朝、いやがる身体をなんとか起こして、朝ごはんを食べて、さて出発です。朝日が眩しいのは自業自得です(笑)。
で、2日目開始。
主として沖縄九州の医療の状況でした。たまたま「GID島之絆」のレンチュが近くにいたので
「ウッチー引っ張り出すか」
とか笑いながらも、いろんなことを考えさせられました。
ひとつは、教員の意識の問題とその評価の問題です。福岡の黒岩さんから「人権教育研修会に来た教員にアンケートに協力してもらい、その結果と医療者の予想を比較した」って話が出てきました。結論は「案外教員の意識、高いじゃん」って話で、それはそれでうれしいわけですが…。それ、人権教育研修会の参加者だからじゃないかなぁ。生徒指導研修会とか教務研修会だったら、また変わるんじゃないかなぁ。
あと、みなさん、口をそろえて「九州のお国柄」みたいなことを言われて、それはそれでその通りだろうなと思っていたのですが…。たぶんそこで欠けてはいけない観点は「医療者自身もそのバイアスの中にいる」ってことではないかと思うのです。いや、たぶんこのギョーカイの人はバイアスは少ないだろうとは思うのですが、でも、きっとある。そういうバイアスは、ほんの小さな言葉の端々に出てきます*1。「バイアスがない」ことが大切なのではなく、「バイアスがある」ことを前提にして、それを修正しながら考えることが大切なんじゃないかなと。
もうひとつ考えたことがあったのですが、それは今回のまとめにもつながるので、のちほど。
どうしようかと思ったけど、お腹減ったのでパスm(__)m。これを食べに行きました^^;;。
さて、個人的には今回もっとも関心のあるセッションです。
とはいえ、石川直子さん(特定非営利活動法人 性同一性障害まりあの会) がしゃべっておられる最中、「まりあちゃん」とキャッキャ言いながら写真を撮っては加工して遊んでいたので、どこまでマジメに聞いてるねんという話なのですが^^;;。あ、康さんに「おい!」って怒られちゃいました^^;;。
で、感想は…。寒竹葉月さん(一般社団法人 gid.jp 日本性同一性障害と共に生きる人々の会 沖縄支部)、すごいなと。いまから17〜8年前によくぞ望みの性別でガッコに通ったなと。
で、もうひとつは…。
やはり、他のマイノリティのとりくみにもっと学ばなきゃならないんじゃないかってことです。「違い」はあるんだけど、「共通点」を探すことも大切だと、わたしは思っています。で、おそらくら先行するどのとりくみも「ピア」を大切にしているように、わたしは思います。で、それができるひとつの場が「学校」だと思っているのです。
現在、トランスの子どもたちのサポートのHUBとして期待されているのは専門家≒医療者です。でも、医療や心理ができるのは、個へのかかわりです。そしてそれは、「当事者を変える」ことでしかないと思います。でも、それだけでいいんだろうかと、常に考えています。わたしは、同年代交流やロールモデルに出会わせることをもう少し大切にしてもいいんじゃないかと思っています。なので、そんなことを話したのですが…。
康さんと佐々木さんと石川さんくらいにしかウケてなかったかな^^;;。
ミーハー心がうずいたけど、ここはお勉強!ってことで、不参加です^^;;。
えーと…。
一般ピーポーに「自認する性別」を想像してもらって、それと反対の性別の服装を切ることへの拒否感のアンケート結果の報告があったんですけど、なかなかおもしろかったです。で、FTMの服装への拒否感にその結果をもっていってたんですけど、MTFのハードルの高さ&顕在化のしにくさとの関連もあるんじゃないかなとも思いました。
「遺伝子的にマーカーがあれば、子どもに対しても躊躇なく治療ができる」って話で…。なんか、とうとうGIDも遺伝病になるのかなぁと。
でも、そのシステムは難しくてわかりませんでした。ちなみに、阿部さん@阿部メンタルクリニックも同じ感想をもらしておられました。
宮島さん(クリニックおもろまち)のお話の中に「中核群」「辺縁群」という話が出てきて
「久しぶりだなぁ(*´∀`)」
って思ったんですけど…。
なんか、いまのGIDをとりまく問題の問題って、「中核群にスポットをあてすぎてる」ことにあるんじゃないかと、ふと思いました。
「こんなにつらい思いをしている人がいる」というロジックは、同時に「そこまでではない人」を排除してしまう。それが例えばMTFへの医療のハードルをあげる=受診者数を引き下げることにつながるんじゃないかと。いや、MTFの「つらさ」がマシというわけではなく、「さまざまな抜け道」があるので、ガス抜きがしやすく、結果、あたかも「そこまでではなくなることも可能になる」ということなんですけどね。
でも、この発言を受けて、松本さん(岡山大学)が「臨床やってる人間なら、中核群の人たちにアドバイスすることはほとんどなくて、辺縁群の人のほうがサポートが必要であることはよくわかっていること」って言っておられました。
つまり、サポートが必要な人間にスポットがあたらず、アドバイスが不要な人間にスポットがあたっているあたりが、変なねじれを生み出しているんじゃないかなと思ったんです。
もう少していねいに言うならば、1997年にスポットをあてなきゃならなかった人と、2003年にスポットをあてなきゃならなかった人と、2008年にスポットをあてなきゃならなかった人と、現在スポットをあてなきゃならない人は変化をしている。でも、それはあくまでも「世間に理解してもらうため」のスポットであったわけで、潜在的には「アドバイスがいらない」=「やることがわかっている人」ではなく、「辺縁群」こそがサポートが必要だった。
なんか、そういう意味では「辺縁群」という言葉が「あとからでいい」みたいなニュアンスを持つので、よくないんじゃないかぁ。
もうひとつ思ったのが、「中核群」「辺縁群」ともかかわりますが、あまりにもホルモンとSRS(と乳切)に話が偏りすぎているのではないかと。例えば、わたしの場合、すごく大きかったのが、脱毛でした。これはわたしの場合であって、人によっては髪の毛であったり、服装であったり、FSSであったり、本来QOLがあがる要因はさまざまなはずです。であるにもかかわらず、ホルモンとSRSのみが話題にあがるのも「中核群へのスポット」と軌を一にしているのではないかという気がします。そしてそれが、ひいては「当事者」がホルモンとSRSに「のみ」QOLの向上の方法を見出すことにつながっているのではないかという気がしました。
てなことで、今年のGID学会も終了です。来年は…。大阪かぁ^^;;。