今年は2年生にも

昨日早めに寝たので、朝は少しマシです。行きの電車の中でいろいろ考えます。そして出勤して、そいつをスライドに落とし込みます。そんなことやってたら、1時間かかりました。しかし、はじめ、改訂版が見つからなくてビビりました。
2時間目は午後の準備。
3時間目は、地上1000kmの説明(笑)。4時間目の授業は支店長と副支店長が来ました。お互い「行ってもなぁ」「来てもなぁ」でしょうね。たいへんやわ。お互いに。ただ、2つのクラスに
「ちょっとナーバスになってます」
と前ふり。もっとも
「ワクワクしてるんやろ」
とツッコミも入ります。
で、昼休みに6時間目のための体育館セット。5時間目におべんと食べて、いよいよ6時間目です。

今日は2年生の人権学習。内容は部落差別です。ただし与えられた時間はひとコマ+掃除の時間で、65分というところ。なので、いつも見せている動画はなしで、わたしの話だけです。
となると、部落差別についての説明が必要になります。どうしようか…。
今回は1学期に3年生対象にやったのに加えて「特権を認識する」を入れました。その後、部落差別の説明。
「まぁ、メッチャざっくり言うと、そこにルーツがあったり、そこに住んでいるだけで差別されるっていう、わけのわからん差別や」
ここで終わろうかと思ったけど、せっかくなので「誇T」に登場してもらいました。背中の文章を生徒に読んでもらって
「そういう場所をルーツに持つことを誇りに思うという闘いがあるねん。これからその話をするし」
でスタート。とにかくみんな一生懸命聞いてくれてる感じです。もちろん、話をするわたしも必死です。ふとうしろを見ると、仁王立ちしてる人の影が。あれは支店長やな(笑)。
で、最後のスライドを話して
「これでわたしの話を終わります」
と言ったら、拍手が出てきました。マジかよ^^;。
で、機材の撤収。考えてみると、準備と話と撤収のすべてをわたしがやるわけで、こりゃ担任さんは楽やろな(笑)。ただし、わたしがいられる時間は限られてます。いなくなったらどうするのかな。まぁ、わたしが考えることじゃないし、たぶんやらなくなるだけでしょうね(笑)。
てか、来年度の1学期の内容、どうしよう…。

放課後はESSが昼休みに放送したいという音声の収録。今の放送部はこういうことをやってないから、ちょうどいいです。久しぶりにsound engineを立ち上げてみました。1テイク目はピークの音が歪みました。1年生がそれを気にしてくれたので、よしよし。2テイク目は校内放送が入りました(笑)。3年生曰く
「すみません、窓、閉め忘れました」
そやね。スタジオじゃないね。
3テイク目でようやくOK。まぁ、不満はないわけではないけど、その気になれば補正できるし、それもまた勉強です。
で、駅まで同僚に乗せてもらって、いつもの電車に乗れました。で、いつもの場所に移動。

今日はちょぼやき会です。今日のテーマは「竹花せんせい」です。当然ご本人にも来てもらってます(笑)。
あらためて見たけど、いい番組ですね。ただ、ああいう形でカミングアウトを捉えると、やはりカミングアウトが正義って感じになりますね。カミングアウトしてない立場としてはモヤるところはあります。
ちなみに、ゲイのカミングアウトとトランスのカミングアウトって違います。トランスのカミングアウトは、どうしても「自分への理解を求める」内容になりがちです。逆に言うなら、それが必要ないのであれば、特に言う必要はない。というか、言うことがそのまま「場所」からの排除につながりかねない。あまりにもリクスが高すぎます。一方ゲイのカミングアウトは竹花せんせい曰く「関係性の問題」とのこと。つまり「場所」からの排除はない[1]今のところ。なので「自分への理解を求める」ものではない内容にしやすい。
そういう意味で、加藤さんとかはるさんと竹花せんせいのカミングアウトに対するスタンスの違いが出てきて、それがおもしろい。
そうそう。あと、竹花せんせいは「ゲイのカミングアウト」という飛び道具を使って子どもたちに自己肯定感を持てるよう促したけど、そういう飛び道具を持たなかったり、あるいは「使いたくない」人はどうすりゃいいのかって話ですね。そういう意味でも「カミングアウトが正義」みたいな番組のつくりは、いろいろもやります。
ちなみに、続編の話があるらしいけど、竹花せんせいの子どもたちの間では「もうカミングアウトもしちゃったし、ネタ、ないよね」らしいです(笑)。
てことで、動画鑑賞のあとは飲み。
お店への道中のひとコマ[2]photo by ippo-kun

