連チャン

朝、久しぶりにひと遊び。
家に帰ってからしばしダラダラして、その後組合の「お疲れさま会」に行きました。
なんしかうちの組合、平均年齢が毎年コンスタントに1歳ずつあがっていく感じです。てことは、60歳になると自動的に定年になって、その分だけ組合員数が減るという。もう、とても悲しい状態ではあります。
でも、退職される方を囲んでしばし一緒に呑むって、ある意味とっても大切だと思います。やっぱりその人がやってきたことがいかにすごかったかということは、それなりの年齢になるとわかるんですよね。
そんなこんなで、また〜りと呑んでとりあえず昼ご飯が終了。さて、4時だ…。

そういえば、昨日の骨粗鬆症の紙に
「軽い運動」
とか書いてあったことを思い出しました。てことで、北大路から鴨川沿いをテクテク歩きます。で、到着したのは東九条(笑)。1時間半ほどかかりました。
さて、夜の部の開始だ。

で、集まってきたのは在日外国人生徒交流会の卒業生たちです。
ここからがヘビーな呑み会です。
なんしかわたしはかなり疲れたので、動く気が起こりません。卒業生たちに
「てきとうに買い物してきて」
と頼みます。で、買い物の内容を見たら、発泡酒しかありません。う〜ん。幸い去年の同僚のM田さんが来てくれていたので、思わず
「ビールを買ってきて」
と頼みます。さらに、ふと思いついて、暴走機関車に電話。
「いまどこ?」
「高槻です」
って、IS06で電話したのに、なんでわたしとわかったんだ?
まぁそんなこんなで気がついたら鍋ができあがりました。はじめは手伝う気はなかったけど、気がついたらつくねをつくっていたのはご愛敬です。
そうそう、せっかくだから「coming out story」の試写でもしましょうか。しばし映画を見てから、ちょこっと食べてガッツリ呑んだら、途中からしんどくなってきたので沈没です。

なぜか導入

で、京都駅に着いたところで、ふと
「ヨドバシに行こう」
と考えてしまいました。
いや、単に高速バスの中ではほとんどairH”が使い物にならなかったという、その腹立ちからなんですけどね。なので、ついついIS06を導入してしまったという。
いや、
「IS05とちゃうん?なんでまたsiriusやねん」
という声もあるわけですが、やっぱりマニア心がくすぐられるわけで…。
さて、これからめんどくさいスマホ生活がはじまるわけか…。
あ、ちなみにもとの携帯も動いています。さらにめんどくさい2台持ち生活ですわ。

さて、帰ろうか

昨日の夜、
「あした、朝ご飯はどうするの?」
と聞かれたので、
「コンビニで買いました」
と言ったのですが、ぜんぜん関係なしに
「モーニングに行こう」
「どこがいいかな」
「◯◯にしよう」
「いや、××がいい」
と勝手に話が進んで、結局
「9時にモーニングに行くからね」
ということになってしまいました。しかも、
「じゃぁ、オレ、高知まで送るわ」
というものすごい人(船乗りさんで、まーちゃんのおつれあい)まであらわれて、結局そんなことになってしまいました。

で、待ちあわせの9時。土佐佐賀駅に併設された、「駅」というそのまんまの名前の喫茶店に入ってモーニングを頼みました。でてきたモーニングを見てびっくりです。
「ホットサンド(卵)」「コーヒー」「ゆで卵」「サラダ(でかい)」「みそ汁」「杏仁豆腐のデザート」
です*1。なんじゃこりゃ。どうやら高知というのはそういうところらしいです。

で、しばし話をしながら、別れを惜しみます。
その後、船乗りさんに高知まで乗せてもらって、おみやげを買って、高速バスに乗車。
バスの中でブログを書こうと思ったけど、このあたりでドッと疲れがでて断念です。

*1:写真をとらなかったのが痛恨です。でもまた行くからいいか(笑)

休日の過ごし方

昨日2回話をしたおかげで、今日は完全オフです。
とりあえずのんびりホテルで朝を過ごして、そこから宇和島の人たちに連れられて高知県との県境近くにあるムラへ。
ずっと道を走っていると、突然
「おぉっ!」
という感じです。思わず運転してくださっているK口さんに
「ムラですね」
というと、
「そうです」
との返事。
やがて隣保館に到着。館長さんとK口さんやS家さんの会話がはじまります。なんというか、完全なブッチャケトークなのがおもしろいです。もちろん細かいところはわからないのですが、そこで語られていることのニュアンスが伝わってきます。思わず「なにも知らないはずのわたし」なのに、一緒に笑っていました。

で、昼ご飯を食べて、宇和島のお二人とはお別れ。ここからは友だちと一緒に黒潮町に向かいます。
途中、四万十川をドライブ。で、河口まで行って、しばらく波をながめます。
い「え〜と、もしも10mの津波が来たら、あのへんになるんやなぁ」
ま「そうですねぇ」
い「ぜったいこわいなぁ」
ま「ぜったいいりませんねぇ」
マジで海はこわいと思いました。

で、黒潮町に到着。ここには4年前にお世話になった方々がおられます。
実は2日ほど前に
黒潮町に行ってもいいですか?」
と聞いたんですが、たまたま国外におられたにもかかわらず
「その日だったら帰っているからええよ」
という豪快な答をいただきました。で、
「宿泊はどうするの?」
と言われたので
「なんにも考えていません」
と、負けずに豪快な答を返しておいたのですが、到着したら、
「公民館に泊めたげる」
ということで、今日の寝場所は確保です。

