やる気スイッチが入らない理由はいろいろあります。が、最大の理由は、やはり肩のケガですね。ガッコだとキーボードやマウスの高さがあわない。家だと寝転がって作業ができない。
でも、とりあえず金曜日にやる気スイッチに手を伸ばしたおかげで、仕事のうちのひとつが90%できました。そして昨日、前のおべんきょ場所に行く前に、ほとんどデッドラインに来ている来週土曜日のスライドに着手して、40%くらいまでもってきてありました。
なので、今日は残り60%をやっつけます。まぁ、最後まではいかなくても、ピバーク地点までいければよしとしましょう。
スライドづくりに欠かせないのは妄想です(笑)。あることを話すために、それとはとうていつながりそうにない「なにか」を見つけられるかどうかが勝負です。いや、それは必要ないだろという話はもちろんあるのですが、それならスライドなんていりません。レジュメとしゃべりで充分です。映像にするのは「ネタ」を見てもらうためです。ただ、その「ネタ」はやる気スイッチが入らないと見つからない。
てことで、今日はとにかくこれまで書いたものをいろいろ読み込んで考えることにしました。これまで、同じテーマで3回書きました。まずは『女人禁制Q&A』です。この時はQのうちのひとつを担当させていただきました。お次は『現代の「女人禁制」―性差別の根源を探る―』です。この時はひとつの章を書かせていただきました。で、今回は『いつまで続く「女人禁制」: 排除と差別の日本社会をたどる』に書かせていただいて、土曜日はその出版をきっかけに企画されたものです。
これまで書いてきたものを読み比べると、なんか「書き散らかした」感があります。なのに、なぜかシンポジウムでしゃべれと言われて、うれしいものの「なんでわたしやねん」という感覚は否めません。まぁ、ずっと前のシンポは別の人がやったし、今回はわたしにまわってきたのかなと思わないわけでもないですが。
で、書き散らかしてきたんだけど、どこか共通するものがある。それを抽出すれば、自ずとスライドはできるはずです。さらに前の本から9年たっていて、その間に「おべんきょ」の世界に突入もしています。共通するものを分厚くしてなきゃダメダメです。
そんなことを考えながら、これまでつくったスライドも流用して、ようやく「骨」になるところができました。あとは「つなぎ」と「オチ」というところまできて、時間切れ。でも、まぁなんとかなるかな。
カテゴリー: 考え
社会の教員であること
今日はとある大学で社会科教科教育法を教えてるお友だちのIさんがうちの職場まで授業見学に来られました。ちなみにIさん、社会科の授業をしたことがないどころか、免許も持っておられないとか(笑)。まぁでも、おそらくは「それとこれ」は別なんですよね。ただ、Iさんはマジメな方なので、やはり授業は見ておきたいとのことで、それならうちのガッコに来てもらえばええかと。
事前にいろんな人に頼んだら、みなさん「参考になるかなぁ」などと謙遜されながらも、快く引き受けてくださいました。副支店長も「ええよ」と。「文書いりますか?」と聞くと「いらんよ」と。いい職場です。
もちろんわたしは見学してないから授業の様子はわからなかったけど、見学から帰ってこられたIさんの言葉の端々から、つくづく社会科の教員ってすごいなと思いました。
例えば、「歴史は資料をつなぎあわせるものだから、結局はわからない」とかつぶやいてる人がおられたとか。なるほどなと思うけど、それでも教えなきゃなりません。ついでに言うと、そのひとことのためにどれくらい勉強してるんだろうと思うと、不良数学教員としては頭が下がります。
さらに、休み時間に「どれくらい勉強しておられますか?」と聞くと「ずっとやってる」と。なんでも、毎年プリントをつくりかえてるんだとか。これも不良数学教員としては頭が下がります。
「歴史は変わらない」という人もいれば「歴史は変わり続ける」という人もいます。後者の人は「わたしらが知ってる世界は「最先端」が数十年たって本になったことですからね。そして教科書になるのはそれからまた数十年たってからのことですよ」と。
そんなこんなで圧倒されまくった1日でした。いい勉強になりました。