なぜか飲み放題を頼んでしまったらしく、さんざん飲んでさんざん食べて、バイバイ。明日はかなり忙しい1日だけど、大丈夫かなぁ。
しかし、「本」の人と今週は3回飲んだな。

footnotes

footnotes
1 今のところ
2 photo by ippo-kun

今日も「本」と会う

朝、眠いけど、とりま、なんとかガッコへ。1時間目のクラスでは金曜日に出した問題の答えあわせから。ところが、ひとりやらない子がいます。10分たってもやらない。
「あのな。土日があって、しかもすでに授業がはじまって10分たってるやん。立ち歩いてもしゃべっても教えてもらってもええって言ってるのに、なにもせぇへんやん。これは答えないって意志があるときか解釈できへんな」
と言っても、まわりの子とごそごそ話してるだけで出てこない。
「もうええわ。時間のムダや。この問題の答えはヤミな」
と言って
「いま、メッチャ怒ってるしな。できへんのはかまわん。やらへんのはアカン」
と攻撃の手を緩めません。すると机に突っ伏したので
「すねるなよ」
と追い打ちをかけたら、完全にすねました。なので「チッ」と舌打ちをして授業再開。
今日のテーマは三角不等式。簡単に解き方を示して、4問板書。
「名誉回復のチャンスをやるわ」
と言ってさっきの子を指名。まだ机の上に突っ伏しててこっちを見てないので、ちょうどよし。まわりの子に「あの子頼むわ」のジェスチャーをしたら、みんなわかってくれました。なのでそのまま教室を出て職員室へ。しばらく経って教室に帰ると、友だちと一緒に問題を解いてました。よしよし(笑)。
なにをやってもいいんです。問題を解いてくれたらね。その子にはその子なりのプライドがあるやろうし、それを潰したから、わたしの前ではやらない。ならばいなくなればいい。
他の子がいい解答をしてたので
「すばらしい!」
と言うと
「ほんま?!」
とうれしそうな顔をしてたので、気分もほっこり。
怒ったりほめたり、なだめたりすかしたり。すべては問題を解くためです。そのためには、あちこちで教えあいがないとダメ。でもその動きが出るためには時間がかかる。だから説明はしない。解き方を見せて、あとは考えることです。
放課後は追認指導。先週はお話をしたので、今週は足し算・引き算・掛け算です。引き算を間違えたので
「引き算はめんどくさいよね。間違えやすいねん」
とフォロー。30分ばっか補習をしておしまい。それ以上やっても定着しません。
退勤前に若い衆と会話。
い「今から「本」と会って、飲みながら打ち合わせするんやけど、仕事やんなぁ」
若「それは立派な仕事です!」
い「出張にならんかなぁ」
若「それはなりませんね!」
どうやら打ち合わせをする場所と飲むものの問題のようです。
で、京都駅で待ちあわせ。今日もリビングライブラリの「本」と打ち合わせです。
「なにをしゃべればいいんですか?」
っことだったので、いろいろ話。すると、昨日の本が来られました。ここでガールズトークが爆裂。なにやらふたり、仲良くなったみたいです。よかった。
たぶんその中で、なにをしゃべればいいのか、なんとなくつかんでくれたみたいです。
今日の「本」は、「福祉について考えていき隊」のTさんで、施設で働いておられます。でも、リビングライブラリのみなさん、おそらく施設に対しては批判的です。Tさんには、そこの危ういバランスをとってほしい。そのバランスをおしえてくれるのが、昨日の「本」のKさんかなと。で、どうやらはまったみたいです。よかった。
ただ、今日も10時をまわってしまいました。ヤバイよ。明日は健康診断ですよ。

路線変更

朝起きると7時前。もう少し寝たいな。なので、がんばって8時までおふとんでゴロゴロして、ようやくおきあがりました。
さて、どうするか。
どりま、朝ごはんを食べて、明日からのおべんとづくりです。まずはなにをつくるかメモ。たしかひじきがあったなと思ったけど、なかったので、切り干し大根ですね。あとは小芋と玉子焼き。そうそう、冷凍してあった小松菜の味つけもしましょう。かぼちゃも下ごしらえだけしておいて冷凍ですね。朝ごはん用のポテサラもつくりましょう。
つくり終わったらいい時間です。今日も走ろうかな。
で、走りはじめて500mほどいったところで、右の太ももの横あたりに軽い違和感。どうしよう。数歩走ったけど、やめました。これ以上走ったら、たぶん肉離れを起こします。でも、せっかく走りはじめたのでもったいない。歩きましょう。まぁ、もともと「走るな」と言われてたから、これはこれでありです。
てか、毎日30分軽い運動って言われてたけど、帰りにひと駅歩いたら、それくらいとちゃうんかな。
40分ばっか歩いて帰ると、やはり暑い。なのでシャワーを浴びて、昼ごはん。

