落陽

いわゆる「明治維新」のあと、政府は民衆を教化する必要があった。その実現のために持ち出されたのが「社会教育」という概念。これは主として農村部・漁村部、あるいは都市部における貧困層を対象に行われる。これは、生活の改善・安定と引き換えに治安維持を目的としていた。
ところが、1920年代に5年間ほど、あだ花のように「自主・自立」を掲げた社会教育の側からの教育全体の再編の動きがあった。それを推進したのは経済界からの要請。その背景にあったのは「総動員体制の実現」だった。しかし、結局官僚からの強い反発の中でつぶれていく。
しかし、この「自主・自立」の社会教育は、例えば市民社会の実現をめざしていたのだろうか?そこには、リミッターが働いていたのではないか。というのは、「総動員体制」をつくるためには、事細かに教化をするよりも、ある程度自主的に動いてくれる方が効率がいい。そういう意図があったのではないか。果たして「誰の要求」だったのか。そこはまだ解き明かされていない。
で、社会教育は再び「教化」の方向へと向かいながら、日本は敗戦を迎える。
ここで再び「自主・自立」が掲げられることになるけど、臨教審路線以降「民間活力の活用」が叫ばれはじめる。その中で「教育と学習を切り離す」というロジックで「学習」が商品化されはじめる。その延長線上に今日の「生涯学習」がある。

みたいな話。
なんか、しんどかったですねぇ。100年ちょいかけて、「社会教育」の「思想」や「理念」を、ほれこそ命がけで探し求めた末にもたらされたものは「商品化」だった。
なんか、燃えさかるワルハラ城を見る気持ちがしました。

でも。
極端に青年会活動にシフトされた日本の「社会教育」は、高校進学率の低さによる補完の意味があった(代位状態)みたいです。それが、高校進学率の上昇とともに、その意味が薄れていった。であるならば、もしかしたら、格差社会の進行と同時に「高校卒業率の低下」が進行している(かもしれない)現在において、商品化された「生涯学習」にアプローチできないそうに対して、再び「社会教育」が必要とされる時が来るのかもしれないなぁなどと、ぼんやりと考えました。

持続可能な集団づくり

今日から3日間、まる一日おべんきょの日が続きます。少し気が重い朝です。
何が重いかというと、今、ガチで考えなくちゃならないことがあって、自分の意識の大部分がそこにいっています。で、そこに「おべんきょ」が割り込んでくると、意識が拡散してしまう。雑音が入るという感じですかねぇ。これがしんどい。でも、どうしてもやらなきゃならない「おべんきょ」なので、ここはふんばりましょうか。
「おべんきょ」の中身は「社会教育」です。そう言えば、今を去ること30年ほど前、とある面接試験の時に
「君は社会教育に関心があるんだね?」
「社会教育って何ですか?」
という会話をしたことを思い出しました(笑)。ま、その面接、合格したから今ここにいるんですけどね^^;;。
今日の内容は「事例紹介」とのことです。
まずは「松川町の健康教育」から。
詳しいことは省きますが、すごいですね。あこがれます。5年がかりでそこまでやるかと。でも、よくよく考えると、わたしが考えてきた「クラスづくり」「グループづくり」と似ています。わたしの場合、それを1年とか下手すると4日とかでやらなきゃならない。それを「出入りの自由がある」とは言え、5年かけてあるいは場合によっては更に長い時間をかけてできるわけで、そんなところに「社会教育」の可能性を感じてしまいます。さらにもう一つおもしろいなと思ったのが、実践を通して、社会教育を「する側」も変革されていく。
「教育とは変革である」
との言葉を吐かれた方らしいですが、それが「変革を促す側」にもある。なぜこんなことになるのかなと思ったら、たぶん「答え」があって、そこに近づく実践ではなく、常に試行錯誤の中から次の一歩を考え、踏み出す実践だからかなと。
そんなことを考えながら、次の事例へ。
次の事例は宇和島とか湯布院を題材にした町おこしの事例です。これもなかなかおもしろい。いわゆる「社会教育主事」みたいなのががんばる事例ではないのですが、リーダー格の人がさまざまな困難に対して、うまく町のリソースを使い、あるいは他のリソースを導入しながら町おこしをしていく。そんな話でした。
で、最後の事例は「東亜紡績泊工場」の「生活を記録する会」の実践です。15歳くらいで「金の卵」として紡績工場に就職してから、今に至るまで生活を記録する女性たちってなにものなんだと。しかも、その文章たるや…。
なんてあたりに感動しビックリしてたのですが、やがてジワジワと違和感が自分を襲ってきました。
ちょっとまてよ?
松川町の「若妻会」と社会教育主事の松下拡の関係。泊工場の「生活を記録する会」と沢井余志郎の関係。指導する男性と指導される女性。いや、けっしてそんな一方的な関係ではないのですが、なんなんだろうこの違和感。うーん。
ま、構図として、東洋の魔女大松博文