さて、この黒潮町の人たちは、ほんとうにすごい人たちです。とにかく豪快。だけじゃなくて、人の心に対して繊細。そして表裏がない。思ったことはズバッと言うし、間違っていたらなんの言い訳もなく「ごめん」の一言がでます。
でも、なによりもすごいのは、そのフットワークの軽さです。今日も突然のことだったのに、7人集まってくださって、大宴会になります。で、宴会の最中の会話がまたすごい。完全な高知弁で、えらいスピードで話をします。ちなみに話をリードしているのは基本的には女性です。会話になると、どちらかというと男性は弱気になるのがおもしろい。ここでも完全に地元の話で盛りあがっているところにおじゃまするという感じなんですが、言葉は2/3ぐらいしかわからないけど、内容はなんとなくわかるんですね。思わず一緒に笑っていました。
それにしても、まぁ地元のちょっとシリアスな話もしてもらえるって、けっこううれしいですね。たぶん受けとめてもらっているんだろうなぁという感じ。

で、11時頃にお開き。
お友だちと一緒にしばし呑んでいたけど、気がついたら完全に落ちていました。ふぅ…。

「現代の『女人禁制』−性差別の根源を探る−」出版記念シンポジウム

上記シンポジウムに参加しました。
今回もなんしかひたすらタイピングし続けました。それにしても今回もおもしろかった。なかでも宮前さんの存在が光っていました。もっとも本人は「なぜ自分がいるのかわからなかった」って言っておられましたけどね(笑)
で、まとめるためにtogetterで一度まとめようと思ったら、すでにhibari_to_soraさんまとめてくださっていました。ありがとうございます!

まぁ暇な人は読んでみてください。ただし、かなり長文です。
ではスタート!

てことで、「現代の「女人禁制」−性差別の根源を探る」シンポジウムの開始

2011-03-21 13:07:25

源さんあいさつ。旧版では出版社の意向で会の名前を出せなかった。今回は会の名前を出せた。

2011-03-21 13:08:26

パネリスト紹介。そうか。宮前さんがりばてぃの「結界門」のレプリカをつくったのかぁ。

2011-03-21 13:10:39

非民族なわたし… QT @Bong_Lee: 民族団結の時。RT @ : なんか風船作戦を彷彿とさせるな QT @Bong_Lee: 革命的団扇作戦で解決。RT @ : 途中に藻前らの国があるんとちゃうん。 QT 季節風に乗って一周してくるねんな。

2011-03-21 13:12:04

源さんの話開始。

2011-03-21 13:13:09

前作を90歳の母親に送ったら「あんた、びくともしないのを相手にしているんでしょ」。会の5周年のシンポの時に、「これを知ってほしい」→「活字にしたい」。「人権派とそうではない派」になっているのをもう少しどうにかしたいと思った。

2011-03-21 13:15:33

なぜ「大峰山女人禁制」の開放を求めるのか。女人禁制とは何か。自然権について。女人禁制の思想とは何か。

2011-03-21 13:16:32

なぜ結界石があるのか。だれがつくったのか。中には入れる人がつくった。それは性別2元論に立脚している。

2011-03-21 13:17:31

浄と穢、聖と俗。正と邪。修行を邪魔しないものとするもの。排除の論理から成立した。それは、人間の自然権に反する思想である。

2011-03-21 13:19:07

スピノザの引用。「人間であるならば自然権を行使できる」「人間であるならば、公共的な共同体の一員となる」。大峰山の女人禁制とは、自然権を支配した男性のよる共同体の内部規則ではないだろうか。→女性の自然権を無視、侵害、奪っていることだ。

2011-03-21 13:21:50

女人禁制からの開放は、人間の自然権を恢復する問題である。

2011-03-21 13:22:27

そのためのアプローチ。シューバルトの『宗教とエロス』からの引用。「男はエロスに関しては女に劣っていると感じている。これが性恐怖の即にある根本的事情だ。自衛手段として女と一緒に性も追放する方法をとるのである。

2011-03-21 13:24:01

男性は異性に対する嫌悪を性全体に拡大する。男性はなによりも女と性を宗教から分離する。このふたつのものを寺院から追い出す」

2011-03-21 13:25:03

ミソジニーによって、女と性を宗教から分離する。ここに大峰山をあててみるとよくわかる。

2011-03-21 13:26:08

「女人禁制」とは、女性を宗教から分離しおとしめる。→男性が「結界」する思想として読める。

2011-03-21 13:27:06

大峰山女人禁制は、対話を拒む独我論におちいる。たしかに、対話を求めてきたけど、ずっと拒まれ続けてきた。ではどうすればいいのか?なぜ拒むのか。独我論におちいっていると、対話を拒むしかない。

2011-03-21 13:29:12

でも、対話の可能性を開く。

2011-03-21 13:30:04

『部落解放』5月号掲載予定の文章。実際に大峯山に登った女性たちの声を聞く。

2011-03-21 13:31:11

実は2000年に「女人禁制撤廃」を決議していた。でもされなかった。バックラッシュとの関連。なぜかたくなになっているのか?自分たちだけが対話を求めるだけではなく、いろんな人に知ってもらう。それが今回の本の意味でもある。

2011-03-21 13:33:12

続いて宮前さん。「ハンセン病の近代史に見る排除と禁制」。

2011-03-21 13:33:41

まずはハンセン病の説明。慢性的な病気。プロミンがある。ハンセン病で死ぬことはなかった。でも、宗教上の理由で排除差別されてきた。

2011-03-21 13:35:50

日本が隔離政策をし続けてきた間違いは明らかになった。しかし、療養所の中にすんでいる人と話を聞くと…。

2011-03-21 13:37:51

母親がハンセン病にかかった時、「近所の人は塩も売ってくれなかった」。その後療養所に入った。「あんなとこ、ふるさとと思ったこともない」

2011-03-21 13:38:40

園内結婚をすると、断種手術をされた。しかし「あたりまえだった」「せないかなんだ」。この言葉の持つ意味は?

