で、0日目がはじまる(GID学会0日目)

安心したところで、友だちに最寄りの駅まで送ってもらいます。
電車を乗り継いで関空へ。今から1000キロの移動の開始です。つっても、パイロットががんばるだけで、わたしは原稿を書くだけですけどね(笑)*1

で、新千歳空港到着。
結局1800字の原稿と1500字の原稿、両方とも空の上で完成です\(^o^)/
さぁ、札幌に着いたら呑むぞ〜

で、札幌到着。速攻すすき野へ。いや、単にホテルがすすき野なんですが^^;;
と、駅で見覚えのある顔が…。GID学会事務局長でした。チェックイン後、近くのジンギスカン屋さんへ。ここで、今回いろいろお世話になるT村さんとか、某北海道支部長とか、某学会理事長とか、いろんな人と合流。すでに時間は10時です。みなさん、ええ加減になってはります。急いで追いつかなければなりません。そうこうするうちに、事務局長が突然
「あ、監査がどうのこうの」
と言いはじめたので、O田さんに電話。結局合流。
と、某最年少理事のT田さんから連絡。結局合流。
なんだかわけのわからん会になっています。話の方もH海道新聞のI島さんと同性愛問題について大激論。わけわかりません。結局お店の閉店時間までいて、さらにキューバ関係の店へ移動。
ここでもI島さんと(が)
「カクメーがどーの、マルクスがどーの、民度がどーの」
と、わけのわからん話になっています。なんでも酔うとめんどくさい人らしいです(笑)。まぁ、わたしと一緒か(笑)。
てなことで、お開きは3時半。
いきなり飛ばしすぎか?

*1:ようやくひとりで時間を独占できるんだな

少しずつ終わりを迎える

今日が〆切の原稿。なんとかギリギリで出せました。タイトルは「航海図を描きながら」。まぁまぁのできだとは思いますが…。さてさて、どうなることやら…。
18日〆切の原稿が、あと2本。
それでも書き続ければ、必ず終わるはずだと信じながら…。でも、書かないと絶対に終わらないorz。

民族料理研究会

今日は京都・在日外国人生徒交流会の例会です。
毎回生徒が来るのかどうか、かなり不安で、プレッシャーに負けそうになるのですが…。今回は、なかばあきらめモードです。
というか、おそらくはこういう交流会って「続ける」ということが大切なんだと思います。
10年ほど前に、まったく生徒が来ないことがあり、引率と卒業生だけでしみじみと交流会をしていた時期がありました。でも、その翌年だったかにいっぱい参加があって、それから数年はほんとうににぎやかでした。もしもあの「しみじみ」していた時に「やーめた」と放り出していたら、その後はなかったんだと思います。
もしも「会」があれば、来ようと思えば来る「場」がある。でも、「会」がなくなったら、来ようと思ってもその「場」がない。「場」を維持することにも意味があるんだと、最近強く思います。
で、今回、フタを開けてみたら、案の定卒業生ばかり。でも、京都の子らだけじゃなくて、奈良の子らも来てくれて、ほんとうに気を遣わない楽しい会になりました。
ちなみにメニューも今回はすごかったですね。
まずは恒例の水餃子。

中のあんにしっかり味つけがしてあるので、めちゃくちゃおいしいです。あと、中国人の子がつくってくれたタレが、また、めちゃくちゃおいしい。単にしょうゆ・酢・ごま油・ニンニクだけなんですけどね。つくりかたなんですね。また玖伊屋で紹介しましょう。

続いて、これまた恒例のチヂミです。

たっぷりのごま油で焼くので、エッジの部分がカリッと揚がります。めちゃくちゃおいしいです。ちなみに、チヂミを焼くのは歴代の「チヂミ焼き職人」です。初代はもう30歳はゆうに越しています。現在は4代目なんですが中国に留学中なので、今回は3代目が焼いてくれました。

お次はトッポギです。これは交流会としては初メニューですね。つくってくれた人の好みで、少し甘めにしてありますが、でも、すごくおいしい!ちなみに、交流会作成の「焼肉のタレ」でやってもいいみたいです。

最後は、交流会卒業生がつくって持ってきてくれたボルシチです。この子、2年ほどロシアの日本人学校に行っていた経験をもっています。でも「だからといって、みんながボルシチが好きなわけではない」と、これまた味わい深い発言をしてくれました。デンマーク産のビートを使ってくれいているので、鮮やかな赤が美しいです。さらに、サワークリームと葉っぱ*1を散らしてあるので、香りもいいです。

で、ある卒業生曰く。
「わたし、この交流会、ただでおいしい昼ご飯が食べられるから来るねん」
なるほど。もっともです。なにせ、参加者がそれぞれ腕によりをかけてつくる料理ですから、まずいわけがない。しかも、たまにすごく珍しい料理も食べられます。
で、ある卒業生曰く。
「この交流会の名前、民族料理研究会にしたら?」
それでいこか(笑)