教員の仕事の特殊性
今日は午前に3時間授業があります。ここまで授業が固まると、それはそれで楽です。なにせ他のことをやらなくていい。てか、できませんからね。逆に午後は授業はなし。これはこれで楽です。なにせ授業のことを気にしなくていい。
そんな半日を過ごして、前のおべんきょ場所へ。今日も4人の研究会で当事者研究です。
ここで考えてるのは、教員の仕事の特殊性なんですよね。もちろん、他の仕事もそれぞれの特殊性があるってのは当たり前なんですけど、それをさしおいてもそこにある特殊性について考えるんです。
ただ、これ、案外難しい。というのは、他の仕事を知らない(笑)。こういうことを書くと「教員は世間知らず」とかいう弾が飛んできたりするんだけど、どれほどの人が自分の仕事以外の仕事について知っているかって考えると、たいていの人は知らないんじゃないかな。それと同じ程度に、わたしは他の仕事を知らないし、教員以外の人は教員という仕事を知らない、そういう中で「教員の仕事の特殊性」を考えるんだから、なかなか困難です。
まぁでも、冒頭に書いた時間の割り振りとか特殊なんじゃないかなと。
たぶん特殊なのは「授業」という最優先の仕事があって、これは「ちょっと待って、あとでやるから」とか言うことができない仕事です。それの隙間に授業以外のデスクワークをしてる。ということは、そもそも仕事はダブルワークだってことです。さらに、デスクワークを円滑に進めようとしても「ジャマ(笑)」が入る。具体的には生徒です。元来デスクワークは生徒がいないことが前提で進められます。が、教員の本来の仕事は「生徒の相手をする」ことなんですよね。つまり、ダブルワークの中身は「生徒がいる」ことが前提のものと「生徒がいない」ことが前提のものとふたつであるってことです。
こういう引き裂かれた仕事の内容が、これまた独特の時間の流れの中で運営されている。他の仕事で1日あたり20回近くチャイムが鳴る仕事ってあるかな。せいぜいが始業・終業・休憩あたりの4回くらい?ものすごく細切れの時間で動いてます。
まぁ他にも「教員あるある」的なへんちくりんなことはいっぱいあります。例えば昼休みがないとかね。「あるじゃん」って思われがちだけど、あの昼休みは生徒のためにあるんですよね。つまり、勤務がはじまったら終わるまでずっと仕事が続く。だから、学校から一歩も外に出ないとかね。他にも施設的なこともあるかな。生徒を7時間くらい校内に拘束するから、それに耐える施設をつくっておかなきゃならない。その維持管理を誰がするのかとか。なんか、こういうことを考えはじめると、ハンセン病の療養所みたいな感じすらしてきたり。
これはグチでもなんでもなくて、そういうあたりが特殊性なんじゃないかなってことです。なんでこんな特殊性を探すかというと、もちろん教員という仕事を理解するためです。理解すると、うまくつきあえる。
そんななかなか脳みそを使う1時間半を過ごしたら、ほんとにビールが恋しくなるな。さぁ、帰ってビールビール。
マスクから考える
朝、職場で同僚の机の上を見ると、昨日の放課後、たぶんうちの子らが帰り道にマスクをしてなくて、近所の人からひどい注意の受け方をしたらしいです。その注意のしかたがあまりにもひどいので、「マスクよりそっちやろ」と思ったのですが、それはおいておきます。
で、職員室で論議になったのは「マスクをつけるよう指導するか否か」です。
こんなしょーもないことが論議になるってのも「なんだかな」なんですが、「ひどい注意」をされてしまう状況があるのも一方であるので、しかたないんですよね。
ちなみに、わたしはどうしてるかというと、往復の電車の中と授業時はマスクをしてます。が、それ以外ではマスクはしない。特に駅と職場の間の歩きの時は、途中ではずします。理由は息がきつくなるのと、そもそも誰もいないからです(笑)。まぁ「誰もいない」は言いすぎですが、黙ってうつむき加減で歩いてるので、仮に向こうから人が来ても飛沫をとばす可能性は限りなく低いです。
そもそも、なんのためにマスクをしてるのかというと、自他を守るためです。ただし、そんなものは限界がある。だって、家族でごはんを食べるときはマスクはしない。じゃ、家族は守らなくていいと考えてるのかというと、もちろんそうじゃない。そこは「しゃーないな」と考えてるってことです。
