朝、ふと目が覚めると、お腹の上に黒い画面のパソコンが。てことは、バッテリーが切れたか_| ̄|◯。それにしても、ほとんどラッコみたいな感じです。はぁ…。時計を見ると、3時半。あわてて電気を消してもう一眠り。
次の目が覚めたのは6時半。とりあえず、頭が重いので、お風呂に入って体を温めて、テレビを見ながらしばしボー。
朝ご飯を食べてチェックアウトです。そのまま新幹線に乗ります。道中、黒坂愛衣さんの3部作を読んでいたのですが、「あぁ!この本に出ていた人がいっぱいんだぁぁぁ!」ということに気づいて、「帰りの新幹線じゃなくて、行きの新幹線で読むべきだった」と、そうとう後悔しました。
てなことやっていると、京都へ。ここから家とは反対方向に進路をとります。目指すはウトロ。
なんでも、韓国のNPOの集まりがあって、それの交流会があるとか。わたしは例によって例の如く放送担当です。
ところが、これ、どの機材が必要なのかまったくわかりません。なので、無駄を覚悟の上で、CDだのMDだのカセットだのと大荷物を持っていきました。ついでに、どうせノレ*1があるだろうということで、エコーマシンもかついでいきました。
さて、夕方になって交流会の開始。いきなりタイピンマイクが活躍します。続いて、オモニ達の合唱。ここではカセットが活躍です。途中BGMのためにCDも使います。さらに、ハルモニ達のノレがはじまります。エコーマシンが大活躍。
てな感じで、気がついたら持ってきた機材はほぼフルに使っていました。こわいわ…。
交流会が終わったら、後かたづけ。機材を撤収して、収めるべきところに収めて、ようやく終了です。
帰りに手伝ってくれた友だちにラーメンをおごって*2お家へ。家にはいるとみんな寝ています。長い2日間でした…。
年: 2007年
で、交流会
プチフィールドワーク
高座の後は、「地元を案内しますよ」という主催者の方のご厚意にあまえてT地区とE地区のプチフィールドワーク。
なんというか…。
関西と関東の違いというのもあるかもしれませんが、都市部と農村部という違いもあるんでしょうね。まず、圧倒的にちがうのは、地区改善事業については、解放住宅がメインではないということでしょうか。解放住宅はほとんどありません。やっぱり、土地があるんですね。
だからといって、「広々」かというと、そういうわけでもありません。E地区はほんとうに入り組んだ道がムラの中をかけめぐっています。「他の地区はね」と隣の地区にも車で案内してもらったのですが、ぜんぜん町並みがちがいます。まさに「道がある。道が狭くなる。狭くなったそこに部落がある」というフレーズを思い出させる光景でした。
「なぜこんなに狭いままなんですか?」とたずねると、ひとつは、人口の流出があまりなかったことをあげられました。でも、これは近世から近代初頭の感じでしたね。では、近代から現代に関してはというと、やはり、「行政が放置をしてきた」ということだったみたいです。
あと、やはり地域の考え方かなぁ。ムラの人の中には地域改善事業にあまり協力的ではない人もいるわけで、そういうところでは、道を拡げようにもそこの土地を買い取れないので、拡げられないなんていうこともあったみたいです。
一方、人権をめぐる活動については、ほんとうに「開かれた」方向に進んでおられるみたいです。このあたりも、「力関係」なのかな。話を聞いていると、「いいバランス感覚をしておられるなぁ」とつくづく感じました。
関東進出?
朝、そうっと起き出して、とりあえず朝食の準備とか荷づくりとか。パートナーも子どもも寝ています。
そのまま、みんなを起こさないように、そうっと家を出ました。向かうのは、ずいぶんと東の方です。
とりあえず、8時40分頃の新幹線に乗るべく、8時頃に家を出たのですが…。よく考えたら、駅まで歩いて15分ほど。で、京都駅まで20分ほど。てことは…。走りました。
なんとか新幹線に飛び乗って、東京へ。ここで新幹線を乗りかえて*1小山駅へ。そこから車に乗せてもらって着いたのは、O平町。
栃木県の特に南部の方は、そうとうさかんに人権関係のとりくみをされています。トランス関係についても、こんな方とかを呼ばれたりしています。それにしても、前回K川さんの話を聞かれた方が今回こられたらイヤだなぁ(笑)。だって、そもそも見栄えが全然違いますからねぇ(笑)。
で、会場にはいると…。すごいです。ご高齢の女性が真ん中に数人陣取っておられます。しかも、全体的にすごくまじめそう…。これが関東の雰囲気か…。
さて、どうするか…。関西のお笑い系としては、「ここでウケてこそ」とは思うのですが、いつものペースでいつもの内容を話しても、ぜったいに笑ってもらえもらえない感じです。とにかく、まわりの人たちを引きずり込みながら、本丸を攻めていくことにしました。
すると、はじめは固かった雰囲気もだんだんと柔らかくなっていって、最後は本丸の人たちも笑ってくださるようになりました。いやぁ…。ほんとうにあせった。
高座が終わってから、「わざわざお越しいただいてありがとうございました。みなさんがにっこりされたお顔を見させていただいて、ほんとうにほっとしました」とあいさつにいきました。すると「おもしろかったですよ」とお褒めの言葉をいただきました。よかったよかった。
*1:初体験!
