正月1日が終わると、毎年恒例のスキースクールです。
そういえば、結婚してからというか、それ以前からですが、三が日を京都で過ごしたことがないのは、やっぱり「あれ」ですわなぁ…。でも、まぁそういう生活を20年以上しているので、それが逆に普通になってきているというわけで…。
てなことで、3時半スタート。毎年ですと南の方*1からまわっていくのですが、今年からは真ん中からまわる*2新ルートです。まぁ、楽と言えば楽なんですが…。ところが、今年はどういうことか、やたら眠たいです。しかも、またまたこみあげてくるものが(笑)。なので、途中4回もトイレ&仮眠をしてしまい、大幅に遅れてしまいました。中津川からはR19です。南木曾を過ぎたあたりから雨はみぞれ混じりの雪に変わり、やがて道は真っ白に。あとは快適な雪道ドライビングです。そのまま木祖村の薮原へ。ここからいよいよ雪の山道です。といっても、通い慣れた道。ダラダラと1時間半ほど走ると到着。さて、いよいよ地獄の5日間です。
ちょっと仮眠の時間がもらえたのでふとんに入ってパソコンに火を入れました。案の定、無線LANのアクセスポイントなんてありません。もちろん、air H”圏外。しかも、携帯とつなぐUSBケーブルも忘れてきた。てことで、あっさり音信不通状態になりました(笑)。
雪は依然といて降り続いています。でも、例年になく暖かい*3なのが救いです。風もあまり吹いていないので、快適なレッスンができました。
宿に帰ると晩ご飯の準備とか後かたづけとか雪かきとかなんだかんだで、あっという間に一日が過ぎていきます。一方、メールチェックなんてやろうにもできない。てことは、完全に「あきらめ」モードです。そうなったらそうなったで、音信不通の生活もいいもんです。
そうそう。宿の子ども*4のわたしへの問いかけ「先生、男なの?女なの?*5」。わたしの答え「半々」。まぁそんなもんでしょう。
てことで…
あけましておめでとうございます。本当にみなさんにはお世話になっております。これからもお世話になることだとは思いますが、本年もよろしくお願いいたします。
パートナーの転機
テレビを見ながらパートナーと話をしているうちに、なんとなく何が転機になったのかという話になりました。
パートナーが言うには、結局「頼っていたのがそうじゃなくなった」というのが転機だったようです。「わたしにはわたしがやらんとあかんことがある」ということを自覚した。それが子ども会だったようで、でも、そこに関してはさんざんわたしとの間でケンカをしてはいたけど共通の「部落解放」という明確な課題があって、そういうのが大切だったようです。いろいろとパートナーの元に相談事が来たりするようですが、答えるのはとてもしんどいようです。だって、あまりにも個々バラバラな状況の中で、うちの場合はたまたま「みんなが変わりえた」から、まだ共同体が続いているというわけで…。でも、「変わりうる可能性を自分が信じられる」ということって、大切だと思うなぁ。
いつの間にか、パートナーとはこれからの「子ども会」の話に夢がふくらみはじめたところで、そろそろ寝る時間。寝なくちゃ、明日がもたんぜ…。
いつもの1月1日
起床がもっとも早いのは上の子ども*1。なにせ、寝るのが最も早いですから。次に起きるのはわたし*2。なにせ、年が年になってきましたから(涙)。次に起きるのは…。下の子とパートナー*3。なにせ、ええ加減に起きんと昼になりますから(笑)。
てなことで、全員がそろったのは11時過ぎ。それから朝のあいさつです。「あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします」
あとは、お雑煮と昆布茶とお屠蘇、そしてお年玉という伝統的な(笑)正月を過ごして、すぐお昼。
昼からは年賀状のチェックとか返事書きとか。そんなことをやっていると、あっというまに3時頃。しかも、パートナーは犬の散歩とか。そりゃ、犬には正月はないわな…。でも、同じ正月がないなら、ネコの方がいいなぁ…。というのはおいといて…。
3時半頃におせちを食べて*4、ようやくお出かけ。目指すは上賀茂神社。印象は…。人手が多い。どうやら由緒がアリゲ。あとは…。御神酒はさすがに飲むわけにはいかんでしょう*5。てな感じですが…。でも、さすがに夕方です。ガンガン冷えてきます。「御神酒を燗で」と言えばよかったなぁとちょっと反省(笑)。でも、帰りの道々、子どもたちが買ったウィンナーとかなんばとか適当にかぶりつきながら暖をとりました。
