今日、授業中に、とある軽微な「おイタ」をした子どもがいて、放課後に話をする時間がありました。
い「今のクラスどない思う?」
生「集めるからやん」
そのとおりです。
生「ひとりでは何もできひん子を、わざわざ集めるからやん」
そのとおりです。まさに「同質集団」をつくるからです。
い「そやんな。でも、勉強したい子とか、勉強せなアカンと思ってる子もいるやろ?」
生「わたしもせなアカンと思ってるよ」
い「なんでやらへんの?」
生「だって」
おそらく、同質集団は同質であることを続けるために、それなりの労力を払わなくちゃならないようです。
生「でも、数学はマシやで」
い「マジか…」
生「他の授業はみんな寝てるし、先生も範囲が進んだらええと思ってる」
まぁ、わたしもそう思うことも多々あるんだけど、それはそれですわ。
生「4月に先生見た時に「ただものじゃない」って思った」
い「まぁ、ただものではないな(笑)」
生「前に「ほっとくことは見捨てること」って言ってたやん」
覚えてるんやo(^^)o
い「明日の授業で、みんなに1学期を振り返って、ほんとはどうしたいのか、作文を書いてもらおうと思うんやけど、どう思う?」
生「書くかなぁ」
い「なんで?マジメに書いてるところを見られたらまずいの?」
生「うん」
い「こわい?」
生「うん」
なるほどなぁ。これが「同質であること」を維持するための労力なんだな。
やはり、個々の子どもの思いを聞かなきゃな。
い「やっぱ書いてもらうわ。書いてくれる?」
生「今の話と同じことしか書けへんで」
い「かまへんよ。ほな長いことありがとう。反省文、書こか」
生「うん」
かつて先輩教員に「どうしたらいいんですか?」って聞きに行ったら
「話し込むしかないな」
としか言ってもらえませんでした。たぶん、それしかないんです。でも、それをするところからはじまるんです。
あした、みんな、書いてくれるかな。