昨日が昨日だったので、今日こそ手数料なしで預金を預けるべく、定時に速攻スタート。
それにしても、都市銀行なんて街中が生活圏・行動圏だったらいくらでもあるんでしょうけど、田舎がそれだったらどうしようもありません。
とりあえず、京都市内に入ったところにある某銀行にたどりついて、時計をチェック。なんとか間にあいました。で、預けようと思ったら「この通帳では取引ができません」という表示。ったく!タンクバックと預金通帳は相性が悪いのはわかっているけど、あんまりにも弱いやんか!でも、最近のATMはすごいですね。修正ができるそうな。あーでもない、こーでもないとしばらく悩んで、ようやく入金完了。その後、そこから別のところへ送金完了。最後についでなので通帳記入をして時計を見たら、ジャスト6時。
しかしまぁ、あわただしいことですわ。
月: 2008年4月
中の人もたいへんだろうけどさぁ…
朝、身体が動くか不安だったのですが、意外に軽く動きます。よかった。
いつもの通りの朝・昼・夕方になるはずでした。
で、夕方、ふと思いだして、某元DD公社に連絡。ここからが長かった。
2日ほど前に電話がかかってきたのに対するコールバックなんですが、こちらの電話番号を言っても名前を言っても「登録されていません」とのこと。最終的に、「後ほど連絡します」ということで電話は終わったのですが、その「後ほど」がいつなのかわからないです。いつなのかわからないのを延々と待つわけにもいかないし、帰りに用事もあるので、ヘルメットをかぶって出発。で、用事を終えて、ふと携帯を見ると、着信があります。
あわててコールバックするも、担当者がわからないとどうしようもないとか。留守電を聞いたらかろうじて聞き取れたので「◯◯さんじゃないかなと思いますが…」と言うと、ここでようやく会話が成立しはじめます。
で、いろいろ質疑応答があったのですが、その最中にわからないことがあったようで、「ちょっと待ってください」と言ったまま、これまた延々と「待ち」。やがて、携帯が「ピーピー」となります。おい、バッテリー切れですがな。
あわてて職場に帰って、充電器をつけてふたたび電話。ふたたび会話が成立したのはいいのですが、これからが長い…。で、最後の最後に工事日を決める段になって、「日があいていない。6月以降は予定がわからない」という話。なんのための電話やねん。最終的には「6月の予定がわかり次第連絡します」とのことですが、これまたいつになることやら…。
で、ようやくヘルメットをかぶって銀行へ。銀行に到着してお金を通帳に入れようと思ったら、「手数料が105円かかります」との表示。6時を過ぎていたか_| ̄|◯。
にしても、自分のお金を自分の口座に入れるのに手数料がかかるって。しかも、利子より高いって。アホらしくなって、やめた!
ふと目が覚めると、5時過ぎ。「ここはどこだ?」と瞬間思って、高知であることを確認。ふぅ、寝坊をしなかった。で、もう一眠り。それにしても、コンタクトをつけっぱなしはきびしいです。
なんしか頭が重たいのですが、今日が本番です。お風呂に入って身体をリフレッシュさせて、頭を乾かして…。と、b-girlさんから「日曜市に行きませんか?」と電話。おもしろそうなので行くことにしました。
いやぁ、日曜市、いいっす!魚の干物から山菜からタケノコから榊からイタドリから、いろんなものを売っています。あちらをのぞいてこちらをのぞいてしていると、ぜんぜん飽きません。しかも、安い!京都の物価がいかに高いかがわかります。の割に、新鮮さにかけるからなぁ…。
そこから小一時間車に乗せてもらって、中土佐へ。
到着するなり「◯◯ちゃんにムラ、案内してもらうわ」との声が飛んできました。うれしいなぁ…。
こちらのほうは、小集落事業でずいぶんと環境整備がされています。でも、案内してくださった方は年配の方。ご自分が小さい頃の環境を、道々話をされます。いまの姿からは想像もつかない環境だったようです。よく言われることですが、「歴史は重層的」なんだなぁ。やはり「今」からすべてを判断するのではなく、「変化」の中でとらえていく必要があるんだろうなぁ。