うん、やはりビールがうまい!
ちなみに、昨日は卵を3個食べたので、今日は卵を抜きました。
それにしても、どうしても来年の仕事のための作文をする気が起きません。なにがジャマしてるのかな。
ちなみに、歩きながら考えてたことがひとつ。
自分は、来年の仕事と書籍化のどちらを優先すべきか。これまでは「どちらもやらなきゃ」と思ってました。が、おそらく、本来は優先順位をつけなきゃならないことです。なので、そろそろ優先順位をつけようかと。どっちがやりたい?
うーん。
とりま、喫緊のやつはやめよう。おべんきょしよう!ということで、こないだからパラパラ読んでいた本を手にとって読みはじめました。
懐かしい感じです。というか、これがやりたかったはずです。おべんきょして、データと向きあって、考えて、書く。
そんなことをしてると、モルタル職人さんからメール。あらためて、今の仕事の何がイヤかを考えると、職員朝礼とクラブ顧問と掃除監督がイヤなんだな。あとは、思考がバラけるから、自分の部屋がほしい。もちろん未来の教員とかかわりたいってのはあるけど、今も「夜の仕事」でかかわってはいます。まぁ、来年どうなるかはわからんけどね。
なので、もう少しこの状態を続けて、ハクロン書いたときの追い込み方で書籍化をする。そして、次を向く。そういう生き方もあるなと、ふと思ったんですね。
まぁ、優先順位をつけられなかった要因はいろいろありますが、このままだとすべてがうまくいかなそうです。てか、もしも来年の仕事が決まってしまったら、新たな仕事が山のようにできて、きっと永遠に書籍化できなくなりそうです。ぉそらく作文が書けなかったのは、そう思ってたからですね。
そんなことをモルタル職人さんに話すと
「ブルシットジョブは高校教員のほうが少ないよ」
という貴重な提言。
よし、優先順位を決めよう。書籍化を優先しよう。
そう思うと、少しプレッシャーが減りました。

で、いい時間が来たので、スタート。今日は「本」のうちの1冊と会うことになってます。なんでも、いろいろグルグルしておられるんだとか。
本来はわたしよりももっとふさわしい人がいるんだろうけど、そこへのつなぎくらいで考えてもらったらいいかな。とりま、いろんな人につなぎましょう。
そんなこんなでいろいろ話してると、10時半になってました。あかん。明日が…。

数学Ⅱっぽいのはなんだろ

朝は「通学路指導」があるので、勤務は早めだけど、電車は1本あとのに乗ることにしましょう。ふだんはロングシートだけど、この電車は転クロです。こっちのほうがいいなぁ。まぁ、ふだんのは立てる人数が少ないからロングシートなのかな。
で、駅の近くの踏切で「指導」です。まぁあいさつするのと「道の端を歩けよ」と「気をつけて急げよ」を言うくらい。それでもみんなおとなしくなりました。
で、職場に移動。朝ごはんを食べたら、いろいろ書類を副支店長のところに出して、あとは事務仕事。
授業はいつものダラダラペース。
それにしても、三角関数の値の出し方をして、別のことをやったら、値の出し方をして忘れます。どうしたものかなぁ。まぁ、わたしもフーコー読んでバトラー読んだらフーコーを忘れるし、さらにサックス読んだらバトラーも忘れるから、一緒か(笑)。
午後は生徒会選挙。みんな公約をきちんと言うようになりました。かつては「よろしくお願いします」しか言わなくて、「それは公約ではない」という話だったけど、それはなくなったな。でも、今度は実現不可能だろうということを公約に掲げるって話も出てきて、でも、実現可能なことだけだとおもしろくないってのもあって、まぁどうしたもんかなぁ。
放課後は追認指導。
数学Ⅱらしい内容ってなんなんだろうと、あらためて考えます。指数・対数・三角関数も微積も、たしかに数学Ⅱっぽいんですけど、今ひとつインパクトがない。やはり複素数か。
てことで、たったひとりの追認は複素数の計算にすることに決定。
「今日の追認はお話ね」
と前置きして、「変態が世界を変える」の話です。そして
「今日はね、i^2=-1、これだけね」
でおしまい。
きっとこの子にとって、人生で最後の授業です。それは1対1でやる、たった5回かもしれない。でも、やっぱり人生最後の数学の授業なんです。であるならば、ほんの少しでもプラスの印象をもってほしい。複素数ができなくてもいいんです。それよりも
「数学って変態なんだ」
と笑ってもらえたらいい。
で、補習が終わったら、近くにいた友だちに
「わたしを苦しめてるのは変態やったわ」
とか言ってて、よしよしと思うなど。と、そのうちのひとりがやってきて
「わたしのお父さん、せんせいから数学習ったって言ってた」
とのことです。なんでも「ずいぶん世話になった」って言ってくれたとのこと。もしもそう思ってくれてたらうれしいな。
職員室に帰ったら、美術の教員が来て、「こっちこっち」と。美術室に行くと、美術部の子らがウトロのジオラマつくってくれてました。うれしいな。
そんな感じで、定時が来たので退勤。今日は体調が悪くないから、ビールの味が楽しみやな。

