「見たくない」病が発病

朝、寒くないですね。立番で足先の感覚がなくなることもないです。2月でこの暖かさですか。まぁ楽ですけどね。
立番の中で、うちのガッコのことについて雑談。中堅教員が
「ここは、やりたいことがなんでもできる学校」
って表現してました。
確かにね。例えば国公立にチャレンジしたければ、それを応援します。でも、就職したければ、それを応援します。クラブをがんばりたければ、それも応援します。文化祭で弾けたけば、それも応援します。もちろん、クラブが常時全国大会に行くような学校ではないです。でも、顧問の人たちは熱心に指導されています。うちの職場は、何かに特化した学校ではないです。だから、秀でたものはない。でも、なんでもできる学校です。
さっきの教員は
「でも、それがわかっていない生徒が多い」
と続けていました。逆に、入学すればそれでエスカレーターに乗ったように進行するわけじゃないです。自分で動かないといけない。まぁそういう学校ってことです。
朝イチは支店長と副支店長の最終面談。
「来年、新たにとりくみたいことは?」
と聞かれて
「まだ新しいことをやらなきゃならんのですか」
と答えてしまったり。いや、かなり斬新なことをやり続けているつもりなんですけどね。まぁそれでも、もう少しこの人生が続きそうです。
2時間目は教科会議。もめそうなネタを思いついたので、会議では話さず会議のあとチーフにこっそり話してみました。
「第3観点な、伸び率でつけたら?」
隣で聞いていた教務部長が
「お!」
という顔をしてました。いや、大阪の自立支援コースでやってることを流用しようと思っただけなんだけど、どうやら斬新なものの考え方だったみたいです。
職員室に帰ると
「ありがとうございます!本命ですよね!」
と元気な声が…。
「お、おぅ」
と返事しました。昨日のお礼のようです。こういうしょーもないやりとりができるのがいいですね。
放課後は明日の特殊業務の準備です。パタパタやって一段落ついたところで、ふと来年の研究会でodd socks dayのとりくみをレポートしてほしいなと思い、仕掛け人にオファーしてみました。
まぁいろいろ忙しいのでどうなるかはわからんのですが、でも、やはりしてほしいな。
なんでも、うちから転勤した人がodd socks dayのことを知って、自分の学校でもやりたいと思われたんだとか。ところが他の人が
「なんでそんなこと?」
状態だったらしいです。
まわりで聞いていた人が
「へー、うちはそんなことないよね」
と。たぶんみなさん、odd socks dayの意味をわかっておられる。そして、別に強制することでもないし、こういうことはどんどんやればいいって思っておられるんですよね。だから、やるのがあたりまえなのかな。
「やっぱり、うちは人権のこと、がんばってるから」
って言ってくださって、素直にうれしいですね。
さてと。特殊業務の準備も終わったし、少しおべんきょをしようかな。ということで、おべんきょ成果の原稿をプリントアウト。
うーん、読めない。というか、読みたくない。
また発病したか。でも、これを乗り越えなくちゃ…。

