ここを読んではじめて知りました。出てたんだ…。もしも元記事がリンク切れだったらあれなので、保存しておきましたまだしてませんでした。
日: 2007年6月15日
追加
勉強・部落史連続講座
ホッと一息ついたところで、今日は学校帰りに「部落史連続講座」です。
今回は2回目。辻ミチ子さん(元京都文化短期大学)による、題して「近世 仕事三大咄 −国家公務員・委託事業・芸能プロダクション−」という話です。
内容としては、カワタの人たちや非人といわれる人たち*1の仕事を、現在の言葉に置き換ええるならどうなるのか。そしてそこから、その仕事の内容について考えていこうという試みだったようです。
- 国家公務員
まずは、なにが「国家公務員」なのか。
カワタも非人も、ともに下級役人としてさまざまな仕事に従事していました。基本的には、町奉行所の下にある四座雑色[1] … Continue reading)の下にあるみたいです。カワタ身分については「役人村」、非人については「悲田院」が統括をしていたみたいです。
つまり、奉行所にしたにあるというところで、ともに「(国家)公務員」としての役をしていたということになるのでしょうか。基本的にはカワタについても非人についても「刑吏役」に携わっていました。ただ、非人については、「行き倒れ」の人たちの排除とケア((このあたりがおもしろいです。単純に排除するだけではなく、看病をすれば大丈夫な人については看病をした後「送還」をしたみたいです
*3:まぁ、いまふうにいうと「炊き出し」ですか
*4:つまり、都=京都
footnotes
↑1 | このあたりがおもしろいです。単純に排除するだけではなく、看病をすれば大丈夫な人については看病をした後「送還」をしたみたいです">*2をしたり、施行*3をしたりといった役もしていたみたいです。おそらくは、都市部*4に流入してくる非人が多くなりすぎると収拾がつかなくなるため、適度なケアと必要な排除をするという機能があったようです。で、そのあたりを統括していたのが「悲田院」というところだったと。 あと、悲田院は「肥樽」の管理もしていたとか。「肥樽」というのは、当時の公衆便所のようです。で、「肥樽」の管理者は悲田院で、ここで得られた「肥え」を近郊農業をしている人たちに売ったとか。これまた、それなりの商売になったみたいです。
続いて、「委託事業」です。
では、「芸能プロダクション」とは。 |
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