逃げ切った…

朝、野入さんのお宅を出て、どこに寄る元気もなく空港へ。空港では「金曜日に出します」と宣言したレポートを書き書き。
飛行機に乗って、しばらくは「あそこが那覇空港」「てことは、あれが普天間だな」「嘉手納基地が見えんなぁ」「うわ、辺野古は真下か」とか思っていたものの、沖縄本島を離れたところで爆睡です。目が覚めると高知のあたりを飛んでいます。まもなく着陸ですね。
空港からは「はるか」を使うことにしましょう。ほんとにしんどい。でも、車内でふたたびレポート書き書き。完成したところで送信です。
なんか、便利になったけど、どこまでも仕事ですねぇ。
レポートができたところで、きょうのおべんきょの準備開始。なんせ、事例報告しなくちゃならないのに、なーんにもできていません。
とりあえず家に帰って荷物を置いて、またまたおべんきょ場所へ移動。その道中、ずっとスライド作成です。結局、おべんきょ開始時間の5分前にスライド完成。あとは口先三寸でなんとかなるか^^;;。
しかし、20年近く前のデータがよくそろったもんだなぁ(笑)。

おべんきょのあとは、I城さんとか新しいおべんきょ仲間のF村さんなんかと打ち上げ。おいしいお好みをつつきながら、ジェンダー界隈のかなーり濃いぃ話をしてしまいました。
でもま、そろそろ身体も限界だな…。

学ぶ場所に正しいところはあるのか?

今日のおべんきょは事例研究でした。
んー
話を聞いていると、出口のないしんどさを感じます。なんか、泥沼に入り込んでいく感じかなぁ。なにがきっかけというわけでは、きっとないんですね。流れが「そちら」へと流れ込んでいく。あがいてもしかたない感じ。
そういう状態で
「みんなで話し合って」
とか言われて、どうしようかと。
「学校」で起こったトラブルに対する責任を「学校」はどこまでとれるのかなぁ。でも、例えば「友達関係」は「学校」を媒介にすることが多い。となると、「友達関係内のトラブル」も学校が責任をとるのかなぁ。でも、それって不可能なんじゃないかなぁ。だって、学齢期の子どもの生活はほとんどが学校にからまっているんだから、子どもの生活のほとんどに責任をとらなきゃならないことになってしまいます。
そんなことを考え、で、それぞれのグループごとにどんな話が出たかを紹介したあと「後日談」が話されたのですが…。

「学校とつながる」=「学びとつながる」
と、つい教員も保護者も考えてしまいます。しかし、ほんとはそうじゃない。
いや、「学校」がもっと「責任」から解放されれば「学び」とつながることも可能かもしれない。でも、「生活丸抱え」の「学校」である限り、子どもにとっての「学校」の持つ意味はあまりにも多くなりすぎ、それは「学び」以外のことを契機に「学校」から子どもが出ていく可能性が高まることを意味する気がします。
であるなら、純粋な「学び」を求めるために「学校」から「逃げる」という選択肢もありなんじゃないかなぁ。

