大宜味村への遠足

朝6時に目が覚めました。7時からスタンディングのはずですが、まったく動きがありません。どうしたもんだろ。いちおう「スタンディング→琉大まで送ってもらう」って話だったけど、これはあぶないな。
てことで、7時半くらいに置き手紙だけして、こっそりと「そいそうハウス」を脱出しました。
そこからバス→タクシーを使って琉大へ。いろいろ探して、教室に潜り込めました。

てことで、「基礎演習」です。去年も参加させでもらいましたが、ほんとにおもしろいです。学生の発表は、やはり未熟です。でも、野入さんの仕掛けのおかげで質問が出ます。時として「それ、質問と違ごて意見やろ」みたいなのも出ます。それへの返しがおもしろい。
そして、野入さんからの臓腑をえぐるような質問。「わかりません」と打ちひしがれる学生さん。こうやって鍛えてもらえることって、すごく幸せなんだよな。
最後にコメントを求められたので、わたしからはふたつ。
ひとつは「発表者としての皆さんが知っておられることを、聞いている人が知っているとは限らないので、基礎情報は伝えてね」。もうひとつは「調べ学習から研究に移行してね」。
まぁ1年生だからしかたないかもしれないけど、逆になまじ小中高で「調べ学習」をやってきた子らだから、そこから抜け出られないのかなぁ。

「基礎演習」が終わったところで、恒例のフィールドワークです。車を出してくださるのはT村さん。3人で楽しくドライブです。車中で
「プレゼンの雛形みたいなのは出されないのですか?」
と聞くと
「出しちゃうとみんな同じ型になってしまうから、あえて出さない」
とのことでした。つまり、自分で調べろってことですね。

で、車は一昨日いた名護を通って、愛楽園を通って、さらに北上します。到着したのは「笑味の店」です。
大宜味村は長寿の村として知られていて、その長寿を支える食をだしてくださるのがこのお店です。お店で出す食材は、ほとんどが自分の畑でとれた野菜です。そのためは、火・水・木が定休日。おそらく畑仕事をしたり、仕込みをしたりしておられるのかな。
お店の裏は、ひたすら山です。山原ですね。

わたしがお願いしたのは「くふぁあじゅぅしぃランチ」です。

野入さんとT村さんは「まかちぃくみそうれランチ」。

うーん、失敗したかな。でも、たぶん多すぎるな。と思ったら、野入さんがタケノコの料理を、T村さんがテビチをわけてくださいました。ほんとにすみません。
なんかもう、どこまでも身体に優しいんですが、あまりにもおいしいです。くふぁあじゅぅしぃ」にシークヮーサーをしぼると、これがまたおいしい。食べることで身体が元気づくってよくわかります。こうやって、少量の野菜を、その代わり多品種を食べることが身体にいいんですね。
食後は散歩です。てか、畑への案内の地図が笑えます。

「海」「笑味の店」「畑」「山」しかありません。これが大宜味村なんですね。つまり、耕作地がほとんどない。それが大宜味村をつくっていくんですね。

続いて向かったのは「塩屋」です。ここは、世界ではじめて牡蠣の養殖をおこなったところです。ちなみに、牡蠣の養殖がはじめての養殖なので、つまり世界ではじめて「海を使って育てる」ことをしたところです。

ここから石巻なんかに牡蠣の養殖が引き継がれていきました。
それにしても、現在のバラエティはひたすら「日本、すごい!」ってやってますが、それは当然批判すべきことなんですが、なぜか塩屋が紹介されることはないです。それはいったいなぜなんだろうと思います。
そんなことを考えていたのですが、ふと山の方からひたすら「カンカンカン」という鳴き声が聞こえてきます。「あれなんですか?」と野入さんに聞くと「セミです」とのこと。へー、そういう鳴き声なんだ。と同時にもうひとつ気がついたのが、「蝉の鳴き声が聞こえる」という事実です。それをかき消す騒音がない。つまり、ヘリが飛んでない。これが北部なんですね。

お次に向かったのが、「大宜味村役場旧庁舎」です。

これが沖縄初のコンクリ住宅です。メッチャおしゃれです。

これをつくったのが「大宜味大工」たちです。
大宜味村は、とにかく耕作地がない。そこでどうしたか。男性は学力の高い子は医者。そうでなければ大工。女性は芭蕉布です。大宜味大工はすごく高い技術を持っていて、例えば那覇に行って役場の建築関係の仕事なんかも奪っていったとか。那覇大工と争いになることはもちろんありますが、ボコボコにやられても
「あの病院の前でやってくれ。あそこには同郷の医者がいて、助けてもらえるから」
とか言って那覇大工をビビらしていたとか。でも、そのネットワーク力はすごいです。
で、この旧大宜味村役場は、その大宜味大工の総力を結集してつくったものらしいです。ほんとにおしゃれだし、かわいい。
役場の前には、「琉球政府」の溝蓋が!