で、家に帰ると立て続けに宅急便が…。ひとつは、愛媛からも送り物。大量のミカン*6です。もうひとつは宮崎の友だちから。「うちのおせちを送ります」とのこと。でも、割烹でっせ。もう、むちゃくちゃおいしいです*7。パートナーはひたすら「幸せ〜」と顔がゆるみっぱなしでした。なんでも、「つくらなかったらええことあるよね〜」とのことですが、それはちょっとちゃう気がします。
さんざん食べて飲んで、あとは隠し芸大会を見たり、ニューイヤーコンサートを見たり。正月やなぁ…。今日だけやけど。
*1:どうやら、さっさと起きたのはプレステをするためだったらしい
*2:得に理由なし
*3:パートナーは朝寝坊が好き。下の子はふとんの中で本を読むのが好き
*4:上の子どもが「なんで今頃」という問いを発しましたが、「起きた時間を3時間もどしたらちょうど今が昼」というと納得してました。
*5:聖別された酒は別のところで飲むことにしています(笑)
*6:ありがとね〜、めっちゃおいしいです。しぼると汁がガンガン出てビックリしました。クズの素を入れると最高です(笑)。
*7:くわいはすごく大きくてホクホク。数の子はたっぷりと味が沁みています。鮭の一品はどうやってつくったんやろう…、むちゃくちゃおいしい。シイタケと練り物のたいたんはすごく上品。あまりにもおいしかったですm(__)m。
今年も終わりかぁ…
パートナーと、「今年はがんばるのはやめようね」という合意がありました。なにせ、例年の大晦日は、「掃除掃除掃除→おせちおせちおせち」です。んなことでは身体が持ちません。なので、今年は「掃除→おせち」程度にしてのんびりしようというもくろみです。
まずは、午前中、車の掃除…をしてもらいにガソリンスタンドへ。この1年、荷車として働いてきた車の掃除、とうとう人に頼みました。楽でした。きれいになりました。
昼から。パートナーは家の片づけ。わたしは買い出し。近場をまわればいいので、楽勝です。それにしても、京都府南部より物価が高いのにはまいりました。
そうそう、年明けに行く恒例の場所のためにおみやげを買おうと思ったのですが、今年はいつも持って行ってる豆腐*1が遠くなってしまっていけないので、漬け物にすることにしました。この季節、京都で漬け物といえば、すぐきですね。で、ふと思い出したのが「あさだ」という漬物屋さん。小さい頃の記憶で、ここの前を通るといつも漬け物の臭いがプーンとしていたのを思い出していったのですが…。店の間に行くとなすびを仕込んでおられます。「それ、麻利漬のなすですね」と思わず声が出てきました。いや、子どもの頃、好物だったんです。先代が亡くなられて長い間つくっておられなかったようなのですが、復活したみたいです。お店の中にはいると、おばあさんが「お越しやす」とごあいさつ。「洛外やのに、京言葉やぁ」となにげに違和感を感じながら、ふと横を見ると値段書き。「すぐき、100g200円」「麻利漬120g500円」。高け〜。でも、まじで漬けておられる感じです。すぐきは、直接樽から出てきました。さらに、ふと横を見ると、ホワイトボードに「順正」とか「たん熊」とか書いてあります。えらい有名な割烹です。んなところに卸してるんや…。とりあえず、おみやげ用にすぐき、家用に麻利漬を買ってみました。子どもの好物になったらどうしよう…。
家に帰ったら晩ご飯づくり。コンロが足りなくて困りました。五口くらいあっても全部使ってしまいそうです。
夜は、男祭りなんかを見てすごしていたのですが、だんだん疲れてきてやめ。
その後はおせちづくりに参戦。結局寝たのは2時半頃ですか…。
そうそう、夜中に上の子どもが起き出してきて、「鐘突きに行かへんの?」と言っていました。去年までは京都府南部の町の「みんなのお寺*2」に行っていたのですが、今年はそんなお寺もないし…。隣が寺なんですけど、やっている気配なかったし…。「また来年ね」と言ったら納得して二階に上がりました。でも、ちょっと寂しかったかなぁ…。
つーか、単なるコピペかな
今日の日付の朝日新聞天声人語。なんとなくよかったので、コピペ。ごめんなさいm(_ _)m
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トリを焼く煙がもうもうとあがり、勢いよく通りに出てゆく。東京・吉祥寺の駅前で、井の頭公園に近い場所だ。この春に逝った歌手、高田渡さんの行きつけだった店の止まり木で、しばししのんだ。