あるいはマスクをすることで肌が荒れる人がいる。肌が荒れてもマスクをするって人もいるだろうし、「しゃーないな」と思ってしない人もいる。ただ、いつでもどこでもしないわけじゃなくて、「ここではしよう」と思ったりもする。
つまり「しゃーない」と「しゃーなくない」の線引きをどこかでしてるってことです。そしてそれは誰もがやってる。誰もがやってるからこそ、線の位置にズレがある。マスクをつけるように指導するか否かは、そのズレの存在を認めるのか認めないのかってことです。
もちろんわたしの答えは「ズレの存在を認める」です。もちろん、モラルとかエチケットってことは含みこんでの話ですが、その上で「ズレはある」っていうあたりまえのことを引き受けるってことです。
てことは、仮に他者にマスクをしてほしければ、それは「するべき」ではなく「自分がしてほしい」というって話になる。例えば「基礎疾患があるからわたしの前ではマスクしてね」って感じです。そうすれば「ひどい注意」にはならない。
でも、「ひどい注意」をする人がいる。たぶん、その人にとっては、マスクをすることそのものが自己目的化してるんじゃないかな。あるいは「マスクの有無」が「人格」や「知性」と結びついてるのかもしれません。そしてそれはその人ひとりの問題じゃなくて、社会の中に蔓延してる。それが「自粛ポリス」=「自警団」です。線の位置のズレの存在を認めないどころか、その位置を自分にあわせ、そのことに無自覚で疑うことを知らない。それこそが「無知性」なんだけどな。
で、少なくともうちの職場はそうなってほしくない。ただ、学校という体制は「自警団体質」を持ってるんですよね。その理由のひとつは「ひどい注意」をされないようにするというリスク回避。もうひとつは生徒と教員の権力関係の存在です。例えばマスクをしてない子に
「マスクすべきかどうか、自分で考えようね」
と教員が言葉をかけたら、そこにはすでに
「マスクはすべき」
という価値観が内包されていて、生徒はそれに従う。あたかも自分で判断したかのように見えるけど、実は権力関係の中で強いられてるんですよね。
それを避けるためには「指導しない」以外ない。あるいはせめて「教員個々の考えに任せる」ところに留める。そうしないと、結局は「自警団」になってしまう。
まぁそんなことを考えながら、家に帰って筋トレしてビールを飲んで1日が終わるわけです。
アカンな。おべんきょができない。
めんどくさい
職員朝礼で、いきなり思い出させられました。今日は被曝の日した。
毎年、どこの業者が被曝車を搬入するかは落札で決まるらしいですが、今年度ははじめてのところみたいです。なにせ、事前の問診票を配布されましたからね。これは子どもたちも配布されてるみたいで、そこに堂々と性別欄がある。
実は今年番頭さんが変わったので、その人が勝手につくった問診票かと思ったのですが、それは誤解で、業者がつくったものだとか。もちろん、本店を通して申し入れをするようには話しました。
で、わたしはもちろん空欄です。
時間が来たので受付に行くと、とりあえず名簿の名前をチェック。さすがに名簿には性別は書いてありませんでした。が、問診票を見て、ごていねいに「ここ、記入しますね」と女性に○。まぁええけどね。よくないけど。
問題はここからです。なんでも被曝車にはふたりずつ入るんだとか。ほぅ。まぁええけどね。よくないけど。教職員は基本ひとりずつで、ふたりってのはここ20回のうち、たぶん2回目じゃないかな。ちなみに被曝車には「車内は3人」って書いてあります。とにかく効率重視です。
てことは、わたしも誰かと一緒にならなきゃアカンわけです。あー、めんどくさい。わたしはめんどくさくないけど、相手のことを考えるのがめんどくさい。ちなみに、当然のことながら壁を向いて着替えるので、相手の姿は1mmも見ません。なので、相手がわたしを見てるかどうかもわからない。でも、いろいろめんどくさい。