2011-03-21 13:39:14

ハンセン病療養所14施設には、今合計2500人。新規入所者はない。冬になると必ず葬式がある。退所者は、実は1400人弱いる。

2011-03-21 13:40:34

長島の写真をいっぱい〜。納骨堂がある。国立の療養所なのにこれがあるということは、何を目的に療養所が建てられたかよくわかる。

2011-03-21 13:41:54

園内に残る二つの桟橋。職員用と患者用がある。無毒地帯と有毒地帯。

2011-03-21 13:42:32

クレゾール風呂。監禁所(53年頃まで使用)。貞明皇后歌碑。誕生日近辺が「らい」にかかわる日になっている。いろんな人の「善意」でできている。

2011-03-21 13:44:43

大阪にも「外島保養院」があった。移転しようとしたが反対運動があった。室戸台風で打撃を受ける。ところが復興しようとしたら地元からも反対。邑久光明園に移転した。(まちがってたらすみません。いつき注)

2011-03-21 13:46:58

隔離政策をめぐる略年表。日本の特殊性は、隔離政策が戦後再度成立し、その後なくなるまで40年以上かかった。このへん、前置き。

2011-03-21 13:48:52

今日の問題意識は「市民のかかわり」。まずは「排除」。地域社会で生活できなくなる。もうひとつあるのは「寄付」。療養所の収容人員が足りなくなると、寄付を募って入所者が建てる。療養所は入所者の働きなしには成り立たない。

2011-03-21 13:50:46

市民による「投書・密告」。排除と投書・密告は直接的なかかわり。「寄付」には「善意」がある。「病弱なお父さんをかかえながら、毎月貯金をして寄付をした」という「美談」。救らい思想。そこに出てくるのが皇室。

2011-03-21 13:52:46

こうしたことは「正しいこと」。フーコーの「牧人権力」。記憶に新しいところでは「黒川温泉問題」。患者が抗議をしたら、それに対して療養所に投書が行った。官民一体の無癩県運動。

2011-03-21 13:54:33

療養所内のジェンダー。男性:女性=3:1。女性を入れておいた方がうまく統治できる。→園内結婚。日本における根絶は、病気だけではなく患者も根絶。→「かかりやすい体質」と考え、不妊手術を強要する。

2011-03-21 13:56:02

戦前は根拠なし。主として対象は男性。戦後に公的根拠ができる。「ハンセン病患者、およびその配偶者」が対象。「本人同意のもと」とあったが、「知らずにやられた」。対象は圧倒的に女性。301件:1174件。優生保護法は女性の性と生殖をコントロールする法律。

2011-03-21 13:58:01

性差別構造とハンセン病者差別の二重構造がもたらして実態。

2011-03-21 13:58:37

日本社会が隔離し続けてきた結果、一部の人しか実態を知らなかった。実態を知るすべがなかった。園内の情況が、外部に伝わってこなかった。無視と無関心の塊になってしまった。1953年の「見直しの付帯決議」は40年かかった。

2011-03-21 13:59:54

吉川さんの話。2004年に県議会で質問をした。情熱を持って質問をつくった。そもそも「女人禁制とは何か」ということを知りたかった。それまでは「慣習」とか「習慣」とか言われていた。そうなのか?仏教大学に社会人入学をして勉強した。

2011-03-21 14:02:53

原始仏教」には女性差別はないことがわかった。男性出家者だけでサンガをつくった。女性出家者が入りたいといった時に、大論争が起こった。が、釈迦の最終判断でOKになった。最初の出家者は、釈迦の元パ。中村げんさんの『尼僧の告白』、赤裸々でおもしろい。

2011-03-21 14:05:28

女人結界を守ってきた修験道も、実は否定。1997年に「女人結界撤廃宣言」をつくっていた。2000年に撤廃するつもりだった。(1997年10月4日付けの毎日新聞に報道があったらしい)。先にスクープしたために、在家信者が反発して、幻になったとか。

2011-03-21 14:09:39

毎年8月に大峯山に登っている。途中までは女性も一緒。というか、女性の方が多い。途中でわかれる。降りてくる時に合流。

2011-03-21 14:10:51

降りてきて洞川温泉でみんなで話。「女人結界、どう思う?」「やっぱりそら行きたいわ」。僧侶も、「宗教団体としては撤廃を決めたんだから、そう思う」。

2011-03-21 14:12:08

ここまでは前置き。法律的には…。国際法と女人禁制。「女性差別撤廃条約」。第1条の定義にもとづいて、「女子に対する差別」。第2条の具体的な方策。ここには「いかなる行為または慣行も差し控え」「慣習および慣行を修正し」とある。知事も「その通り」と言っていた。

2011-03-21 14:14:39

知事は、「該当する」と言いながら「難しい問題ですね」(一同笑)。

2011-03-21 14:15:12

世界遺産条約。認定の条件。「その国やその民族だけのものではない」「将来の世代に引き継ぐべきもの」。これらが基準。自然環境を守るために「人間の立ち入りを禁止」は成り立つと思うけど。ちなみに、ヨーロッパの修道院にも女人禁制があるが、ここは男性が誰でもOKではない。

2011-03-21 14:16:58

いっそ、逆説的には「信者のみ」にすればいい。それなら「信者の男性のみ」もありと思う。

2011-03-21 14:18:08

道路法との問題。私道であれば基本的にはOK(例外はあるけど)。道の構図をあげると、大部分は「里道(県の権限を持って国の道を管理する)」だった。ところが「村道」に昇格されていた。知事に「数年前までの管理者としての責任は?」。応答できず。

2011-03-21 14:21:48

市町村道の通行制限」の

2011-03-21 14:22:13

条項に違反。女人結界門は違法構築物。なぜ村道にしたのか。道の改修にお金がかかるから。法的に措置をとるとすると。ひとつは「納税者訴訟」。ただしこれは天川村村長相手になる。もうひとつは、たとえばけがをしたら「公道上の国家賠償法」。まぁ極論だけど。

2011-03-21 14:25:02

女人結界を破った歴史。戦前。飛田の女侠客。男性を引き連れていった。「なんとかおさめてくれ」。証文を出した。「将来女性が通れるようになったら、あなたを最初にとおします」。結界門が上がった時に、セレモニーに呼ばれた。

