Sさんの紹介で連れて行ってもらったのが「尾花」。
実は、わたしはお店でウナギを食べるのが生まれて初めてなんですよね。それがこういうお店というのは、いいのか悪いのか…。
ふっくらとしたウナギとあったかご飯、そしてビール!最高のお昼ご飯でした。
月: 2008年2月
フィールドワーク
東の方にある大都会*1には、これまでも何度か行きましたが、前々から行きたいと思っていながら行けなかった、街の北東部に今回こそ行くことにしました。
昨晩そんな話をSさんと話をしていたら、「吉原だったらわたしでしょう」とM姐さんが案内をかってでて下さいました\(^o^)/
10時に三ノ輪に集合。
- 新吉原へ
まずは、「浄閑寺(投げ込み寺)」へ。
このあたり、前に『別冊歴史読本 歴史の中の聖地・悪所・被差別民謎と真相*2』を読んで、「吉原に行くなら行かなきゃ」とは思っていたところでしたが、なにせ忘れっぽいわたしのことですから、M姐さんから「行くわよ」と言われるまで思い出せていませんでした。
トコトコと歩いて行かれる姐さんの後ろをついていくと、お寺の裏側へ。と、そこに慰霊塔があります。姐さんは深々とお参りをされています*3。今はまわりの木々の葉っぱが落ちている季節ですが、夏に来ると、なんともうっそうとした中にあるそうな。「ほら」と言われて横の穴をのぞくと、いっぱいの骨壺があります。「ぎっしりでしょう?」と言われ、なるほどと納得。ただ、姐さんのおっしゃるには、「吉原の遊女は平均寿命が22歳と言われるけど、あれはウソ。亡くなった人たちの平均寿命は22歳でも*4、そうじゃない人たちの統計はない。そもそも、「商品」なんだから、そんな粗末な扱いをするわけがない」とのこと。たしかに、合点がいきます。歴史って読み方なんだよなぁ…。
で、浄閑寺をおまいりしたあと、土手通りを通って吉原に向かいます。
まずは、見返り柳。そこを折れて大門へ。このあたり、見事に昔の道が残っているらしく、土手通りからは大門は見えません。そうそう、遊郭の入り口には必ず派出所があるとのこと。吉原交番も、昔からあったということです。
ここで大通りを行くかと思いきや、横道へ。吉原のソープランド許可地と昔の吉原は、ほんの1ブロックだけずれているとのことです。なので、その1ブロックにだけ、昔の吉原の建物がかろうじて残っているとのこと*5。見てみると、たしかにおしゃれな外観です。特に、建物の角が丸くなっていて、その角に窓があります。「この窓からおねえさんが「おいでおいで」をするのよね」と姐さんがおいでおいでのまねをされます(笑)。
そこからずぅっと仲ノ町通を通って奥の方へ。江戸町から京町へと抜けていきます。途中にある「吉原神社」で吉原の変遷が書いてある紙を見せてもらいながら、吉原の歴史と地理を確認。
その後、「吉原弁財天」へ。ここは、もともとは小さな池があったのですが、関東大震災の時に逃げ遅れた娼姑達がここに避難しようとして、490人の方々が溺死されたとのこと。ただ、ここでも姐さんが一言。「でもね、吉原からは出られなかったというのはウソ。大門だって出ようと思えば出られた」とのこと。
この吉原弁財天のあたりは、もう吉原の外です。ここから浅草へと「裏道」が続いています。
わたしたちは、ここからもどって、吉原公園へ。ここはもともと「大文字楼」の跡地だそうです。そうとう広い公園ですが、「これがひとつの「お店」の広さよ」と教えてもらい、かなりびっくりです。
ここから「お歯黒どぶ」跡の道へと降ります。だいたい段差が1.5mくらい。かなりの高さです。てことは、これが周囲との高低差なわけです。もともとはまわりは田圃ばかり。そこに盛り土をしてできた街ということです。さらに言うならば、もともとはまわりにはなにもなかったわけで、この街の中に「街」としてのすべての機能があったということです。すごかったんだろうなぁ…。
- 山谷へ
続いて、山谷へ。
ちょっと道がわからないので、Sさんが吉原交番で聞いてくれました。ていねいに教えてくれたとか。
「日の出会商店街」をずぅっと行って、吉野通りへ。吉野通りの手前あたりから、なるほど、今風のドヤ街になってきます。つまり、2000円〜2200円位のホテル&「冷暖房完備・全室カラーテレビ」の文字&コインランドリーがポツポツという感じですか。そこを左に折れてしばらく歩きます。有名な喫茶店「バッハ」の前を通り、「いろは会商店街」を曲がります。前には日本基督教団日本堤伝道所があります。救援物資らしきものをおろしておられました。友達、あの中にいたかもなぁとか思いながら、しばらくそのあたりをブラブラ。「城北労働・福祉センター」を見つけたので、前の掲示を見てみると、「こりゃ公共の仕事がないわ」。前にはってある各種ビラをしばし読んで、再び吉野通りへ。
吉野通り沿いに、どう考えても2階建てなのに窓が縦に4つ並んでいる建物があります。あれはたぶん、いわゆる「蚕棚」なのかな?てなことを考えながら、南千住駅の方に向かいます。
それにしても、ずいぶんと静かな街です。まぁ、「寒いから」というのと「土曜日だから」というもあるのかもしれませんが、なんか、地域的にものすごく広いのもあるのかなぁ。釜が崎だと、すごく狭い地域に密集しているので、もっと密度が濃い感じがするのですが…。あるいは、すごい高齢化しているのも原因だろうか…。はたまた、仕事がないので山谷ですら生活ができない?
