剣を抜かざる得ない時

この間、杉田議員のことについて、なにも発信してきませんでした。というかできませんでした。理由は簡単で、ずっと別のことに忙殺されて、ほとんど情報が入ってこない状態にあったからです。さらにそれをいいことに、杉田議員の投稿の全文を読みませんでした。なぜなら、自分の感情を抑えられなくなる可能性があって、きっとしんどくなるかもしれないと思ったからです。
そんな中、ようやく林夏生さんのスピーチの全文を読みました。
林さんとは個人的に面識があります。最近ではTRPでお会いしました。いつも満面の笑みをたたえながら、富山の地で実践しておられる学生たちとのできごとを言ってくださいます。いつだったか「自分はカミングアウトしないんだけどね」って言ってくださったことがありました。
林さんがやっておられることの意味は「カミングアウトしなくてもできる」です。
何かやると「それがカミングアウト/アウティングにつながるのでは」と不安になる方がおられます。そういう方は、やりたくてもできなくなってしまう。「そんなことはないんだよ」ということを林さんは自分の生き方を通して伝えておられると思っています。そしてそれは「当事者でなくても実践できる」というわたしの基本的な姿勢と響きあうところがあるのです。
そんな林さんがカミングアウトされたということの衝撃は、わたしにとってはすごく大きなものです。それは「泣けた」とかいうものとは異質のものです。
わたしは「カミングアウトできる社会をつくりたい」と思っています。それは「カミングアウトしなきゃならない社会」と対極にあると思っています。林さんのカミングアウトは、いまこの時が「カミングアウトしなきゃならない社会」であるということを明らかにしたと思います。
林さんがカミングアウトしなかったのは、もちろんクローゼットでいなければならないという状況があるからではありますが、それと同時により積極的な意味があったと思います。その選択を変えさせられたということの衝撃です。
そして、今朝、岡野八代さんもカミングアウトされたことを知りました。
こうやって、口を閉ざしていた人々の口をこじあけるような社会への怒りとか悲しみとかやるせなさとか、いろんなものが押し寄せてきます。

さらに林さんをとりあげた新聞が出てきた。林さん自身がおっしゃっている通りアウティングです。口をこじ開けられた人を消費する社会。でも、抗議を受けた当の議員はなにもない。
わたしがめざすのはこんな社会じゃない。

「きゃ」

今日は午後から出張です。でも午前は授業がないから、雑務ができるなと。今日のタスクは某在日外国人教育関係の資料集と成績処理です。それぞれ2時間と考えたらギリギリいけますね。
てことで、PCに火を入れるも、ネタが来てない。これは落とさなきゃならんかな。と、職員朝礼から帰ってきたらネタが来てました。やれやれ。これでなんとかなります。にしても、ガチのデッドラインです。
まずは成績処理です。もう何年もやってる作業ですから、そんなにきつくはない。お次は資料集。もっと早くに全部がそろってたら時間を見つけてやれるのにな。
と、成績の提出が今日ということが判明。えーと。わたしが出張に出たあとに会議があって、そのあとに成績の提出?物理的に無理じゃん。とりま、会議を通す前に成績を提出するしかないですね。さらに印刷屋に電話したら今日とりにくると。てことは、出張に出る前にデータをそろえなきゃならんと。
綱渡りを越してます。でもやりきりましたとも。
出張はゆるりとしたもんです。
で、夜は恒例の会議のために大阪へ。こちらもゆるりとしたもんです。そのあとはこれまた恒例の呑み。
で、帰りのことです。
地下鉄に乗ってたら、メッチャふらふらのおじさまが乗ってこられて、その方が降りる際に大きくこちらによろめいてこられました。とっさに腕でガード。のしかかられるのはからくも避けることができました。おじさま、なにごともなかったかのように降りて行かれました。
えーと
けっこうヤバかったんですよね。あそこで「きゃ」とか言ったら状況は変わったのかな。そういやこないだも網棚からキャスターが落ちてきて、隣の人に当たりそうになったのでガードしたな。落とした人は隣の人にやたら謝ってたけど、ガードしたのわたしだったんだよな。ま、隣の人はお礼を言ってくださったけど。
なんか、そういう危機的状況になった時に「きゃ」でもいいし、「あ」でもいいし、声が出せればいいんだけど、声が出ないんですよね。なぜならとっさの時に息を止めるからです。息を止めてパワーを出す。で、ガードが終わったらすでに「きゃ」とか「あ」とかいうタイミングじゃなくなってるなら、結局なにごともなかったかのような日常になる。するとのしかかりかけた人もキャスター落とした人も「なにごともなかったんだ」と思ってしまう。
なんだかなぁ。