ただ、このめんどくささは「わたしのせい」なのか?それは違いますよね。効率を重視して複数人を着替えさせる被曝車の体制のせいですよね。そしてその無神経さは、問診票に性別を書かせるというところに如実にあらわれてるってことです。
てことで、明日番頭さんに話をして、本店に持っていってもらって、入札の時の条件として提示してもらうくらいのことはしてもらわなくちゃね。
めんどくさい。
でも、このめんどくさを通過しないと、めんどくさくない社会はこないってことだな。
「お礼」のしかた
朝起きてトイレに行くと、大丈夫でした(笑)。
まぁ、あたってものたうちまわるようなのじゃないから、別にそれはそれで大丈夫なんですけどね。
職場に着いたら、まずは「おべんきょ経過報告」です。センセから「2019年度のことが書いてない」って言われて「ありゃ」ってなりました。あらためて振り返ると、2017年11月に出して、最初の返事が2018年5月。再提出は8月かな。それの返事が11月。そこからは12月に出して2019年2月に返事、3月に出して4月に返事、5月に出して6月に返事、7月に出して8月に決定でした。
てことは、2019年の前半は2ヶ月に1回「おべんきょ成果」とつきあってたんですね。あらためて「慌ただしかったなぁ」と。
で、再提出したら「2019年度の努力が反映されました」とのお返事。ちょっとうれしかったです。
今日の授業は午前に2時間。ゆったりペースです。片方のクラスは単なる授業。ただ、今年も授業のやり方を変えました。直接的な原因は肩のせいなんだけど、もともとやりたかった方法でした。まだまだ改善の余地はあるけど、たぶん有効です。
もうひとつのクラスはプリント学習。同じクラスを担当しておられる方が見に来られました。もちろん「ひとりでやろうとするな!」って言ってやったんですが、ほんとうにみんなよく勉強しますね。質問もどんどん出てきます。いつもの通り質問には質問で返します。そしたらちゃんと気づいてくれる。苦手な子もセンセイ役をやってるし、いい姿が見られました。
午後は少し資料をあさってみたり。
放課後は、Hがしさんと電話。
「いつきさんならあのデータから何を引き出す?」
って言われて
「うーん」
ってなるなど。
いや、とてもおもしろいんです。いいデータです。生データは見てないけど、たぶんいろんなことが示されてるはずです。そんなデータと向き合うと、いろんなことが浮かび上がってくるはずです。ただし、それが浮かび上がってくるためには、一度自分を「無」にしなきゃダメです。なぜなら、「自分」はデータから浮かび上がってくるものをフタしちゃうからです。データから浮かび上がってくるものに「すげー!」って感動し、そこから読み取れるものをより鮮明にするために、さらにデータを読む。そうやって出てきた「ストーリー」こそが、実は「自分」なのかな。つまり、そこに「ストーリーを見出す」って作業が、「自分」のやることなんでしょうね。
例えばこのpdfのAさん、はじめにとれるだろうと思ってたデータとはまったく違うデータでした。「うーん」と思ったけど、何度も読むうちに、少しずつ「そんなことやってたんだ!」って思って「すげー!」ってなって、それで書けました。2019年度のやりとりはデータについてはほとんど変更しませんでした。それは、たぶん「返事」を書いてくださったおふたりも「すげー!」って思われたからなんだと思います。で、おふたりは「お前の書き方では「すげー!」は伝えられないよ」って、必死でアドバイスしてくださったんですよね。わたしの「慌ただしさ」は、とりもなおさず「おふたりの慌ただしさ」でもあるわけですからね。
あのデータの魅力を引き出してほしいなぁ。わからないことがあれば、「もう少し教えて」って言えば教えてくれるはずです。そうやって引き出した魅力を適切な手法で伝えてほしいなぁ。そうすれば、自ずと結果が出るんだけどなぁ。その結果こそがデータを提供してくれた人への「お礼」なんだよなぁ。
電話のあとは、放送部に乱入して「合宿やるぞ!」と口走るなど(笑)。ほんとのほんとに今年はやめようかと思ったけど、「続ける」ことの大切さを考えると、やはりやったほうがいいってことです。
てなことをやってると、定時です。
さぁ、家に帰って筋トレやって、ビールだビール!