「つ」と向きあう

朝起きると5時半です。日曜日なのになぜにと思って、二度寝にチャレンジ。が、寝られません。うーんと思って目が覚めたら7時でした。二度寝できて幸せです。
朝ごはんのあとは、盆明け仕事の事務仕事。いろいろダウンロードしたり、メールしたり。このあと、採点の祭典が待ってます。とはいえ人数は少ないですけどね。たぶん、あっという間に終わるでしょう。
昼前におにぎりとお茶を持って出発。今日はウトロのウェビナーです。なんでウェビナーで出発かというと、ウトロで配信するからです。
到着したら、みなさん「久しぶりー」と声をかけてくださいます。まぁ昼間に来るのはこの時以来です。が、この時はスタッフじゃなかったので、それの前というと、ウトロ・ウィークか。そりゃ久しぶりです。
まずは腹ごしらえ。お次は…。やることない(笑)。まぁダラダラしながらウェビナー開始を待ちますか。せっかくなので、3階の「放火事件」のパネルを見に行きましょう。「あそこはどうなってるかな」と思ったら、修正されてました。人を識別するときに、性別を使ってるところがあったんですよね。気になってたけど、なんか言いにくくて、それをある人につぶやいたら、その人が代弁してくださって、修正が入りました。よかった。人種や民族と紐づけることは人権問題ということはようやく浸透してきました。人権問題だからこそ、ヘイトスピーチ・ヘイトクライムがあるわけです。でも、性別と紐つけることは、いまだ人権問題とは認識されない。まぁだからこだわり続けるのですがね。
で、ウェビナー開始。
放火事件の判決をどうとらえるかですね。
弁護士は不満だったそうです。なにしろ、差別というひとことが判決文の中になかった。でも、ウトロの人々は「画期的」という評価をしてます。それは、ずっと排除され続けてきた人々、居住権を奪われてきた人々が、はじめて裁判に「勝った」からです。それは求刑がそのまま維持されたところにもあらわれているし、判決文の中にもあらわれています。ウトロの人々にとっては、放火事件は去年のことでなく、土地裁判の前の水道敷設運動の前の、おそらくはGHQとの闘いにまで、いや、もしかしたら、ウトロ形成期にまで遡るのかもしれません。ウトロの人々は日本の司法から、行政から、立法から「認められて」こなかった。それがようやく認められた。ようやくスタートラインに立てた。きっとそういう気持ちなんでしょうね。でもだからこそ、「わたし」たちが次の一歩を踏み出さないといけない。
そして田川さんの話がしみた。
ウトロのオモニたちは
「あんなことして未来を棒にふってしもて、かわいそう。遊びに来たらおいしいものいっぱい食べさせてあげたのに。そしたら、あんなことせずにすんだのに」
と言っておられる。どこまで優しいねん。足を踏まれたものの痛みは足を踏まれたものにしかわからない。わからないことがわかっているからこその、その優しさなのかな。
そんなこんなでウェビナー終了。とてもよかった。
その後、特別展の話し合い。わたしはここ20年くらいが欠落してます。が、そこを知ってる人が知らないことを知ってる。だから、これにかかわるんです。が、かかわる前に話しておかなきゃならないことがある。それは、わたしの「」にかかわることです。おそらくは決して癒やされることのない「つ」です。だからこそ、それから逃げるのではなく、それがあることを認め、話し、そのうえで、さぁ、かかわりましょう。いろいろ相談しているうちに、ふとかつての練習場所に行ったことがあるかどうか聞いたら「ない」とのことだったので、行ってみました。

懐かしい農楽の練習場所。ここも来年にはなくなるのかな。

サイレンはまだ残ってます。あのサイレンがあることの意味も、もしかしたらあることすら、最近かかわってる人は知らないかな。だから、それを伝えなきゃなりませんね。
そんなことを考えながら、ミーティング終了。
さてと、帰ってビールだな。明日は仕事か(;_;)。

指摘する

今日から2学期がはじまります。まいった…。朝の渡り廊下で担当している生徒があいさつしてきたので、声をかけました。
い「とうとうはじまってしまったなぁ」
生「はじまりましたねぇ」
い「誰か燃やしてくれへんかなぁ」
生「笑」
やはりあきれられてしまいました。
で、始業式。支店長の式辞は夏井いつきさんの話から「言葉の力」についての話です。けっこういい話だったのですが、「主人」ということばが出てきてゲンナリ。3日連続かよ。
てことで、始業式のあと
い「あれはあきませんので」
校「そやけど、他の言葉がないからなぁ」
い「おつれあいとかパートナーとか」
校「そんな言葉使っても、生徒、わからへんで」
い「わからんかったら説明すればいいですやん」
みたいなやりとり。支店長むっとしたかな。まぁええわ。
その後、支店長室に用事で行くと
「修正したで」
とのこと。見てみるとなるほど。ええ話やな。
その後、ゲンコをいじってみたりしながら、完全に平常モードです。疲れた。
家に帰ったら、家族全員ダウンです。もちろんcovid-19ではなく、寝不足です。なので、今日の晩ごはんの当番はわたしです。思いっきりつくってあげましょう。6品ばっかつくって、さぁビールだな。