2011-03-21 14:26:59

バス駐車場が結界の先にあった時は、女性のバスガイドが入れるように県がかかわった。「県はかかわらない」というのはウソ。合理性を持つためには、再び「私道」にもどすしかない。新聞記者が国土交通省に問い合わせをしたら「法的にあり得ない」という回答があった。

2011-03-21 14:28:34

コーディネーターの松村さん、国会議員や県会議員へのアンケートにかかわる裏話を披露。

2011-03-21 14:29:59

休憩。「ゆめ風基金」のカンパ要請。

2011-03-21 14:31:02

後半開始。まずは質問・意見から。いきなりわたしのところにマイクが来たけど「早すぎる」ってことで、とりあえず他の人へ。編集者の方が発言。

2011-03-21 14:49:28

違法状態をどう見直していくのか。具体的にいい方法は?あと、もっとも力を入れたのは森永さんのところ。ここが原点。あと、「韓国の研究者を探せ」と言われて一生懸命探した。「女性が出産したら門に唐辛子をくくりつけるという慣習がある」。これに対して規模が違う。

2011-03-21 14:52:10

源さんから吉川さんへの質問。「道路法違反」で訴訟を起こせないのか?

2011-03-21 14:53:18

訴訟の条件がきわめて限定されている。基本的には事件性がなければ訴訟が起こせない。訴訟の過程でしか法律を問えない。なので、管理者が相手。村道の場合は村長。訴訟を起こすのは、実は難しい。

2011-03-21 14:56:55

アムネスティの人から。世界遺産と一緒になくなるだろうと思っていたのに。登ったからといっても罰せられないはず。

2011-03-21 14:58:33

源さん。慣習を変えるためにはどれくらい登ればいいのかがない。逆に、何人登っても慣習は問題視されない。もうひとつは、戸開け以外の時には

2011-03-21 14:59:36

あまり問題にはならないと思う。どうだろう。

2011-03-21 15:00:09

みんなが意識を持てば過去のものになる。女性といわれる人たち自身が「結界」と定めてしまう。「入る?」と言われた若い女性が「気色悪い(たたり)」と答えたとか。科学で証明できないものへの畏れは、昔も今も変わらない。世界的に法律があることが届いても、「何かあると怖い」

2011-03-21 15:02:13

法律でこうなんだよじゃなくて、日常のことから提起していかないといけないかなと思う。一方、ある人にとっては解決されている問題。そういうのをどう共有していくか。

2011-03-21 15:04:53

Hさん。前のシンポのあとに、「事件(笑←いつき注)」があった。新聞に載った時にブーイング。「会」とは関係ない行動だったのに、抗議のメールが来た。実は、登っている人はたくさんいる。が、「登った」と言うとバッシングがある。某巨大掲示板に名指しで「死んだらいいのに」と書かれる。

2011-03-21 15:07:22

怖いのは自然ではなく人。

2011-03-21 15:07:58

宮前さんに質問(いつきから*1)。

2011-03-21 15:12:15

近代以降のハンセン病の問題は、日本では患者の消滅であって、暴力的だったが、それが民衆・皇室の善意の形を持っていた。それが「あきらめ」「当然の選択肢」を持っていた。強制収容ではなく、自ら収容所に言った。おそらくその方が多い。

2011-03-21 15:13:56

ハンセン病患者が内面化していく。それは大峰山と共通するものがある。

2011-03-21 15:14:24

民衆の善意は、本当に「善意」である。ポスターやラジオや映画の幕間で出てくる。「物乞い」をしていた人が自分のお金を寄付するという「美談」。善意の寄付によって療養所が維持され、隔離が推進されていく。このことが、96年まで社会問題化されなかった一因ではないだろうか。

2011-03-21 15:15:58

源さん。長島愛生園に行くとわかることがある。教会に入り口がふたつあった。そこには結界があった。そのことを当たり前に受け入れていった患者さんたちの気持ち。差別される側がそれを受け入れていく問題とつながるかなぁと思う。

2011-03-21 15:17:34

Oさん。隔離の現状を聞くにあたって、政策的なのに時代の中で受け継がれてきた。現在のバックラッシュの流れに危機感を持つ。

2011-03-21 15:19:17

Mさん@元新聞記者。根本は、「社会防衛思想」である。これは、多数を守るためには少数は犠牲になっても仕方がないという思想。当時、富国強兵と重なっている。兵隊として役に立たないものはおってもらったら困るという考え方。

2011-03-21 15:22:59

患者が一番いやがっていること。それは、慰問である。理由もないのに物品をもらうことに怒りを持つ。自分たちを殴ったのに、殴ったことを伏せていおいて涙を拭きに来るのが「慰問」である。

2011-03-21 15:26:26

注・「患者」→「元患者」

2011-03-21 15:28:09

意見?質問?部落問題にかかわって。出産の時に、実家からお餅をもらってくる。「寿と書いてくれ」と言ったら、「渡すのはこちらだ」と言われた。女性問題、みんなに伝えていくのは難しいというジレンマをかかえながら毎日生活している。

2011-03-21 15:31:14

質問。「国レベル、県レベルでは大峰山をどう認識しているのか」

2011-03-21 15:31:47

洞川や県は、そういう問題があることはわかっている。でも、避けようとしている。国はおそらく認識はほとんどないだろう。

2011-03-21 15:32:27

では、どうすればいいんだろう。突破口は?思いつきでもいいけど。

2011-03-21 15:33:04

吉川さん。膠着状態。でも、法的に問うのが突破口になるのではないか。

2011-03-21 15:36:06

宮前さん。取材の時に「お姉ちゃん、入っていったらええやん」と言われたこともある。は、いいとして。「国家賠償請求」の時に、入所者の人から反対があった。判決が出たあと賛同者が増えた。できそうな気がする分、風向きも…。対話が拒否されている状態では…。

2011-03-21 15:38:15

源さん。本を三本山、五寺院に送った。無反応。でも、聞きに行きたいなぁ。日本は外圧に弱い。外圧を利用できないかなぁ。でも、小さな集まりであってもそれを持って続けること