「後日談」は、そんな「逃げ」の選択をした姿のような気がして、なんとなくホッとしました。

仕事を終えて…。というか、仕事を最後人にまかせて、とりあえず職場をあとにします。今日は久々のセンセとサシのおべんきょです。
でも、わたしのおべんきょ計画の話はあっというまにおしまい。あとは延々と「部落をどう伝えるのか」についての話が続きます。
端的に言うならば「部落ってなんだろう」っていう、今さらではあるけど、今も続く問いについて考える時間です。
ここで、どうもセンセとわたしの間にあるビミョーなすれ違いが明らかになります。まぁ、センセは部落問題のプロパーだし、わたしはしょせんはそんなプロパーの人たちから聞いた話で考えた人間なので、まぁレベルが違います。でも、そんなところで「まいりました」とかいうのもおもしろくないので、果敢に攻めるわけです。
センセは、わたしよりほんの少し上の世代です。でも、その少しの時期が問題で、大学時代を80年代に過ごしたか70年代に過ごしたかは、時間的には少しの違いだけど、社会的には大きな違いのようです。やはりセンセは、「マルクス主義的発想」でものを考えられます。に対してわたしは…。「マルクスを読んでない世代」というか、「マルクスを読むのをサボった人」なんで、そりゃズレますわ(笑)。
ただ、マルクス主義の影響をさほど受けなかったことは、それはそれで意味があるかなと。そこへもってきて、いわゆる同和対策の各種法律がどんどん切れていく過程を、見つめることしかしなかったけど、そこからなにをしていくのかを考えなきゃならない立場なわけで、そこから考える「こと」もあるわけです。
昨日のズレにひきよせるなら。
センセは、「部落であるメルクマールはなんだ」ということを考えられる。に対して、わたしは「メルクマールなんてあとづけじゃん」みたいな発想になるわけです。
「かつては川の向こうとこっちというメルクマールがあった。でも今はそういうものがない、あるいは希薄になっている」
「でも、その「川の向こうとこっち」というメルクマールは絶対的に存在していたわけじゃなくて、非被差別の側が恣意的につくったもので、根拠はないじゃないですか。だから、もとから希薄なものなんですよ。で、それを互いにつくりだしあい、維持しあう関係がある。メルクマールって、そういうもんじゃないんですか?」
みたいな。
たぶん、わたしは「かつての部落」をさほど知りません。なので、「絶対的な差がある」とは感じない。逆に「かつて絶対的な差」とされていたものも「川の向こうとこっちとで共同作業で維持されていたもの」と考えてしまう。
もちろん、これは個々の事例や個人の経験の語りには、表面上はあらわれてこないかもしれない。でも、たぶんそういう構造になっている。で、その「川」はあくまでも象徴であって、「川」は両者の「(表面上はあらわれてこない)ネゴシエーション」によって、その位置を変える。
そんな感覚があるんですよね。
つまり、「絶対的なメルクマールはない」あるいは「メルクマールはネゴシエーションの結果あらわれるもの」みたいな。

で、お互いに「ズレ」を残したビミョーな感覚を感じながら、おべんきょの時間は終わるわけです(笑)。

で、正念場

とりあえず、いつもどおりの時間に起きて、職場に向かいます。職場においてあるものをピックアップしたり、今日の最終準備をしたり。
で、おべんきょ部屋へ移動。
すでにおべんきょ仲間が集まって、なにやらものものしい空気が漂っています。
実は、わたしは昨日の夜、「なんとかなるか」って感覚を掴んでいたので、逆に自分の不足なところをいかに指摘してもらえるかってほうに気持ちは動いています。
で、いよいよ「中間発表」のはじまりです。わたしはなぜか最後…。まぁ、年齢順みたいなもんでしょう(笑)。
ひとりひとり発表が終わっていき、わたしの順番がやってきました。直前に「主体と客体」みたいな論議があって「その論議は90年代にあって」みたいな返しがあって、これは流れが悪いなと。で、
「なんか流れが悪いな」
とつぶやくと、司会のセンセ
「なんで?いい流れじゃないですか」
「いや、発表の文中に「主体」って言葉を使っちゃったんですよね」
みたいな会話をして、さて、スタート。いつものようにめっちゃ早口で15分間走りきりました(笑)。
で、10分間の「まな板タイム」です。何人かのセンセからツッコミが入りましたが、みなさん
「うぉい!そこ?」
みたいなツッコミで、少し欲求不満…。というか、一番掻いてほしいところを掻いてもらえてない感じ?はたしてうまくいったのかいかなかったのか、よくわからないままに「正念場」は終了。