「人権」という串

今日は午前・午後ともに研修です。まぁ、生徒もリハビリですが、教員もリハビリです。
午前は保健部研修。内容は発達障害の生徒の学習保障です。簡単に言えば、ipad使わせたらええやんかという話です。個人的にはDO-IT Japanとか知ってるし、まぁそらそうやなと思います。つまり、人間の動作を入力・処理・出力にわけて、苦手なところをテクノロジーで補えばいいじゃんって考え方で、まさに今回の話とピッタリくるのです。スライドの中に「車椅子ばっかり使ってたら歩けなくなるとか言わないですよね。なのに、ipadばっかり使ってたら読み書きできなくなるよっていうのはなぜ?」ってあって、これもその通りやなと。ただ、医療モデル・個人モデルのもとリハビリを強制されていた時代は踏まえてほしいとは思いましたがね。さらに熊谷さんの「名言」も書かれていて、大筋はええなと思いました。
で、後半は実践編です。GIGA-SCHOOLの昨今、教室には原則的にはwi-fiが来てます。なのでネットが使える。てことで、ipadを使ったさまざまなテクニックを披露されます。それはそれでいいのですが、なんかイヤになってくるのはコマーシャルっぽいからかなぁ。Appleやgoogleにどっぷりはまる感じが、なんとなくイヤなんですね。まぁわたしもはまらざるを得ないんですけどね。
それでも「今やタブレットはタップではなく音声で操作する時代」というのはなるほどなと。「これがSOCIETY5.0」とか言われると、なんかイヤやなと(笑)。
その実例として、アラームも「6時に起こして」と言えばいけるということをやってみせたあと、こんな実例も…。
「女性の先生も、家に帰って料理されるとき、キッチンタイマーを押さなくても、声で操作できますよ」
と。
はい、きました。
ここまで、なかなかええやんと思ってたのが、一気にテンションだだ下がりです。
昨日の職員会議で「ええかげん「くん」とか「さん」とか、生徒を性別で見るのをやめましょうよ」と言ったその翌日にこれかよ。
さらに近くの教員に
「あれアカンよね」
と言うと
「男の先生も料理つくりますよね」
と。いや、そういう話じゃない。ここは性別役割分業の話であり、アンペイドワークの話であり、家父長制の問題なんです。つまり「男もやる」ではなく「女と料理を紐づける」ことが問題だって話です。
まぁけっきょくそういうことなのかなぁ…。
ある課題においては精通していても、「人権」で串刺しされてないと、他の課題でこういう話が出てしまう。残念やなぁ。
まぁ授業のネタはできましたがね(笑)。
ちなみに、午後は進路研修。こちらはひたすらデータを読み上げられて、これはさすがに耐えられませんでした^^;。
さてと。ゲンコを仕上げて、明日の始業式のセッティングをして帰りますか。

社会モデルで考えよう→論客と会う

いよいよ夏休みが終わりかかってます。夏休みの最後は職員会議と校内研修の2日間です。ちなみに、かつてはバラバラにやってたのを2日間にまとめたので、みんなあきらめてくれます。
今日の午前は職員会議。最近はペーパーレスなので、みんなタブレットを持って参加します。なのでわたしもipadに議案書を入れて、ついでにゲンコをちょこちょこいじるなど(笑)。まぁそうなりますわな。
ただ、生徒の個人情報にかかわるものや、冊子として持っておかねばならないものは紙で配布されます。
で、ある生徒にかかわるペーパーを見ると、「〇〇くん」とあります。
んー…。盆明け仕事でジェンダー論をやった人間がこれを放置はできませんね。なので、挙手。
「あのー。そろそろ「さん」とか「くん」とか、生徒を性別で見るのはやめませんか?」
すると、その教員
「次からやめます」
と言われたのですが…。
わかってはるかなぁ。トランスジェンダーの問題ではないんですよ。生徒を性別と紐つけて見ること、あるいは性別に紐ついた形で生徒を見ることの問題なんです。
ちなみに、直後に、またまた「くん」とやりかかって「あっ!」とか言って、結局呼び捨てにされていて、不慣れなことをさせてしまったなと。まぁこれから問題提起していきましょう。

