当事者性を前面に出すのはやはり性にあわん・全同教1日目

今日〜明日、滋賀で全同教大会です。てことで、朝から膳所に向かいました。会場に向かっていると「いつきさん」と声をかけられました。北河内のお友だちとした。会場につくと「A久○さんだぁ(笑)」
ということで、全体会場へ。
会場では初級学校の子どもたちのアトラクションです。元気やな。前に徳島で初級学校の子どもたちの演奏を聞いた時も感じたけど、ほんとうに「見せる」「楽しんでもらう」ことをきちんとやる感じです。すごいな。
で、全体会スタート。

相変わらずバランスが悪い(笑)。なんでも太鼓の時は女性が多かったらしいです。うがった見方をするなら、歌舞音曲は女性も参加。でも、政は男の世界ってことかなと。
阿○Zさんは「見解を知りたい」とのことで会場におられましたが、わたしはロビー活動。と、H本さんだぁ。しばし話。さらにK畑さんもおられたのでしばし話。と、S田さんもおられてしばし話。お、T橋さんだ。久しぶり!
で、ロビー活動終了。楽しみにしてたシンポジウムです。会場の後ろのほうで座り込んで聞いてると、地元のH田さんが来られました。なんでも「若手」を出してるとか。なるほどな。滋賀って人材豊富やなぁ。
で、話を聞いてたのですが。イマドキそんなことがあるのか?って一般的に思われそうな「あるある差別話」もあったりして、なるほどなと。「部落差別は解消過程にある」なんて、どこ見て言ってるねんと思います。そんな中で、やはり「先輩」なんかとの出会いがあったり、出会い直しがあったりして、今の活動に結びついてる。いまやってる活動も、いわゆる「居場所づくり」です。それも理念からくるんじゃなくて、自分の前にある現実からスタートしておられます。
まぁ、そんなところはとてもおもしろいなと思うのですが、一方で目指す社会みたいな話になった時に、いきなり「上から目線」になるんだよなぁ。
確かに「経験」は「当事者」固有のものです。他の人には経験できない。なので、否定のしようのない絶対性を持ちます。そして、その経験は固有のものだから、それに基づいた「考え」もまた絶対性を持ってしまうし、「わたしたち」は聞くしかなくなってしまう。それはあまりにもおもしろくない。
一方、それは「固有のもの」だから普遍性を持たない。もちろん、他の「固有のもの」を経験している人との間に共感もあるかもしれない。でもそれは「固有の経験」をしている人の間でしか生まれないし、得てして「同種の経験」の中でしか共有できなくなってしまう。さらに、「他の経験」をしている人との間で、時としてパッティングすることすら出てくる。そしてそもそも、ある活動をしていることに「経験」は絶対的に必要なことなのかって話が出てくる。
このあたりは、当事者性を前面に出す時に陥りがちな「穴」だと思います。
もちろん、個人の話をするだけのことであれば、それはそれでありだし、そういう話をすることこそが必要なんだと思います。が、壇上に立つときは、それとは違うものが求められると、わたしは思います。
個人の経験は、あくまでも個人の経験として語る。一方、普遍を語るときは、その経験を一度飲み込む。そして、飲み込み咀嚼したうえで、「他の経験」に思いを馳せながら語る。
そんなことが必要なんじゃないかなと思うんですけどね。知らんけど(笑)。

そんなこんなで、いろいろもやっとしながら、少し用事をして、夜はいつもの飲み会です。いつものように、なにがなんだかわからないけど、ここは「個人の経験を個人のものとして話す」人と、そんな経験をしてない人とがフラットにいられる場所です。とても居心地がいい。
なので、さらに部屋飲みです。
「どの部屋?」
「そらいつきさんの部屋やろ」
マジか…。
なんか、話をしながら、途中で爆睡してしまいました(笑)。

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