名前とかカミングアウトをめぐるあれこれ

まぁ、ここを読んでる人はほとんどいないだろうから、個人的な考えをテキトーに書きましょう。

たぶん、自分にとっての事の発端は、ガイドラインにまで遡ると思うんです。ガイドラインには「カミングアウトの検討」というのがあります。たぶんあれです。つまり「カミングアウト」がガイドラインの中に組み込まれることで、みんなカミングアウトしなくちゃならなくなった。で、適応があるかどうかの判定は「周囲の理解」で見ちゃいます。なので、「カミングアウト」が「理解を求めること」を前提になってしまった。そして、例えば「某会議」なんかで話を聞いていると「親にカミングアウトしたら受けとめてくれた」「友だちも受けとめてくれた」「せんせいも受けとめてくれた」みたいな話が頻発するわけです。もはや「カミングアウトの検討」とかいらんやろうと。カミングアウトはダダ通しやないかいと。なので、「某会議」では「カミングアウトってなんなんですかねぇ」とかいう意見を言ってしまうわけです。
まぁ、ある種しかたないといえばしかたない側面があることは否めないです。だって、2000年の日記見たら「あるクラスでカミングアウトしました」とか書いてるし、そんなもんではあると思います。
で、こういうカミングアウトだと、そりゃ「ノンカム」=「クローゼット」なんでしょうね。
でも、わたしは「カミングアウトしました」とか書いていた頃の後、少しずつスカートはいたり化粧したりしてパーティーなんかに行くようになって、「あなた、源氏名どうするの?」とか言われて、そこから「いつき」という人生がスタートしたわけです。それはそれでよかったんです。というのも、当時のわたしは「K」というわたしと「いつき」というわたしを切り離して生きてましたからね。だから、それぞれのシチュエーションにあわせた「名前」で生きることにさほどの矛盾もありませんでした。
でも、フルタイムで生きていくことを選択した時から「引き裂かれる自分」がいることに気がついたんですよね。つまり「いつき」という自分で新たにつくりつつあることと「K」という名前で今までやってきたことが引き裂かれる。
もちろんそんなことはよくあることです。だからこそ、女性たちが「姓の選択を!」と主張するわけです。そしてもちろん逆のパターンもあると思います。つまり「ペンネームでやってきたこと」が自分をつくりあげてるなら、それを選択することもあるでしょう。ただ、わたしの場合は「K」でやってきたことの上に「いつき」があるにもかかわらず、ふたつの名前があるという状態だった。それが「引き裂かれる自分」でした。
だから、2002年に「土肥/いつき」という名前で『部落解放』に出ることにしたんです。『部落解放』は、教育委員会はもちろん読んでるし、わたしが住んでいる地域の人も当然読んでいる、あるいは読む可能性があります。てか、地域の公民館に置いてあったし(笑)。そしてなにより、いままで「K」という名前でつきあって来た人や、その人に連なる人々も読んでいる。そういう雑誌に実名で出ることにしたんです。ちなみに、その時にコーディネーターをされた方は、諸般の事情で仮名で出られました。それを批判する気は毛頭ありません。それぞれがそれぞれの置かれた状況の中で選択するだけのことですからね。
そして「/」をとるために2004年に改名しました。もちろん「K」のままで生きることも考えたし、政治的正しさはそちらの選択にあることはわかっていました。そしてなにより、「本名(民族名)を呼び名のる」と言ってきたわたしが、そして生徒が本名を名のる瞬間に立ち会ってきたわたしが、「名前を変える」という選択をすることはどうなのか。そこでずいぶん悩みました。
けど、すでにフルタイムで4年ほど生きていて、すでに「K」はしんどかった。なので、「いつき」を実名にすることに決めた。なので、その選択を「同化」あるいは「クローゼット」と言うなら、まぁ、それはそうやなと思うわけです(笑)。実際そう思ってますから。
でも、「いつき」という名前ですべての時間を過ごすことを通して、ようやく「統合された自分」になりました。それが「いつき」という名前の選択の過程です。
で、実名で生きるってことです。
それは例えばわたしのクラスにいた在日の生徒が本名を名のる時に、最初の反対は家族から来たということとつながります。つまり、その子が本名を名のるということは、同時に家族も在日だということがわかるということです。部落の子が立場を語った時は家族の反対はなかったけど、やはり自分に連なるルーツについて話さざるを得ない。だから、その子の立場宣言は親が部落出身であることからスタートしました。そして部落の場合、家族だけではなく、その地域全体のカミングアウトにもつながります。
つまり、在日にしろ部落にしろ、カミングアウトは自分ひとりではおさまらない。でも、あの子たちはそれをしたんです。
あるいは、あるアメラジアンの友だちは、祖父のfamily nameを自分の「名」の前につけてミドルネーム風の名前にしました。別のダブルの友だちは、通名と民族名の両方を名のっています。そうやって「名のる」ことにこだわりぬいた人たちがいる。
そんな人たちとつながり、そんな子どもたちが語る場に立ち会ってきたわたしはどうするのか。
もちろん、部落や在日とトランスは違うという選択肢もあります。でも、わたしは「違う」という選択をしなかった。それは、あくまでも「わたし」の選択です。
だから、実名で生きることを選びました。それは同時に、わたしに連なる人々、すなわち家族にとってのアウティングでもあり、家族がおこなうカミングアウトでもあります。そういう生き方を選んだ。それがわたしの選択であり、家族の選択でもある。だからその総括として、朝日新聞の特集「家族」に出ることにしたんです。あのあと、家族についての取材はすべて拒否しました。
なので、実名にこだわっています。そして、実名で生きることをもって「わたしはトランスジェンダー」(笑)という言葉に依拠しないカミングアウトをしているつもりです。それが「24時間ひとりパレード」ということの意味です。
わたしが「カミングアウトしていない」というのは、最初に述べたカミングアウトをしていないということです。そう言えば、ふと思い出しましたが、かつてH間さんに「わたしって、Real Life Experienceしてますか?」って聞いたことがあったけど「微妙」と答えられました。たぶん「カミングアウトしてますか?」って聞いたら、やっぱり「微妙」なんでしょうね。でも、こういう生き方が可能であるということは、わたしがやっていることがその証明なわけです。