*1:種類は忘れた

頼れる人たち

今日は朝から某在日外国人教育関係の会議です。
午前はいつもの通り、事務局メンバーで事前打ち合わせ。昼食の後、午後からは本格的な会議です。
まぁ通常はわたしはダラダラモードで会議に参加しているのですが、今回はそうもいかなさそうです。
人権関係の組織・グループはどこともそうなんでしょうが、うちらのグループもご多分に漏れず、なかなかじり貧の状態です。なんというか、世代間の継承がうまくいかないんですね。
今、喫緊の課題というやつはやっぱりありまして、まさにその課題で集まる「若い人」はたくさんいます。でも、その人たちが前からやっている人とつながるかというと、そうはいかない。かといって、前からやっている人が「若い人のグループ」に行くかというと、みなさんいっぱいいっぱいだから*1、これまた行かない。で、同じようなことをやっているけど、いろんなグループがあって、それぞれがバラバラにやっている。ほんとうは、そういうさまざまなグループを横断的に動く人がいたらいいんだけど、そういう人こそ、中心メンバーとして動いているので動きがとれない。
てなことで、今日の会議の内容もかなり厳しい状況をどうするかということを、直接的ではないにしろ、話しあわざるを得なかったんです。
そんな中で、
「2011年のセミナーをどこでしよう」
という話題が出てきまして…。何気なく
「T島…」
と漏らしたら、
「それ、おもしろいな。ちょっと模索してみて」
となりまして、速攻メール。そしたらしばらくして
「やりますよ」
という返事が返ってきました。さすがや…。そこにいた人たちも、どよめいていました。
てことで、2011年5月に、T島でセミナーをやることになりそうです。おそらく、「在日外国人教育とは何か」あたりの、そうとう基本的なあたりを攻めることになるかと思います。でも、やはりいつも原点を見据えながらとりくみをする必要があると思います。なので、ちょっとワクワクしています。

あ、じゃぁT島の人たちとわたしとのつながりっていったいなんだろうと、あらためて思うと…。
もちろん、課題としての共通点はあります。でも、それはそれぞれがそれぞれの場所でやればいいこと。じゃなくて、
「互いが互いをおもしろいと感じている」
というところにあるんじゃないかなぁ。
もしかしたら、「課題」で集まるんじゃなくて「興味」で集まったら、もっと横断的につながることができるんじゃないだろうか。
たしかにみなさん忙しさの中で、そういう余裕を奪われているとも思います。最近連絡を取りあっている極北の地(m(__)m)の人も、ほんとうに忙しそう。でも、その人、好奇心と興味の塊みたいな人なんです。そういう人こそが、横断的に動くし、つながりをつくれる。
そんな人たちを頼りながら、わたしも横断的に動けるかな…。

*1:それだけじゃなくて、テイストがあわないとか、見ていて歯がゆいとか、まぁいろいろあるわけですが

痛い(笑)(雪と氷の世界2月版・2日目)

朝起きると筋肉痛です(笑)。
右肩が痛いのは当たり前として、お尻から腰からあちこちが痛い。原因はわかっています。コブです。毎年のことです。やっぱり普段使わない筋肉を使いますから、くるんですよね。
でも、この痛みが「コブをやったんだなぁ」という充実感につながります。
「いてて」と思いながら起きて、外へ出ると雪が降っています。やるな…。
今日の午前はレベルがバラバラの4人です。ひとりはある程度滑れるけど「基礎がしたい」という人。もうひとりは去年初心者で2時間だけスクールに入った人。あとの2人は昨日の小学生です。
さて、この4人をどう料理するかな。
学校で教科を教えるなら学力的に真ん中にあわせるとか上にあわせるとかできますが、スキー指導でそんなことをやった日には、一番下の生徒さんがえらいことになります。当然あわせるのは、一番技術的に下の人です。それでいてそれ以外の人を退屈させず「レッスンを受けてよかった」と思わせるのが、スタッフの仕事です。難しいけどね。
まぁ「滑走距離」という意味では不満が残ったかもしれませんが、技術的にはよかったんじゃないかな。←自己評価ですけどね。
昼休み。しんどい…。やはり寝不足&コブのダメージ&昨日からのプルーク攻撃ですね。
しんどい身体にムチを入れて午後のレッスン。
午後は午前の技術的に一番しんどい人ひとりだけ。こうなると気が楽です。生徒さんは、結婚で日本に来られたフィリピン人の若いお母さん。
いやぁ、おもしろい!すんごいポジティブな人なんですよね。
リフトから落ちそうになっても、きちんとそれを「ネタ」にしてくれます。リフトを降りる時も、いつも大騒ぎ。おかげさまで、リフトの係員の人にきっちり顔を覚えてもらいましたよ。
レッスンも、うまくいかなくても、常に「次」へ気持ちが向かいます。
たぶん、この人、上達が早いだろうなぁ。
リフト上でも、フィリピンと日本の学校の違いとか、子育ての違いとか、いろんな話ができました。う〜ん、もっとA久◯さんからフィリピンのことを聞いておけばよかったよ。
レッスンが終わったら、約1時間フリー。
今日の雪はグサグサ。当然ありとあらゆるところに小さなコブができます。それが、夕方の冷え込みで凍ります。こういう斜面はやっぱり難しい。だから燃えます(笑)。
なんだかんだと気持ちよく滑って、今回のスキーは終了。来月も来られるかな。
さぁ、あしたは卒業式だ。