影響を受けた本
今日は午前にふたコマ。今日も肩があがりません。きついな。しかも午前にキーボード打ったら、あとは痛くて動かない。でも、歴史を学ぶべくいろいろ検索。ちなみに、検索するのは英文サイトなので、脳みそ的にもクタクタです。疲れた。
で、夜は「ちょぼやき会@zoom」です。やはりひとりの話をじっくり聞くのは難しいということで、「これまでの人生で「これ」と思った本」という、これまたむずかしいお題です。なににしようか、帰りの電車で考えても思いつきません。最近本を読んでないからですね。
いや、読んでます。が、読み方が違う。今は「使える場所」を探すために読んでいて、自分の人生を豊かにするためには読んでないです。
どうしようかと思いながら、家に帰って、ぬか床からにんじんを取り出して、ビールを取り出して、準備完了。さてと、zoomです。
みなさん、いろいろ読んでおられるなと思いながら、ふと「これにしよう」と思いあたった本がありました。『男でもなく女でもなく』です。
たぶん、あの本は荒野の中に「獣道」の存在を教えてくれた本でした。もちろん
「ここを歩けばいけるよ」
なんて話じゃないです。
「道はつくれるよ」
って教えてくれたんです。だから、自分の道をつくろうと思ったし、自分の道をつくれた。そういう意味では、今のわたしがいるのは蔦森さんという存在のおかげかもしれません。
そうそう、だから『にじ色の本棚』にも「感想文」を書いたんですよね。
さらに蔦森さんとはじっさいお会いして、いろんなことを話しました。はじめてお会いしたのは2000年11月5日ですね。「多様性」をめぐって少し話をしてますね。次にお会いしたのは2001年か2002年、大阪でのセミナーですが、その時の日記はないな。でも、交わした会話はこの日にあります。「強さ/弱さ」をめぐる話でした。そして最近では2014年か。「マジョリティは油断してる」という名言をいただいたのち、
「いつきさん、あなた変な人ね」
という過分なお言葉をいただきました(笑)。
そんな話をちらりちらりと話をしてみました。
小1時間のそれぞれの話のあとは、フリーディスカッション。さらに『同和はこわい考』をぶっこんでみたり。
そんなこんなで、9時過ぎまでいろんな話をして終了。3時間は疲れたな。
それにしても、にんじんのぬか漬け、うまいわ。もう少し飲んで寝ましょうか。
肩がちぎれそうになったけど
今日はこの時のの2次校正を終わらせるぞと固く決意して出勤です。
講演を冊子にするために、わたしはトランスクリプト作成→1次校正→2次校正→講師チェック→組版というプロセスをふんでます。
トランスクリプトを作成する人、めっちゃ大変です。が、基本的には話した内容に忠実に作成してほしい。なぜなら、削除したものはもどせないからです。だだ、忠実に作成したものは、メッチャメチャ可読性が低いです。場合によっては改行すらない。それをとにかく読めるようにするために、上の子どもに1次校正をしてもらってます。ここでかなり読みやすくなります。そのうえで、わたしが2次校正をする。
わたしがやることは、トランスクリプトのミスの修正と見出しつけです。
トランスクリプトのミスって、あります。簡単に言えば聞き間違いです。これの修正は、音声データを聞きながらじゃないと無理です。なので、わたしは音声データを聞きながらチェックをし、さらに可読性を高めるための改行や修正をします。
なので、とても簡単に言うと、音声情報と文字情報を同時に見てるので、内容がメッチャメチャよくわかります。
で、今回それをやって、この間よりも深く理解したかも。
