遠方より

とか思っていたら、出張で京都に来ているkawasaki KR250さんからメール。「20時頃だったらおっさんたちから解放されるかな」。急遽、◯子ちゃんにも連絡。◯子ちゃん、所用で大阪にいたのですが、急いで京都に帰ってくるということで、迎撃作戦を実施することにしました。
話の内容は、トランス業界の表の話から裏の話まで。あるいは、ネット業界の世代交代の話。さらに、「理論より実践」を旨とする人なので、足の長さののばし方から女性に見える顔のつくりかたなどを教えてもらいました。
なんだかんだと話をしていると、あっという間に12時前。ホテルの門限が12時ということなので、お友だちとバイバイ。別れたあと、さてどうしようと◯子ちゃんと顔をあわせて、結局天一今出川へ。やれやれ…。就寝は1時半ですわ。

京都府南部でサムルノリ

わたしが属しているグループが、京都府南部で老人講座か何かのステージがあるので、キャンプを途中で抜け出してサムルのお手伝いに行きました。
サムルはまぁいいのですが…。ステージとステージの間のつなぎでしゃべらなくちゃならないのが、今回の一番の課題です。だいたい5分くらいしゃべってほしいと言われていたのですが、何をしゃべればいいのか、あまり考えていなかったんです。いろいろ考えて、プランを思いついたのが、出番の5分前。それから一生懸命話を組み立てて、いきなり「しゃべり」の時間です。いやぁあせりました。なんの準備もしていないネタおろしの講演みたいな感じですね。でもまぁ、舌先三寸の仕事をしていますので、そこをなんとか切り抜けてしまいました。この器用さが命とりです。
それにしても、わたしがステージに上がって話しはじめたときの聞いている人たちの反応は、いつものことながらおもしろいですね。話の内容とは別にあちこちでヒソヒソ話をしているのが見えます。まぁしゃーないですね。目の前の物体の見た目と声があまりにもギャップがあるんですからね。
てなことで、とちりまくったサムルも終わって、一日終了です。
さてと、明日は土用の丑。ウナギでも買って帰ろうかな。

子ども会のキャンプ

この3月に引っ越しをするにあたって、一番気になっていたのが子ども会でした。
パートナーとわたしがかかわる以前は、行政や某運動体が丸抱えと言っていいような状態でした。行政の人たちから出てくる言葉は「親がもっと子どもにかかわらなあかん」。一方親から出てくる言葉は「なんで子ども会なんてやらなあかんねん」。親たちは、子ども会をやる意義を完全に見失っていました。キャンプについても「これこれやって」と行政から言われた親たちは「なにやんの?」「なんでせなあかんの?」「なんでわたしばっかりやらなあかんの?」と口々に言っていました。子どもたちもぜんぜん把握されないままにバラバラ。ひとつひとつのプログラムも「遊ばされている」という感じで、楽しんでいる感じが伝わってきませんでした。もちろん、こういう状態を「なんとかせなあかん」という親もいました。が、どうすればいいのか方法がわからない状態でした。
そこで、いまから2年前、わたしたちが中心的に子ども会を担う時に、行政からの独立を宣言しました。独立を宣言するということは、財政面も含めて、あらゆる援助も断ることを意味していました。でも、子ども会費を集めたりバザーに出店したり、いろいろな方法でお金を集めながら、「子どものため」をかけ声に活動をしました。1年間の活動を終えた時、ものすごくしんどかったけど、「やりきった」という充実感が親たち全員にあったんじゃないかと思います。
実は、子ども会の運営方法を変えることの本当の意味は、親を変えるところにありました。なので、上の子どもは卒業しましたが、翌年下の子どもが小学校に入学したことで、パートナーとわたしは引き続き子ども会活動を続けました。そのなかで、ようやく「親自身がやる子ども会」が定着してきたかなぁという気がしました。
でも、子ども会の運営には細々としたことがたくさんあります。そうしたことを、わたしたちがいない状況でやりきれるのかどうか、やはり不安でした。引っ越しをするにあたって「キャンプとか祭りとか、また手伝いに来るしな」と言い残して引っ越しをしました。
で、今回は「新体制」でのはじめてのキャンプでした。
実は、少々不安もありました。でも、そんな思いはとても失礼なことだということがよくわかりました。現地に着いた子どもたちを班ごとに並ばせてインフォメーションをする。班ごとに親がついて工作や遊びをする。もしかしたら他から見たら「あたりまえやん」と思われるかもしれない子ども会の姿がありました。
考えてみると、親たちにもプライドがあるんですね。でも、行政が抱え込むことでそのプライドを育て発揮する場所がなくなり、反対の方向を向いてしまった。行政の介入を切ることで、自分たちがやらなければならない状況ができ、そのことが親たちの「力」を引き出すことになったんだと思います。
みなさんの生き生きとした姿を見て、無性にうれしくなったし、そこに「助っ人」としてしか参加できな自分の今のありように少し寂しさを感じました。でも、子どもたちが楽しんでいるんだから、それはそれでいいかな。