顔合わせから考えたモヤモヤ

今日は午後から出張です。内容は、中規模地域の某人権教育研究会の第1回の会議です。まぁ言うなれば、昨年度からの引き継ぎと、今年度の顔合わせですね。
例年メンバーが入れ替わりますが、今年度も半分以上の人が変わりました。
もちろん、それぞれの支店の担当者が集まるわけですから、支店の担当者が変われば会議のメンバーも変わるのは当たり前です。問題は、どんな人が支店の担当者になるかです。端的に言うと、自分のことを棚に置けば、年寄りを出すのをやめろと。あと、ジェンダーバランスも考えろと。
今年については「若そうやなぁ」と思える人は4〜5人かな。1/3です。そして、女性は0.8人(笑)。
掛け声としては「同和教育の成果の継承」なんですが、それをどう具体化するかということは示してないから、結局それぞれの支店の短期的展望の中での優先順位で人事がされて、「若い人がいいに越したことはないけど、それは他の支店で」となるんでしょうね。あるいは「若い人がいいに越したことはないけど、今年はムリ」とかね。まぁそうやって継承される前にわたしらは消えていくと。
つまり結論は「優先順位が低い」ということなんですよね。てか、もう少し補足をすると「短期的展望においては」なんですよね。でも、そのツケ、きてますよね。だって、そういう「hidden Curriculum」で育った子どもたちは「理念としては大事だけど、短期的展望においては優先順位は低い」と考えちゃいます。それが現実のことになってますからねぇ。まぁ、それをどうするかが、わたし(たち)の課題なわけです。
まぁ、そんなことを考えながら、会議は進みます。

途中、こないだの金友子さんの話の感想を述べあったり。みなさん「我がこと」と考えておられたようで、それはとてもいいことなんですけど、「なんだかな」です。というのは、「どこからがマイクロアグレッションで、どこまでは違うのか」という線引きをしたいらしいです。でも違います。仮に線があるとしても、それは関係やシチュエーションで変わります。そしてそんなことよりも大切なのは、自分の中にあるステレオタイプに気づくことです。それは、ハラスメントという概念を持ち込むことで、自分の中にある権力に敏感になることができることと同じです。
そして、もうひとつは「今のアカンわ」と言える関係性を築けるかです。なぜなら、金友子さん自身「「日本語おじょうずですね」は差別か?」というモヤモヤを抱え込んでおられるからです。仮に、その言葉を発した人間と「それはどういう意図か?」「自分はそこにこういうステレオタイプを感じた」みたいなことが言いあえる関係があればずいぶんと違います。
たぶん、「線引き」という考え方は、そういう関係をつくることを阻害してしまう。つまり、基準を発せられた人間に置かずに発する自分と、その背後にある(あるはずのない)普遍性に置いてしまう。だから、逆に「関係をつくるために発したのに」となってしまう。
これ、なんなんだろう。

そう考えた時に浮かんでくるのが、優先順位の問題なんでしょうね。短期的には優先順位が低いってことです。
つまり、関係をつくるってとても時間がかかるってことです。慎重に相手を探りながら、時としてあえて暴言を吐いて、「それアカンし」「ゴメン」と言いながら、相手のboundaryを探る。そういう時間のかかる、めんどくさい、時として痛みを伴う作業は優先順位が低いってことです。なぜなら「短期的展望」でものを考えてるからです。
なので、それに抗いながら、どう「長期的展望」で人権を捉えるかだよなぁ。

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