とても大切なのは「いじめと差別との違い」なんですね。差別の中にある「社会全体からの幾世代にもわたる歴史的な痛み、そして将来への絶望という痛み」が、おそらくキーワードなのかな。それこそがvulnerabilityというヤツなのかな。で、これは個々の人間に対してというよりも、それらの痛みを強いられる「カテゴリー」の問題なんですね。で、わたしがこの時に話した「傷つく資格」というのは、そのようなカテゴリーの話を個人の話にスライドさせてたんですね。だからうまく噛み合わなかった。
ただ、自分がなぜ「傷つく資格」にこだわるのかな。
それはたぶん、アイデンティティの話とからまる気がします。
例えば、部落出身である人がそうと知らずに部落へのヘイトを受けた時と、そうと知って受けた時と、傷つきは異なるのかってことです。まぁたぶん異なりますよね。ただ、異なるということは、「部落出身」というカテゴリーではなく「部落出身であるというアイデンティティ」というカテゴリーで考えなきゃならんのではないかと。ただ、ヘイトを加える側は、アイデンティティとか無関係なんですよね。そういうビミョーかズレにこだわってるのかな。
で、なぜそこにこだわるかというと、当然のことながら「傷つく資格がない」と思っていた「トランスいうカテゴリーを知らず」「自分を変態と思い」「変態への忌避感があった」「わたし」がいるわけです。同じトランスのわたしであるにもかかわらず「変態アイデンティティ」であれば「傷つく資格」がないと考え、「トランスアイデンティ」というカテゴリーに入れられた瞬間「傷つく資格」を他者から付与されたという感じなんですね。なんでそんなことにこだわるかというと「vulnerabilityはあるカテゴリーの成員であるというアイデンティティに付随して存在するものなのか、あるカテゴリーに対して他者から付与されるものなのか」ってことなんです。
本来的にはアイデンティティに付随すると思ってるんですよね。でも、Aというカテゴリーが「幾世代にもわたる痛み」を加えられていたとしても、Aが「カテゴリー」として社会から承認されていなければ、それは「幾世代」にはならずに「個人」になってしまう。そうなると「カテゴリーとして承認される」ことを通して「他者から付与される」ことになってしまう。
つまりvulnerabilityが前提とするカテゴリーは、そんなには自明ではないよなったことなんです。
マイクロ・アグレッションって、人種差別の文脈からスタートして、民族差別とか部落差別、女性差別・障害者差別へと概念を拡大させているのかな。ただ、それらのカテゴリーはカテゴリーそのものが「すでにある」ものです。が、いまだカテゴリーとして承認されていないものへは適用しにくい。そこがたぶんメッチャひっかかってるんだと思います。
まぁでも、自分のモヤモヤのありかがわかってたのはよかったし、それは「2次校正」という読み方をしたからこそなんだな。キーボードと半日つきあって肩がちぎれそうになったけど、やってよかった。
継承
今日はなにもないけど出勤です。いつもの電車に乗ろうと思ったら、安定の大遅延。てか、とまってるのかよ。振替輸送はめんどくさいなと思ったら、なぜか電車がやってきました。なんでも1時間遅れのだとか。なので、結局ふだんよりも早く出勤できました。
午前の後半はzoomをつかったおべんきょタイム。この間つくったレジュメを使っての発表です。「こんなんでいいのかな」とドキドキしながら発表したあとは、センセのコメント。よかった、案外うまくいってたらしいです。