学力低下?
ある授業にて…
わたし「6/6はいくら?」
生 徒「ゼロ!」
わたし「…」
生 徒「だってなくなるやん」
わたし「6つのケーキを6人でわけたら、ひとりいくつずつ?」
生 徒「…1や!」
わたし「はい、よくできました」
そう言えば、昨日もこんな会話をしたなぁ…。
わたし「こっからここまでを4等分するんやで」
生徒、作業する
わたし「あれ?4等分するのって、いくつ線を書くのかな?」
生 徒「4本」
わたし「…」
生 徒「…」
わたし「OK。ロールケーキが一本あるとしようよ。これ、4人でわける時、いくつカットを入れる?」
生 徒「4つ…。ちゃう、3つ」
わたし「はい、よくできました」
なんか、座標軸にいちいちロールケーキを書くの、めんどくさいんだけどなぁ…。
寄り道
現在、わたしは毎日京都市を縦断しながら通勤をしています。たしかにたいへんっちゃぁたいへんなんですけど、考えようによっては、祖父地図でも寺町でも四条でも、どこでも「通勤途中」です。ですから、気がむいた時にはひょいと寄り道ができます。
もちろん、そういうところばかりじゃなくて、例えば人と会うのもとても簡単。
なので、昨日焼いたDVDを今日寄り道して持っていくことにしました。郵送料も必要ないしね。
で、寄り道するつもりが、会ってしゃべりはじめるとついつい興に乗るのもよくある話です。はじめは立ち話だったのが「まぁ座って」とか言われると話し込んでしまいます。
話の内容は、他愛もない話です*1。でも、なんとなくしゃべりにくいような話を話せる人がいるのって、精神衛生上いいのかもしれない。かなりすっきりして家に帰りました。
家に帰ってパートナーに具合を聞くと、少しずつ少しずつ快方に向かってはいるそうな。よかったよかった。
*1:京都の教育運動界の内部事情の話とか、人間関係の話とか…。他愛もないなぁ(笑)
突如燃えた!
知りあいから、「某集会の映像があったら、研究のためにほしいんだけど」というメールがありました。
手元にはあります。でも、わたしが職場で使っているパソコンではDVDは焼けません(笑)。なにしろ、そのパソコン、1年半ほど前の昼下がりにいきなり天に召されたもののかわりに急遽買ってもらったものですから、必要最小限のスペックなんです。で、その「必要」のなかに「DVDを焼く」というのが入っていなかった、と。
てことで、家に持って帰って焼くことに。で、焼いたDVDはなんぼなんでも裸のままというわけにはいきませんから、職場の帰りに寺町に寄ってケースを調達。ふと横を見ると、DVDが120枚はいるケースがあったので、つい買ってしまいました。なにせ、焼いたDVDって、放っておくとそのへんに散乱しますから(笑)。
で、家に帰って、某集会の映像とか、東京から送ってこられた10分間ほどの映像とか、東九条に関する非常に貴重な映像とか、ひたすら焼きまくりました。
焼いている時間はヒマなので、DVDの整理。おぉ!入る入る!
