朝、ちょっとひと遊びして、教育研究集会に参加。
「日本語教室」のレポートや「ことばときこえの教室」のレポートがメインです。
かたや中国人(外国人)の子ども達がターゲットで、かたや吃音や難聴の子ども達がターゲットなんですが、つながるところがあるんですね。それは「不便している子を支援する」というだけではなく、子ども達をつなぐ「場」になっているというところなんです。固有性と普遍性というのをちょっと考えさせてもらえるレポートでした。
それに対してわたしのレポートなんて(;_;)。
まぁいいでしょう。
年: 2010年
やっと一息
今日は久々の完全オフ。
朝、ひと遊びしようかと思いましたが、
「いやいや…」
と思ってふとんの中にとどまりました。結局目が覚めたのは11時頃。うれしいなぁ…。
さぁ、今日中にレポートを完成ささなきゃ、あしたの発表に間にあいません。がんばるかな。
で、今日も呑み
で、今日も呑み
見方を変えるわけではない
午後から人権教育がらみの出張。
到着したら、すでにお目当ての発表は終わりかけ。残念です。
でも、総括討論には参加できるな。
ある人が
「ポジティブシンキングで行くのもいいけど、ネガティブであることも大切。そこからポジティブになっていくんだ」
みたいなことを発言されて…。それに対する司会者のまとめが
「ネガティブも、考え方を変えたらポジティブなわけで」
違うやろ…。かなり迷ったけど、つい発言。
「いや、そうと違ごて、ネガティブな自分を見つめ、折りあいをつけ、そういうところからポジティブへと変わっていくと発言されていたんだと思うんです。単に見方を変えるというわけではないと思います」
みたいな。
でも、やっぱり自己肯定には、その前段となる「葛藤」「屈託」「挫折」みたいなものがないとあかんと思うのですが…。
久々に聞いたよ
2時間目の授業が終わって廊下に出たら、生徒につかまりました。
「先生、男か女かどっち?」
久しぶりやなぁ。てことで、定番の返し。
「いろいろややこしいねん。話せば2時間ぐらいかかるけど…」
ところが、いつもと違って、なんとなく
「聞いたるで〜」
というオーラが出ています。これはやばいと思って
「どっちやと思う?」
と聞くと
「声は男やし、見た目は女やし」
そうですか。見た目は女ですか。優しいなぁ…。てことで
「まぁどっちかというと女やな」
「どっちかって^^;;」
「ほなね〜」
時間があったので?
で、家に帰って、そこから「まんまるの会」です。
今日は熊さんの診察がない日なので、さすがに人数は少ないです。というか、新しい参加者もおられないし。でも、それはそれで見知った人同士で楽しいものです。
少ないなぁと思っていたら、いつの間にやら人数が増えていきます。みんな、ちょい遅れてくるのがいいと思ってるな(笑)?
てことで、結局は最終電車になりましたよ。いつもとぜんぜん変わらない。
家に帰ったら、家の方でも日常が流れていました。大切だなぁ…。
今日は午後から年休をとって、犬のお葬式です。
そういえば、17,8年前、ネコが死んだ時は、泣きながら裏の庭に穴を掘って、そこに埋めたなぁ。その次に飼ったウサギは公共の霊園で焼いたんだっけ。今回は、もうちょっといい霊園でお葬式です。
犬と最後のお別れ。なでてやったら、意外なほど毛並みは柔らかいです。そういえば、きのう、パートナーは
「死んでても癒されるなぁ」
と言っていました。たしかに。
そのまま焼き場へ。外へ出てみると、煙突のあたりの空気が揺れています。
あとは供養をどうするかの打ちあわせ。人間と同じような感じですね。なんかお骨をきれいな石と一緒に焼いてペンダントにできるそうな。パートナーの目が輝きます。まぁそりゃそうでしょうね。たぶん、いつも一緒にいたいんだろうな。
最後にお骨を拾って骨壺へ。痛めた左の股関節以外はしっかりした骨でした。数えてみるともうすぐ18歳だったんですね。まぁ、昔すんでたところの裏庭にあった堤防を駆け上がってきたえた身体ですからね。
だいたい2時間半。すべてが終わりました。
まぁ元気でやってくれ>犬。でも、いつでも帰っておいで。
今日は午後から年休をとって、犬のお葬式です。
そういえば、17,8年前、ネコが死んだ時は、泣きながら裏の庭に穴を掘って、そこに埋めたなぁ。その次に飼ったウサギは公共の霊園で焼いたんだっけ。今回は、もうちょっといい霊園でお葬式です。
犬と最後のお別れ。なでてやったら、意外なほど毛並みは柔らかいです。そういえば、きのう、パートナーは
「死んでても癒されるなぁ」
と言っていました。たしかに。
そのまま焼き場へ。外へ出てみると、煙突のあたりの空気が揺れています。
あとは供養をどうするかの打ちあわせ。人間と同じような感じですね。なんかお骨をきれいな石と一緒に焼いてペンダントにできるそうな。パートナーの目が輝きます。まぁそりゃそうでしょうね。たぶん、いつも一緒にいたいんだろうな。
最後にお骨を拾って骨壺へ。痛めた左の股関節以外はしっかりした骨でした。数えてみるともうすぐ18歳だったんですね。まぁ、昔すんでたところの裏庭にあった堤防を駆け上がってきたえた身体ですからね。
だいたい2時間半。すべてが終わりました。
まぁ元気でやってくれ>犬。でも、いつでも帰っておいで。
その後
家に帰ると、今朝と同じ場所に犬は寝ていました。でも、ろうそくとお線香があります。よく見てみると、たしかに犬は横たわったまま、動きませんでした。でも、1時間の「死闘」のあとにしては、なんか穏やかな顔でした。
パートナーは、はじめは普通の顔をしていたけど、やがて犬が寝ている隣の部屋にこもってしまいました。中にはいると、ひたすら泣いています。そりゃそうだ。目の前で苦しんでいる犬に、さまざまな処置をしたけど、それでもダメだったわけですから。
「なにかできたんじゃないか」
という、持って行きようのない「悔い」が残るんですよね。わたしも2年半前に感じたもの。
でも、それだけじゃない。すんごい楽しい思い出もまたよみがえってくるんですよね。放っておくしかしかたがないです。
やがて泣きやんだパートナーは、晩ご飯を食べに来ました。しばらく話をしていたけど、なんかここしばらくの疲れがドッと出てきて、10時半ぐらいには寝てしまいました。