午前は、全国にレポートを持っていくための討議の時間のようです。そうとう厳しい意見や質問が飛び交います。高知の皆さん、ほんとうに互いに鍛えあっている感じです。さすがは教科書無償化闘争の地だなぁと思いました。
お昼ご飯は、表に出て海岸沿いでお弁当を拡げます。暑いくらいの陽気です。海面がキラキラ輝いて、すごくキレイです。
で、午後は高座。
今回は、年配の方々もおられるので、そのことを留意して…。と思ったのですが、やはり無理でした。後ろの方で、「わけわからん…」という感じで聞いておられる方もおられて、大いに反省。そんな中、大笑いしてくださる方もおられて、そういうみなさんにすごく助けられてしまいました。
高座のあと、質問が活発に出てきます。こんなのはじめて。会全体を包むあたたかい空気を感じました。
そうそう、「この間、12月に話を聞いたけど」という人がおられて、思わず「話の中身、同じだったですよね。すみません」とあやまりました。てか、そんなにたくさんの種類の話、できるわけないですよね。まぁ、基本的には「創作落語」系ではなく「古典落語」系なので、ひとつのネタをどれだけ育てるかというあたりで勝負していますので、勘弁してください。
その後、喫茶店で軽くお茶して、列車に乗ってお家へ。家に帰る頃には倒れかかっていました。
さすがに疲れましたよ*1。
*1:パートナーに「21時」とメールを打ったのに、「午後11時」と間違われてしまったのはご愛敬ですわね
ここからが本番
ホテルにチェックインをして、速攻街の中心街へ。
ここで新たに4人の方々と合流。本格的な呑み会の開始です(笑)。
それにしても、高知の女性はよく呑みます。そして、よくしゃべります。そして、よく楽しみます。
なんかもう、ワイワイガヤガヤとひたすら呑んで食べてしゃべって、2次会へ*1。
2次会はカラオケ。久しぶりです。元来カラオケが嫌いなわたしも、すでに1次会の段階でこわれかかっています。みなさんが歌われるのを聞いて、こわれました(笑)。歌いまくりました。b-girlさん、「あした、声出ますか?」と心配して下さいます。まぁ、明日は明日の風が吹きますわ。2時間ばっか大騒ぎしたところで、M越さんが「ぎょうざ!」と叫ばれたので3次会へ(笑)。
へ−.高知も屋台が出るんだ。そこで食べたぎょうざのパリッとしていておいしいこと。さらにラーメンもなかなかの味です。ものすごい満足!
で、解散。M越さんと一緒にホテルまで歩いて、玄関にたどり着いたのは覚えているのですが、あとは記憶にありません(笑)。
*1:と省略しているのは、話の中身をぜんぜん覚えいてないから(笑)
はしご
ここで待ってくださっていたのがM越さんとそのお友だち。
実は、M越さんに「行きたいんです」というと、「ちょうどいいわ。友だちがいるから案内してもらう段取りしてあげる」と即答が帰ってきました。なんという軽さ…。
まずは、児童館へ。たまたま外から帰ってこられた指導者の方が、中をあけてくださいました。一歩中にはいると、「あぁ、ここはここのムラの子どもたちの「ホーム」なんだなぁ」という空気が感じられます。なんだか空気が柔らかくあたたかい。そういう「ホーム」をつくり守られている地元の方々のとりくみが伝わってきます。
そしてお散歩開始。
しばらく歩いていると、お好み焼き屋さん発見!しまった、昼ご飯を食べてきてしまいましたよorz。と、ここで案内してくださっている方が「ここのたこ焼きは最高やき」と紹介したが早いか、「今焼けてるの、全部包んだって」と店の人に言います。まいった…。
続いてお寺へ。かつてはここで子どもたちの学習会をしていたこともあったとか。ほんとうに手入れが行き届いています。お寺を大切に守っておられるんやなぁ…。ここには、宿毛出身の青年で、京都の宇治にあるモミジ谷で自死をした池上誠さんの追悼碑があります。
死の果てにやすらぎはない。生の闘いの彼方にこそ部落の解放があり、自由がある
若人よ
再び悔恨と挫折の道を歩むな
起って人の世の熱と光を求めよ
