感想文

エントリを[work]にしようかどうか迷いましたが…。ま、こっちの方で。
いちおう人権学習の担当をしているので、1年に2〜3回、子どもたちが書いた人権学習の作文や講演の感想文などをすべて読まなくちゃならないんですよね。自分のクラスだけだったらなんていうことはないんですが、これが、全学年全クラスになると、そうとうな負担になります。800人ぐらいいますからねぇ。
しかも、「読み応え」のある感想文って、やっぱり少ないです。ほとんどが
「差別はいけないと思った」
「差別がなくなればいいと思った」
みたいな…。
もしも自分が担任をしていたら、「「差別はいけない」とか「差別がなくなればいい」とかって、何も書いていないのと同じ」というふうに最初に言っちゃいます。なので、自分のクラスからはほとんどでてきません。まぁ、何を書くかはそれぞれの子どもたちが考えることなんですがね。
そんな中、ある部落の方の講演に対する感想文は、本当に読み応えがありました。例えば、「自分の友達に部落の人間がいる」「自分の元彼が部落」みたいなところからはじまって、「自分の体には傷跡がある」とか、自分の身のまわりを振り返りながら、部落の人がさしだしてくれた「人生」に、なんとか応えようという思いがあふれています。力のある話には、こういう感想文を書かせるものがあるんだなぁと思いました。
ただねぇ…。
劇薬なんですよね。
わたしたち教員が普段やっているのは「漢方」です。漢方は効いているのか効いていないのかわからない。だんだん飲むのがおっくうになってくる。悪くなった時に、はじめて「あぁ効いていたんだな」みたいな感じですか。
でもね。それがあるから劇薬が効くんですよ。
だって、普段本当に何もやっていなかったら、部落の人がいくら話をしていても、その話はきちんとは届かないと思うのです。

それに引き替え、やっぱり「映画」はあきませんねぇ。映画って、映画そのものからは直接はメッセージがこないと思うんです。そうじゃなくて、その映画を見ることで、自分が過去経験してきたことや受けてきた授業なんかのイメージが喚起されて、自らが「気づく」というものなんだと思うのです。その「気づき」によって、自らがなんらかのものを獲得していく。だから、あらかじめ「見るポイント」みたいなものを与えてしまうと、すごく表層的なものになってしまうと思うんですよね。
でも、これがなかなかできない。

あ〜、靴の上から足を掻いている気分です…。

てことで、感想文集をつくるか…はぁ…。