引き寄せられた

パートナーからこの間
「あんた!1年の半分はいぃひんやろ!」
と怒られました。いや、そこまでひどくはないんですが、少なくとも長期休業中はそうかもしれません^^;;
てことで、今日からしばらく旅に出ます(笑)。

やってきたのは、なぜか福岡。
到着したのは昼時です。当然狙ってきました。狙い目はもちろんラーメンです。
今日のお座敷の会場近くの駅に降りて、ラーメン屋さんを探したのですが、ない…。道行く人に
「ラーメン屋さん、ありませんか?」
とたずねると
「このあたりにはありませんよ」
と明快な答えが返ってきました。でぇ〜。
仕方ないから会場を探すついでにフラフラと歩きます。と、なにやら商店街が。その奥に…。なにやらそれっぽい店が…。
前に行くと…。なに屋さんか書いてありません。いったいなに屋さんだろう。
と、常連さんらしき人が店に入ろうとしています。
「あの、ここ、ラーメン屋さんですか?」
「そうだよ。ラーメンしかないよ」
さては見抜かれたか?
とりあえず店に入ります。ラーメンを頼みます。そして、当然のことながら
「あの、ビールありますか?」
「ありません」
なるほど…。
ラーメンはおいしかったです\(^o^)/。
かなり満足して店を出て、ふとあたりを見まわしました。う〜ん、どこか肌にしっくり来るこの感じ。初めての街なに、そんな気がしない。なぜだろう…。ん、「市営団地」?ん、「人権交流センター」?って、ここ、ムラじゃん。
そうか、結局ムラにやって来ていたのか(笑)。どうりで…。
かなり満足しました\(^o^)/。

おわったぁ!

ここで「ようやく終了か?」と書いた雑用ですが、本日、最後の作業を終えて、ようやく終了となりました。
考えてみると、例年よりも早い終了ではありますが、その分今年はきつかったっす。
さて、これで自分の雑用に没頭できるな…。
かなぁ…。

ようやく終了か?

4月の頭くらいからずっと続いていた、いらん作業。これが、この2週間ぐらい鉄火場を迎えていました。そんな毎日も、きのうのあたりでようやく出口が見え、今日、突然
「おわり?おわり?ほんとうに?おわった?」
みたいな状態になりました。
まぁ、まだ少しだけ作業は残るでしょうが、それでもあっという間に終わる程度でしょう。ふぅ、これで夏休みに突入できますわ…。

今日もお散歩

この間、大阪の解放共闘で話をしたとき、
「10日、京都に行くで」
という話があったので、今日は迎え撃つことにしました。まぁ、みなさん、解放運動についてはよくよくご存じの方なので、ウソがばれないか(笑)と、安心半分不安半分です。
で、みなさん到着。大阪府連女性部の錚々たるメンバーです。前半はいいとして(笑)、後半ばかり大丈夫だろうか*1
結論から言うなら、運動を実際に最前線で担っておられる方だからこそ言えるフォローが入ったりしながら、いいコラボができたんじゃないかなと思います。
そうそう、柳原銀行資料館が日曜開館になったのは
大助かり。でも、なんで火曜日休館(;_;)?

*1:かなりヘタレ

納得!

朝、ふと目が覚めると、やっぱり6時前。教はかなり寝坊ができるはずなのに、やっぱり早起きしてしまいます。まぁいいや。mkv→mpgの変換を走らせてしまいましょう。
しばらくテレビを見て、朝ご飯→お風呂。
で、昼前にホテルをチェックアウト。向かうはT中学校です。今日はここの2・3年生を相手にお座敷です。でも、せっかくなんで、津山市内をほんの少しだけ散策。
きっとこの町、かつては栄えていたんだろうなぁ。いまの価値観で言うなら「こんな山の中」だけど、吉井川があって、高瀬舟があって、おそらくは交通の要衝だったんだろうと思います。それが人の動線が変わることで、こんなになってしまうんだと思いました。さらにそれに追い打ちをかけているのが、大型小売店舗ですね。かつては活気があったであろう商店街も、ぜんぜん人がいません。でも、道を歩いていると、ちょっと気の利いた感じのお店がポツポツとあります。そのあたりがおもしろいなぁと。
で、バスセンターへ。バスに乗って会場近くまで。そこからH瀬さんの車に乗せてもらって、ちょっとだけ近所を散策。もちろん「ムラ巡り」です^^;;。
わたしたちのギョーカイでは
「岡山→渋染一揆」「美作→解放令反対一揆
と反射的に出てくるものでして。ただ、「部落史の見直し」の中で、これらは従来のように
「差別されて差別されて、それでもなおかつ→思いあまって一揆
みたいな構図じゃなくて、もう少していねいに史料を掘り起こしながら考える必要があるということが言われています。特に「解放令反対一揆」については、従来とはまったく違うことが言われています。こんな感じ。