石のごとく

朝、職場に着くとセクションのチーフとばったり会いました。
「すみません。1000円お願いします。〇〇せんせいに渡してください」
なんでも明日のためらしいです。
うちのセクション、7人で、ちょうど男女が半々です(笑)。ただ、少し女性の方が多いのか。
こないだ「女として教員をする」にからんでしまいました(笑)。いや、公立学校の教員の場合、公務員なので、憲法によって男女は同一の処遇になることが決められてるんですよね。だから「女として働く」ことはありえないんです。だからからんだんです。ただ、「女として存在する」のは別です。それを可能とするのは「女として働きます」という「カミングアウト[1]ここでは狭義の告白?お願い?宣言?としてのものを指す(笑)。」ではなく、「1000円お願いします」「はい」「あ、おつり50円」みたいな相互行為を積み重ねることで成し遂げられると、わたしは思っています。
まぁいいや(笑)。
今日は出張のない出張日です。なので、明後日の特殊業務のためにチャイムのテストをしましょう。てことは、ほぼ1日PCの横にいなきゃならんということです。
まずはチャイムを鳴らすPCを起動して、ソフトを起動。
あとはPC仕事を淡々とこなすだけです。
まずは昨日原稿が送られてきて完成した組版仕事のチェックです。と、フッターの書式が統一されてないことが判明。あわてて書式を統一したり。まぁでもとりまなんとか完成までこぎつけました。ほんとうにありがとうございます→I藤K雄さん。
と、なんとなく某在日外国人教育関係の通信を横組にしようかと。てことで、テンプレートをつくったり。まぁこれでいけたかな。
あとはおべんきょをしましょうか。
とにかく挿入部を均す感じです。でも、たぶんそういうやり方ではアカンのでしょうね。ではなくて、ざっと読んでつくりなおす感じかな。ただ、つくりなおす前に均したものをつくりたい。とにかくノツコツやって、なんとなくなんとかなったのかなぁ。
あとはプリントアウトですね。
そんなことをしてたら数学科の若いチーフが来て対数をめぐるよもやま話。わたしの雑談を聞いて
「そんなこと話してるんですか。どうやって知ったんですか?」
と言うので
「工学部出身やしなぁ」
と身も蓋もない返事をするなど。
さてと。定時が来たから帰ろうかな。

footnotes

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1 ここでは狭義の告白?お願い?宣言?としてのものを指す(笑)。

1日会議

今日は午前・午後ともに会議です。なので、朝は少しゆっくり。ふだんからこれくらいゆっくりできたら、ストレスはかなり少ないんですけどね。てか、朝の通勤ラッシュとかフレックスタイムにしてくれたらずいぶん解消されるのにね。covid-19で少し変わるかと思ったけど、結局何も変わらないという。
まぁそんなこんなで、京都府南部の進学校へ。ここ、駅から遠いんですよね。テクテク歩いて到着。まぁ軽い運動にはなりました。
まずは授業参観です。前回の会議は「現場の教授学」が必要な学校でしたが、今回はそんなのは必要ないです。教員が質問したら、生徒は淀みなく答える。淡々とそんなのが繰り返される中、教員は短くコメントを入れる。そんな感じ。どちらの学校で教員生活を送るのが幸せかは、よくわかりません。
授業参観のあとは各校の情報交換。そして、来年度もこの会議をしようねということで、おしまい。
午後の会議も同じ場所なので、そのままおべんとをパクつきます。あとはネットでいろいろ調べものをしたり。
午後の会議は恒例の会議です。ただ、「元締め」が発熱で欠席。去年の「元締め」が仕切ってくださいました。
まぁこちらのほうも紛糾(笑)することもなく終了。しかし、デフテニス選手の講演を聞いた子の感想が「障害があるのに」的なのがほとんどなくて「勉強と部活動の両立がすごい」とか書いてるのが多かったのがおもしろかったかな。
帰り道、Aっちゃんと一緒に第2のふるさとに寄りました。ここでよもやま話。こんな風景を見せたいんですよね。
で、頃合いもよしということで、おいとま。
そんな一日でした。

沈没

朝、完全に身体が動きません。なので、1時間労働者の権利を行使することにしました。
ノロノロと出勤。あまりにも眠すぎます。幸い、金曜日に闇で来たので、机の上の書類は減っていました。やれやれ。
3時間目の授業は眠気をおさえながら、なんとかやれました。
4時間目、ほんとうは走りたいけど、ここで走ったら「詰む」ので走りは断念。ひたすら書類関係を処理します。それにしても2週間走ってません。やばいな。
午後もダラダラ授業です。とにかく、あまり早く進むとあとが困るので、牛歩の如く進みましょう。
放課後、資料集の組版をしなくちゃならないことに気づいて、作業開始。しかし、書式がメチャクチャです。みんな「1」「(1)」「ア」みたいにナンバリングするのが好きですね。
ーーー
(1)第1回会議
(2)第2回会議
ーーー
みたいなのの「(1)」「(2)」って必要なのか?
あと、令和令和とうるさい。これも修正しなくちゃ。
そんなことをしていたら、気がつくと6時です。同僚に
「わたしが今頃まで仕事してるから、これは雨が降るな」
というと
「すでに降ってます」
と冷たく返されました。まぁお約束です。
さて、帰りましょう。