もちろんこれは「わたし」の「こだわり」なわけであって、そのことをもって他の人の生き方や選択と優劣や正誤をつける気はまったくありません。が、わたしがわたしのこだわりとして「実名主義」をとる限り、わたしの話すこと書くことにそれが価値あるものとして描かれてしまうのはしかたがないことでもあります。でなければ「こだわり」でなくなってしまいますからね。
まぁ、そんな話。

いろんなことを考えてきたなぁ

明日、とある学会で話す機会をもらいました。いちおう「指定発言」という立場なそうな。にしても、指定発言っていったいなんだ?もらえる時間はシンポジストと変わりません。まぁ、抄録書かなくていいかわりに、たぶん業績にはカウントされないってことなのかな。てことは、学術的な知見に基づく必要がないから楽ですね(笑)。
てことで、先週の話をもう少し膨らませることにしましょう。
で、いろいろ考えていたのですが、「そうそう、そういえばかつて「当事者性をめぐるあれこれ」って話をした時期があったよな」と思って当時のプレゼンを見ると、なかなかおもしろい。最近これやってないけど、まぁマニアックなのでオファーは伊丹のふたりくらいしか出してくれないネタだから埋もれてしまってるけど、なんとなくもったいないです。なので、先週の話にこれを合体させようかなと。少しムリくり感はありますがね。
それにしても、今までいろんなことを考え、いろんなことを発信してきました。ほとんどスクラッチから考えて経験則で話をしてきました。でも、きっとすでに研究分野でそんなことは解決済みなんだと思うのです。単にそれを知らないだけなんでしょう。
それを思い知らされたのは、T田さんとのやりとりです。
かつて「いじりといじめ」の話をしたことがあったけど、それ、すでにやっておられるんですよね。それを知って、すごくうれしかったんです。なにがうれしいかって、研究者が研究の俎上に載せたことと同じことを思いついたってことがうれしいんです。だって、専門家レベルのことを思いつくわけですからね。そしてそれを発信する機会をもらえて、それなりに笑ってもらえるレベルで発信できる。その程度の発想力というかなんというか、そんなもんは持ててるということがうれしいんです。そして、こしばらくそれに厚みを持たせることができているんだろうな。それはなんといっても、この7年間の「おべんきょ」のおかげでしょう。なぜなら、「くやしい」じゃなくて「うれしい」と思えるようになったのもそのおかげだし、「おもしろい!」って思える幅が増えたのもそのおかげだし。
やはり今考えてるネタはきちんと育てたいな。そうすれば、もうひとつネタが広がるはずです。しんどいけどね。

