今日の夜は、なぜか大阪で会議。
でも、サクサクっと終わってしまいました。わたしともう一人の方はここで仕事は終了。でも、まだ会議が続く人がおられるので、近所で待ちます。
が、なかなか来ない。まずいよ。ふたりでボトルをあけちゃうよ。
てな感じで待っていると、ようやく本隊到着。
あとはワイワイ飲んでいるうちに、見事に終電の時間です。あやうく飛び乗って、即爆睡。ふと目が覚めると
「次は山科〜」
とか言ってるよ!あやうく飛び降りて、無事お家に帰れました。
久しぶりにセーフやんか。
家に帰ったらほめられたんやけど、なんか違う気もする…。

語っちまった

なんか、最近イヤなことが起こりつつあります。そんな気持ちがわき起こってきて、つい教室で語ってしまいました。

わたしは大きな声で言えば勝ちという社会は嫌いです。
それはどうしてか。
わたしは人権教育を担当しています。
人権とはなにか。それは少数者が生きられることだと思います。では少数者とは誰か。それは、人数が少ないという意味だけではなく、パワー、すなわち権力を持たない人のこともさします。
それは例えば部落の人であったり、在日外国人であったり、子どもであったり、障害者であったり、女性であったりします。
こうした人たちは、少数であるがゆえに、あるいは権力を持たないがゆえに大きな声を出せません。
もしも大きな声がまかり通る世の中であれば、少数者の小さな声は無視をされてしまいます。
だから、大きな声がまかり通る社会ではなく、小さな声に耳を傾ける社会でなければならないと思っています。

まぁいいか。授業をはじめましょう。

「正しいこと」を主張する人は、自らを正しいと思っているがゆえに躊躇がなく、大きな声で主張することが多いように思います。そして、そこに同時に他者への抑圧が潜んでいることに気づきにくい。なぜなら、自分は正しいことがわかっているから。
それならわたしは躊躇しながら、自信なく、小さな声でつぶやく生き方を選びたいと思います。