お呼ばれ

朝、今日も寝坊です。完全にゆっくりするのが定着してしまってます。こわいな。それにしても、何をする気も起きません。走りに行きたいと思ったけど、体調が悪いです。しかたないので、買い出しのあとはダラダラしましょうか。
と思っていましたが、資料集の組版をしないと自分の首が締まることを思い出して、少し仕事。そうそう、筋トレくらいはしておきましょう。
夕方、スタート。今日はN川せんせいのお家にお呼ばれです。
到着して出迎えてくれたのはこれ。

ご自分で釣られた80cmくらいの鯛で、その兜の酒蒸しです。うまいわ。他にもサワラの刺身の炙りとかゆべしとか。
そんなおいしい食べ物をいただきながら、ひたすら人権教育をめぐる話が続きます。やはりこの世界にいるんだなぁ。
てことで、気がついたら終電の時間でした。ヤバイな。

今日は7時起きです。ちなみに、今週は昨日までは目覚ましをかけなかったのですが、久しぶりに目覚ましをかけました。が、目が覚めたのは6時前。やはり、目覚ましのプレッシャーはよくないです。
ということで、実家に寄って、いろいろ積み込んでガッコへ。実は特別休暇は今日までなんですが、ガッコに行く用事があるので、とりあえず来ました。ついで3・4時間目の授業もやってしまおうかと。ほんとうはこういうことはやっちゃダメなんですが、まぁリハビリということで。しかし、3時間目は11時からなのに、10時と間違えてガッコに行ってしまったのはご愛敬です。
ガッコに着くと、クロカンの真っ最中です。一緒に走りたいけど、今日はやんぺ。自分の机に行くと、キーボードに山のようにものが詰んであります。これを崩すところからですね。さらに採点してもらった答案の転記をしたり。なんだかんだとやってると、あっという間に11時になりました。1時間間違えてよかった。
授業の方はテスト返しです。完全にイベント化しています。これが楽しい。あとは30分ほど授業をしておしまい。
その後、なんだかんだと用事をして、14時頃に脱出。さすがに疲れてきました。それでももう一度実家にもどって、片づけの手伝いをして。少し時間があきました。行こうかな。

今日もレジェンド席です。お向かいの常連さんがいきなりワンカップをおごってくださいました。が、1杯目は燗酒です。一口飲むと、うまいなぁ。しみじみと身体に染み渡ります。
あとはふたりで30分ほどいろいろ話をして、そろそろ閉店です。お代は450円。いろいろおかしい。
さぁ、帰ってのんびりしましょうか。やはり疲れた。

片づけ

今朝も身体が動きません。が、8時過ぎになんとなく目が覚めました。そうこうするうちに、仕事があるので先に起きたパートナーが部屋に入ってきました。
「何時に出るの?」
「8時35分のバスに乗る」
「いま、8時25分だよ」
「え…」
あのね…。
結局、最寄り駅まで送ることになりました。まぁでも、この時間なら始業時間には間に合うでしょう。
ということで、家に帰って朝ごはんを食べたら本日のタスク開始です。
本日のタスクは母親の部屋の撤収です。4年間ではあるけど使った部屋へ。

主を失った感じですね。ここから、ひたすらダンボールに詰めていきます。まぁ生活に必要なもののほとんどは服です。それ以外のものはヘルパーさんが整理してくださってます。なので、そんなに大変ではありません。ダンボールを運び出したら、あとは大物の搬出です。と言っても、テレビと机と洗濯機ですね。
これらを車に載せて、実家に搬入。そして再び部屋にもどって最終チェック。
あ、カーテンを忘れてた…。さらに施設の方から
「トイレは?」
と言われ
「あ…」
となるなど。でも、そんなこんなもすぐに終了。さてと、空きました。