2011-03-21 15:39:38

そこから変わらないかなぁ。

2011-03-21 15:39:51

フロアから。ハンセン病が入っているのがやっとわかった。小学校の頃、テレビもなかったし、小学校で映画会があった。「小島の春」を見た記憶がある。きれいな映画だった。女性のお医者さん、すごい人やなあという記憶。まさに善意の塊のような人。今考えると「らい予防法」とのからみだったのかなぁ。

2011-03-21 15:41:49

それと、おそらく法律でやらないと突破できないんじゃないかと思ったりする(「たり」が大切と注。部落解放運動を考えると、答申ができて法律ができて、ようやく語れるようになった。もしも法律がなければタブーは消えなかった。でも、法律がなくなったら昔の状態にもどってきている。

2011-03-21 15:43:44

フロアから。人権とは相対的なもの。普遍的なものではないと考えている。もしも普遍があるなら、すべての生きているもの。

2011-03-21 15:50:17

源さん。「比叡山には虫も鳥もいるのに、なぜ女性は入れないのか?」に親鸞は答えられなかった。

2011-03-21 15:51:06

フロアから。研修会の「女性部会」に代表で出てきている人。自分たちから発信しようということでシンポをした。役員は一生懸命話をしたが、女性から反応がなかった。ある自治会で女性が一生懸命意見を言ったのに、帰りに「ご主人の意見を聞いておいてください」といわれた。

2011-03-21 15:54:56

男性も考えないといけないけど、女性も社会に参加して意見を言っていこうと、今話をしている。源さんの話の中の「対話の可能性」は、そうやなぁと思った。法整備はそうなんだけど、それとともに、「対話」をとおして慣習を変えていかないといけないかなあと思った。

2011-03-21 15:57:02

司会から「発言しながらまとめて」と言われちまった^^;;。実況中継しながら考えよう(笑)。

2011-03-21 15:58:42

フロアから。「女人禁制のシンポに行く」と言ったら、母親から「女人禁制は宗教の問題やからあかん(変わらない)ねん」といわれた(一同笑)

2011-03-21 16:00:33

質問。洞川の女性たちはどう考えているのか?

2011-03-21 16:00:49

総意として「女人禁制はダメ」とは言えない。「事件」の時、知りたがっていた女性がいたけど、「こんなところにいたらあかん」と連れて行かれた。タテマエとホンネがある。

2011-03-21 16:02:47

吉川さん。女性信者から声を上げてもらうことも大切かなぁ。そんな対話の場所を、ざっくばらんに話ができる場所をつくればおもしろいかなぁ

2011-03-21 16:10:35

宮前さん。なぜ自分がいるのかわからなかったんだけど、みなさんの質問を受けてようやくわかった(笑)。というのはおいといて…。

2011-03-21 16:11:21

ハンセン病患者の不妊手術が女性の方が多かったことは今まで語られてこなかった。ハンセン病問題にジェンダーの問題を入れていく必要があるということを、今回書かせてもらってよくわかった。それと、ぜひ長島に行ってほしい。

2011-03-21 16:12:36

どうやったら療養所の問題を社会の問題にできるのか。なかなか中の人は出てこられない。「一回来たらそれでおしまいの人が多い」と言う。年賀状のやりとりからでも。

2011-03-21 16:13:23

源さん。わかりやすく話したつもりなのに(;_;)。今後の課題が大きく見えてきた。(一同笑)

2011-03-21 16:14:11

主催者あいさつ。世の中を変えるために、まず自分自身を変えていかなくちゃならないなぁと思った。

2011-03-21 16:16:26

ちなみに、「パネラーからの一言」の前にわたしも発言させてもらったのですが、それはまた「あした」にでも書きます。

*1:ハンセン病の隔離政策を草の根的に支えていたのは民衆の「善意」であるということと、大峰山の女人禁制を草の根的に支えているものの構造はとても似ている気がする。なので、ハンセン病の「善意」のことをもう少し話してほしい

「国際障害者年」連続シンポジウム 「当事者」って何だろう!

上記シンポジウムに参加しました。
なんしかひたすらタイピングし続けました。それにしてもめちゃくちゃおもしろかった。まぁ暇な人は読んでみてください。ただし、かなり長文です。
ちなみに、グリルドチーズ願望さんまとめてくださってもいます。

ではスタート!

「国際障害者年」連続シンポジウム 「当事者」って何だろう! なう
2011-03-19 10:43:56

矢吹さんが話してる。以下、かなり適当なメモ。障碍者という言葉はいつからできたか。敗戦後、傷病者に対するもの。それまでは、個別の呼び方だった。
2011-03-19 10:46:00

「当事者」という言葉ができてから主人公になった。「自立支援法」ができてから、お客さんになった。「あなたが決めるんですよ」でも決められるのか。ほんとうは決められない。震災の情況では当事者主体なんてぶっ飛んでいる。じゃぁ当事者主体ってなんだ。震災の場所では、みんな「被災当事者」
2011-03-19 10:47:44

すると、当事者同士のぶつかりあいが出てくる。
2011-03-19 10:48:10

「当事者主権」というと、お互いの主権がぶつかりあう。
2011-03-19 10:48:57

「当事者」というと、なんかえらくなったような気がしてくる。合理的配慮の中に、わがままも入ってくる。「これを聞け。オレは当事者だぞ」という人も出てくる。そういう勘違いをしている人がいるような気がしてならない。すると、「当事者主体」っていうのはなんなんだ。
2011-03-19 10:50:43

自分たちが何かを言う。子ども扱い(ものを壊しても「障碍者からしゃーない」)の中でごまかされてきた。ほんとうに自己決定・自立があったのか。一方では主権を唱えるが、一方では甘えてしまうところがたくさんある。これでほんとうに自立生活と言えるのか。という疑問があった。
2011-03-19 10:52:10

