社会の教員であること

今日はとある大学で社会科教科教育法を教えてるお友だちのIさんがうちの職場まで授業見学に来られました。ちなみにIさん、社会科の授業をしたことがないどころか、免許も持っておられないとか(笑)。まぁでも、おそらくは「それとこれ」は別なんですよね。ただ、Iさんはマジメな方なので、やはり授業は見ておきたいとのことで、それならうちのガッコに来てもらえばええかと。
事前にいろんな人に頼んだら、みなさん「参考になるかなぁ」などと謙遜されながらも、快く引き受けてくださいました。副支店長も「ええよ」と。「文書いりますか?」と聞くと「いらんよ」と。いい職場です。

もちろんわたしは見学してないから授業の様子はわからなかったけど、見学から帰ってこられたIさんの言葉の端々から、つくづく社会科の教員ってすごいなと思いました。
例えば、「歴史は資料をつなぎあわせるものだから、結局はわからない」とかつぶやいてる人がおられたとか。なるほどなと思うけど、それでも教えなきゃなりません。ついでに言うと、そのひとことのためにどれくらい勉強してるんだろうと思うと、不良数学教員としては頭が下がります。
さらに、休み時間に「どれくらい勉強しておられますか?」と聞くと「ずっとやってる」と。なんでも、毎年プリントをつくりかえてるんだとか。これも不良数学教員としては頭が下がります。
「歴史は変わらない」という人もいれば「歴史は変わり続ける」という人もいます。後者の人は「わたしらが知ってる世界は「最先端」が数十年たって本になったことですからね。そして教科書になるのはそれからまた数十年たってからのことですよ」と。

そんなこんなで圧倒されまくった1日でした。いい勉強になりました。