で、結論

昨日の取材の件ですけど、あまりにも展開が早すぎます。もちろん、マスコミの側としては、この手のことは生鮮品でしょうから、早いのが当たり前かもしれないけど…。てことで、校長と相談をして「やめとこか」ということになりました。
まぁ妥当なところでしょう。

つかまないと放せない、放さなきゃつかめない

人権学習の講演なんかの生徒の感想文に「なんであの人はそんなに部落にこだわるねん」「なんであの人はそんなに朝鮮人であることにこだわるねん」というのがよく出てきます。たしかに「こだわり」の強い人が多いですね。でも、ある講演で「部落の人間だって、24時間部落であることを意識しながら生きているわけじゃない」といった人もいました。
あるいは「自分はそんなことにこだわらずに人とつきあう(だから差別はしていない)」という感想文もありますね。あと、教員の中にもいます、「自分は部落や在日にこだわらず、みんなを平等に扱っている」という人。でも一方、例えば全同教の「差別の現実から深く学ぶ」というスローガンは、「一人ひとりの生徒のかかえる差別の現実に、徹底的にこだわる」ということだと思います。
「こだわる「当事者」」と「こだわらない「当事者」」。そして「こだわらない「「非」当事者」」と「こだわる「「非」当事者」」。
おそらく、「だれが」「どんなシチュエーションで」「どんな人間関係で」…、そのことを話しているかということが大切なのかなぁと思います。

翻って、自分のこと。

1997年に「トランスジェンダー」という言葉を知って、ようやくバイアスのかからない自己表現の方法を獲得しました。ようやく、「(自己否定としての)女装」や「変態」という言葉から解放をされたわけです。でも、それから長い間「女装」や「変態」という言葉への忌避感が続きます。おそらくそれは、自らに内在する「女装フォビア」「変態フォビア」のあらわれなんだと思います。もう少しいうなら、「トランスジェンダー」という言葉を獲得することにより「女装、イチ抜けた〜」「変態、イチ抜けた〜」という感覚が確かにあったんだと思います。
そうそう、2000年のことですが、ある2泊3日の人権関係のセミナーに「スカートをはいて」「女性」として参加したことがありました。このときは、最終日ジーンズに履き替えながら「男にもどりたくない」と泣きましたっけ…。
ここ数年、人前で話をさせてもらう機会がありますが、おそらくはじめて話はじめた頃と今とではずいぶんと違いがあるんじゃないかと思います*1。とりわけ、「女装」「変態」という言葉をめぐるあつかいに変化があるんじゃないかと思います。
かつては、おそらく「女装という言葉はいけない」「変態という言葉はいけない」みたいな空気を、直接は表現しないまでも漂わせていたんじゃないかと思います。でも最近は、そんなことはないんじゃないかと思います。なにが変わったんだろう。
きっと、「言葉」を獲得することで自分を表現できるようになる。でも、その時同時に「フォビアにまみれた言葉」を捨てるということも同時にするのかもしれない。やがて、獲得した「言葉」すら捨てられるようになった時、かつて「フォビアにまみれていた言葉」を再び拾うことができるようになるんじゃないかなぁ。そんな気がします。

*1:てか、違いがなかったらあかんやろ(笑)

やっぱり終わっていなかった

職員室に行くと、副校長が「ちょっと時間あるか?」と聞いてきます。あってもなくても結局一緒ですけどね。で、話を聞くと、K新聞から取材の依頼があるとのこと。はぁ…。その後、校長室に行くと、今度は「テレビ局が取材したいといってるんやけど、どうしよ?」。「どうしよ」って、あんた…。「なんでも、今度はモザイクなしとか言ってるんやけどなぁ」。そこまでいったら、わたしの判断じゃないですがな。
姐さんのコメント通りの展開ですわ…。

アイデンティティは「単独」で存在しうるのか?