とあります。
続いて、自彊館あとへ。いまは神社の横にある単なる草原になっていますが、かつてここに建物があり、さまざまな文化活動をしたり、その延長線上として教科書無償化の闘いの発祥の地にもなったところです。「闘いを風化させてはならない」という思いで、その後子ども会で立て看板をつくったりもしておられます。
ムラ全体は、改善事業が行き届いているので、「かつての姿」はまったくありません。それでも、注意深く見ていくと、あちらこちらに「痕跡」があります。その痕跡をたどりながら、かつてのムラの姿に思いを馳せ、今の姿へと変えていく闘いに思いを馳せるひとときでした。
ここで案内してくださった方とお別れ。
続いて、「夕焼けが美しい」で有名な北代さんがおられた場所に移動。
道を走っていると、とつぜん「あ、改良住宅」と気づきました。そこがムラでした。b-girlさんは「二戸一ってなに?」と言っておられます。そうか、知らないんだ。M越さんとわたしでしばし説明。
で、解放会館の前で途方に暮れてしまいました。なにせ、来てみたはものの、あたりを知っている人は誰もいません。とそこで、K村さんとM越さんがそれぞれ知りあいに電話。すると、急遽お一人来て下さることになりました。なんというフットワーク!「ちょうど洗濯物をたたんでるところやき、よかったわ」とのことです。
ちょこっとあたりを教えてもらって、その後たこ焼きを食べるのにちょうどいい海岸を教えてもらいます。途中、ビールを調達して海岸へ。風は強いけど、すごくいい天気で気持ちのいい夕方です。
海の風を堪能したところで、ふたたびもとの場所へ。
まずは軽く…
朝、とりあえず朦朧としながら起床。ようやく地下鉄に乗って京都駅へ。地下鉄車内で切符を見ると、時間を10分遅く見ていたことが判明。かなりあせります。しかも、荷物を見たら、メガネケースが入っていません。てことは、これからコンタクトのみか…。
で、バスに乗車。5時間後、南の国に到着しました。
迎えに来てくれたのは、12月にお世話になったK村さんと、ここのところなんだかチョコチョコ会っているb-girlさん。
なんしか、お昼ご飯を食べようということで、「広め広場」へ。いやぁ、感動しました。いい街です。高知は。昼間っから呑んでいる「クズ仲間」がたくさんいます。もちろんわたしも「クズ」になります。
小一時間昼ご飯を食べて、「教科書無償化運動のふるさと」へ。
語る時・書く時・表現する時
今日は、職場の歓送迎会。のはずでしたが、2〜3日前に、年が明けてからしばらくかかわってしまった(笑)タスクの最終謀議が入るという連絡が入ったので、そちらに急遽スイッチ。実は、この春転勤された管理職にはすごく世話になったので、お礼の一言も言いたかったのですが、まぁ、同じ京都の教員ですし、ひとりはメルアドも教えてもらっているので、また機会もあるか、と。それよりも、やはり「謀議」の方は、ここで一段落という位置づけもあるので、やはり優先順位が高くなります。
集合時間はとうてい間にあわない時間なので、「遅れる」と連絡はしたものの、遅れを取りもどすべく駅から大阪市内の某所まで走り、事務所のドアを開けようとすると、いいにおいが…。って、みんなすでに呑んでるのか(笑)。ちなみに、「いいにおい」の正体はキムチでしたよ。
でも、呑みながらもいろんな話。例えば、昔話*1を聞いて「いい時代でしたね」という若い人に「それは違う」とクギをさす人とか、重信房子がどうとか、「実録 連合赤軍」がどうとか…。で、そのあたりから、最近凝っている「最大公約数か最小公倍数か」みたいな話に突入したり。いったいなんの会議だ、ここは(笑)。
てな話をしていたのですが、やがて、「タスク」の事後処理の話をめぐって、「当事者性とはなにか」みたいな話に突入していきます。
発端は、「経験を書物にあらわすこと」みたいなあたりなんですが、そのことから「当事者(被害者)が当事者(被害者)にとどまり続けることの危険性」という話が出てきました。これ、けっこう大切な話かなと思います。