なんか、あっけないですね。
あとは関電に電話して電気の解約をしたら、部屋の撤収は完了です。
そうこうするうちに、みんな帰ってきてにぎやかになりました。さてと、晩ごはんは少しだけ豪勢にいこうかな。

なんちゃってにぎり鮨です。白いのはシャリのみのもの。好きなものを乗せてもらいましょう。
食後はパートナーが「少し早いけど」とくれました。

なんでも社員価格で買えたんだとか。すばらしい。そしておいしい。ウィスキーがすすみます。寝る前にヘッドとフェイスをしてもらって、ようやくリラックスしました。
さて、寝ましょうか。

葬儀式では修正した

葬儀式は11時からです。いちおう10時集合だけど、起きたのは9時前です。とにかく身体が動きません。すんごいきついです。それでも、とにかく起き上がって朝ごはんを食べて、スタートです。
教会に着いたら、遺族代表あいさつを考えるために別室へ。元ネタは『ありのまま〜』にして、そこにいろいろ付け加えましょうか。
しかし、この作業はきついです。なにかを話すためには思い出さなきゃなりません。それも子どもの頃の事を思い出さなきゃなりません。まぁなんだかんだ言っていい子ども時代を過ごさせてもらったんだろうなということ、そしてそこからずいぶんと遠くまできたってことを思うたびに涙が出てきます。こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。
10時59分になったので、タイムアップ。
牧師さん、昨日とは聖書を変えてこられました。ちなみに、昨日は「フィリピの信徒への手紙 3章12-14節でした。てか、これは父親が好きだった箇所です。今日は「ローマの信徒への手紙5章1-5節」でした。たぶんこちらが母親が好きなところなんだろうけど、思わず「これかよ!」とは思いました。
そんなこんなで式も滞りなく終了。わたしのターンです。

今日は母・淳子のためにわざわざお越しいただいてありがとうございます。
最近の若い人はスピーチの時にスマホを見ながらしゃべるので、わたしもタブレットを見ながら話すことにします。
母・淳子は、戦前生まれとしては珍しく国立の教育大学で数学を研究していました。小さな頃、手回し計算機の話をしてくれたことを思い出します。根っからの理系で、ずっとNEWTONという雑誌を購読していました。数学を好み、音楽を好み、文学を好み、星を好み、山を好み、植物を好む、そんな天真爛漫な人でした。
わたしは一番目の子どもとしてとても大切に育てられました。家には中古の白黒テレビはありましたが、テレビの思い出はほとんどありません。実は、わたしが仮性近視ということで、テレビを見るなと言われていました。仮面ライダーを見たいというわたしのために、両親は一緒にトランプやダイヤモンドゲームやチェスを一緒にしてくれました。両親はとてもたくさんの時間をわたしに割いてくれたんだなぁと思います。 わたしはそんな両親の影響を強く受けながら育ちました。星が好きで、音楽が好きで、文学が好きなわたしは、紛れもなく母親の影響を受け、今は数学の教員をしています。
わたしが物心ついた頃から、家には父親のゼミ生がよくきていました。そこでは激しい議論をする学生たちに混じって、本気でその議論に参加している父親の姿がありました。でも、その激しい議論が終わると、母親の得意料理のミートローフをみんなで食べました。きっと、議論することもさることながら、みなさん、ミートローフを食べるのを楽しみにしておられたんじゃないかと思います。
母はとても不思議な才能を持っていました。家の庭にはたくさんの植物がありましたが、ほとんどが山歩きで摘んできたものでした。それらを不思議なほどに上手く育てていました。ある時「家でできたコゴミだから天ぷらにしてくれ」と持ってきたことがありました。どんなふうにしたら家でコゴミができるのか、いまだに不思議でなりません。
とにかく母はフリーダムな人で、束縛をとても嫌いました。例えば骨折をしても人工関節は絶対に拒否をしました。今から5年前、心臓の弁膜症で救急搬送されたことがありました。実はその時、気管挿管をするかどうかを決めなければならなりませんでした。その時も、弟と話し合って「しない」という決定をしました。医者はびっくりしていましたが、「もしも一命を取り留めた時、「この管は何?誰がこんなものを入れると決めたの。こんなのを入れたまま生きるのは嫌だ!」というに決まっている」と説明しました。
そういう人なので、きっと皆さんにもご迷惑をおかけしたことがあったかと思います。でも、皆さんのおかげで、母はフリーダムな人生を送ることができたんだと思います。本当にお世話になりました。
きっと今頃、父・昭夫と天国で再会をしているんだろうなと思います。 母親は、もしかしたら父親の窮地を助けたかもしれません。が、この社会はまだまだ窮地にある気がします。その窮地をなんとかするのが、残された私たちに与えられたことかもしれないと思います。
最後に、残された妹さん、そして弟家族や私たち家族をこれからもよろしくお願いいたします。