で、午後は人権研修です。講師は松波めぐみさん。タイトルは「社会モデルで考えよう」です。
うちの職場は「合理的配慮」の必要性を充分に認識しておられます。そして、さまざまな子らへの支援をしておられます。ただし、所轄分掌は保健部です。そこに一抹の不安がある。何かと言うと「日本型インクルーシブ教育」的な合理的配慮にならないかってことです。まぁ支援学級がないから、そこへの隔離はないとは思いますが、個に焦点化しすぎるあまり、木を見て森を見ず的な支援にならないかってことです。もっと言えば、従来の授業や評価のありようを問うことなく、支援が必要な子をサポートして「人並みの点をとらせる」みたいなことにならないかってことです。
なので、ここは合理的配慮の根幹にある社会モデルについてガッツリと話していただこうと思い、これは松波さんだなと。実は3年前に松永真純さんに来ていただいて話をしてもらいましたが、今回は、より理論的な話が聞けるのではないかとワクワク。
てことで、若い衆の車に乗せてもらって駅まで迎えに行くと、向こうから来られました。少しお疲れ?でしょうね。かなり忙しそうというか、追い込まれてそうというか。わたしもだけどね。
で、セッティングをしていると、続々と教員が来ます。時代も変わったなぁ。てか、10分前に来るのね。生徒には言うけど、自分はやらない人がほとんどだったのになぁ。
てことで、研修スタート。
まずは自己紹介から。ただ、自己紹介はそのまま自分と人権教育の出会い、そして障害者との出会いへと進んでいきます。このあたりが大切なんですよね。当事者ではない人が、出会いの中で変わっていく。それは、誰にでも開かれている可能性ですからね。なんというか、もちろん社会モデルも学んでほしいけど、そういうところも学んでほしいんですよね。
そして「気づき」へ。松波さんの「気づき」は、具体的な人との出会いの中での気づきです。ただそれだけではなくて、あえて言うなら「失敗」からの気づきです。これも大切ですね。失敗を単に失敗で終わらせずに引きずる。モヤモヤもんもんとする。するとそれが、それ以降の出会いの中で発酵する。そして気づく。性急に答えを求めないからこその気づきです。
そこから「特権」の話へ。最近、出口真紀子さんが発信しておられるのかな。きちんと読んでないというか、ホントに読むヒマがなくて、今どうしようもないのですが、そのうち読まなくちゃ。どんどん置いてけぼりになります。が、そこで言われていることはわかります。てか、「マジョリティとはなにか」という問いは、わたし自身も立てていて、そんな中で考えてきたし、どこかに書いてきたことです。でもそれはネットの片隅のことでした。それがケイン樹里安さんなんかがドカンと問を出されて、まとまってきたのかな。ただ、社会モデルを身につける上で、おそらく特権を自覚することは避けて通れませんね。もちろん、権力は網の目なので、ある特権を持っていることが絶対的な権力というわけではないです。が、「気にせずにすむこと」ということ気づくことは大切です。そしてここから社会モデルへと流れていきます。
社会モデルそのものは、まぁ、個人的には「直感的に知っている」話なのでアレですが、でも、多くの教員にとっては寝耳に水じゃなくて、青天の霹靂じゃなくて、まぁビックリでしょうね。
おそらく今回の話でとても大切だったのは、繰り返しになるけど「特権」ですね。それがストンと落ちるための大切な仕掛けだった気がします。
てことで、研修会終了。
研修終了後にいろんな人に
「どうやった?」
って聞いたら、
「今まで考えたこともなかった」「すごく新鮮だった」
と、かなり好評でした。みなさんの感想が楽しみです。
本来ならば、松波さんを「接待(笑)」しなきゃならないんですが、今日は所用で大阪に行かなきゃなりません。
ということで、JR→京阪→地下鉄の乗り継いで、難波へ。2時間かかりました。
ここで、H野Tまとさん、O崎H菜子さん、M田Rりぃさんと合流。なんか、論客ばかりです。わたしは小さくなりましょう。みなさんが繰り広げられる論議に「ほー」「へー」となりながら、ビール→日本酒→焼酎お湯割りという、身体に優しいコースを歩みます。「ほー」「へー」だけではアレなので、二丁目の話が出てきたところで、M崎R美子さんの話を振ってみました。結論は、あの方はクイアだってことでした。
そんなこんなで、3時間ばっかの呑みが終了。ここから帰るのか…。いや、明日も仕事だよ。