なんというか…。自分自身のことを「歴史として語れる」って、とっても大切なんじゃないかと、わたしは思うのです。例えば、わたし自身のことについて言うならば、わたしが高座で話をしていることは、実は私にとっては、すでに「歴史」として評価が固まり、一定程度相対化できている部分なんですよね。でも、今この瞬間に起きていることは、おそらくは、質疑応答では話ができても、それをひとつの高座話にもっていくには、まだ早い気がしています*2。なぜ、そう思うのかというとですね…。
こんな言い方をしたら「あれ」ですが、わたしになんらかの「語り」を求める人は、わたしのに「当事者性」を求めるわけです。でも、わたしが当事者性を獲得した瞬間に、わたしは「当事者」としてそこにいる人たちから疎外され、「特殊な存在」に押し込められてしまいます。そして、それは「語られるわたし」が「わたしの実像」とズレはじめ、そこに「いつきという虚像」ができるはじまりにもなります。それが一番こわいんです。
わたしが、わたしの「歴史」として固まった部分を話しているうちは、わたしはわたし自身を相対化できているんですよね。なので、そこにいるのは、ある意味「生身の当事者」としての「わたし」ではないんです。そうすることによって、わたしは「当事者性」から逃れることができます。そうすることによって、わたしは同時に「いつきという虚像」からも逃れることができます。そして、そうすることによって、「生身」=「単なる人間のクズ」の「わたし」であり続けることができる。
じゃ、もしもわたしが「虚像のいつき」に安住したらどうなるか。きっとわたしのことですから、「虚像」に自分を移行させていくんだと思います。ただ、人々の求める「虚像」って新陳代謝が激しいと思います。「旬」の時は、まぁ言ってみれば一瞬です*3。すると、わたしはどうなるかというと、ちょうど「はしごをおろされた状態」になるわけです。でも、虚像に自分を移行させてしまうと、わたしは「そこ」でしか生きられなくなる。まぁ言ってみれば、依存ですわ(笑)。
とまぁ、むずかしいことを書いてみたけど、結局、「単なる呑んだくれのいつき」が一番居心地がいいってことですね(笑)。
あれ、なんの話だったっけ?
なんだかよくわからないけど…
2日ほど前に「いつきさんが出た番組のDVDがほしいって言ってる人がいるんだけど」というメール舞い込んできました。なんでもパソコンと一緒にお亡くなりになったそうな。で、どういうわけかそのDVDを渡すために呑みに行くことになってしまいました。
D町柳で待ち合わせて近くの店へ。
とりあえずブツを渡して用件は終了。そこからは延々とダベリながらの呑みの開始です。
相手の人も教員なんですが、働いている職場が「同系統」なんですよね。なので、「そうそうそう!」と話がはずみます。と同時に、ぜんぜん違うところも多々あります。なにせ、相手の職場はお隣の大都会。街の「すごさ」はケタが違います。ただひたすら「すげぇ…」と感嘆するばかりです。やはりうちの職場は田舎だわ。でも、田舎でよかったです。さすがに「やのつく人」を相手に渡りあうのはしんどいです。
てな感じで話をしていたら、あっという間に11時。なんでもあちらは越境通勤をしておられて、さらにその向こう側の県まで行かなくちゃならないらしいです。あわててお店を出てバイバイです。
で、わたしは近いですから余裕です。電車に乗って、サクッと座ってホッと一息。で、気がついたら2駅乗り越していましたorz。運転手さんに*1「すみません、乗り越したんですけど」というと、「あ、次に来た電車に乗って下さい」とのこと。ありがたいです!向かい側のホームに移動して*210分ほど待ったら、やがて電車が来ました。2駅もどって降りようと思ったら、この電車の運転手はさっきの人でした(笑)。なるほど、そういうことなのね。
さっそくやっちまったorz
1年生の授業も、今日で3回目。
はじめのあたりって、ものすごく簡単な話ばかりです。
でも、その簡単な話の中にとても大切なことが含まれています。