後ろを振り返ると、自分たちよりももっと大変な人たちがたくさんいたはずなのに、私たちがその人たちのことを考えて動いてきたのか。「私たち当事者は」の「私たち」の中に、たとえばALSの人や難病の人のことも受けとめてきたのか。
2011-03-19 10:54:08

かつては「超一級の障碍者」だった自分が、後から来た「もっとたいへんな人」から「俺たちのことを考えてきたのか」と言われたとき、どうなるのか。でも、それを言っては身もふたもない。そこで、さまざまなしんどさを持った人が、どういうものをつくっていくのか。
2011-03-19 10:57:05

あぁ…。タイピングがついて行かない。おもしろさが表現しきれない。
2011-03-19 10:57:49

バスの似るたびに半額でもめるような形じゃなくて、自分たちも満額払えるような社会をどうつくっていくか。
2011-03-19 10:59:40

あ、封筒の中にペーパーが入っていた。めっちゃわかりやすい!
2011-03-19 11:02:11

当事者意識をぶつけ合ったら、もっともっとぶつかりあいができ、権利意識が高まり、暴動が起こるのか。権利意識が低ければ暴動が起こらず平和なのか。よくわからないけど、みなさんの考えを聞きたい。
2011-03-19 11:04:13

続いて熊谷晋一郎さんの基調講演。はたしてつぶやき続けられるのか(笑)?
2011-03-19 11:04:59

全体の流れ。興味のあるところだけ起きておいてください(笑)。1、長い自己紹介。脳性マヒはリハビリで治ると言われていた時代のこと。自立支援運動の中でいかに救われたか。
2011-03-19 11:08:48

2、2次障碍の問題。障碍者が長生きしないと言われてきたけど、2次障碍や老いが無視できなくなってきた。
2011-03-19 11:09:53

3、手足論。介助者は障碍者の言っていることだけをするべき。でも、一部、自己決定が即自由につながるわけではないのではないのではないか?深く考えると、手足論は自己決定につながらないのではないのか。心と体は別という2元論の限界を考えてみたい。
2011-03-19 11:11:23

4、発達障害自閉症の話。「見えにくい障碍」は、しばしばわがままと言われてきた。その障碍が、これほどまでに社会に受け入れられてきたということは、社会の構造の変化があるのではないか。今は不気味なほどに当事者主権という言葉が、権力側からも言われるようになってきた。
2011-03-19 11:13:02

これは、自己責任とセットになってきた。かつては社会が責任をとらなくてはならない建前だった。つまり、社会は責任をとれませんと言っている。と同時に、自己決定ができない人が新たな障碍とされやすくなってきたのではないか。
2011-03-19 11:14:41

で、スタート。
2011-03-19 11:14:56

早期発見/早期療育には「水増し」がされる。
2011-03-19 11:20:14

最初集中力が途切れていた。
2011-03-19 11:27:05

脳性マヒは97%直ると言われていたころ。家族から、介助を受けるなら(?)健常者になってからにしなさいと言われていた。なので、家族は「すべて自分たちがやってあげる」そのために、世界と自分の間にゼリーのような家族が存在していた。
2011-03-19 11:29:16

自分への信頼を損なう「健常者」幻想。社会への信頼を失う「厳しい社会」幻想。自分への信頼を失う。
2011-03-19 11:30:17

身の回りのことをすべて家族がやってくれていると、自分が何ができるかわからない。自分の輪郭がぼやけている。
2011-03-19 11:30:55

トイレとの闘いの中で、トイレとのチューニングがなされる。トイレの情報(スペック)がわかると同時に、自分の体の情報がわかりはじめる。社会と自分の体が直接交渉をはじめる。社会の情報と自分の体の情報がわかる。社会と身体の隙間で交渉がはじまる。
2011-03-19 11:33:20

社会や身体の情報がわかる。不安が減ってくる。隙間を埋めるようにして、自分の体とトイレがすりあわされる。落としどころを見つける。そこが着地点だけど、着地点ができるとイメージがぼやける。ここがたいせつ。
2011-03-19 11:34:33

どこまでが外の世界でどこまでが自分の体か。ex電動車いす。ex介助者とうまく連携がとれているとき。自分の指令とフィードバックが思い通りになっている時が「肉体」である。
2011-03-19 11:35:53

かつては「電動車いすにのったらおしまい。最後の乗り物」と言われてきた。でも、自分の身体を手にすることはリハビリへの意欲を高める。
2011-03-19 11:38:00

介助者とうまくいっているかどうかは、世界の見方がそろっているかどうかということ。
2011-03-19 11:39:00

介助者の世界の見方が変わると同時に、介助者の世界とそろったとき、障碍者も介護者の見方に動く。見方が混じり合う。
2011-03-19 11:40:15

何と身体を同一するかによって、世界の見方が変わってくる。
2011-03-19 11:41:25

一人で採血できる道具をつくる→引かれる→バージョンアップ→さらにひかれる。挫折
2011-03-19 11:44:00

とても忙しい病院に行った。「猫の手どころか障害者の手も借りたい」→笑い。お手本通りにやることが目的ではなく、ミッションをこなすことが目的。
2011-03-19 11:45:16

ミッションごとに人を集めてチームをつくる。互いのスペックをスタッフが共有する。「こういう事態にはこういう組み合わせ」が共有。互いのスペックを探り合うことが大切になる。お互いの体を融合しあって探る。
2011-03-19 11:46:29

採血の話、おもしれ〜。試行錯誤する余白を職場に残す。世界のイメージをそろえることが重要。
2011-03-19 11:48:16

リスクが事故を起こすのではない。システムが完成に近づくほど、人はシステムに動かされ、全体がわからなくなってくる。失敗や試行錯誤の予約を残しておくこと。ミスは学習効果が高い。現場に余白を残して試行錯誤することが、とても重要。多様性を持ったスタッフが試行錯誤できる余白があるか。
2011-03-19 11:50:20

システムを立ち上げてきた人はえらい!システムができてきてから出てきた人は全体が見渡せない。だから、システムを壊し続けること。
2011-03-19 11:51:33

