ある人から紹介されて、サクラスタディーズというところで話をすることになりました。で、今日はそのうちあわせ。といっても、飲み会です(笑)。
向かったのは、さらさというお店。富小路のいっぱいだったので、麩屋町にある「pausa(パウーサ)」というお店の方に行きました。
なんか、いい感じです。そうか、京都の北部にはこういうお店があるんだなぁ、と。なにせ、京都駅南側がテリトリーだからなぁ…。
ところで、このサクラスタディーズというのは、特にジャンルを決めずに、その人から出てくる話題をネタにいろいろ話をする会みたいです。なので、特に「トランス」ということに限定せずに、とりあえずいろいろな話をするというのが、今日の目的みたいです。
エスニックな料理をいただきながら、数学の話からスキーの話、そしてトランスの話までいろんな話をしました。なんだか、自分のもっているかなりの部分を出したような気もしたのですが、それなりにスリリングな一時を過ごさせてもらいました。
で、結局決まったことは…。なんだっけ(笑)。
そんな感じで話をすることになりそうです(笑)。
年: 2007年
在日外国人生徒交流会
先週あったのは、全国の交流会。今日のは京都の交流会です。
かつては、在日朝鮮人の子どもたちばっかりだった交流会も、今はすっかり様変わりして中国帰国の子らが多数。あと、東南アジアにルーツを持つ子どもたちがたまに来てくれるという感じで、在日朝鮮人の子どもたちの参加がないこともよくありました。
この状況は、ひとつは「日本語教室」の存在が大きいんでしょうね。というのは、そこに集まっている子どもたちとつながっている日本語指導教員とか、そこの先輩後輩・親戚きょうだいという関係で来てくれるのが、少なくとも京都の状況だからです。これ、かつては、朝文研で子どもたちをつれてきた状況と同じですが、現在、京都で朝文研活動をしている学校があるかどうか。まぁ、あまり聞かないですね。
朝文研がなくなったのは「問題がなくなったから」かというと、そうではなくて、逆に「放置されている」ということなんだと思います。正直言って、いったいどうしたらいいのか、ちょっと途方に暮れているところもありました。
そんな感じなんですが、今回は在日朝鮮人の生徒や卒業生の参加がありました。
当然のことながら、中国帰国の生徒と在日朝鮮人の生徒の話がかみあいません(笑)。お互いに「言葉はしゃべれるの?」とか「どこから来たの?」とか。朝鮮人の子は「日本語しかしゃべれへん」「日本で生まれた」だし、中国帰国の子は「家では中国語」とか「5年の時に来た」とかだし*1。
でも、在日朝鮮人の卒業生に、「自分のところの親戚とか集まったらどうなん?」というと、「ハラボジやハルモニは朝鮮語、オモニやアボジは朝鮮語は聞き取れるけど返事は日本語。僕らの代は日本語しかわからへん」と答えてくれました。で、中国帰国の子らに、「君らの子どもの代になったらどうなると思う?」と聞くと、「あぁ…」と深くうなずいていました。
表面的な「問題」は、例えば日本語習得の問題であったり生活習慣の差であったりするわけですが、おそらくそうした問題は渡日年数が長くなり世代が変わっていくに従って、徐々に潜在化していきます。でも、いま在日朝鮮人が抱えている問題が、「新渡日」の子どもたちの中で顕在化していく。ところが、そうした「問題」を日本人社会は放置していくのではないかということ。それが、在日朝鮮人の日本での生活史の中から、今学ぶことなんじゃないかと思います。
新渡日の子どもたちの姿に在日朝鮮人の過去の姿を学び、在日朝鮮人の子どもたちの姿に新渡日の子どもたちの姿の未来を予測する。そして、そういう「未来」が来ないように、別の未来の姿を展望し実現するために、わたし(たち)が、今・ここでなにができるのかということが、交流会に参加するたびに考えさせられることなんです。
とはいえ、結局やっていたことは、ご飯をつくって食べてしゃべっただけなんですけどね。今回初チャレンジの「ヤム・ウンセン(春雨のサラダ)」おいしい!ナンプラーとレモンの香りに、かなりはまりそうです。
*1:もちろん、日本で生まれた中国帰国の子らのほうが最近は増えてきているし、そういう家では中国語と日本語が混じった会話をしていたり、子どもは日本語しかしゃべれないという方が多いですけど…。
プロレス
今日は、年1回、プロレスを見に行く日です。というか、もう少し正確に言うならば、年1回プロレスの招待券をもらう機会がある年があって、今年はもらえたので見に行った、と。てことで、いつもありがとうございます。