夜中にやってくる

今日は昨日の反省に立って、問題箇所をほぼ全面書き直し。ふむ。羅列ではなく、キーワードを抽出しながらつなぎあわせ、しかも共通点をあぶり出して、持ち上げて叩く。なんか、ギョウザの皮をつくってる感じです(笑)。
半日コネコネしたけど、どうもイマイチしっくりなめらかにこないです。なんか、ギョウザの皮をつくってる感じです(笑)。
夕方、タイムアップ。やむを得ず、「寝かせ」にはいります。なんか、ギョウザの皮をつくってる感じです(笑)。
とりあえず、おべんきょ場所に行って、しばしセンセの話を聞いて、家に帰って、とにかくビール(笑)。
さてと。寝かせたネタをふたたびこねますか。なんか、ギョウザの皮をつくってる感じです(笑)。
と…。
寝ちゃいました。そりゃ、ふとんに横になってパソコン開いたら寝ますわな。
12時頃、ふと目が覚めて、仕方ないので「明日の朝にやろう」と決意。寝る準備をして、目を閉じ…。
来ました。コロボックルさんが運んできてくれました。にしても、「よりによって今か」と。このまま寝るか、パソコン開けるか。明日の朝までキーワードを覚えてる自信は…。ないです。てことは、パソコン開ける以外ないですね。
カチャカチャカチャ。あ、つながったo(^^)o。

行き先を見失わないこと

わたしはもちろん文筆家ではありません。でも、なんかしらんけど、文章を書かなきゃならないことがよくあって、なんだかんだと書いてきました。
でも、今は、これまで書いてきた文章とはまったく異なるタイプの文章を書いています。長いです。しかも、行き先はまっすぐ。あるいは…。いままでは人をびっくりさせて笑わせる文章。でも、今書いているのは人を納得させて安心させる文章。そんなの書いたことないです。
するとどうなるか。

スキーと一緒です^^;;。
初心者は足元を見る。上級者は前を見る。インストラクターは後ろも見る(笑)。

いま、わたしは文章を書きながら、下ばかり見ています。だって、なにがあるかわからないし、「これでいいの?」って、いつも不安だから。で、足元見て進んでいって、二週間に一回の「おべんきょタイム」に
「ここまで来ました」
って言って、センセとあたりを見まわしたら、センセから
「あんた、どこ行きたかったん?」
って呆れられる。で、わたしも
「あれ?どこでしたっけ」
「こっちとちゃうん?」
「あ、そっちでしたっけ?」
みたいな会話が続きます。
これはいかんなと。こんな会話を楽しめる間はいいんですが、もう、そんな時期ではありません。でも、初心者であることに変わりがない。
じゃどうするか。

とにかく、たまには顔をあげよう。ほんの少し立ち止まってもいいから、たまには行き先を見よう。その時気づいたことを形に残そう。
行き先を見失わないこと。

違和感

考えをまとめているときの「おべんきょ」はあきませんね。なんか、思考にノイズが混じります。なので、少し気は重かったのですが、行かなきゃならんものはならんので行ったわけですが…。

先週「ひさびさにおもろい!」と思ったおべんきょが「事例研究」でして、興ざめです。でもま、聞かせていただきましょう。
で、聞きはじめたのですが…。
なんだろう、この違和感。
いや、とても優秀な教員であることはわかるのです。でも、優秀すぎて、なんか違和感。
子どもを見る→分析する→方策を立てる→実行する→評価する→…。
みたいな。で、「一年間やりきりました。うまくいきました」。いや、学ぶべきことはたくさんあるんです。でも、直感的に「ここからは学びたくない」と思ってしまう違和感。
子どものありように名前をつけ、それを手がかりに分析し方策を立てる。自分の理想とする像があり、そこへいくためにさまざまな手立てをする。実際には違うのかもしれないけど、報告からはそういうふうに受けとめてしまうのはなぜなんでしょうかねぇ。
もしかしたら「あるべき像」みたいなものがあるという意味では、「四角」をめざすのか「雲」をめざすのかは、わたしには同じに見えているのかもしれません。では、わたしは?
たぶん、「ありたい像」はあるにしろ、現実にある「もの」からできるものは「それ」とは違うと考えているのかな。そして、できあがったものが「めざしてた像」とは違っても、「できたやん(^^)」って思っちゃう感覚。

うーん。
どうしようもないもやもやを抱えながらのいち日の終わりでした。

やはりこの空気がいい!

