3人でワークをすすめます。
事前にネットで調べたらこんなのがありました。中身を読むと、高校生がすごく楽しんでやってるみたいです。で、どこの高校かなと思ったら…。
「Rぽたんの出身校かよ!」
そりゃできますわ。絶望感が去来しました。
でも、やるしかありません。
まずはみんなで先週つくった問の中からやりたいものを選びます。その後、とりあえず、わたしとふぁいあーさんで模範演技をしました。と、子どもたちの反応がすごい。姿勢が変わりました。
で、わたしから「ソクラテスのコツってありますか?」と振ると、ふぁいあーさんがいくつか出してくれました。
- 例えばどんなものがありますか?
- どうしてそう考えたのですか?
- その考えはこうですか?ちがいますか?
- だとしたら、あなたの考えはこうですか?
- あなたの意見に対してこんな意見もありますが、どう考えますか?
これらの「質問」を組み合わせながら「問答」を進めていきます。
で、いざワーク開始。
あちこちで楽しそうな会話が進んでいます。びっくりです。できるんだ!
感想を読んだら、これがおもしろい。
「質問したら、ちゃんと答えてくれるのがよかった」
考えました。てことは、普段の会話ではちゃんと答えてくれることが少ないんだ。じゃ、どんな会話をしてるんだろ。
終わってからふぁいあーさんと振り返り。
「ソクラテスの対話ゲーム」が優れているのは、おそらくは、わたしたちがふだん3人以上の会話でやっている「役割」を分解して、それを固定していることなんでしょうね。
わたしたちは、ふだん、なにげなく「問う」「答える」「聴く」を瞬時に切り替えながら対話を進めている。でも、それってほんとうはすごく高度な技術です。そこで、役割を固定して、一問一答にして、質問のテンプレをつくる。すると、「切り替え」をせずに、その役に徹することができるから、案外出来てしまう。
「名前のワーク」でやった「名前の詩をつくる」もそうだったけど、「やりかた」をきちんとふめばできるという経験が、次につながります。そんな「できた感」を少しずつつないでいけば、少しずつ複雑なこともできるようになる。
やはり10年以上かけて練り上げられたワークには、子どもたちを楽しく鍛える力があるなって、あらためて思いました。
さてと。来週はもう一歩先へ。でも、焦らない。
今日はおたふくではなく
朝、しんどいけど、とりあえずのそのそ起きあがって、パンをかじりながら「ほろよい」です。どうやら昨日「魔の手」に引っかかったKさかべさんは帰られたようです。なにごともなければいいのですが…。
会場を片づけたら、今日は東福寺から南へ。なんでも、韓国からウトロにパンソリグループが来るので、それの放送担当を頼まれています。
まずは2時からフィールドワーク。IずみちゃんとM木ちゃんとTけ元さんとYえさんも参加です。みんな「ほぇー」となっていたみたい。フィールドワークが終わったところで、M木ちゃんとTけ元さんは離脱。残った3人でパンソリグループを迎え撃つわけですが、なかなか来ない。結局1時間半ほど遅れてようやく来られました。ウトロのみなさんも、しょうしょうあきれながら「コリアンタイムやしなぁ」と笑っておられます。まぁ、そんなもんです。
それにしても、パンソリ、すごい!もう、身体に染み渡ります。さらにすごいのが、ウトロの歌姫の朴慶南さんとのコラボです。おそらくは最年長の慶南さんが、パンソリの人たちに触発されて、どんどん歌を歌ってオッケチュムをはじめて。なんか、涙が出てきました。
で、そのあとは一品持ちよりパーティー。玖伊屋グループはYえさん謹製のネッチリ煮込んだ鶏と玉子の炊き物とパンです。ちなみに、放送部の子どもも来ていて、ふたりとも「うまいうまい」と食べていました。よかったよかった。
と、隣の部屋にどうやらバックヤードがあるらしい。オモニ達はそちらで宴会をしてます。てことは、そっちが楽しいな。で、バックヤードの宴会に参加。
「これ食べ。あれ食べ」
は、いつもの風景です。やがて、パンソリグループが「みんなで遊そぼ」といいはじめて、なぜかわたしもチャンゴを叩く羽目に。久しぶりだけど楽しかった。
パンソリグループが帰られたあとも、バックヤードでは宴会が続いています。結局ウトロをあとにしたのは10時頃。まぁ帰れるからいいか。てか、ひとりおいてきてしまいましたよ。