はじめて行った時は、ま”さんが解説をしてくれて、すごくおもしろく観戦できました。で、次に行った時は、ちょっとわからないところも多々あって、やっぱり下調べが必要なんだなぁと思いました。で、今回は、下調べを子どもにまかせてしまったという^^;;。いや、なんか最近上の子どもが新日本プロレスにはまっているみたいで、試合のある日は見ているそうな。
さて、今回は席がアリーナじゃなくてギャラリーだったのですが、これがなかなかおもしろいです。アリーナにいると「近い」感じはあるのですが、よく見えないところがあります。ところが、ギャラリーはきわめて見晴らしがいいです。それだけではありません。客層も違います。ギャラリーで見ている人は、ほんとうに「好き!」という感じ。なので、試合中もかけ声がかかるわツッコミが入るわ。近くのマニアの話を聞いているだけでも充分楽しめます。
それにしても、プロレスって、歌舞伎みたいな感じなんだなあと、あらためて感じました。見得を切るべきところではきちんと見得を切ります。そして、動くべきところでは見事なまでの動きを見せてくれます。その緩急の差と「間」は見事です。そして、それを実現しているのは、あの鍛え上げられた身体なんですよね。しかも、それが試合形式なので、一種「どちらがどの技で勝つか」という謎解きもまた観客に与えられます。ギャラリーのマニアが、試合途中で「今日はどっちかわからん…」とつぶやいていましたが、そう思わせる筋書きって、やっぱり見ていておもしろいですよね。
さらに、試合が進むにつれて、どんどん雰囲気が盛りあがっていきます。2時間半かけてひとつの盛りあがりを実現する「芸能」って、もう、希有な存在のようにおもいます。
で、この雰囲気はテレビではわからないものなんでしょうね。てか、子どもがひとこと「テレビではきこえない音が聞こえる」とつぶやいていましたから、ライブならではのものがあるんでしょう。いや、はまるの、わかりました。
おまけ
追加
勉強・部落史連続講座
ホッと一息ついたところで、今日は学校帰りに「部落史連続講座」です。
今回は2回目。辻ミチ子さん(元京都文化短期大学)による、題して「近世 仕事三大咄 −国家公務員・委託事業・芸能プロダクション−」という話です。
内容としては、カワタの人たちや非人といわれる人たち*1の仕事を、現在の言葉に置き換ええるならどうなるのか。そしてそこから、その仕事の内容について考えていこうという試みだったようです。
- 国家公務員
まずは、なにが「国家公務員」なのか。
カワタも非人も、ともに下級役人としてさまざまな仕事に従事していました。基本的には、町奉行所の下にある四座雑色[1] … Continue reading)の下にあるみたいです。カワタ身分については「役人村」、非人については「悲田院」が統括をしていたみたいです。
つまり、奉行所にしたにあるというところで、ともに「(国家)公務員」としての役をしていたということになるのでしょうか。基本的にはカワタについても非人についても「刑吏役」に携わっていました。ただ、非人については、「行き倒れ」の人たちの排除とケア((このあたりがおもしろいです。単純に排除するだけではなく、看病をすれば大丈夫な人については看病をした後「送還」をしたみたいです
*3:まぁ、いまふうにいうと「炊き出し」ですか
*4:つまり、都=京都
footnotes
↑1 | このあたりがおもしろいです。単純に排除するだけではなく、看病をすれば大丈夫な人については看病をした後「送還」をしたみたいです">*2をしたり、施行*3をしたりといった役もしていたみたいです。おそらくは、都市部*4に流入してくる非人が多くなりすぎると収拾がつかなくなるため、適度なケアと必要な排除をするという機能があったようです。で、そのあたりを統括していたのが「悲田院」というところだったと。 あと、悲田院は「肥樽」の管理もしていたとか。「肥樽」というのは、当時の公衆便所のようです。で、「肥樽」の管理者は悲田院で、ここで得られた「肥え」を近郊農業をしている人たちに売ったとか。これまた、それなりの商売になったみたいです。
続いて、「委託事業」です。
では、「芸能プロダクション」とは。 |
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