人権教育の今後を考える―「特別な教育的ニーズ』をめぐって―

今日は、某人権教育研究会の夏季研です。
てことで、集合時間は8時45分。マジかと思いながら、会場へ。なんだかんだと準備をしていたら、開会の10時になってしまいました。
午前は分科会。今回の夏季研は、わたしなりに気合いを入れています。
とにかく京都「府」の在日外国人教育は遅れています。とりわけ、日本語指導が必要な生徒へのとりくみは、完全に個々の学校に委ねられていて、それらを共有したり継承したりするしくみが一切ありません。まぁ、全外教京都がそれをやらなきゃならないんですが、全外教京都がイベントをしても「仕事」にはならないから、みんな来てくれません。かと言って、某人権教育研究会のレポートに上がってくるかというと、そういうしくみもない。そんな中で誰がしんどい思いをしているかというと、生徒たちです。なので、わたしの最後の仕事は在日外国人教育と決めました。もっとも、どこまでやれるか知らんけど。
で、今日の分科会では日本語指導を経験した/しているふたつの学校から実践報告をしてもらうよう画策しました。ほんとうはあと2校出してほしかったんだけど、うやむやのままに出してもらえませんでした。でも、この2校が出してきたことは大きかったですね。片方の学校は、いろいろ人的資源をかけながら、支援をしています。ただ、それでもダメだった経験があって、その経験を生かせて新たなとりくみをしておられることがわかりました。まぁ、もともと生徒を大切にする文化のある学校なので、それができるのかな。もっとも、他にもいろいろレアケース的なものはありますがね。もうひとつの学校も、生徒を大切にする文化があるのですが、なにしろ生徒を支援する学校を支援してくれるしくみがない。その中でやってきた、「試行錯誤」を、かなり詳しく報告してくれました。
この2本のレポートに対して、いろいろな質問や意見が出たし、さらに京都府国際センターの堀江さんがさまざまな指摘をして下さって、感謝です。まぁ結論は、「経験の共有と継承をするためにも、外教組織をつくらないとダメ。そしてその保障を府教委がやらないとダメ」という、あたりまえの話なんですけどね。でも、そこへ持っていくためにも、大切な一里塚だったんじゃないかな。
午後は記念講演です。が、その準備がえらいこってす。なにしろサテライトをつくらなきゃならないので、2会場をzoomでつながないといけません。それをひとりでやると、けっこうめんどうです。あれやこれやとやっていたら、講師の方から「もうすぐ着くよ」という連絡が入ったりして、なかなかてんやわんやな昼休みでした。1時間半休みがとってあってよかった。
で、記念講演。講師は原田琢也さん。演題は「人権教育の今後を考える-「特別な教育的ニーズ」をめぐって-」です。
原田さんとはじめてお会いしたのは「関西インクルーシブ教育研究会」という、謎の研究会でした。ここで京都市の中学校教員から大学教員になられたと知って「へー」と思いました。さらに、原田さんの論議がおもしろいんですね。どう考えてもルーツが同和教育にあります。この研究会はインクルーシブ教育がテーマだし、自分は専門外なので、なかなか発言ができませんでしたが、いつだったか発言をしたら、原田さんもわたしの「お里」がわかったようで、それ以来、少し気にかけてくださっているような気がします。そんな、原田さんの論議で教わったのが「特別な教育的ニーズ(SEN)」と「原学級保障」です。特に前者を知って、「在日外国人もSENがあるんだから、インクルーシブ教育で扱えるじゃん」と思ったのは大きかったですね。
ということで、今回の講演では、あたかも「インクルーシブ教育」を扱っているように見せかけて、それを特別支援教育にとどまらないところまでもっていくということを意図したいなと思いました。
で、内容です。トピックスは「同和教育の軌跡」「現在の社会と教育をめぐる状況」「日本のインクルーシブ教育制度の課題」「事例の紹介」「これからの人権教育を基盤にした学校づくりの方向性」の5つです。
まずは「同和教育の軌跡」です。これは新採教員に聞かせたい。「今日も机にあの子がいない」からはじまる同和教育の軌跡、なかでも「差別の現実から深く学ぶ」ことの大切さを、あらためて感じさせられました。うーん、やっぱり「人権教育だより」に連載しようかなぁ。でも、その時間、あるかなぁ。続いて「現在の社会と教育をめぐる状況」。新自由主義の中で「自己責任化」されるシステムが、とてもよくわかりました。そしてそれが「しんどい子ら」の自己責任へとつながっていく。そこに差別と貧困の共通するものがあります。そして「日本のインクルーシブ教育制度の課題」です。
そもそもインクルーシブ教育はサラマンカ宣言で謳われていて、そこには「万人のための教育」と「統合主義」があげられています。ところが、日本のインクルーシブ教育は「障害のある子」に対しておこなわれるため、結果として「分離教育」となります。そしてこれを「インクルーシブ教育」と名づけている。さっぱりわかりません。まぁそんなあたりについてていねいに話していただきました。そして、「事例の紹介」。
まずはイギリスのロンドン・ニューアム区の事例。ここ、なんか『ハマータウンの野郎ども』に出てきそうなところらしいです。そういうところでおこなわれるインクルーシブ教育は、当然障害のある生徒に特化したものにはなりません。というよりも、イギリスは「障害のある生徒」とは捉えず「特別な教育的ニーズのある子」ととらえる。だから、移民の子どもなんかも特別な教育的ニーズを持つわけです。あと、おもしろいなと思ったのがLDです。これ、Learning Disabilityの略と言われますが、イギリスではLearning Difficaltyなんですね。とにかく障害を使わない。次にあげられたのが、オーストラリアのクイーンズランドです。ここはアボリジニの生徒がメッチャいるらしいです。原田さんの話でおもしろいのは、そういう移民の子どもやアボリジニの子どもへのとりくみを話されることで、いわゆる「障害」の話をあまりされません。それは、わたしからのニーズを受けとっていただいたからということもあるでしょうが、もうひとつは、移民の子どもやアボリジニの子どもに相当する子が日本では「発達障害」とされてしまう可能性が高いんですよね。おそらくそのことを念頭に置いてはなしをされたのかなと。で、アボリジニの子どもに対してやってることが、まんま同和教育です。専門のスタッフが、バスに乗って家をまわって子どもをたたき起こして、学校に着いたらスポーツやって朝ごはん食べて、それから教室に送り出す。なにかあったら、専門のスタッフに連絡があって、さまざまな対応をする。クイーンズランドの場合、そういう専門のスタッフを財団がつくっていたりするのがいいですね。まぁでも西成高校の「となりカフェ」みたいなものかな。そして、日本においても大空小学校とか松原高校の事例をほんの少し紹介されました。
最後に「これからの人権教育を基盤にした学校づくりの方向性」です。ここで再び同和教育が出てきます。そして、「特別な教育的ニーズは、本当に障害から来ているのか?」と問いかけられます。まさに「差別の現実から深く学ぶ」ということばは、その子の困難をその子に帰せず、社会の問題へとパラダイムを変換することを意味しています。そのことと、インクルーシブ教育は結びつく。そして、それは「あるべき学校」をめざすものではない。わたしも「理想の社会なんてない」って思っています。それを、原田さんは「人権教育を基盤にした学校づくりも、飽くなき挑戦であり、ゴールのない旅。私たちはその旅の途中にある。これからも楽しみながら旅を続けたい」と締めくくられました。カッコイイ!
とにかくおもしろかったし、若手教員に聞いてほしい内容でした。ありがとうございました!
さぁ、あとは片づけだ。そして帰ってビールだ!