- 小塚原刑場跡へ
山谷から泪橋交差点を越えて、常磐線の歩道橋を渡るとすぐに、「小塚原刑場跡」があります。ここは、回向院別院からさらにわかれて「延命寺」になっています。中には「首切り地蔵」があります。ここに有名な「腑分け」にかかわる掲示物があったのですが、杉田玄白なんかの名前は載っていても「えたの虎松のおじいさん」の名前は載っていないんですよね。ふぅむ…。
- 回向院へ
ここからガードの下をくぐり抜けると、回向院へ。ここには解体新書のレリーフがあります。その説明文には「虎松のおじいさん」の名前はありませんでしたが、「腑分けに立ちあった」とあります。てことで、「杉田玄白達がやったのではなくて、いつもやられている「腑分け」という行事に立ちあった」というニュアンスは伝わるかな。
奥には、吉田松陰とかいろんな人たちのお墓がありました。でも、わたし、日本史に詳しくなくて、ぜんぜんわかんない(;_;)。
あ、「吉展地蔵」はわかりましたよ。「吉展ちゃん事件」が石川一雄さんへのえん罪の遠因になったというのを知ってたので。って、知識が偏っているなぁ…。
てことで、午前のフィールドワーク、終了。
一番しんどかった時期
わたしがトランスジェンダーという言葉と出会い、自分がそうであることを確信したのが1997年頃です。でも、そこから3年間が、わたしにとって一番しんどい時期だったかもしれません。
それまでは、自分が何ものかわからない状態ではありながらも、イマジネーションの中の自分とリアルな自分を切りわけることで、現実の生活は営めたわけです。でも、「トランスである」ということを知ってから、その切りわけができなくなりはじめました。
「トランスである」ことと「トランスとして生きる」ことは、実はぜんぜん違うと思います。
自分がトランスであることを知り、「トランスとして生きよう」と決めたのですが、具体的に、「なにをしたいのか」が自分の中でイメージできません。なので、「どうすればいいのか」も当然わからないわけです。何をしたいのか、何をしなくちゃならないのか、自分を実現するためには何をすればいいのか。ぜんぜんわからないままに、それでも「トランスとして生きたい!」と思い続けた3年間でした。
そんなわたしの転機のうちのひとつが、中島豊爾さんとの出会いでした。別になにかを教えてもらったわけじゃない。ただ単に、中島さんの「仕事をしており家族がいるいつきさんが、SRSまでやるとしたら、何が障碍になるのかなぁ」という独り言を聞いた時、「自分がやりたいことをやればいい。それをするのは自分自身なんだ」と気づかされたのです。と同時に、「誰かが邪魔をするわけじゃない。邪魔をしているのは、自分自身なんだ」ということにも気づきました。
そこから、自分の意志で少しずつ少しずつ「扉」を開いていくことにしました。「扉の向こう」に何があるのかは、実は今でもわかりません。でも、開け続けるという生き方を続けていくことに意味があるのかなぁと思ったりして…。
ぁゃιぃ会合
今日は午前いっぱいで職場をサイナラ!一路、東の方にある大都市を目指します。
到着したのが5時半頃。ホテルにチェックインをして、しばし休憩。その後、ホテルの近くに設定して下さった居酒屋へ。
店にはいると、すでにMさんとKさんがおられます。
なんか相変わらずのKさんと、ふだんとはぜんぜん違うラフなかっこうのMさん。「めずらしいなぁ」と思ったら、施術をしてもらってこられたそうです。普段から肉体的にも精神的にも走りまわっておられるから、きっと体を酷使しておられるんだろうなぁ…。ちょうどみなさんが集まってこられる前なので、Mさんにかねてからお願いしていた、ちょっとややこしい話についてしばし相談。諸事情により固辞されたのですが、やはりどうしてもお願いしたいので、「そこをなんとか」と再度のお願い。検討してみるとのことで、その話は一件落着。
そうこうするうちに、Sさんが来られて、まずは乾杯。ここで、ちゃんとクーポン券をプリントアウトしておいたのは、まぁ当然のことですわ。そうこうするうちに、Aさんも来られて全員集合。このぁゃιぃメンバーで会うのは、かれこれ2年ぶりぐらいです。
飲み始めると、いきなりパワー全開です。なんか、極めて専門的*1&マニアックな話*2からしょうもないネタまで縦横無尽に話は飛び交います。さらに、思わぬタイミングでKさんに火の粉が飛んでいきます。どぎまぎしながらもなんとか応戦しようとするKさんは、ちょっとかわいいかも(笑)。
そんなこんなで、気がつくとあっという間に終電の時間です。
楽しい宴も終了。次にこのメンバーで飲めるのはいつだろう。でも、その時を楽しみに、あしたからも生きていこう(あれ?)