ここからコメントとかディスカッションとか。勉強になりますね。なんとなくおぼろげだったMCDの利用の観察って、そういうことだったんだと。ずっと「MCDを利用して分析する」って思ってたけど、「人々が知らず知らずのうちに使ってるMCDの利用のしかたを分析する」んですね。それって、具体的には「わたしたち」が日常的におこなってるカテゴリー化の実践を顕在化させるってことなんですね。で、そのカテゴリー化は「ことば」をつかっておこなってる。なので、その「ことば」の使い方に注目をする。
まさに「発話は行為」ってことです。
ちなみに、センセによるとこないだの「おべんきょ成果」はEM的なものらしいです。自分でも気がついてなかったけど、たしかにそうかもしれません。おそらく「EM的なものの見方」が好きなのかな。
で、夕方は恒例の会議。2ヶ月ぶりの大阪です。新快速はガラガラでした。
会議の前にセルフブランチ。
会議そのものは「フィジカル・ディスタンス」をとっての進行です。ただ、会議のあとのひとときは、あまりディスタンスはとらなかったり(笑)。
そんな中、突然電話がなりました。21年前の卒業生からです。当時はやんちゃくれだったけど、今は社長をしてます。なんでも、いま、いろんなことがわかってきたんだとか。
卒「せんせ、おれな、いま毎朝3km歩いて出勤してるねん」
い「原チャとちゃうんや(笑)」
卒「こないだ「お金ないねん、めぐんで」っいう人がおってな、3000円持ってたから2000円渡したら、すぐにコンビニに行きやったわ」
い「へー」
卒「おれがやで。2000円もらうんと違ごて、やったんやで」
なるほど。カツアゲしとったからな(笑)。
卒「今の子らはどうや?義理人情わかる子おるか?」
い「減ったなぁ」
卒「熱血もおらんやろ」
い「それはおるで」
卒「そうか。せんせ、飲んでるんやろ。じゃましたな。切るわ」
い「うん、またな」
ふと思い出して電話してくれたのかな。すごくうれしかった。
それからもうひとつ。「熱血もおらんやろ」と言われたときに、暑い教員の顔が何人か浮かんだのがうれしかったです。
別にみんな同和教育をやってるわけじゃない。というか、そんなことは意識してないと思います。でも、やってることは同和教育に近いものがあったりします。
なんか「同和教育の継承」って言ってたけど、継承しなきゃならんのは、そういう「形」じゃなくて、「暑さ」なのかもしれません。「暑さ」が伝われば、子どもたちを見る目が変わり、子どもたちの姿を通して見る社会の見方が変わる。そして社会への接し方も変わる。
そんなもんかもしれないな。
てことで、視た
昨日「マジか」となったおそらくは原因の「目撃!にっぽん」を視ました。
最初に感想を言うなら「いい番組やなぁ」です。
なにがいいか。
あったことを淡々と話されて、それが淡々と流される。なにより「被差別体験」を話されない。単に「あったこと」です。例えば会社を受けて「朝鮮人やろ」と言われて落とされたって話がありました。でも「差別された」とは言われない。そういう意味です。て、その「あったこと」を「被差別体験」と考えるのは「聞き手」の問題なんですよね。
例えば、「朝鮮人やろって言われて落とされた」という語りを聞いて「朝鮮人差別にあったんや、許せへんな」とか「朝鮮人やから当たり前やんか」とか「また差別差別言ってるわ」とか、いろんなことを考える。それは、その語りを解釈する「わたしたち」の問題だってことです。「わたしたち」がどういう「ことば」の中で生き、その「ことば」によってどういう「文脈」の中で生きてるか。それが「語り」によって顕在化するってことです。
つまり、顕在化するのは「わたし」なんですね。
で、わたしはどう思ったか。