2次障碍の話しに以降。「俺たちはガンバリズムがあるから、つい無理してしまう。がんばるなよ」と言われてきた。
2011-03-19 11:53:23

2次障碍が来た。「脳性マヒ」は非進行性と言われていたけど、これは「脳性マヒが早く死ぬ」ことが前提だった。最近進行をしていくことがわかってきた。
2011-03-19 11:55:09

2次障碍の何が問題か。「できていたことができなくなる」と「痛い」。このふたつは、実はわけられない。
2011-03-19 11:55:48

脳性マヒ者の中にある医療不信
2011-03-19 11:57:34

身体イメージの自己運動。慢性疼痛は痛みの記憶である。脳は夢を見ている。自分を客観的に見られなくなる時、自分の中に閉じこもっていく時って、夢に近かったなぁ…。とのこと
2011-03-19 12:02:54

この記憶としての痛みが、なぜ「痛むのか」。なぜある種の記憶は痛まないのに、別の記憶はいつまでも痛むのか。なぜ2次障碍の痛みの記憶だけが痛むのか。フラッシュバックの記憶と似ている。
2011-03-19 12:03:50

どう沈静化させるか。ボディイメージを更新する。社会とやりとりをすることで輪郭を獲得した。同じことをやる。体は前と異なる。認識とのずれ。動くことで更新する。そのためには「動き始めても大丈夫」。そして
2011-03-19 12:06:41

「それを信じて動き出す」。「信じて」っていうのが大事。
2011-03-19 12:07:03

確かに知識と、「大丈夫」という医療を信じること。そうか。最初の不信感とつながるのか(いつき注)
2011-03-19 12:07:42

医者に期待しなくてもいいけど、医学を当事者の手に奪還したい。知識としての医学は我が物としてもいいのではないか。医学を進展させるために自分の物語を紡いでもいいのではないのか。
2011-03-19 12:09:44

自立運動における自己決定の原則。先回り行為の批判。手足論。しかし、手足になることは身体化。基本は手足になるべきだと思っているが。手足になることと自己決定になることは別。
2011-03-19 12:11:38

「手足論になること」と「自己決定の原則」の間にある矛盾。
2011-03-19 12:12:18

自己決定はきりがない。どこからが自己決定し、どこからは自己決定しないかを決める。健常者の身体は「よきに計らって」歩いている。それをコーディネートしている。
2011-03-19 12:14:16

完全な自己決定をすると、自閉症化する身体。
2011-03-19 12:15:07

自閉症の場合、事細かなフィードバックがあり、それを意識化することで話せるので、何を話すまでは意識が行かない。
2011-03-19 12:15:49

自己決定は手動乖離。身体化が自動回路。その区分けを共有化することが自由を与える。
2011-03-19 12:17:49

手足は自発的に動いてくれるもの。しかし、要所要所では自己決定に従ってくれないと困る。しかし、健常者は社会のハードが健常者向けにつくられているのでそれを享受していることに無自覚。障害者の場合はそういうものがないので、自動的に動けない。なので、いちいち闘いや自己決定をしないといけない
2011-03-19 12:19:27

マジョリティは社会制度が身体を自動的に動かしてくれるようにできているので、その分意識を自己決定領域に持っていく余裕がある。
2011-03-19 12:20:58

マイノリティは、すべてを意識で自己決定しなくならなければならないか(あたふたモード)か、すべてを自動化させる(ぐるぐるモード)の両端にいく
2011-03-19 12:21:49

多数者は「すいすいモード」が基本で、「ぐるぐるモード」と「あたふたモード」を行ったり来たりする。でも、マイノリティは「すいすいモード」がない。
2011-03-19 12:22:38

4番目突入。自己決定をすることが自由なのではなくて、ある程度自己決定をしなくてもいいところがあるほうが自由なんじゃないの。
2011-03-19 12:23:27

70年代。障害者と健常者の線引きがあった。これは、主として身体障害者だった。現在は、やや線引きが変わってきた。具体的には自己決定できる障害者は自立している/社会性がある。自己決定が苦手だったりゆっくりしていると、自立していない/社会性がない。
2011-03-19 12:24:51

新たな健常者基準ができはじめている。
2011-03-19 12:25:14

発達障害自閉症スペクトラムが10倍ぐらいにふくれあがっている。なぜ診断書を必要としている人がこれほどまでに増えているのか。その構造を見ないと、「相手」を見誤ってしまう。
2011-03-19 12:26:23

佳境だ!
2011-03-19 12:26:41

自己決定領域が広がることで自由を得てきた障害者に対し、自己決定が苦手な人が新たに出てきた。
2011-03-19 12:28:13

これらを「障碍ではない」と考えてはいけない。「インペアメントが社会性の障碍」と考えてはいけない。
2011-03-19 12:29:43

第1世代は過剰適応。「みんなたいへんだから一緒にがんばろう」→「できないわたしはだめ人間。まだ努力不足かな」
2011-03-19 12:30:47

第2世代、承認しあう仲間を見つける世代。自分の苦しみには名前があった。自分には仲間がいた。一部は共感し得るけど、一部は共感できない。仲間同士の軋轢になったりする。→ドキドキドキ(いつき注)(笑)
2011-03-19 12:32:56

第2世代。「ほんとに当事者なの?」「キャラ化しないといけない」「あなたは○○だからいいよね」「無理解な社会と戦うべきだ」→ドキドキドキ(笑)(いつき注)
2011-03-19 12:33:58

第2世代は「飛び地」としてもっておかなければならないけど、排他性や同調性でせっかくの居場所にいられなくなる。密室性と開放性の両立。
2011-03-19 12:34:53

「言いっ放し聞きっぱなし」「新しい仲間が一番えらい」「部分引用と編集」
2011-03-19 12:35:31

「依存症」のやり方が参考になる。→「ダルクだな」(いつき注)
2011-03-19 12:36:03

「言いっ放し聞きっぱなし」はコミュニケーションの放棄。空気の読みあいによって自分の実像とずれる。これを回避するためにどうするか。
2011-03-19 12:37:21

