今日は、紀元節。「紀元節粉砕」の集会に行こうかどうしようか考えたのですが、うどんをつくっているうちに忘れてしまっていました。で、夜は玖伊屋。まぁ、個人的には「紀元節粉砕」と自分の中でシュプレヒコールをしながらの玖伊屋ということで(笑)。
最近2ヶ月に一回にペースダウンした玖伊屋ですが、その分、集まりは濃いぃのかな。今回は、「ま゛」さんの「富山みやげ」とか「富山いやげ」とかもあったし、四国から「じゃこ天」の差し入れとか、古酒の差し入れとか、まぁ大宴会の様相を呈していました。
で、わたしはというと、やっぱりスキーの放映が見たいということで、ついついテレビをオン。ちょうど、複合のジャンプをやっていたのですが、「なんだ、一人飛びかぁ…」って、なにかおかしいような気がします。しばらくモーグルを見ていたのですが、突然眠気が襲ってきてダウン。相も変わらず布団の入った押入の前で寝てしまいました。みなさん、すんません。
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ヤクゲトの日
いや、プレマリン、売るほどあまっているんですけどね。
なにせ、一日5錠飲んでいたときに限って飲むのを忘れる日が続出していたので、一袋半ぐらいはあまってます。でもまぁ、泉ちゃん*1の顔を見に行くのもいいかということで、いつも2ヶ月に1回行くことにしています。
で、診察室での会話…。
「すみません、お待たせしました*2。パソコンで何か仕事ですか?」「いや、ちょうどよかったです。ちょっと原稿を書かなくちゃならなかったもので。なにせ、〆切が1月いっぱいなもんで」「過ぎてるじゃないですか(笑)」「ええ、過ぎてます(笑)*3」
「ところで聞かれました?」「へ?なにを?もしかしたら、移行の話ですか?」「そうです」「いや、聞いてないですけど、OKなんでしょ(笑)?」「ええ*4」
「じゃぁ、あとは適応判定委員会ですね。もめてくれるとうれしいなぁ」「ふぅ〜ん」「だって、そのほうがファイトがわくじゃないですか(笑)*5
「あの」「で」←同時に発音
「あ、どうぞ」←泉ちゃん
「あ、すみません。じゃぁ。いつもそうなんですよね。まぁ、先達が切り開いた道の後ろを歩かせていただいているんですけど(笑)。ところで、先ほどの『あの』の続きは?」「忘れちゃいました」「え、話して下さいよ」「そうか、ふんふん」「なにが『そうか』なんですか?」「いや、思い出したふりをしただけなんです」「なんやねん、それは!」「だって、あるじゃないですか。忘れたら思い出せないってこと」「そら、ありますよね。で、今晩寝る前に思い出すんでしょ?」「そうそう(笑)*6」
「実はですね、枚方に移りたいんですよ。やっぱ、精神神経科と日があわないと休みにくくて*7」「そりゃそうでしょうね」「いや、ここの受付の人とか看護士さんとお別れするのはとてもつらいですけど(笑)」「ここの人たち、いいキャラしてるでしょ?」「してます!してます!」
「じゃぁ、紹介状書きますね((これ、自分宛の紹介状なんですよね(笑)」「あの〜、4月だと、わたし4◯歳になっているんですけど…」「あぁ、3月生まれなんですね。魚座か」「先生と相性はよさそうですか?」「わたし蟹座だからいいんじゃないですか?」「ほんまですか?」「だって、水同志でいいっていうじゃないですか(笑)。じゃ、紹介状書いておきますね」「よろしく、じゃぁありがとうございました」
なんの診察なのか、よくわかりませんな…。
Xデー・さらに続報
今日は掃除当番の日。一緒に掃除をする養護教諭の人とトイレにはいると…。先客がいました。「おぉっとぉ!」と声をかけると、その先客、「キャハハ」と笑っていました。
どうにかしてるよ…。
プログラム発表…
第8回GID研究会
http://www.ics-inc.co.jp/8gid/program.html
あたしゃ、「裏番組」の司会らしいです。またまたAJさんとタッグを組むらしいです。光栄です、が…。しかし、裏番組の司会って、けっこうしんどいかもしれないなぁ。
Xデー・さらに続報
昨日、あいさつに行かなかった人と職員朝礼のあとにすれ違いました。で、すれ違いざまに「あ、今週よろしく〜」と、向こうから声をかけられてしまいました(笑)。
Xデー・続報
あまりにもリアクションが何もないので、養護教諭の先生のところに行って「なにかありました?」って聞いてきました。すると、「なんもないねん」とのこと。やっぱりみんな読んでいないみたいです。でも、自分のところは見ているだろうし、同じ班に他に4人いるわけで、その人たちは「見てない」わけがないでしょう。う〜ん。
で、帰りがけに「あの〜、掃除当番同じ班になりまして、よろしくお願いします」と野壺のふたを踏みに行きました*1。すると「あ、ご苦労様です」と何事もないんですよ…。で、さらに「あの〜、だれもなにも言わないんですよね〜」とさらに野壺の上ではねるような発言をすると、「言ってもらっても困るでしょ?」と軽くいなされてしまいました。
ついでに、もうひとり同じ班の人がいたので、こちらにも「よろしくお願いします」と言うと、「あ、よろしくお願いします」でおしまいでした。
それにしても、どないなってんねん…。
*1:「地雷を踏む」という表現はあまり好きじゃないので、こちらを使っています。でも、今日日の若い子「野壺ってなんですかぁ?」状態でしょうねぇ
とうとう来たXデー
出た〜!