ガジュマルの木にはブナガヤーが!若干こわい^^;;

隣には慰霊碑があります。

憲法九条をメッチャ押してます。建てられたのは2017年。大宜味村の人々の気合いを感じます。
役場前の碑。

「人材を以って資源と為す」とあります。これが大宜味村なんですね。そういや、かつて日本もこうだったよな。でも、今は人材を使い捨てにする国になってしまった気がします。もう終わってるな。

続いて向かったのは、道の駅。パイナップルは露地物がおいしいんだそうです。

てか、露地物のパイナップルとか考えられません。実は、大宜味村は石垣にたくさんの人が移民に行っていて、台湾から伝わったパイナップルが、その移民の人たちを経由して大宜味村に入ってきたと言うことです。なので、パイナップルは当たり前にそのへんにあるっていうことです。

お次は「田嘉里酒造」です。ここは沖縄最北端の酒造ということです。予約をすれば蔵を見学させていただけるとのことで、T村さんが予約を入れて下さっていました。
ここがおもしろい!案内してくださったのは、若い女性。メッチャ詳しい。
使うお米はこれ。

思わず「インディカ米!」と口走ってしまいました。泡盛はインディカ米を使うんですね。れを山原の水で洗って、黒糀の菌をつける。で、放置して発酵させます。で、蔵の壁や天井が真っ黒です。

これ、どう考えても黒糀の菌とか酵母が住んでます。『もやしもん』の世界です。
で、発酵しはじめたお米をタンクに移して加水します。ここでアルコール発酵がはじまります。

タンクのあたりに行くと、ものすごく香ばしい酵母の香りがぷんとしてきます。それにしても、この香り、しょっちゅう嗅いでるなと思ったのですが、うちの子どもがパンをつくったりする時の香りです。まぁそりゃそうだなと。
お次は蒸留工程です。

最初に出てくるアルコールは、70度くらいなんだとか。その後出てくる水で少しずつ度数を下げていくらしいです。これを寝かせます。

他の酒造メーカーは4ヶ月ほど寝かせて出荷するところもあるらしいですが、ここは最低1年は寝かせるんだとか。そして、奥には古酒のタンクがあります。
そして瓶詰め工程を経て、ラベルが貼られて製品になります。