これでええんかなぁ

今日は午後から出張です。なので、午前中はひたすら雑務。今週のうちにやらなきゃならんことがあるので、ものを考えるヒマもなく。途中、来週の人権学習の「ワーク」を提示しに行ったけど、イマイチやな。「むずかしい」とか言われたけど、めっちゃ簡単やんか。「結論がわからん」とか言われたけど「みんな違ってみんなええで終わらんわ」やって言ってるやんかと。
ま、いいです。きっと適切にやってくれたら子どもたちは考えるでしょう。
てか、絵を書いてくれた人に失礼やと思わないかなぁ…。

てのはおいといて、午後はとある支援学校で会議です。
支援学校が会議の会場になった時は、いつも学校見学をさせてもらいます。で、今回もまわらせてもらったんですが…。
支援学校を見学させてもらうたびに複雑な気持ちになります。たしかに重度な子はいます。音楽療法なんかをしておられます。それはそれでいいのかもしれないんだけど、なんかもやっとします。軽度の知的障害の子らはひたすらものづくりや物流管理の実習をしています。それはそれでいいのかもしれないんだけど、なんかもやっとします。まぁそういう場面しか見てないだけなのかもしれませんが…。
でも、高校が完全に輪切りになって、学校間格差がどんどん正確になっていく過程で、この子らは「学力」的に「松竹梅」の「下」、すなわち「進学に届かない」とされて「就職のための訓練」をする学校に入学してるんじゃないかなと。とすると、この支援学校を必要としてるのは、支援学校に通っている子らを排除したい「松竹梅」の学校ではないかと。そしてその中で一番それを必要としているのは「松」の学校ではないかと。にもかかわらず、「松」の子らは、例えば善意であっても「交流」の対象としてしかこの子らと出会えず、ほとんどの「松」の子らは将来は支援学校に通ってる子らと別の世界に生きることになる。
これでええんかなと。
そうそう。この学校の卒業生に辻戸一義さんというCPの方がおられて、その方、今俳人をされているようです。ここの学校にも出前授業をされてるとか。その方の紹介をされた時「知的障害はなかったようです」と言われて、その言葉を聞いた時「ゾッ」としました。その方、どんな思いでこの学校におられたんだろう。そして今その方は、となりの病院で生活しておられるとか。「街に出る」という選択肢はその方の前に選択可能な形で提示されたんだろうか。
そして、その方が卒業されて30年弱。いま、その選択肢は選択可能な形で子どもたちの前に提示されてるんだろうか。そして、そのことに無自覚なわたしたち教員がいるんじゃないか。
そんなことを、今回も感じさせられました。

男だけの世界?

朝起きて、昨日の夜の不思議な世界を反芻してしまいました。
何が不思議かというと「おっさんずラブ」です。
あのドラマ、基本的に登場人物は男性ばっかりなんですね。はじめはそれが不思議なんだけど、だんだんそれに慣れてきて、それに従って「男だけの世界」が当たり前になってきます。そんなところで不意に「女性」が出てきた時のとまどいがハンパないです。
「なんだ?この生き物は…」
という感じ。そして振り返ると、自分は「そちら」にいるじゃんと(笑)。でも、それほどまでに「違い」を感じてしまいました。それがなんだったのかはわかりません。
というか、自分が普段いるのは、ほとんどが女性とう世界なんですよね。それとのギャップがすごすぎたって感じです。
と同時に、例えばジェンダーギャップが大きい職場や環境のように「男だけの世界」に住んでる人は、もしかしたら女性を「なんだ?この生き物は…」って見てるのかもしれないなと思うと、メッチャこわいなと。