2年前は興味の向くままにしていたおべんきょですが、最近は「必要に迫られて」みたいな感じになってきています。なので、「んー」と思うこともないわけではないのですが…。
今日のおべんきょは久々にヒットでした。
元来わたしは「役に立たないこと」が好きなんですよね。ところが、なーんか「今日から役立つ」みたいなおべんきょが最近多くて、「役に立つなぁ」と思いながらも、イマイチ感がじわじわ来ていたんです。
ところが今日のおべんきょは、ひさびさに「だからなんなの」感があって、おもしろかった。

話の発端は「現代とはどういう時代か?」みたいな話で、いきなり「役立たず感」満載です(笑)。
ものすごく簡単に言うなら、前近代→近代→ポストモダンという流れの中で、近代からポストモダンの移行期にあるということです。
では、近代とはどんな時代であるかというと、「葛藤」の時代であると。例えば夏目漱石。「こころ」の「先生」は、ひたすら悩む。どこまでも悩む。解決なんてないけど悩む。そこには、「近代的自我」の芽生えと「エゴイズム・罪悪感・孤独」があると。そしてそれは「抑圧的パーソナリティ」であると。
に対して、現代は「解離」の時代であると。例えば「村上春樹」。「多崎つくる」は傷ついた自己を抱えている。で、巡礼の旅に出るけど、それは自らの主体的な意志で行ったというよりも状況の流れのままに行われる。そこには「現代的自己」があり、「心の傷つき・離人感・孤独」があると。そしてそれは「解離的パーソナリティ」であると。
で、この「葛藤」から「解離」へという移行期が「現代」の特徴であると。
ここで「アイデンティティ」が登場します。「アイデンティティ」とは、「「わたし」が「自己」であることの責任を引き受けること」「本来引き受けようのないことを引き受ける「主体的」な「判断」である」「「他者」からの承認を必要とする」ものであると。つまり、自分の中にあるバラバラなものを選択的に取捨する行為で、そこには「葛藤」が生じる。しかも集団なしには個は成立しない。
ところが、「解離」とは「パーソナリティを多様な自己のままにおいておく」。そこには「悩み」がない。

ちなみに、センセは
「どちらがいいのかわからないけど、自分が生まれ育った時代は「葛藤」と親和性が高いので、どうしても「解離」に否定的になってしまうんですよね」
って言っておられました。

で、この「解離的な現代」の思春期・青年期の特徴は「悩まない」「悩めない」。すると、もしも問題が起こった時はどうするかというと、その問題の所在を内面化するのではなく外面化する。具体的には「現実化」であり「外在化」させていまう。端的に言うなら
「悩まない人は他人を責める」
と。
では、なぜ「解離」へと進んでいったのか。
「葛藤」には、その悩みの伴走者となる他者が必要となる。しかし、そのような伴走者がいなくはってきているのではないか。
このようななかで、例えば子どもたちのコミュニケーションは直接性を強く希求する。と同時に冗長性への不寛容さが起こる。
しかし、今ある社会や学校のあり方は、このようなバラバラさを促進しているのではないか。

みたいな話でした。
あー、疲れた(笑)。

でも、なんか「あー…」みたいな。
ちなみに、わたしの村上春樹観は…。
「主体的な「判断」を下しても、結局それを実現できない社会の中で、小突かれながら生きていかざるを得ない。その中でアイデンティティを喪失しながら、状況の流れのままに「やっかいごと」に巻き込まれる」
みたいな感じがあるんですけどねぇ。そういう意味では、センセの言われるほど「現代的」ではないとうか、その「現代」を先取りしていたというか。

でもま、久しぶりにめっちゃ眠い頭が少しシャンとしました。