そして献花→最後のお別れです。職場から供花があったおかげで母親は花で埋まりました。ありがとうございます。この4年間飲めなかったワインも入れました。
そして出棺。わたしは喪主ということで、牧師さんとハイヤーに乗りました。中では牧師さんといろいろ話。
んー、やはりたいへんやったんやろなぁ。とにかくフリーダムだし、ガンコだしなぁ。まぁまわりは困ったかもしれないけど、本人も「いろいろたいへん」だったんだろうなぁ。そうやってたいへんなまま生きられたのも、まわりの人たちのおかげですね。
やがて京都斎場に到着。簡単な式をして、やがて母親はバーナー室へ。待ち時間の間に昼ごはん。おなかが減ったので、明太子釜玉うどんにしました。

うまいなぁ。おなかいっぱいです。
やがて骨になった母親と対面。お骨を拾って骨壷へ。これで「式」関連はすべて終わりました。あとは母親を家に連れて帰るだけです。
実家に帰って、父親と仲良く写真を並べて、山のような花を飾って、おしまい。
晩ごはんは弟家族とサイゼです。白ワインのマグナムボトルを頼んだけど、1本あけてしまいました。もしかしたら、母親がへつったのかもしれません。
さて、家に帰ってお風呂に入って寝ましょうか。

前夜式はグダグダ

今日は母親の施設に1時半に集合らしいです。なので、午前はちょこちょこと雑事。昼ごはんをさくっと食べて、母親の部屋に行きました。今日はまずは湯灌なるものをするとのことです。簡単に言うと、入浴です。うまいことしはるなぁ。その後、納棺。
そして、教会に向かいます。わたしは母親と一緒に行くことになりました。途中、実家に寄ってもらいました。
「おかえり。そしたら行くで」
と声をかけて、教会へ。
ここで一段落です。とりま、一度家にもどります。次に教会に行くまで少し時間があるので、ヘッドライトのチューブを交換しましょう。暗くなる前に交換できてよかった。
そして再び教会へ。パタパタしていたら、あっという間に前夜式の時間です。今井牧師の司式で無事礼拝も終了。式のあとは「喪主」のあいさつです。
えーと。
話そうと思っていたことはあったのですが、グダグダです。明日はもう少しきちんと話しましょう。
それにしても、父親の時とは打って変わって参列者は少ないです。でも、少ない中で来られた方は、ほんとうに「来たい」と思って来てくださった方です。そんな方々と、少し話。そして終了。
父親の時は宴会したけど、今日はやめておきましょう。とにかく家に帰って晩ごはんを食べてクールダウンです。