通信量

朝、とりあえずPCに火をくべてメールチェック。チェックするアドレスは、なぜか8個。まぁ、すべて「使ってる」アドレスなのでしかたありません。もっとも、そのうちの3個はgmailに転送してるし、3個はほとんどチェックしないから、そこから継続的に見てるのは2個ですね。このふたつは完全に独立してます。が、両方とも大切なメールが来るので、常時チェック状態です。で、ややこしいメールが来たら、とにかくそれを処理して返事を返す。この繰り返しです。
ちなみに、たまにメールを使ってない人もおられたりして、そういう時は電話とファックスです。
そんなこんなで、1日にとってる連絡の量、ハンパないです。
で、今日もそんな一日です。
でも、なんか、仕事してるんだからしてないんだかわからないですね。
要は、右から来たものを左に流し、左から来たものを右に流す。単にそれだけのことみたいです。あるいは、左手のコインを両手をパタンとやって右手に移す。まぁ途中に加工をしてるから、少しはなにかしてる気分になりますが、単にそれだけのことです。
でもま、仕事なんてそんなもんかもしれないなと思ったり。

変質してるな

今日は午後にとある人権教育研究会の「研究交流会」があります。まぁ、実質総会です。
てことで、京都府中部の町へ。いや、ここでやるのは、北部と南部のちょうど真ん中ってことです。なんでもかんでも京都市でやるってのは間違ってます。
到着したら、とりあえず読書ノートをつくってみるなど。そうこうするうちに会がはじまりました。
まずは開会行事。友だちがいつの間にか会長やってます。かつてお互いの子どもの子ども会を一緒にやった仲です。そういや、うちの研究会も会長は年下やしなぁ。そういう歳なんやなぁ。自覚はないけど(笑)。
で、レポートが3本。
がんばってはるのはわかる。でも、それは人権じゃないよというレポートです。簡単に言うなら「医療モデル」です。まずは「見立て」があり、続いて「治療」があり、最後に「結果」がある。そんなレポート。そこに社会性が一切ない。
曰く「Aは自尊感情が低い」。どうやってそれがわかるねん。「自尊感情を高めたいと考えた」。どうやったら高まるねん。わたしはわからんわ。てか、ほとんど神様かと。
とにかく、担任をした子に問題があって、その問題をどうするかってレポートばかりです。とうとう2本目のレポートでキレました。
「それ、人権教育ですか?」
やってまいました。あわてて会長やってる友だちがフォローしてました(笑)。いや、わたしの前にあんたがした質問を受けてのことやし。
休憩の時に、いちおうレポーターのところに行って
「きつい言い方してすんません。「医療モデル」と「社会モデル」というのがあってね」
とフォローして、その後、役員控室に行ったら、前会長が
「ようゆーてくれた」
と。いや、あんたの後ろ姿が
「いつきちゃん、言え!」
って言ってたんやんか。さらに
「なんで1本目も言わんかったんや」
と。どないやねん(笑)。
最近、若い教員が一生懸命とりくんだレポートが出てきます。でも、みんな「発達に課題のある子をなんとかした」なんですよね。そういうレポートが研究会にあがってくるということは、それが選ばれているということなんですよね。つまり、そういうレポートしかないということだし、みんな優しいからそういうレポートに意見を言う人間がいないということなんですね。
考えてみると、わたしはいっぱい実践レポートを書いて、さんざん叩かれました。でも、その叩きに対して「くそっ」と思って実践をやってきました。「レポート叩き」は「暑い優しさ」なんです。「暑い優しさ」の反対は「無視」です。
実は、今回も無視しようかと思った。でも、無視できなかった。それは「同和教育の継承」が喫緊の課題だからです。わたしを育ててくれた諸先輩たちを継承する最後の数少ない人間のうちのひとりとして「無視をしちゃいけない」と思ったからです。
高校のレポートには、中学校の校長がかみついてました(笑)。大人気ないなと思ったけど、わたしも大人気ないし、それでいいんでしょうね。ものわかりのいい先輩である必要なんてどこにもない。
研究会が終わったら、小中の友だちがみんな笑ってました。なんでも、みんな
「言うやろな」
と思ってて
「言いよった(笑)」
と思ったらしいです。しゃーないやん。前会長に託されたわたしの任務やし。
でも、ある中学校の教員が
「ちゃんと練ったレポートつくらんとあかんと思ってるんです」
と真顔で言ってくれたのがうれしかったですね。
まぁそんなこんなで無事研究会も終了。