座談会・変わりつつあるトランス/GIDの意識と行動(上)
多様な生き方を阻む?「性同一性障害者特例法」
http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2006-2/ss0602-3.htm
で、読んでみて…。
反省点は多々ありますが、なんといっても最大の反省点は「しゃべりすぎ」ということです。まぁ、針間さんは医者なので、守秘義務とかのからみでなかなかしゃべりにくいこともあっただろうと思うのですが、中村さんの話をもっと聞きたかったなぁと。
そういえば、かつてこの時に「いつきさん、あなたしゃべると長いわね」と言われたんですよね。なんにも反省していないってこってすm(_ _)m。
で、行ってきました
朝、パートナーはハンコを押してくれました(笑)。
で、授業が終わったら病院へ。お医者さんに「ブツです」と言って渡すと、「あ〜、ハンコが足りないんですよね〜」とのこと_| ̄|○。さらに、「あれ?セカンドの先生の予約、前回とりましたっけ」。
まぁ、前回は年末で、そのあと忘年会も控えてたし、なんだんかんだで作戦会議もしていたからなぁ。てことで、急遽もうひとりの精神科医に連絡をしてもらいました。「ブツ」は郵送ということで…。
で、しばしもうひとりのお医者さんと話。
- いますぐ手術を希望されるのですか?それとも手術が可能な状態をつくりたいのですか?
「手術が可能な状態をつくりたいんです。「禁止をされた状態」は、かえって的確な判断がしにくいかもしれないと思うのです」
- 合併症のことは考えておられますか。あるいは、体力面で負担がかかることは覚悟されていますか
「合併症については、すべての説明を聞いたわけではありませんが、しかたがないときはしかたがないと思っています。また、体力面の問題については、自分の体と対話をしながら、できる範囲のトレーニングをしていくつもりです」
- 費用や入院期間・リハビリ期間については大丈夫ですか?
「まぁ公務員をしているので、首にならない限りは大丈夫でしょう(笑)」
- 家族の同意についてはどうですか?
「パートナーはとりあえずハンコを押してくれました。子どもたちについては上の子どもは「うちの父ちゃんは男でも女でもない」と言っています。下の子どもは「お父さんは中身は女なのに、なぜおひげがあるの」と言っています。そんなふうに子どもたちを育ったのは、まぎれもなくパートナーの存在があったからです。これからも家族とは話しあっていきます。ただ、おそらく子どもに限らず生徒たちもそうでしょうが、「男・女」以前に「わたし」としてどう関係をつくっていくのかということが、最も大切かなぁと思います」
という感じで終了。
夜中の会話
明日は関西医科大学の精神神経科の日です。前回行ったのが12月だったのでかなり日がつまっているのですが、何をしに行くかというと、「同意書*1」を出しにいくんです。
で、その「同意書」にはパートナーのはんこが必要なんです*2。なので、パートナーと文面をながめながら、話をしました。
前から「さっさとやったらええやん」とパートナーは言っていたのですが、やはりいざ「同意書」という形ではんこを押すとなるとそうはいかないみたいです。あたりまえですよね。「合併症」のことや「手術したあとの身体の使い方(笑)」とか「その後のライフスタイル」のこととか、いろいろ話をしました。
実は、「同意書」を出したからといって、実際にやるかどうかはわからないんです。わたしとしては、あくまでも「できる状態」をつくることが大切で*3、「やる」こととは切り離して考えたいと思っています。あと、なんだかんだと言っても「まな板」の上に乗らないと声が届かないところがあることをこの間感じてきたので、「いっちょまな板の上で踊ってみようか(笑)」と思ったというのもあります。
ライフスタイルについても、たとえばわたしが現在SRSを受けているかどうかなんて、まわりの人はだれも知りません。知っているのは家族+αくらいでしょうか。また、もしも受けたとしても、そのことも言わない限り、誰もわかりません。では、なんのためのSRSか。結局は、自分と肉体との折りあいのありようが一番大切だということです。わたしにとってのSRSはその程度のものですし、それでもやりたいということになったらそういうことなんだということです。なので、たとえSRSを受けたとしても、おそらく今と変わらないライフスタイルをとり続けるだろうと思います。
たぶん、わたしという人間のありように一番大きな変化をもたらしたのは、「トランスジェンダー」という言葉であり、「トランスジェンダーとして生きていこう」と思った時に、いまの自分のライフスタイルへの道筋がついたんだと思います。あとは、ホルモンとかSRSというのは、自分の肉体との折りあいの結果として、あとからついてくるものかなぁ。とりあえず、そのなかで、今の自分の状態がある。そんなふうに感じます。