「自分はなにものであるか」ということに突きあたった時、どうやってそれを表現するんだろう。もちろん、まったく新しい概念で自分を規定することができる人もいることだと思います。でも、わたしにはそんな力量はない。なので、まずはじめに、既存の言葉を援用するところからスタートするわけです。
では、どんな形で「既存の言葉」を選び取っていくのか。
小学校の頃のことを思い出すと…。おそらくわたしは、まわりにいた人たちの姿や、マスコミで流れる情報と自分とを比較しながら、「あ、同じ」「あ、違う」と考えながら、ひとつひとつ自分をあらわしそうな言葉を選んでいったんじゃないかと思うのです。もちろん、ある言葉を選ぶこと=肯定じゃないです。否定的な言葉を選ばざるを得ないこともあります。また、比較しようにも「比較の対象としての具体的なモデル」がないこともあります。そうした時は、比較の対象は自分の持つ「常識*1」になります。
で、わたしにとっては、小学生の頃はじめて自己規定をした言葉が「変態」だったわけです。でも、さすがに小学生のわたしには、これは荷が重かった。そのあたりが、子どもの頃の自分の「悩み」だった、と。たしかに、あの頃は日常を楽しみながらも悩んでいたよなぁ。

*1:これもまた、世間とのかかわりでつくられてくるわけですが

誰がわたしをそう呼ぶのか

なんていう意味深なタイトルをつけてみましたが…。わたしがそんなややこしいことを考えることなんてあるはずもないわけで(笑)。
ただ、最近遭難所で「立ち位置」のことが少し話題になって、ずいぶんと考えさせられました。なかでも、「玖伊屋を運営しているいつきがGIDっていうのはどうよ」みたいな話があって、正直言って「きびしいなぁ」とか「でもなぁ」とかいろんな考えが頭の中を駆けめぐりました。
で、わたしの考えをまとめるための補助としていくつかのキーワード(キーセンテンス)をこれから数日かけてメモしておこうかと。

これで最後だ…

今回取材に来た新聞社は4社。まだ記事が出ていなかったのが「読売新聞」でした。どううやら、日曜日に出たのかな?検索をしたら出てきたので、一応記事をゲットしておきました。こちらです。と言いたいのですが、どっかにいってしまった。また、見つけたらアップします*1
とにもかくにも、これですべて出そろいました。少々騒がしい1週間でしたが、無事すんだかな。
それにしても、マスコミの力は大きいです。いろんな人から「読んだよ」というメールをもらいました。あと、生徒たちからも「読んだよ」とけっこう言われました。
なんだかんだ言っても、これで全面的カムアウトです。これまでは、「なんとなく」というか「歩くカムアウト」という状態だったけど、はっきりしたというかすっきりしたというか。ただ、既存の言葉に依拠せずに、できるだけ「自分」という存在からはずれないように伝えていきたいなとは思います。
でも、いずれにしろ静かな毎日がもどってくる、と思う(笑)。

*1:見つけたのでリンクはっておきます

合宿の朝

とりあえず、習慣で6時に目が覚めるのはしゃーないです。でも、今日はもう少し寝坊をしたい。なので、7時まで強制的に2度寝にチャレンジです。無事2度寝に成功して、7時に起き出して、まずは朝食づくりです。
昨日の朝、家でつくって成功したサラダ*1とプレーンスクランブルドエッグ・トマト味のスクランブルドエッグあたりをつくってみました。それにしても、卵10個分をフライパンでつくるのはきつかったですね。
朝ご飯を食べて、昨日の会議の続き。2日目ということなのか、日頃のストレスがたまっているのか、ちょっといらつき気味の人もいたけど(笑)、わかるなぁ、その気持ち。で、会議も終了。
栄にいって昼ご飯を食べて、無事名古屋の2日間が終了しました。あとは、帰ってお風呂に入って、ご飯を食べて寝るだけです*2

*1:キャベツ・ニンジン・ピーマンは千切り、タマネギはスライス。豚の薄切りを千切りにして、フライパンでちょっとかりかり気味に炒めます。豚肉の味つけは、ハーブソルトとコショウ。塩気を少し強めにして、その代わり野菜には一切味つけをしないのがミソです。これらをまぜまぜしたらできあがり。

*2:食器洗いとかもあるけどね(笑)