さらに、普段お世話になっている方々に送らなくちゃならないものも思いだしたので、そのあたりのものも用意。
なんか、喉の奥に刺さっていた小骨みたいなのがようやくとれたかな。
なんしかすっきりしました…。
つきそい人
パートナーはあいかわらず調子が悪いみたいです。なにより、原因がわからないのがこわいです。てことで、今日は検査でMRIをとることになりました。
ところで、パートナーは閉所が苦手。なので、CTとかMRIは大嫌いです。「イヤや〜、イヤや〜」と言いながら、でも、原因がわからないのはもっとイヤということで、やむを得ず撮ることになったのですが…。
重い扉の向こうに、技師さんとふたりで消えていきました。と、5分ほどしたら技師さんがあらわれて「中に入ってください」と(笑)。やっぱりな…。
結局、15分ほど一緒にMRIの部屋にいるハメになりました*1。
撮影が終わって技師さんが入ってこられた時、ひとこと「なんでこわいのか、よくわからへんにゃけどなぁ…」確かに…。わたしも「んなもん、東大寺の柱に上向きに寝ているみたいなもんやんか」と思ってみていましたから。でも、こわい人にはこわいんでしょうね。
で、その後所見を聞いたのですが、「とくになにもない」とのことでした。たぶん、前に治療していたのを放ったら貸しにしていたのがよくなかったんでしょうね。
で、家に帰ってふたりで昼ご飯を食べながら*2「技師さん、わたしを呼ばはったなぁ」という話になったのですが…。
「わたしのことなんて言ってはったの?」
「表にいるの、お嬢さんですか?って」
「\(^o^)/で、なんて?」
「え、い、いえ…って答えた。ほしたら「お姉さんですか?」って」
「\(^o^)/で、なんて?」
「え、い、いえ…って答えた。ほしたら「お家の方ですね?」って言ったので「はい」って答えた」
お家の人…。便利な言葉です。
そう言えば、お医者さんから昨日の夜電話がかかってきて、わたしが受け答えしたんですが、診察に入った時に「あの…、昨日電話を…、とられた方です…か?」と、えらい戸惑ってはったなぁ。
まぁ、声パスしてないだけか_| ̄|◯。
ホーム
現在、わたしたちが集まりをやっている場所がなくなるかもしれないという事態が進行しつつあるようです。先日、「「場所」を確保するための話しあいがあるので来てほしい」という連絡があり、今日がその日でした。でも、パートナーの調子が調子なので、わたしが行くことについては断念せざるをえませんでした。で、代わりに行ってくれる人を探したのですが、若い衆がひとり「行きますよ」と言ってくれたので、行ってもらうことにしました。
その若い衆に趣旨説明をするにあたって、どう言おうかと思ったのですが、最終的にはひとことだけでした。
「あの場所がなくなったら困るやろ?」
それに対する答は「はい、困ります」だけ。これだけで、たぶん通じてしまうんだろうなぁ。
その若い衆、さらに若い衆を2人引き連れて話しあいの席に行ったそうです。その話しあいの席には行政関係者と運動体の他には一般利用者としてはわたしたちだけだったみたいです。そこで、3人はブイブイいわせたそうな*1。
でも、あとでわたしに連絡をしてきた人から「ありがとう。ほんとうにいい話を聞かせてもらった。わたしたちも学ばせてもらった」という電話をいただきました。
その「場所」、長い闘いの中で先輩達が勝ち取ってこられた場所です。そこを今わたしたちも使わせていただいている。なぜいま、わたしたちが使わせてもらえるか。それは、勝ち取ってこられた先輩達は、わたしたちをより理解したい。そして、ともに歩みたいと思ってくださっているからです。そんな人たちと一緒の場だからこそ「集まり」ができる。
「場所」は「場所」であっても、単なる「場所」ではないんです。おそらくは、わたしたちにとっての「ホーム」になりつつあるところなんです。
考えてみると、わたしたちって「ホーム」がないんですよね。集まって住んでいるわけでもないし、生まれながらに持っているわけでもない。下手をすると、「親・きょうだい」こそがもっとも「ホーム」から遠い場合もあります。だからこそ、「ホーム」がほしいと思ったら、自分でつくりだしていかなくちゃならない。
いま、ようやく手にしようとしているかもしれない「ホーム」を奪われそうな事態になった時、若い衆が声をあげたのは、ある意味必然だったかもしれないです。そして、実はそれは、かつて「先輩」たちがやってきたこととある意味同じなんじゃないかとも思います。「集まって住んでいるからホーム」ではない。「生まれながらに一緒に住んでいるからホーム」ではない。「ホーム」はつくりだすものなんじゃないだろうか。
んなことを、ふと考えました。
*1:死語
緊急事態!
で、夜に寄り合いがあるので会場を早々に引き揚げ…。
と、そこに一本の電話。パートナーからです。
「ごめん、救急車呼んだし…」
「へ?」
混乱です。今晩は寄り合い…。あしたの晩も大阪…。来週は…。ヤバイ…。
「どうしよう」とパートナーについ言ってしまったのですが、「そんなん知らん」とあたりまえの答え(笑)。
とりあえず、今日の寄り合いに欠席する旨の連絡だけして、大急ぎで家に帰りました。で、荷づくりをして病院へ。
処置室に行くと、思いの外元気な顔をして点滴を受けていました。やれやれ…。そういえば、前にもこんなことがあったよなぁ。いつだったっけ…。
病室で2時間ほどボーっとして、一緒に帰宅。よかった…。家に帰って携帯を見たら、寄り合いの仲間たちから「大丈夫?」「お大事に」、暖かいメールが来ていました。ありがとう*1。
それにしても、綱渡りの生活やな。
*1:一人だけ「倒れたのはいつきさん?パートナー?」というのもありましたが(笑)。なにせ、混乱していたのでわけわからんメールだったんだと思いますわ