顔合わせから考えたモヤモヤ

今日は午後から出張です。内容は、中規模地域の某人権教育研究会の第1回の会議です。まぁ言うなれば、昨年度からの引き継ぎと、今年度の顔合わせですね。
例年メンバーが入れ替わりますが、今年度も半分以上の人が変わりました。
もちろん、それぞれの支店の担当者が集まるわけですから、支店の担当者が変われば会議のメンバーも変わるのは当たり前です。問題は、どんな人が支店の担当者になるかです。端的に言うと、自分のことを棚に置けば、年寄りを出すのをやめろと。あと、ジェンダーバランスも考えろと。
今年については「若そうやなぁ」と思える人は4〜5人かな。1/3です。そして、女性は0.8人(笑)。
掛け声としては「同和教育の成果の継承」なんですが、それをどう具体化するかということは示してないから、結局それぞれの支店の短期的展望の中での優先順位で人事がされて、「若い人がいいに越したことはないけど、それは他の支店で」となるんでしょうね。あるいは「若い人がいいに越したことはないけど、今年はムリ」とかね。まぁそうやって継承される前にわたしらは消えていくと。
つまり結論は「優先順位が低い」ということなんですよね。てか、もう少し補足をすると「短期的展望においては」なんですよね。でも、そのツケ、きてますよね。だって、そういう「hidden Curriculum」で育った子どもたちは「理念としては大事だけど、短期的展望においては優先順位は低い」と考えちゃいます。それが現実のことになってますからねぇ。まぁ、それをどうするかが、わたし(たち)の課題なわけです。
まぁ、そんなことを考えながら、会議は進みます。

途中、こないだの金友子さんの話の感想を述べあったり。みなさん「我がこと」と考えておられたようで、それはとてもいいことなんですけど、「なんだかな」です。というのは、「どこからがマイクロアグレッションで、どこまでは違うのか」という線引きをしたいらしいです。でも違います。仮に線があるとしても、それは関係やシチュエーションで変わります。そしてそんなことよりも大切なのは、自分の中にあるステレオタイプに気づくことです。それは、ハラスメントという概念を持ち込むことで、自分の中にある権力に敏感になることができることと同じです。
そして、もうひとつは「今のアカンわ」と言える関係性を築けるかです。なぜなら、金友子さん自身「「日本語おじょうずですね」は差別か?」というモヤモヤを抱え込んでおられるからです。仮に、その言葉を発した人間と「それはどういう意図か?」「自分はそこにこういうステレオタイプを感じた」みたいなことが言いあえる関係があればずいぶんと違います。
たぶん、「線引き」という考え方は、そういう関係をつくることを阻害してしまう。つまり、基準を発せられた人間に置かずに発する自分と、その背後にある(あるはずのない)普遍性に置いてしまう。だから、逆に「関係をつくるために発したのに」となってしまう。
これ、なんなんだろう。

そう考えた時に浮かんでくるのが、優先順位の問題なんでしょうね。短期的には優先順位が低いってことです。
つまり、関係をつくるってとても時間がかかるってことです。慎重に相手を探りながら、時としてあえて暴言を吐いて、「それアカンし」「ゴメン」と言いながら、相手のboundaryを探る。そういう時間のかかる、めんどくさい、時として痛みを伴う作業は優先順位が低いってことです。なぜなら「短期的展望」でものを考えてるからです。
なので、それに抗いながら、どう「長期的展望」で人権を捉えるかだよなぁ。