お茶会

抜け出した理由は名古屋でお茶会の参加のためです。
いくらふだんネット上でコミュニケーションをとっていても、やっぱりリアルで会うこととは比べものになりません。なので、会議の人たちに「交流会がある」といって抜け出すことにしました。
現地に到着すると、某掲示板の管理人&お茶会主催者とか、黒くてカーカー鳴く人とか、白くてふさふさした人とか、しょっちゅう会っている気がする人とか、いろんな人がいました。はじめのうちはちょっと出方を探っていたのですが、隣に座られた人がとても味のある方で、だんだんとリラックスをしてきました。
それにしても、この店、オーダーをかけてからものが出てくるのが遅いのなんのって。コップの中にまだ半分くらい残っている状態で次のオーダーをかけても、ぜんぜん間にあいません。おかげさまで、飲み屋でくだを巻く関西のおっさんのモードに入ってしまいました。名古屋の人たちは、それでもねばり強く待っておられるのですが、これって、やっぱり地域差なのかなぁ…。
で、別に飲み放題でもないんだけど2時間でお店をたたき出されて、2次会へ。会場は近くにあったカラオケです。もっとも、だ〜れも歌わないですけど。とりあえず場所を確保して、自己紹介をして、ダラダラしゃべってという感じ。なかなか脱力していていい感じです。もっと長くいたかったんだけど、会議の人たちの合宿所に合流しなくちゃならないので、ここらでおいとま。みなさん、ありがとうございました。
合宿所にもどったら、再び飲み。かなーりしんどかったけど、ポチポチと飲みながらよもやま話をしていました。そのうち、マジでしんどくなって横になると、そのまま爆睡状態の一歩手前です。こりゃだめだということで、別室のふとんの中にもぐり込んで、そのまま爆睡でした。

名古屋へ

今日・明日とキリスト教系の人権教育研究会の会議です。場所は名古屋。交通費を少しでも浮かすために車で行くことにしました。つっても、交通費は出してもらえるんですけどね。まぁ、研究会への金銭的負担を減らすということで、これはこれで大切かな。
名古屋までは高速を使ったら約2時間。友だちと4人でダラダラしゃべりながらのドライブで、あっという間に到着です。
会議の方も、まぁつつがなくというか、脱線しつつというか*1、そんなこんなで進んでいきました。
途中、会議を抜け出して、わたしひとり名古屋駅の方へ移動です。

*1:会議の最中に、なんの脈絡もなく晩ご飯のメニューの相談をはじめるのはやめてほしいっす(笑)

それはおまえやろ!

今日は、全学年一斉の人権学習の時間。1年生は「障害者問題」、2年生は「ジェンダー」、3年生は「就職差別」についての学習です。
人権学習が終わって帰ってくる人たちを職員室で待っていました。けっこうみなさん楽しそうに帰ってこられて、正直ホッとしました。ジェンダーにかかわる話がちょっと心配だったんですけど、ある人は「時間が足りなかった〜。でも、いろいろ話ができたし、これはあくまでもきっかけですもんね」。うれしいなぁ、よぅわかってはるわぁ。ある人は「生涯賃金の話の時に「先生のところは奥さんの方がたくさんもらってんやろ」っちゅう質問があってなぁ「はい、年功序列です」と答えてん」。ええなぁ。人権学習って、結局は自分たちの生活を語ることやし、テーマはあくまでもネタやと思うんですよね。
やる前はしんどいけど、やったあとはそれなりに充実した時間になるのが人権学習のおもしろいところなんですよね。
で、
とそこへもう一人。「ぜんぜんやった。こんなんやるのムダや。こんなプリント捨てよ」と、えらいおかんむりです。この人です。鬱陶しいので、別のところに用事があるフリをして職員室をいったん出ました。で、時間を見はからって再び職員室へ。「どない?」と聞くと…。
「あの人ね〜、ムダにしたのは自分なんだっていうことにぜんぜん気づいていないね〜」。そうなんですよ。別に、自分の考え方と教材が食い違っていたら、自分の考え方を言えばいいんですよ。ここの教員の考え方を抑圧するんでは人権学習とは言えませんから。たとえば極論ですが「差別は社会に必要だ」という主張をする教員がいたとして、その教員が人権学習の時にその話をしてもかまわない。大切なのは、その時に教員という権力を振り回さないこと。生徒や他の教員とタイマンをはること。
「反差別」という思想は、天から降ってきたものじゃないです。「痛い!」と思った人間が*1少数ながら声をあげ、「そんなん痛いと思うのはおかしいわ」「んなこと言うても痛いもんは痛いねん」というようなやりあいをする中で出てくる、ダイナミックなものだと思うのです。だから「正しさ」なんてありません。じゃなくて、「自分はどう生きるのか」ということを考え・実践することを通して、変化していくことなんだと思うのです。
一番ムダな時間を過ごしたのは、実は一緒に時間を過ごすことを余儀なくされた生徒たちだったんだと思うんだけどなぁ…。

*1:これは、必ずしも「当事者」とは限らないことは、こちゅかる子さんのコメントhttp://blog.ituki-d.net/20060613#c1150470130の通りです。