「鉄砲や戦車や飛行機に/興味をもっている方は/いつでも自衛隊におこし下さい/手とり足とり教えます」。「自衛隊に入ろう」は1967年、高田さんが都立高の定時制に通う頃に作られた。このデビュー曲が放送禁止になった。
主義主張を正面からぶつける作風ではない。「あたりさわりのないことを歌いながら、皮肉や批判や揶揄(やゆ)などの香辛料をパラパラとふりかけるやり方が好きだった」と自著『バーボン・ストリート・ブルース』(山と渓谷社)に書いている。
何度聴いてもしんみりするのが「すかんぽ」だ。「土堤の上で すかんぽは/レールの間に 生きていた/急行ごとに気を付けをし/人の旅するのを眺めていた」。酒場や小劇場で自作詩の朗読を続けたドイツの詩人、ヨアヒム・リンゲルナッツの「哀れな草」に緩やかな曲を付けた。弱い草だが「目もあり 心もあり 耳もある」と、語るように歌う。
高田さんがドイツを訪ねるNHKのテレビ番組で、原詩に軽快な曲を付けて歌う現地の青年たちが出てきた。気を付けする草にはこっけい味があるから、明るく歌うのも分かるが、高田さんはその姿に、生きるものの愁いと根強さも見ていたのではないか。
1月1日生まれで、存命なら明日が57歳の誕生日だった。その歌は、人々の心の中に流れ続けてゆくだろう。
***
金敬得さんが亡くなられたのかぁ。まだ若いのになぁ…。
体調悪し…。
過去の日記をひもとくと、たいてい餅つきの翌日あたりに体調が悪くなっているようです。てことで、今年もやっぱり悪いみたい。昨日から微熱があったのはあったのですが、今日もう一日微熱が出たり下がったり。なので、テレビの前にふとんを引いて一日沈没です。ふたりの子どもも適当にふとんにもぐったり出て行ったり。本当は家を片づけるなとなんなとしなくちゃならないのですが、やる気が起こらないのでパス。きっと明日、地獄を見る悪寒。
餅つき
うちの弟は、毎年28日〜29日あたりに餅つき会をしています。過去の日記を見ると…、どうやら毎年参加をしているようです。
てなことで、今年も参加してきました。もちろん、定番のサムゲタンに、今年は弟からのリクエストでローストチキンもつくることにしました。まぁ、両方とも放っておいたらできる品ですから、簡単ですけどね。
そうそう、途中で弟がやってきて「これ、掃除して」なんて言われてしまいました。箱を開けてみると、開いたあなご。でも開いただけなので、ぬめりをとる必要があるそうな。そんな機会が今後あるとは思えないけど、方法をφ(..)メモメモ。
- 流水で白いかたまりや血のかたまりをとる。
- まな板の端に頭を引っかける。
- 熱湯を皮の方にかける。
- 浮かび出てきた白いモロモロをスプーンか包丁でていねいにこそげる。
でした。これさえやってしまえば、あとは塩焼きにするなと、なんなとすればいいそうな。
あとは、ダラダラしゃべったり*1、ダラダラ餅をついたり、ダラダラお酒を飲んだり。気がついたら夕方です。だんだん寒くなってきたところでお開き。
それにしても、いままでは遠路はるばる帰らなくちゃならなかったり、遠路はるばる東京に行かなくちゃならなかったりした(笑)のですが、今年は家が近いから助かります。なので、子ども2人と参加(パートナーはめんどくさいから家にいたらしい)したのですが、ぜんぜん疲れません。
帰りもパートナーが迎えに来てくれて、その後王将のテイクアウトで晩ご飯。なんか、どんどん都市の生活に染まってきているなぁ…。
*1:今年の自己紹介は「わたし、ここの住職の、むかし兄で、その後姉になって、今は妹です」でした。もう、どーでもええわ。
たまってたんやなぁ…
なんかもう、モンモンとしてイライラとしていたんですよね。
実は、26日にできるはずだったんです。なのに、いろいろ諸事情が重なってダメになったんです。で、今日もパートナーが調子が悪いとか言っていて、もしかしたらダメになるかなぁと思っていて、orzな気持ちだったんです。
とても憂鬱な気持ちで家に帰りました。そしたら、パートナーが「いいよ」って言ってくれました。なので、もう有頂天。行ってきました、初滑り(笑)。
京都市最北部のあたりに「広河原スキー場」というちっちゃなスキー場があります。ここ、平日は11時までナイターをやっているんです。たぶん、仕事から帰って、「ちょっと行ってくるかな」という人を対象にしているんでしょうね。ですから、日曜日はナイターはないんです。
