教育再生会議*1がいじめへの8項目の緊急提言をまとめたそうな。
曰く「いじめた側の子どもに対して、指導、懲戒の基準を明確にし、毅然とした対応をとる」とか、「傍観する行為をも許さない」とか、「過程や地域と一体となって解決にとりくむ」とか。
こんなん「いまさら」な話ばっかりですわ。いままでこんなことはさんざん言ってきたことです。てか、「いじめ」を「差別」に置き換えたら、言われる前にとりくんできました。こんなことを、いまさら「緊急提言」とか言われてもなぁ。
それと思ったこと。
なぜイジメが起こるかという根本的なところは放置して、表面上をなぞって「起きたことへの対応策」を強化することによって対応しようとしている。簡単に言えば「罰則規定」を強化して防止しようとしているということ。こんなことやっても、ひずみはどこかに出てきます。
なぜこんな提言が出てきたんだろう。
結局、みなさん直接かかわっていない人なんですよね。なので、傍観者的なわけです。
簡単に言うと、こういう感じ。
Aさん「いじめなんて、いじめるヤツが悪いんやんけ!」
Bさん「そやそや!」
Cさん「ほな、いじめたヤツには厳しい罰を与えたらええんとちゃうか?」
Bさん「そやそや!」
解決
Aさん「端で見ているヤツも同罪やで!」
Bさん「そやそや!」
Cさん「ほな、「端で見てたらアカン」て指導ささんとアカンで!」
Bさん「そやそや!」
解決
Aさん「だいたい、教師が悪い!放置するとか助長するなんてもってのほかや!」
全 員「そやそや!そんなヤツは処分したらええ!」
解決
Aさん「あとは、家庭や。もっと家庭がしっかりせんとあかん!」
全 員「そやそや!ほなそれも言うとこ!」
解決
まぁこんな感じじゃないですか?
イジメの構造が重層的だったり、立場が流動的だったりするなんていうことについての考察はどうやらなさそうです。誰かのせいにしたり、強制力を働かせたらそれで解決するわけで、その対象として唯一教師だけが「処分の対象」となります。また、こんなとき例えば「共働き」をすぐに問題にするんですが*2、共働きをしないと教育費はおろか、日々の暮らしもままならない経済の状況には言及せずに、簡単に「家庭の教育力」を求めます。そして、「いじめ←→いじめらる」という関係が、実は経済とか権力関係という形で、大人の社会にも存在し、自分たちもその網の目の中で生きているという観点。ましてや、自分たちが「いじめる側にいる(かもしれない)」という自分自身への洞察が決定的に欠如しているように思われてなりません。
常に「自分は足を踏んでいるかもしれない」という想像力を働かせるところからしか、実はイジメの克服・加差別の克服はないと、わたしは思っているんだけどなぁ。自分たちは永遠に「正義」で、まわりを「評価」しているようにしか思えない提言では、結局イジメを増長することにしかならないんだと思うんだけどなぁ。
まぁ、「美しい日本」っていうのは、そういう「正しさ」のまかり通る国なんだろうとは思いますけどね。こうやって「教育を再生」しようとしているのかと思うと、マジ、書いていてイヤになってきた。