ということで、試飲タイムo(^^)o

左から20度・25度・30度・30度の3年古酒・40度の5年古酒・44度の5年古酒・10年古酒・17年古酒です。左から順に呑んでいくと、ほんとうに「差」がよくわかります。なにより、30度から30度の3年古酒になったとたんに明らかに味が変わりました。ここからはどんどん味が濃くなり、舌触りがまろやかになっていきます。おもしろい!
と、野入さんが石垣島に行った時の話をしたとたん、社長さんが出てこられました。そこからは、延々と大宜味村の歴史と石垣への移民の話です。なんか、すごい。
野入さん曰く「石垣に移民した人が大宜味の何が恋しいかというと、「水」って答えたそうです」。
車長さん「あー、水はね。向こうからひいていたんだよ」
みたいな。さらに社長さん曰く「「水」っていうのはね、たぶん泡盛のことだ」
マジか(笑)。
さっき書いたパイナップル畑の話も出てきます。なんでも、海の際から山のてっぺんまでパイナップルが植わっていたとか。子どももパイナップルの入ったカゴを運ばなきゃならなくて、頭のてっぺんにカゴの跡がついたそうな。
ところが、そのうちパイナップルの相場が暴落したらさっさとパイナップル畑をやめてしまう。さらにキューバ危機で(笑)砂糖の価格が高騰すると、すぐにサトウキビの栽培をはじめて、またまた海の際から山のてっぺんまでサトウキビを植えたんだとか。
社「大宜味の人は飽きっぽいからねー」
いやいや^^;;。
ちょうどこのころ社長さんは高校生で
「高校が終わったら、サトウキビをトラックに積んだよ。懸垂みたいな感じで投げ上げて、トラックいっぱいで50セントかな」
セント!そりゃそうだ。キューバ危機は返還前です。にしても、こんな話がシームレスに出てくるのがすごいです。
そんなこんなで、結局30分ほど、すごく濃いぃ話を聞かせてもらって、社長さんは退社です。で、「今の方が社長さん?」という野入さんの質問に対して、説明してくださった方が
「はい、そうです。わたしの父です。ショートリリーフなんです」
てことは、この方が次期社長!すごい!
なんでも、ここの酒造、大宜味の人々が共同出資してつくったらしいです。で、お酒ができたらみんなで呑んだと。すると、売る分がなくなったと。これではダメじゃんということで、酒蔵の建て直しをはかって、今の社長さんになったとか。なんかもう、大宜味の人はフリーダムすぎます。そんなことで、ほんとうに地元の人から愛されている酒蔵なので、ここの泡盛は80%は大宜味で消費され、那覇や首里に行くのは20%くらい。県外にはほとんど出まわっていないんだとか。
なので、30度の3年古酒を買って、ついでに次期社長さんが着ておられたポロシャツも買ってしまいました。で、最後に記念写真をパチリ。

次に向かったのは「芭蕉布会館」。
芭蕉布はバナナに似た糸芭蕉の茎の繊維を糸にして織ったものです。原料となる糸芭蕉。

この糸をつくるのがものすごくたいへんなんだとか。今、この糸をつくれる人は大宜味でもひとりしかおられなくて、その方は人間国宝らしいです。
記念館に着いて、作業場の2階に向かう階段で、向こうから白い長靴をぶら下げて降りてこられた98歳のおばあは、なんと人間国宝!しばし作業を見て、下に降りて製品を見て、紹介ビデオを見て、外に出ると、人間国宝が水をまいておられました(笑)。どんだけカジュアルな人間国宝やねん。
ちなみに、大宜味のエイサーは、沖縄県内でも数少ない女性のエイサーだとか。今度の日曜日、2年に1回の「喜如嘉まつり」があって、その時に見られるんだとか。うーん、それを見たら帰れない。残念!

今日の遠足最後のポイントは「共同売店」です。沖縄北部には共同売店があって、一度のぞいてみたいと思っていました。
共同売店の歴史は、日本が沖縄を植民地化した当時、本土から商人がやってきて、山原の木でウチナーの人がつくった炭をメッチャ安く買いたたいて、舟で那覇へ持っていき、帰りは舟で生活品を持ってきて高値で売るという、あこぎな商売をしていたところからはじまります。でも、生活品は買わなきゃしかたないから、やむを得ず買う。
ところが、大宜味の人たちは、自分たちで舟をつくります。さすがは大宜味大工の地です。そして、自分たちで炭を運んで売り、地元の人々から必要な生活用品を聞いて、それを仕入れて売るための共同売店を、自分たちでつくったんだとか。しかも、その共同売店は、本土の人がつくった共同売店の隣につくる。そうやって、本土の人の共同売店を駆逐していった。ほとんど、共産制です。
現在は、栃木から移住してこられたヤチムンをつくっておられる芸術家の方が共同売店を運営しておられるとのことです。ここでなにかを買おうかと思ったけど、考えてみたら地元の人の要望で仕入れてきたものなので、あまり買わない方がいいですね。なので、炭酸水を買うことにしました。で、裏にあったベンチでしばしゆんたく。ひと息ついたところで、さぁ帰りましょう。

野入さんの家に帰って、おいしい手料理をいただきます。

いつもびっくりしますが、チャチャチャとつくられます。そしてヘルシーでおいしい!
と、間もなく、Hでぼん登場。久しぶりです。てことで、またまたゆんたくしていると、Hでぼんが突然「いつきさん、マッサージしなくていいですか?」と、ありがたいお言葉を言ってくださいました。
てことで、少し脚を揉んでもらうなど。で、12時くらいにHでぼんは帰って、野入さんと1時くらいまで話をして、長い長い一日が終わりました。
あぁ、刺激的な一日だった。