距離的に見ると、うちから車で1時間。ふだん家に着くのは19時ごろ。てことは、2時間くらいは滑れるんですよね。
行きの道は、花脊峠を越えなくちゃなりません。見事に前面真っ白です。さすがに今年は雪が多いです。さらに、花脊の町を越え、広河原の町を越え、どんどん道はさみしくなっていきます。にもかかわらず、看板の類は1枚もなし。ちょっと不安になってきます。ナイターをやっているわけですから、付近の空は明るいはずです。それを目標にしようとするのですが、空は真っ暗。しかも、「積雪のためこの先通行止」の表示。もしかしたら間違ったかなぁと思った頃に、ボンヤリと空が明るい場所が出てきました。
着いた時の第1印象。「おぉ、リフトが動いてるよ」。いよいよ初滑りです。
お客さんは全部で30人くらいでしょうか。人ごとながら、「これでやっていけんのかいな」と思いました。でも、京都市に住んでいる人間にとっては、貴重なゲレンデです。盛りたてなくっちゃということで、滑れる時間はあと2時間半だったけど、2時間券*1じゃなくてナイター券*2を買いました(笑)。
ゲレンデは谷筋1本です。でも、うまく吹きだまっているみたいで雪はけっこうたくさんありました。あと、雪質もなかなかのものかな。リフトを降りて斜面の前に立った時「今シーズンもはじまったなぁ」と無性にうれしくなりました。
そんなこんなで滑りはじめて30分。いきなりやってきました。空腹です。考えてみると、晩ご飯を食べていない。ゲレ食に飛び込んできつねうどんで一息。その後1時間半ほど滑りまくりました。
終了は11時。着替えてトイレに行ってスタート。帰りパトカーに先導されるというハプニング(笑)や、ジムニーの雪道走行レッスン会に遭遇する(笑)もありましたが、12時頃には無事帰還。
あのスキー場、つぶれたら困るから*3、また行こうっと。
なんか頼もしいなぁ…
11月ぐらいだったかに、京都府中部のある街の学校にMtFの高校生がいるという情報を聞きつけました。で、会いに行ってきました。
まずは、対面…。まぁ、一目見て「がんばってるね!」という感じ。安心しました。
で、いろいろ今後の話とかしていたんですけど、たくましいわ…。そりゃそうです。たったひとりで自分の道を切り開いてきているんだから、たくましくて当たり前です。
この子、「通販でいいからホルモンをしたい」という希望を持っています。「かまへんのちゃう?」というのがわたしの答え。それと一緒に伝えたことは、「立ち止まったり引き返したりできる勇気を持たなくちゃいけないよ」ということ。これは、なによりわたしが必要としていることです。それから「常に第3者のチェックがもらえる状態をつくらなくちゃいけないよ」ということ。これは、たくさんの仲間に「見守ってもらっている」という、わたしの実感から出てきたことです。そうそう、第3者のチェックには「医者」という存在も含まれていますね。体調のチェックも必要ですから。
「死んでもいいからトランスしたい」という人もいるかもしれない。でも、トランスの目的は「よりよく生きる」ためにやるんだと、わたしは思っています。だから、体と対話をしながらやっていく必要があると思っています。でも、つい暴走してしまいそうになる*1。その時、自分のまわりに仲間や医者がどれだけいるかというのは、案外勝負のわかれ道かもしれないなぁと思います。
てな話をダラダラとしていたら、あっという間に5時過ぎ。まぁ相手は高校生。帰らなくっちゃね。
いくつか印象に残ったこと。
「いままで話を聞いてくれた人は、みんな過去の話ばっかり聞いてた。聞くときは『かわいそうに、つらかったんだねぇ』という態度が、ありありとわかった。でも、『別にかわいそうちゃうし』と思ってた。過去の話なんていい。これからどうするかについてアドバイスをしてほしかった。話をする前はいつきさんも同じかなと思っていたけど、いきなり『進路は?』みたいな話だった」
なるほどなぁ…。
「学校の先生やから、固い人かなぁと思っていた。メールで顔文字めっちゃ入れるんやけど、入れたらアカンかなぁと思って固い文章を書いた。そしたら、返ってきた返事が『ホイ』やった。『ホイかよ〜』と思った」
なるほどなぁ…。
「(『男風呂に入ったらスター』という話をうけて)ほんなら、手術しても男風呂入ろうかな。肩に手ぬぐいパーンと乗っけて。で、『見るのはいいけどね、ここからあとはお金をちょうだい』って言ったろかぁ(笑)」
なるほどなぁ…。
頼もしいなぁ。