江戸時代、岡山県中部では経済状態は百姓*1<<<被差別民であった。しかし、別々のヒエラルキーの中にいたから、百姓にとって被差別民は「違う人」でしかなかった。ところが、解放令が出たことにより、両者が同じヒエラルキーの中に組み込まれてしまった。すると、経済的に百姓は下位に置かれることになる。そのことへの反発が「解放令反対一揆」という行動に駆り立てた。

つまり、従来言われていたように、被差別民が経済的に下位であれば、あえて解放令反対一揆を起こす必然性がなかったのではないかということです。
こんなことを考えながらムラを見せてもらうと…。
驚きました。
確かに道は狭いけど、あたりには昔からの大きな家がガンガン建っています。家には蔵があります。とにかく一軒一軒のつくりがゴツイ。都市部落では考えられない風景です。どう考えても、経済力があったとしか考えられません。先ほどの「解放令反対一揆」の説を裏づける感じです。いや、すんごい勉強になりました。

*1:≠農民

某在日外国人教育系の会議

まぁいつものことで。
それにしても、今の忙しさの半分は、この団体のせいです。ったく!
てことで、来年度の開催地が正式に決まりました。公式アナウンスはまだですが、簡単に言うならO分県のB府市です(笑)。
九州の皆さん、お友だちをお誘いの上、たくさんいらしてください。でないと、大会が赤字になってえらいことになりますんでm(__)m
って、誰もこんなところ見てないよな…(笑)。

1945±66

今日から期末試験です。てことは、午後に比較的フリーな時間ができます。こんな時は、こんな時にしかできないことをしなくちゃなりません。
てことで、大正区へ。いや、秋に予定している人権教育研究会のフィールドワークの打ちあわせです。
去年から研究会の事務局をするようになったんですが、けっこうたいへんです。やっぱり事務局というのは、研究会全体の方向づけをしなくちゃなりません。事務局長はそれにプラスして、外の団体とのいろんな雑事があるわけで、そうなると内側の雑事は事務局員がしないとまわりません。特にわたしについては、研修会の講師を考えたりフィールドワークの行き先を考えたりという、ある意味とてもクリエーティブ(笑)な役割がまわってくることが多いんです。で、
「秋のフィールドワーク、どこにしよう…」
と考えた末、8年前に一度だけお邪魔した「関西沖縄文庫」にしようと思ったわけです。

さて、大正駅に着いたら約束の15分前です。これはヤバイです。走ろう…。って、遠い。かなり遠い。荷物がなければいんですが、妙に荷物が多くて、しかも小雨が降っていて、、そんな状態で走ると汗だくです。
なんとか約束の5分過ぎに到着。ほどなく金城馨さんの登場です。8年前にお会いした時と全然変わっておられません。
「あの、8年前に○○大学のフィールドワークにくっついて来たんですが」
「あぁ、そんなことがありましたね」
お、覚えているのか?まぁたしかにフィールドワーク中つきまとっていたからなぁ…。

そこからしばらくよもやま話というかぼやき話がはじまります。
金「そう言えば、京都の○○高校の先生はご存じですか?なんか、最近学校に行っておられないとか。まじめな人ほどそうなっちゃうんですね」
い「…。すみません(笑)。でも、わたしも真綿で押しつぶされるような閉塞感は感じているんですよ」
金「そうですか。京都も大変ですねぇ」
い「いや、それをいえば大阪の方が」
金「たしかに…」
完全にぼやいています。ところが
い「もうね、どうやったら勝てるのかと思いますよ」
あたりの言葉が引き金になったのか、金城さんの言葉に徐々に「熱さ」が加わりはじめます。
金「最近ボクは「死に様」を考えているんですよ」
い「死に様ですか」
金「みんな「生き様」を考える。でも、生き様は簡単に言ったら自慢話でしかない。そんな自慢話に誰も共感しない。にもかかわらず「一緒にやれ」という時に「民族」とか「国家」が出てくる。でも、それは強制でしかない」
金「「生き様」は輪の半分。残りの半分が「死に様」で、「死に様」を経て一周する。その時に再び「生き様」にもどるんだけど、その時の生き様はたぶん最初のものとは違う」
金「「連帯」という言葉は、「違う」ということを前提としている。本来は思想的な言葉。それに対して、「共闘」は、当面一緒に闘うという意味で、政治的な言葉。「同じ」という言葉は、実は政治的な言葉。それは思考停止を招く。「違う」ということは考えないとわからない」
金「リアリズムというのは虚構だ。その最たるものがリアリズム演劇。あんな現実がどこにある?それに対して、シュールレアリズムは、シュールを通して虚構を現実に引きもどす」
おそらく金城さんの言葉を正確には伝えていないし、間違いもたくさんあると思います。それにしても、すごくおもしろい。そして、なんかわかるんですよね。で、なんでなんだろうと思った時、
「そうか」
とふと思いました。それは、おそらくは金城さんもわたしも、規模の違いやフィールドの違いや深さの違いはあるかもしれないけど、「ピン」で活動をしているということ。もちろん、ものすごくたくさんの人の支えの中にあることはわかっているんだけど、でも、誰をも代表せずに、組織をつくることも依拠することもせずに、自分の経験と感覚と感性で活動をする。そんなピンだからこそ感じること、ピンだからこそわかることが、たくさんあるんだろうな。

