ここに書かせてもらうようになって、もう5年目です。ずいぶんたくさん書きました。てか、もともと4年のはずだったのに、
「もう一年」
って口走っちゃったんですよね。
で、そんな時、編集担当の人は、必ず直接会って話をされます。で、そんなイレギュラーな時だけでなく、なんにもなくても、毎年年度当初には、やはり直接会って話をされます。その姿勢というかていねいさというかには、ほんとに頭が下がります。ま、単に「京都で呑みたい」ってのもあるみたいですけどね(笑)。
で、今日は恒例の打ち合わせ。今日は考えるところがあって、上の子どもも連れて行くことにしました。ま、別に何か意図があるというよりも、「どんな化学反応が起きるかな」って思っているんですけどね。
で、打ち合わせ開始。
なんでしょうかねぇ。
特に何もないんです。延々と取り留めのない話をしたり、ま、たまには原稿の話をしたり。でも、ずっとわたしの文章を見つめ続けてこられたことがわかります。例えば、論文指導もきっと「見つめ続ける」作業なんだと思うのですが、それとはまったく違う眼差しなんですよね。たぶん、じっとガマンして、ひたすら待つ。で、待つっていうことは、「信じる」ことです。例えば、
「うーん、もう少し深めて欲しいなぁ」
と思ったとしても、単純に
「深てください」
と言っても、たぶん無理です。深い表現をするためには、書き手がそのものごとを深く捉えることができていなくては表現できない。で、それをするためには時間とタイミングが必要なります。その時が満ちた時、スプリングボードを踏んだみたいに、突然ポンと飛び上がる。なんだかそんな気がします。
待つということは、きっとそんなスプリングボードがあるということを信じることであり、そのスプリングボードを踏むであろうことを信じることであり、スプリングボードを踏んだ時に跳躍する力を持っていることを信じることである。
とてつもなくしんどい仕事だよなぁと思いました^^;;。
あ、子どもは…。
なにやら不思議な化学反応を起こしたみたいです。