たとえば、単項式と多項式の話って、実はわたしたちが「整式」をどうとらえるかということなんだと、わたしは思っています。あるいは、「同類項」っていうのは、何を基準に「同じ」と見るのかということを学んでいるんだと思っています。ここでそうした「整式のとらえ方」をきちんと学習しておくと、後々とても話が進めやすいと思っています。なので、わたしはそうとうゆっくりとすすむことにしています。
さらに、整式の扱い方に付随して必ず話をするのが、「足し算/引き算」と「かけ算/わり算」の違いの話です。
「四則演算をふたつのグループにわけてごらん」という質問をすると、よくあるのが「足し算/かけ算」と「引き算/わり算」というわけかたです。で、理由を聞くと「増えるものと減るもの」という答が返ってきます。これ、おそらくは足し算の計算からかけ算を導入していくことの弊害じゃないかと思っています。
元来、足し算とかけ算はまったく違う演算だとわたしは考えています。これは、単位を考えてみればすぐにわかる。足し算における「単位」は「たすもの/たされるもの/こたえ」すべてが同じになりますが、かけ算はそうはなりません。
それと、大切なことは、「単位元が違う」ということです。
最近は「単位元」を教科書では扱わないんですが、これ、すごく大切なんだと思うのです。というのは、単位元は、たいていの場合省略されているからなんです。
いや、省略するのは簡単なのですが、省略されているものを見つけることがたいへんなんですよね。
シチュエーションによって、「1」が省略されているのか「0」が省略されているのか。「×」が省略されているのか「+」が省略されているのか。それを見わけることができないと、えらいことが起こります。
こんなことは、実は数学の問題だけじゃないですよね。
社会の中にも「省略されていること」「隠されていること」がたくさんあります。それを見つけること。そのためには、ほんとうにアンテナを張り、その感度をあげないといけない。
てことで、ついつい黒板に
省略されているものを見つけることが大切!
って、でかでかと書いてしまいましたよ。
踏み絵を踏ますのは誰?
夜、ある本の出版記念パーティーの実行委員会がありました。
なかなか実務的な人が集まっていたので、非常に話は早く進み、あっというまに骨子が決まりました。よかったよかった。
で、そのあと呑み(笑)。
ギョーカイ裏事情(笑)なんかも話ながら、やっぱり普段思っていることが頭の中を行き来しはじめました。
それは、「踏み絵を踏ますのは誰の仕事か?」ということです。
例えばこんなことです。
「君がyo!」とかが鳴ったら、座る。で、あたりを見渡す。仲間だと思っていた人が立ったままだった。そしたら、その人に向かって「お前、なんで立ったままやねん!」と怒る。で、「そーゆーのは、戦線として後退してるぞ!」と糾弾モードに入っていく。
もちろん、これはあくまでも「例」です(笑)。
でも、こういうの、たくさんありますよね。
某公共機関に交渉に行く。窓口で対応した人の態度が悪い。なので、その対応した人に対して怒る。
とかいうのもよくあります。
でもね、例えば公共機関の人だって内面でどう思っているかはわかりません。もしかしたら、交渉に行った人たちにシンパシーを感じているかもしれない。でも、職務上、やむを得ずそういう態度をとらざるをえないのかもしれない。これは、「君がyo!」も同じこと。
座るか立つかは、個人の思想や生き方の問題ですが、それぞれの人々がその時にどういう行動をとるのかということについては「折りあいのつけかた」の問題だと、わたしは思っています。そこに対して「語りあう」ことはできるだろうけど、「批判」や「避難」を、そう軽々とできるのだろうか。そう思うのです。
ある物事について、どういう態度・行動をとるのかという「踏み絵」は、元来「向こうの側」がすることだと、わたしは思っています。にもかかわらず、「こちらの側」で「踏み絵」を設定し、それによって「こちらの側」が分断をされていくとすれば、それはあまりにもやりきれない。
最大公約数で闘うのではなく、最小公倍数で闘っていかなきゃ勝てないよ。