その後は定番、交流会

お店はどうやら「鶏」の店のようです。ズリとかささみの刺身なんかが出てきたり、串焼きもいきなり「ボンジリ」が全開で出てきたりします。すごいっす。と、交流会参加者の一人が突然「あ、鶏インフルエンザ…」。で、わたしのフォロー。「あ、BSE騒ぎの時も、東九条マダンでは焼肉かなり売れましたし。みんな「いまさら一緒」って食べてましたよ」。「まぁそうやね」とおいしくいただきました。
交流会で話題になったのは、解放運動のあり方のこと。
なかには「中の人」もいたので、いろんな話が出てきました。時として、歯に衣着せぬきびしい話もいっぱい出てきました。それでも、みなさんやっておられるんですね。で、思わず江嶋さんの言葉を引用してしまいました。「「解放運動は、51%の正しさと49%の間違いの運動」って江嶋修作さんが言っていました。でも、かつては「51%の部分を80%ぐらいが正しい」みたいなことを言っていたし、いまのバッシングは、49%の部分を80%ぐらいにとりあげている。いずれもやっぱり違うんだと思うのですよ」すると、本当に苦労をされながら、今も一生懸命部落解放研究所の仕事をしておられる方が「それ、それよ。どれだけ絶望をしても、その2%の差があるから、いまもこの仕事を続けているのよ!」
あの、少数点在の厳しい状況と、その厳しい状況の中で運動を続けている人の熱さを感じた一日でした。

で、フィールドワーク

朝起きると、雪が積もっていました(笑)。

今日は午後から、どういうわけかS県で漫談。
といっても、前半授業実践のレポートがあって、後半1時間ほどを担当しただけです。展開としてはまったく新しいものなので、ちょっとドキドキしましたが、なんとかつとめあげられました。
その後、車でまわるだけではあったけど、3ヶ所のムラにつれていってもらいました。
いや、ほんとうにびっくりしました。3ヶ所ともがいわゆる「少数点在」のムラなんです。1ヶ所目はそれでもちょっと大きめ。2ヶ所目は戸数が20戸くらい。3ヶ所目にいたっては、10数戸ですか。
どのムラも、いちおう地区改善事業は入っているとのことですが、いわゆる「ニコイチ」じゃなくて、「市営住宅」とのことで、すべて一戸建てです。もちろん「団地」はありません。つまり、まわりからはさとられないようにということのようなんですね。
でも、一目見たらバレバレです。いずれのムラも道は狭くて曲がりくねったまま。車からは降りずに通過しただけですが、普通車が道幅いっぱいです。ところどころ「ここ、入れないから向こうからまわるね」というところまであります。

ひとつめのムラA地区。入り口を入った瞬間に「あ、ここからムラですね」「そうです」。で、ある瞬間に「あ、ムラ、出ましたね」「はい、あの川を渡ったところで出ました」。
ふたつめのムラB地区。公民館の裏側にある空き地に車をとめて「あそこです」と指をさされました。小さな土地に、A地区と同じタイプの市営住宅が数軒並んでいます。ムラのまわりにぐるりと鉄柵があります。「え?あれ?あの柵、あれでムラってバレバレじゃないですか」「ええ」表にまわると、川が流れていて途中から暗きょのあとがあります。「昔はこの川に丸田が一本かかっているだけだったんです」「へ?」「だから、こっち側*1からは丸わかりなんですよ。でも、ムラの人たちは必死で隠していた」「んなむちゃな」
もう少し車を進めると、「このあたりはもともと女郎街でした。ここもまわりにぐるりと堀があってね、女郎さんが逃げられないようにしていたんです。B地区の人たちはその監視役もしていたということで、そのことがまわりの人たちのまなざしを一層きついものにしたんです」「…」
みっつめのムラC地区。ムラの裏側には竹藪があります。「あの竹藪ね、昔はずっと続いていて、このムラを取り囲むようになっていたんです」すると、同乗の方「ほんとうに、「藪の向こうに人がいるのかな」という感じでしたよね」「ええ、そうでしたね」「S県では各地区*2ごとに子どもたちを公民館に集めていろんな伝達をしたりするんですが、ここのムラの子らは20数年前まで、公民館に入ろうとしたら「お前らは出て行け」って生徒からも教員からも言われて、しかたなく運動場で時間をつぶしていたということです。子どもの人数が5〜6人もいたらその中には「おかしい」と言う子もいるんでしょうけど、兄弟だけだったりするとそれすらもできない。少数点在のムラには運動が起こりにくいんです」。
その後、表にまわります。すると、見たことのあるような大きな「工場」の跡があります。「このムラも現在廃品回収なんかをしているんですが、ちょっと前までは自動車解体業をやっていたんです」。それでですね。見たことがあったのは*3。でも、今は「跡地」みたいです。工場の前には山のようにいろんな種類のくず鉄があります。
ほんとうに一区画をくるりと回ったら、あっという間にムラを出てしまいました。

ほんとうにショックでした。わたしが今まで見てきたムラっていうのは、たいてい都市部の大きなムラでした。でも、ぜんぜん違うムラもあるんですね。
都市部のムラと農村部のムラの違い。さらに、農村部でも富裕層のいる(いた)ムラと、そうではないムラの違い*4。まさに、小林丈広さんの言われる「部落の4類型」のうちのひとつの類型「農村貧困型」の典型を見た感じでした。ここから、「法は切れた。格差は解消した。だからあとは自助努力で…」というのは、無理ですわ。やはり、解放へ向けたとりくみが絶対に必要だと、認識をあらたにしました。
てか、こうしたムラにフィットしたとりくみをしてこなかった、わたしたちの「無知」が問われるんだろうな。

*1:ムラじゃないほう

*2:ここの「地区」はムラじゃなくて、小学校の地区割りのことです。

*3:京都府南部にも「解体の街」がありますから。

*4:このあたりのムラでは、近世の頃、農業は許されなかったとか…