もちろん、冬休みですから、授業はありません。
単に、数学の授業をしながら、自分は何を伝えているのかなぁとボンヤリ振り返っているだけのことです。
現行のカリキュラムって、前後のつながりとかすごく少なくしてあるんです。たぶん、「一ヶ所つまずいても、他のところに影響を及ぼさないように」という配慮なんでしょうが、あきませんね。んなことやっていたら。
結局、すべての公式なり規則なりが「天から降ってきた」みたいな感じが出てしまうんです。やっぱり、「あのときあそこでやったことが、当時は「なんじゃ?」と思ったのに、ここで出てきたか」みたいな、そういうのがないと面白くないんです。
あと、演算の基礎みたいなものが、すごく脆弱な感じもします。例えば、足し算とかけ算の違いとか…。そのあたりをきちんと教え、定着させていないから、「2x=1」を解いたら「x=-1」なんていう答を出したり「x^3+2x^2+x」を因数分解したら「x(x^2+2x)」とかいう答を出したりするようになるんです。
特に後者はすごく多いですね。これ、係数で省略できるものが「1」であるということが、いまひとつわかっていないんです。あるいは、前者についていうならば、四則演算の記号で省略できるのが「×」であるということが、いまひとつわかっていないんです。
おそらく、「単位元*1」が演算によって異なるなんていう話をしていないわけですわ。だから「逆元*2」についても触れていない。だから、「移項」というのが、単にテクニックになってしまう*3。
もちろん、実際の教科指導では、単純にテクニックでいいと思うんだけど、でも、どこかでこういうことに触れておかないと、すべてが「天から降ってきたテクニック」になりかねないと思うんです。
だから、最近は折にふれてこういう話をします。
そして、結論は
でもね、いいかい。
省略するのは簡単なんだ。大切なのは、省略されているものを見つけること。
いいかい。
語られていることだけを追っかけるのは簡単なんだ。でも、語られていないこと、隠されていることを見つけ、その言葉に耳を傾けることが大切なんだ。
そのためは、いつも耳を澄ましていること、アンテナを張りつづけていること。
いいかい?
しかし、こんな教科指導してていいのかなぁ(笑)。
表面的なコメントですみません。
今の数学のカリキュラムって、伏線も謎も禁じられた推理小説みたいですよね。そりゃ分かりやすいかしれないけど、やってて楽しくないし、そもそも、謎解き無しなら何で推理小説を読むのか、イミ分かんない。
有名な「円周率=3」だってそう。そりゃ計算は簡単になるけど、でも、実社会で円周の長さを求めたり円の面積を求めたりすることってあります?私は理系だけど、仕事その他全部含めても、円周や円の面積を求めたのは、学校の授業・試験でだけ。つまり、円周率を教えるのに実用的な計算のし易さなんか考えたってまったく意味無い。それより、世の中には、基本的な数ですら、とっても不思議なコトがあるんだって教えることの方が大切だと思うんですよね。で、大学まで行く人は、(理系に限るけど)あっと驚く謎解きが待っていて「円周率って、実はこんなに世の基本になってる数の一つだったんだぁ」って分かるし。
いやぁ、その通り!
あと、π=3の話ですが、そうぜざるを得ない理由がカリの中にありまして…。
なにかと言いますと、「2位数の乗除」にかかわる話なんです。前のカリでは小数点以下の計算の桁数については特に制限がなかったようです。ところが、現行カリでは、5年生で「小数点以下第1位」と定められ、6年になってもこの制限がはずれないということなんです。なので、3.14の乗除は、小学校のカリキュラム上教えられない、と。このあたりについては、
http://homepage1.nifty.com/tadahiko/GIMON/QA/QA327.HTML
の最後の「うにうにさん」が詳しく書かれています。
ちなみに、発展的な内容でこれをやるかどうかはそれぞれの小学校の裁量に任されているんですが、全体的に「きつい」学校ではやらないでしょうね。というところから、階層間格差の固定化の問題を、外川さんが論じておられます。
> π=3の話ですが、そうぜざるを得ない理由がカリの中にあり
いえ、だったら無理に小学校で教えることないんです、円周率なんて。実社会で円の面積や円周を求める必要なんか、一部の職業の人以外、ありませんから。
今のカリキュラムって、円周率を教える目的を「円の面積や円周を求めるため」って、カンチガイした人が決めたんじゃないかしら?私が思うに、円周率を教える目的は「世の中には、基本的な数ですら、とっても不思議なコトがある」ということを教えることにあると思うんです。円の面積その他は、それを教える方便であって。
いや、円周率を教えるかどうかという話じゃなくて、「一位数に限定」というところから、「不思議なことがある」ということができなくなってしまうというか。
本質的なことが、カリキュラムという小手先のことで制限を受けてしまっているというのが、いまのありようかな、と。
>「不思議なことがある」ということができなくなってしまう
えぇ、ですから「無理に小学校で教えることない」と書いたんです。「一位に限定」しなくなってから教えれば良い話。無理に”カリ上制約のある小学校で”円の面積とか教えようとするからヘンになる。