行くか、もどるか・日教組教研1日目

今日から毎年恒例の日教組教研です。場所は北の大地です。なので、今日は労働者の権利を行使しましょう。
とは言え、昼に着こうと思ったら、京都発はけっこう早い時間になります。とりま、京都駅からバスに乗ります。けっこう混んでますね。
そんなこんなで関空まで移動です。が、ここで突然連絡が。なんでもヘルパーさんが母親を起こしに行ったら意識がなかったんだとか。とりまそのまま救急搬送されたらしいです。
マジか。GID学会岡山大会の時と状況が似てますね。ただ、あの時は前日だったけど、今回は動きはじめてます。困った。ただ、弟がいろいろ動いてくれてます。
てことで、弟と相談。
「どうしよう。帰ろうか?」
「大切な用事なんやろ」
「まぁそれはそうや」
「そしたらこっちはまかせといて。責任をまっとうしてきて」
たいした弟です。というか、わたしたちふたりはそうやって育てられたんやな。なので、北の大地に行くことにしました。
やがて弟から連絡。
「意識はないけど、できることがないので、そのまま帰すことになった。あと2〜3日らしい」
えーと、それはもって2〜3日ってことか?帰るまでもってくれたらいいなぁ。と
「意識はないけど、酸素ボンベははずせた」
少しホッとして、jetstarに搭乗。
ここでトラブル発生。コーヒーがこぼれて海になってしまいました。ヤバイ。でも、なんとか対処してもらって、無事飛行機も飛びました。
飛行場からすみやかに札幌に向かいます。しかし荒天です。快速エアポートのダイヤも乱れまくりです。それでもなんとか札幌に着いて、そのまま会場に向かいます。リュックがコーヒーくさい(;_;)。
会場に着いたら、受付の方が
「いつきさんですね」
とチェックしてくださいました。てか、なんでやねん。
分科会はちょうどはじまったところです。それでもおべんとをいただいて、分科会に参加。
と、弟から連絡です。
「入浴介護をしに行ったら息がなかった」
その8分後の13時48分に再び連絡
「死亡が確認されました」
とのこと。そうか。亡くなりましたか。あと少しで90歳だったから、まぁしかたないです。父親が亡くなってから16年、両親ともに亡くなってしまいました。まぁでもそういう歳だってことです。
その後、ひたすらラインでやりとりしながら、分科会に参加。今日のテーマは「労働・家族」です。
今日引っかかったポイントは「性別にかかわらず能力で」というフレーズ。いや、能力をどのように測るかって、メッチャむずかしいし。そしてそれは能力主義につながるし、さらには新自由主義とも親和性が高い。基本的にはヤバイ方向につながりかねません。が、学校の教職員は、基本的に能力が高い。だから、そのヤバさに気がつきにくい。なので、ついついそのあたりに絡んでしまいました。
休憩の時に、常連の友だちに
「実はな、さっき母親が死んだんやわ」
と言うと、みなさん
「えっ!ここにおってええの?」
と心配してくださいました。まぁそりゃそうか。
後半の論議の中で、ふと気になったのは、共同研究者の寺町さんが話されたアファーマティブアクションに対する学生さんの反応でした。学生さんたち、アファーマティブアクションを逆差別と捉えがちなんだとか。まぁそれゃそう思うかもしれません。が、そこでそう思うのはなぜかってことです。
人権教育の中で「被差別者の立場に立って」みたいなフレーズを出すケースがあったりします。そういうのがめぐりめぐって、逆差別みたいなところに行くんじゃないかなぁ。つまり、アファーマティブアクションは社会的な文脈で考えなきゃならないんだけど、それを個人のこととしてとらえてしまう。そうなると、フェミニズムが喝破した
「個人的なことは政治的なこと」
の逆
「政治的なことは個人的なこと」
になってしまう。
なんかこのあたりから、今回の教研で話したい方向が定まってきた気がします。
そんなこんなで5時半まで濃いぃディスカッションをして、1日目終了。
一度ホテルにチェックインして、リュックを洗いましょう。まぁこれだけ部屋が乾燥してたら一晩で乾くでしょう。
そして飲み会です。今日はインクル分科会の人たちの飲み会に乱入することにしました。もちろんY和くんがいるわけで、またケンカになるかと思いきや、数学の授業の考え方ややってることをほめられてしまってビックリするなど。
10時過ぎにお開きになって、S渡さんと
「もう少し飲もうか」
ということになったけど、お店は閉店間際です。しかたないのでセイコーマートでワインとアテを仕入れて、部屋飲みです。が、0時あたりでほとんど反応できなくなって、こちらもおひらき。ただ、S渡さんが帰られたところで、なぜか少し復活して、大浴場に行きました。
湯船に浸かって、少し身体を伸ばしたら身体もほぐれました。よし、寝よう。