で、山奥へ(雪と氷の世界2月版・1日目)

毎シーズン、目標としては「月1回・シーズン10日」を掲げています。やっぱり、いちおう「プロ」の末端ですから…。
てことで、ようやくあいた土日なので、山にこもることにしました。
にしても、金曜日から雨です。全国的に気温も高いので、きっと山も雨だろうなぁと思いながら向かいます。
さいわい、山に着く頃には雨もやんで、まぁまぁのコンディション。
今日の午前はお客さんはなし。てことで、フリーです。ラッキー!
当然高度があがった方が雪のコンディションがいいので、一番上まで行きます。コブが育っています。つい入ってしまうのは性ですね。
1本目は失敗。途中、「なんじゃこりゃ?」というえらいリズム崩しのコブがあったんですよね。で、2本目挑戦。「まぁ、なんとかなるか」と思って行ったけど、なんとかなるものです。ふぅ。でも、1本目からいけないとあかんよなぁ…。
あちこちのコブをやるわけですが、いずれのコブもでかい。と、あるコブで失敗。そうでなくてもあがらない右肩が持ち上げられて、痛いのなんのって。しばらくうずくまってましたよorz
午後はレッスン。小学校2年生と4年生のきょうだいです。去年はじめてスキーをはいて、今年2回目とか。
「教え方を教えてもらえ」
と言われたアシスタントがついてきたけど、小学生相手に教え方も何も(笑)。とにかく姿勢だけ気をつけて、あとはどんどん滑らせるだけです。とにかく、子どもがクッタリなるまで、いっぱい滑らせてやりました。でも、楽しそうだったからいいよな。

某プロジェクトの再提出

1月中旬に提出した某プロジェクトの原稿。その後、厳しいチェック^^;;を経て手元に返ってきました。で、最大の難関は、
「◯◯の部分をもう少しわかりやすくしつつ、全体のページ数を原稿用紙20枚分減らしてほしい」
という要望。
まぁ、若干水増しした部分があったので^^;;、そのあたりをずばずば切っていったらずいぶんと減りました*1。でも、それとて限界があります。原稿用紙16枚分減らしたあたりでとまってしまいました。
さて、問題は「わかりにくい」というところの補足。
実は、今回のプロジェクトに出した原稿は、いまの自分の問題意識の最前線あたりについて書いた文章です。当然、自分の中でこなれていません。こなれていないと「なぜわからないのかがわからない」というところに陥ってしまいます。
で、まさにそんな感じ。
「ここにこう書いてあるのに、なんでわからへんの?」
と思ってしまうんですが、たぶん読んでいる人は
「ん?もう少していねいに説明して」
って思われるんでしょうね。
自分だけではどうしようもないので、友だちに「ヘルプ」を出したら、返事が返ってきました。なるほど、そこでひっかかっていたのか…。でも、こなれていないからどう説明していいのかが、いまいちピンときません。
でも、今日・明日中には提出しなくちゃなりません。
てことで、
「原稿用紙2枚分オーバーしました。許して下さい」
というメールと一緒に送ってしまいました。あとはどうなることやら…。

*1:って、どんだけ水増ししてたんや>自分

で、お散歩

山陰地方には「未指定」と言われる地域がけっこうあります。簡単に言うならば、「同和対策事業」を受けるための「地区指定」を「いらない」と拒否した地域のことです。ですから、施策の手がまったく入っていません。
今回そんなところに行かせてもらうこともできました。
なんというか、息を呑むという感じですね。区画整理はまったくされていないし、空き家もあって、高齢化がうかがわれる感じです。「施策を受ける」ということは、それと引き換えに「うちはムラです」とカムアウトをすることでもあります。そのどちらをとるかという中で、「クローゼット」を選択せざるをえなかったのもまた、差別のあらわれなんでしょうね。「施策を受ける選択」をしたムラをその後に見ただけに*1、そのことを強く感じました。