「男ですか?女ですか?」

今日は出張のない出張日です。でも、出張に行きましょう。ということで、「地域との連携」をしに行きました。今回は、はじめて「副担当」にも来てもらいました。なにせ、この間ずっと副担当がわたしと同年代で「若手をつけろ」と言ってたんですよね。でないと「同和教育の継承」なんてできないです。
教員の仕事って「徒弟制度」的なところがけっこうあると思います。もちろん、そうじゃないところもあるんだけど、「そうじゃないところ」だけではないということです。「地域との連携」みたいな話は、徒弟制度なんです。だから、「地域との連携は大切です」なんて話を研修で聞くんじゃなくて、一緒に行って、どんな空気感でどんな話をしてるのかを実際に見ないとわからないんです。だから「若手をつけろ」「若手と一緒に仕事をさせろ」と言ってきたんです。もちろん、その若手が後を継ぐなんて考えてません。でも、若手がそれを知ったうえで取捨選択する、その選択肢を与えろとずっと言ってきたんです。
で、今回は、やっとつけてくれた「若手の副担当」と一緒に行ってきました。ちなみに、「地域」の人はほとんど知りあいです。中には教え子もいっぱいいます。それだけじゃなくて、地域の人たちは子どもたちのことをよく見てよく知ってます。そんな地域の人たちの姿を見て、いろいろ考えてくれたみたいです。よかった、よかった。

で、夜は恒例の会議です。その会議の中で、小学校教員が、子どもから
「先生、男ですか?女ですか?」
と聞かれたというエピソードが出てきました。それを聞いた会議参加者のT田さん
「子どもたちはそんなことを聞くんですか?」
と、えらい剣幕です。
「なぜ聞くんですか?」
と。なので
「そりゃ聞きますよ。子どもだからこそ聞くんです」
と答えました。
当然のことながら、終わったあとの飲み会でもその話です。
たぶん子どもたちは子どもたちだからこそ聞くんです。年齢が低くなればなるほど聞くんです。そしてそれは、決して「率直」とか「素直」とか「遠慮がない」とか、そういう話とは違うのです。
子どもたちは、自分がどのジェンダーに属するのかを確認したいんです。なぜなら、「幼児教育段階ではカテゴライズによる性別分離の基礎が築かれ、小学校では幼児教育段階での性別カテゴリーを引き継ぎつつも、男女均質化の原則が強く支配する」からです。
子どもたちは自分がどの性別カテゴリーに属するかを幼児教育段階で教わります。その性別カテゴリーは、単独で存在しているのではなく、「もうひとつの性別カテゴリーとの「差」」として存在しています。だからこそ、「らしさ」が強く提示されるわけです。ちなみに、これは別に保育園や幼稚園がやってるだけじゃなく、社会が総掛かりでやっています。
そうして「自分がどの性別カテゴリーに属するか」を知った子どもたちは、「その性別カテゴリーに属する人はどんな人か」ということを学びはじめます。そのことによって、自分が属する性別カテゴリーのロールモデルの選択肢を増やしていくわけです。
たいていの場合、まわりの大人がどの性別カテゴリーに属するかはわかります。一番わかりやすいのは親です(ごく一部の親を除く(笑))。教員もわかりやすい(ごく一部の教員を除く(笑))。でも、どちらの性別カテゴリーに属するかがわかるらない人には聞かなきゃならない。なぜなら「自分と同じかそうでないか」を確認して、ロールモデルとなるかならないかを決めなきゃならないからです。
だから子どもたちは聞くんです。
「先生、男ですか?女ですか?」
ついでに言うなら、そう聞かなきゃならない人は、どちらの性別カテゴリーの人からもロールモデルとはならない人になります。そこで「おかま」という言葉で排除されることになります(笑)。

ここで何が言いたいか。
それは、子どもの行動だけをとらえて、それを禁止することで解決できるかということなんです。あるいは、「学校で性別を教えるから」というひとことで解決できるかということです。
実はT田さんはズバリと言われます。そのT田さんが言われることを、わたしなりに翻訳してひとことで言うなら
「性別二元制を解体せよ」
です。
T田さん、極めてリベラルというかラディカルというか、ムチャクチャです(笑)。でも、たぶんそういうことなんですよね。
ちなみに、「なぜ性別二元性なのか?」という問いをT田さんは発せられるのですが、まぁそれはそういうものとしかいいようがないです。カテゴリーは「AかBか」ではなく「AかAではないものか」でつくられるからです。なので、カテゴリーは他にもあります。「whiteかcolored(not white)か」みたいな。
それにしても、こんな話ができる飲み会は楽しいです。
ちなみに、そのあとはKうさんがいろいろ話してくださっていたみたいですけど、わたしは帰らなきゃ、帰れなくなります。
Kうさん、あとはよろしく(笑)。