そうそう、1945±66のこと。
1945+66=2011は今年のこと。1945-66=1879は琉球処分の年。132年を1945という区切りで半分に折ると、今、まさに琉球処分と同じ状況があるということ。
きっとその話を秋のフィールドワークで聞けると思います。楽しみだ!

地球のステージ

今日、同志社女子大学で「地球のステージ」があるという情報が入ってきました。一般も見られるとか。
てことで、出張が終わったら、そっこう同志社女子大に移動。ちょっと遅れたけど、なんとか滑り込むことができました。
「地球のステージ」そのものについては、こちらを見ていただくとして…。

感想です。
いい。たしかにいい。いいんですけど…。しっくりこないところがある。なんなんだろう…。
スマートなんでしょうね。
京都と大阪を行ったり来たりしながら、あちらこちらで交流会&宴会&マーライオン(笑)に明け暮れているわたしにとって、「海外支援」って、とても縁が遠い存在に思えてしかたがありません。というか、海外支援の必要性は重々承知しながらも、すぐ隣にいるであろう、例えば在日外国人や部落の人々をどうとらえているのか。
「think glovaly , act localy」から、さらに「glocal」という言葉が言われて久しいと思います。でも、きっとわたしは「act localy」とつぶやきながら動き続けるんだろうなと思います。そこに華々しさはないし、どちらかというとほこりっぽい(笑)活動です。
こんな考え方をするようになったのは、やっぱり大学時代の「挫折経験」でしょうね。
まぁいいです。

でも、「震災編」はたしかによかった。なぜなら、「当事者」としてのつぶやきや、ぼやきや、うめきや、喜びが、ビンビンと伝わってきたからなんでしょうね。
なんだかんだと言っても、生徒たちに見せたいなぁ…。

で、私的な上映会

すでに東京では上映会をしていますが、関西ではまったく未公開。というか、わたしも2バージョンのうちの片方は見ていません。
てことで、本日のメインイベントである「上映会」を阿◯Zさんの家でふたりで開催です。
さて、ビールをあけて、つまみも用意してスタート。
ありゃ?見たことないシーンがあるぞ。
そうか、東京で上映したのはもう一方のバージョンだったんだ。今日のものは結末がまったく違います。
「へぇ〜、なるほどなぁ」
「もう一方バージョン」かなりいい気がしました。

その後、◯K澤さんがなぜか持っておられる「鞠の行方」という1920年代の啓発映画の鑑賞会。いやぁ、おもしろい!これが当時の啓発だったんだ。でも、過去どんなことがあったかを知ることはとっても大切だし、過去を現在のわたし(たち)の感覚で判断することに対しては、慎重でありたいと思っています。まぁ、一見の価値があると思いました。

てことで、本日はふたりともあまり飲んだくれずに終了!

バイバイ原発

今日は「バイバイ原発・京都 パレード&デモ」です。
6月11日はどうしても行けなかったので、今日は行こうと決めていました。とは言え、なぜこの集会を知ったかというと、
「反原発の集会、ここしばらくないかなぁ」
と検索をしていたら、たまたま見つけたというだけのことなんですがね。まぁ便利な世の中になったものです。
ただ、いろいろややこしいこと*1を家でやっていたら、あっという間に時間は過ぎるものです。気がつくと集会の最初には間にあいそうにありません。
「しまった」
と思いながら京都駅から歩きはじめます。途中のコンビニで食料を仕入れて、会場に向かいます。
会場に到着したら
「いつきさん」
と手を振る人がいます。おぉ!Mっちゃん*2じゃないですか。久しぶりです。
「こんなところで会えるのも京都だねぇ」
などと言いながらしばし旧交を温めます。
で、しばらくしたらA久◯さん登場。ようやく乾杯ができます(笑)。
やがて集会も終了で、デモ開始です。
はじめは前の方を歩いていましたが、どうもおもしろくない。というか、後ろの方から「鳴り物」の音がします。ふたりで少しずつ後ろに移動して、関電の前あたりでは最後尾の部隊のちょい前あたりまでたどりつきました。
いやぁ、やっぱり鳴り物が入るといいですねぇ。チャンゴを持ってくるべきでしたよ。
そんなこんなで、本願寺前で流れ解散。

*1:mkv形式→mpg形式の変換とか

*2:わたしにカレーの食べ方を教えてくれたFTM?な人