てなことをしていたら、あっという間に出発の時間です。大急ぎで駅まで送ってもらって、いっぱいおみやげをもらって、さぁ、京都に帰りましょう。
また来たいなぁ。ニューハーフの子の「その後」も知りたいし…。

*1:というか、知っているムラはほとんどがこちらの選択をしています

高友

「高友」と聞いてピンとくる人は、かなりマニアです*1。「高友」とは「高校生友の会」の略で、部落解放運動の中では、とてもポピュラーなものです。まぁ、すごく簡単に言ってしまうと、部落の「高校生交流会」ということになります。場所によっては、あるムラ単体でやることもあれば、地域単位でやったり県レベルでやったり、さまざまです。
で、今日は米子市単位の「高友」に参加してきました。
今日のゲストスピーカーは、徳島の青年です。
すごく絵のうまい人で、紙芝居を使ったりしながら、すごくわかりやすく人権についての話をしてくれます。それもそのはず、小学生相手の指導員をした経験があったり、現在は中学校のバスケ部のコーチをやったりと、子どもたちにかかわり続ける「地域のおじちゃん*2」として活動をしておられる人です。
しばらく話をして、いよいよオチかなぁと思ったあたりで、ふと後ろを見ると、主催者の方が「30分のばして」とか書いた紙を出しています。すると、ちゃんと30分つなぎます。それって、ほとんど落語の世界じゃないですか。
でも、その余分な30分が、すごくよかった。ここ3年間かかわってこられたバスケの子どもたちの姿をいきいきと話して下さいました。「人権についての話」は、ある意味誰にでもできるけど、子どもの姿を通して語られる言葉は、その人にしかできないし、また別の伝わり方がありますね。

で、1時前からお食事会。
「ビール〜」
と騒いだら、
「はい」
と出してもらえました^^;;
そうそう、ニューハーフの子にも
「参加しようよ」
と声をかけていたので参加してくれました。
やはり、「昼の人間」とのつながりって大切なんだと思うんです。でも、自己紹介の時に、ちゃんと「営業トーク」をしてくれました。ちょっとずつプロになっているんだなぁ…。
「高友」には大学生や青年部の人たちも「お姉さん/お兄さん」役として参加します。そういう青年たちの姿が、ムラの子どもたちにとってのロールモデルになるんです。そんな青年たちとニューハーフの子が
「アドレス交換しよ〜」
とか言っているの、かなりうれしかったです。

*1:と断定していいのか?

*2:お兄ちゃんに見えるけど

熱き心に

今日は午後から某人権教育関係の研究会の研修会です。今日の目玉は外川正明さんの講演。
外川さんとはじめてお会いしたのはいつの頃だろう。もう、かれこれ10年ほどになりますか。なんか、やたら知識と経験が豊富で、さらに状況の読みも深くて、「すごい人だなぁ」と思ったのが最初の印象でした。で、わたしが一方的に知っているだけのはずだったのですが、外川さんも、実はわたしのことをご存じだったみたいです。どうやら幾度か出したことのあるわたしの実践記録を読んで下さっていたみたいなんですね。で、あちらはあちらで「一生懸命やってる人だ」と思って下さっていたみたいです。で、いつのまにか親しくおつきあいをさせていただいているという…。
4時間目の授業を終えて、そっこう職場を出ます。で、京都府中部の小さな町まで移動。会場に到着すると、すでに会そのものははじまっています。でも、外川さんは控え室で、京都解放研の事務局長と談笑中です*1。わたしもお弁当を広げて聞かせてもらうことにします。
まぁお二人の話の詳細はおいといて、つくづく思ったのが「生まれてくるのが10年遅かったなぁ」ということです。
で、講演開始。
基本的には「若い人に同和教育の財産を引き継ぎたい」というスタンスの話です。なので、「知識」としてはいまさらな話になります。
でもね、その「いまさらな話」が、深く心の届いてくるんですよね。日常の挫折感とか、あきらめ感とかの中で、いつの間にか「まぁいいや」と思ってやり過ごしてきたことを、再び思い出させてくれる話なんですね。「そうだよなぁ」「そうだったよなぁ」という思いが自分の中からわき出てきます。
気がついたら、涙が出ていました。てか、まわりの人見たら、泣いてる人がかなりいました。
さあ、この涙を自分のものだけにするんじゃなくて、明日へどうつなげていくかが本当に大切なことなんですよね。

にしても、最後のあいさつが「熱い話をありがとう」ってどうよ。ピッタリですがな。わたしも最後に力を入れて話をしている外川さんの横に、ふと森口健司さんの顔が見えた気がしたのですが(笑)。
あ〜、暑かった。

*1:「だんしょう」で最初に「男娼」が出てくるのって、高校数学教員のパソコンか(笑)?