人間にとって文化とはなにか――ゴリラから見た人間社会

水曜日の授業は3・4のみです。なので、いろいろできる日です。でも、朝、なんとなくイヤな予感がしながら出勤。机のところに行くと、予感は的中してました。
「2時間目、会議、お願いします」
という紙と、午後の山極壽一講演会の実施要項が置かれてました。
てことは、空き時間は1時間目と放課後の1時間のみってことです。なにもできないな。てか、おべんと食べる時間もないんじゃないか?そういや、今日の昼休み中庭コンサートですよね。そもそも、今が短縮授業期間なのは、成績処理のためですよね。そんな日に午後全部がつぶれる行事を入れてどうすんねん。とにかく、ありとあらゆることがおかしい。
でも、しかたないです。
とりま、あちこちにメール送ったり、昨日のリアクションペーパーを入力したり、はたまた成績処理をしてみたり。始業前にできることをやり、1時間目にできることをやり、あとは会議と授業。しかし、授業の時間が一番楽だな。
幸いおべんとを食べる時間を若い衆がつくってくれたので、バババとかきこんで、中庭コンサートをチラリと見て、そのまま車に乗せてもらって校区のホールに移動。わたしの担当は駐輪場への誘導です。てか、辻々に教員が立ってます。これ、地域住民から苦情が出ないための交通整理です。
やがて最後尾の子どもがやってきて、用務終了。よほどこのまま職場に帰ろうかと思ったけど、ある生徒と
「センセイ、聞くのん?」
「どうしようかなと思ってる。聞いたほうがいいと思う?」
「うん」
という会話をしたので聞くことにしました。たぶん、明日の授業、講演の話からスタートするための伏線やな。
で、山極さんの講演。なんでも市民大学の講座も兼ねてるとかで、ホールは満席です。てか、あとからあとから入ってこられます。わたしの隣にあった空き席にも、講演中に「すみません」とお年寄りが入ってこられました。この人がうるさい。紙袋にものを入れたり出したり。てか、帽子がわたしのところにはみ出てるし。挙げ句、向こう隣の人に時間を聞くし。他にもあちこちでスマホの着信音が鳴るし。なんなんだ。
それはおいといて、山極さんの講演ですね。
ひとことで言うなら、カルチャー講座です。まぁ、そういう講演会だからそれでいいんです。
内容はサル・チンパンジー・ゴリラ・ヒトを比較することで、ヒトの特徴を明確化する。それが「共に食べる」ことと「共に保育をする」ことらしいです。そうなったのは必然がある。草原の中で生活するとそこは敵だらけです。必然的に「強いもの」が食べ物をとってきて弱いものにわけあたえることになる。だから「共に食べる」。さらに敵に子どもを殺されるから多産になる。そのためには早く離乳しなくちゃならない。離乳した子どもをほっとけないから「共に保育する」。したがって、生殖にかかわらない年代も長生きする必然が出てくる。こうやって「共に」がヒトの特徴だけと、現代は「共に」ではない方向へと向かっている。それは、ヒトのもうひとつの特徴である「長距離移動」とかかわってくる。ただそれが極端にまで進行している。
そんな世界でどうするかって話です。
まぁいろんなことをすっ飛ばすと、最後のスライドは「ここに来たか」でした。それは「コモンズ」と「シェア」。例えば移動が前提になると、所有するものが減る。そうするとシェアやコモンズが必要になる。さらに所有の価値がなくなっていき、価値は行為へと移行する。
まぁそれはそうですね。ただ、その「コモンズ」にかかわって、皆保険とか大学無償化とかが書いてあって、それはおもしろかったですね。それが「ここに来たか」です。
山極さんって、たしか、吉田寮のこととか立て看のこととか、いろいろアカンことをやったって印象ですが、こういう側面もあるんだなと思ったり、まぁでも大学人としては当たり前かと思ったり。

夜は4人のおべんきょ会。わたしからはまだペーパーは出せません。理由は2つで、ネタがないことと時間がないことです。ただ、他の人たちがいろいろ出してくれたことで、ネタはできてきました。あとは時間やな。
しかし、今週は忙しいな…。さすがに疲れてきた。