「人は歴史とか国家に翻弄されて生きるもんなんだなぁ」
です。
ちょうど昼間に安昌林選手のオモニと話していて、「あの子、いま日本にいないんですよ」と。「帰ってこられる予定は?」と聞くと「たぶん当分無理」と。そこにあったのは、ひとつはcovid19なんですが、もうひとつは「在日」という存在ゆえでした。なぜ安選手が日本にいないのか、なぜ当分帰ってこられないのか。そこには歴史とさまざまな国家間にある関係性の中で生み出される思惑とが交差しています。
そして夜に「目撃!にっぽん」のハラボジの話を視た。
おそらくハラボジは「朝鮮人やろ」と言われて落とされた時、悔しかっただろうなとは思います。でも、それが当たり前の時代です。だから、法務省に行くとか、民族団体に行くとか、日本人と共闘して闘うとか、そういう選択肢は考えもつかない。仮にそういう方法を思いつくとすれば、それはそういう歴史をつくってきたからこそ可能になる。だから、例えば民闘連とか「すげぇ!」って思うわけです。
恵さんの話もおもしろかった。「結婚という節目があれば帰化を持ち出せるけど、朝鮮人がイヤというだけでは親が悲しむから帰化したいとは言えない」。考えようによっては「結婚とか関係ないやん」とも言えるかもです。あるいは「ジェンダーが」とか「異性愛規範が」とか言うことも、もちろんできます。でも、恵さんにとってはそうではなかった。そこから恵さん個人のことではなく、恵さんがいた/いる恵さんを取り巻く社会が浮き彫りになります。
それは今のわたしも同じことです。個人として「マジか」とか「当たり前」と感じるひとつひとつの出来事をそう考えるってのは、歴史や国の思惑に翻弄されているなかで、自分がそう解釈してるからなんですよね。だからこそ、そう考える自分を分析することがおもしろい。そこで不可欠なのが、やはり歴史です。
例えば、「番地のない町」に住む人たちは「不法占拠」と言われた。でも、極端な話、平安時代は河川法なんてないから「不法」という概念なんてなかった。ある行為がどう評価されるかってのは、歴史や国に翻弄される。では、なぜ「不法占拠」せざるを得なかったか。番組の中に「立ち退き」というひとことがありました。立ち退き?どこを立ち退かなければならなかったのか。なぜ立ち退かなければならなかったのか。さらに、立ち退く前に、なぜ立ち退かされるところに住んでいたのか。そういう歴史があるはずです。それを通して「不法占拠」という行為が必然的なものとして理解できるようになる。そして「不法占拠」という言葉を聞いた瞬間に感じた自分が置かれた文脈が理解できる。さらにそういう自分が置かれた文脈が歴史や国の思惑に翻弄されながらつくられてきたことが理解できる。
そして、それを理解できるからこそ、そういう歴史や国の思惑に翻弄される文脈を変えうることが可能となる。さらに歴史や国の思惑そのものも変えることが可能となる。
そしてその切り口はどこにでもある。
「番地のない町」に住んでいた人が誰であるか、「番地のない町」がどこであるかを探ることに意味はないです。あの番組は、たまたま「番地のない町」を切り口にしただけのことです。その切り口は、「わたし」のまわりにもある。その切り口をみつけられるかどうかは、わたしの問題である。
そんなことを感じました。
最後に、「番地のない町」と「そこに住んでいた人」という切り口をていねいに聞き取ってこられた村木さんですね。そこには長い時間をかけてつくってこられた信頼関係がある。そのとてつもない労力は、きっと「ものすごく旺盛な好奇心」の先にある「自分一人に留めてはならない」というところに依拠してるのかな。そんな村木さんに感謝です。