相手の反応を気にせずに言いっ放し聞きっぱなしをする。でも、仲間が聞いている。ぴったりの人の話から部分引用にしながら、徐々に自分の語りをつくっていく。それが等身大の自分を獲得していく。自分のことが語れるようになることが依存症からの回復。
2011-03-19 12:39:09

あ、終わってしまった。おもしろかったぁ!
2011-03-19 12:40:36

昼休み終了。午後のシンポ開始。ちなみに昼ご飯は @kochu_karu_koさんと一緒に麺をすすった
2011-03-19 13:46:22

岡本さん@京都新聞の話スタート。ALSの取材をしてきた。「街へ出よう」という言葉がきらきらしていた時代から変わってきた。いま、病院から放り出されはじめている。
2011-03-19 13:51:41

杉江さん@ALSのビデオ。ALSno
2011-03-19 13:53:49

ALSの国都とともに、医者から死の自己決定を迫られた。
2011-03-19 13:54:30

主治医「ヘルパーがいないのは杉江さんに問題がある」杉江さん、「僕は僕。ヘルパーは僕に必要以上に干渉しないで」
2011-03-19 14:00:33

寝るときの姿勢のシーン。ミリ単位の微調整。四肢機能全廃。しわ一つの苦痛。介助者「がんばってください」。杉江さん「逆方向にどんどん進んでいくのが怖い」
2011-03-19 14:03:32

24時間人がいる。いろんな人がやってくる。

2011-03-19 14:05:35

介助の姿勢のシーン。杉江さん「何回も同じことを言わせるな」

2011-03-19 14:06:22

杉江さん「90%は苦痛。残りは絶望。1日1日を笑って生きる」

2011-03-19 14:08:38

それにしても、介助者の人、文字盤が読めるんだ。

2011-03-19 14:09:18

西田さん@看護師のビデオの補足とか。

2011-03-19 14:10:19

伝えたいことは?杉江さん「本当のことは他人ではわからない。人は一人一人進んできた道がある。できるだけ変えないように進みたい」

2011-03-19 14:15:27

ALSは家族介護。人工呼吸器などをつけない選択を迫られてしまう。

2011-03-19 14:17:19

情報を自分から調べるエネルギーがない。介助サービスが進行に追いつかない。その中で「もう、どうでもええわ」となる。

2011-03-19 14:20:54

どんな感じで機能が低下していくのか。「昨日できたことが今日できなくなることがあるけど、昨日できなかったことが今日できることもある。体に裏切られていく気がする」

2011-03-19 14:25:03

2年間は戦場だった。今落ち着いてきたのは…。進行が緩やかになってきた。1年目「自分の体のことは自分が一番わかっている。自分は自分のことで精一杯だ」。2年目、一日一日を現場の人がつないできた。

2011-03-19 14:29:45

他の人は知らないが、僕は便利さを求めない。   あとなんだっけ。タイピングについて行けなかった。でも刺激的だったんだけどなぁ…

2011-03-19 14:33:39

小泉さん@自立支援事務所の話。杉江さんを代弁できないが、わたしの立場で考えたことを話せばいいのかと思った。

2011-03-19 14:39:56

杉江さんは自分のことを「患者」と表現していた。障害者のわたしにはピンと来ない、なじまない言葉だった。患者には「治す」「治っていく」イメージがある。

2011-03-19 14:42:27

杉江さんに感じる感覚は、中途障碍の方に感じる感覚と似ていた。わたしは「差別」という言葉にすごいこだわりがある。差別をなくしたいと思ってきた。けっこういやな思いもしてきた。きっと中途障碍の方もいはるかな?いはりませんね。中途障碍の人には健常者の部分がある。

2011-03-19 14:46:37

この人も以前はわたしを差別していた可能性があるのかもと思っていた。

2011-03-19 14:47:50

障碍というのは、誰もなる。病気だったりけがだったり老いだったり。その中で分断されていてどうするのか。

2011-03-19 14:48:50

この3日間、自分と向き合う作業をしたけど、それはとってもしんどかった。たぶん杉江さんも自分と向き合う作業をしてきただろうと思う。体裁よいうわべの答えを出すことも可能だっただろうと思う。でも、なぜこういう答えだったのかを、みんなで考えていかなければならない

2011-03-19 14:50:53

さて、シンポジウム後半。野崎さん@大阪府立大学非常勤講師→立命館大学より「当事者性の可能性と限界」開始。

2011-03-19 15:05:40

倫理学が専門。倫理学は哲学の一分野。そこでは自由とか自己決定なんかが議論されてきた。…デカルトとかフッサールが出てきた。

2011-03-19 15:12:30

さて、本題。「当事者」という言葉と出会ったのは、障害者運動ではない。むしろ不登校経験者。ひきこもり。性暴力サバイバー。でふくらんでいった。

2011-03-19 15:15:15

不登校は、かつては「登校拒否」。これは直すべきと考えられていた。病的な診断をえるものという、第1世代。やがて、(親の世代だけど)これは病気ではない。子どもが自己決定をして「行かない」を選んでいるんだ。

2011-03-19 15:16:39

今は、病気に還元されるのも、自己決定に還元するのも、どうもうまくあらわせていないんじゃないか。じゃぁどうしたらいいのか。

2011-03-19 15:18:18

個人的な物語に回収されることを拒否する。

2011-03-19 15:18:52

障害者運動の中で「当事者」が使われるようになったのは80年代。牧口さんの「エレベーター設置運動」vs「青い芝の会」。このように、当事者も一枚岩ではない。

2011-03-19 15:21:16

「当事者とは誰か?」結論は持っていない。持っていないことが、逆にステータスなのではないか。

2011-03-19 15:22:34

ある人が「わたしも障害者の皆さんと同じく当事者性を帯びているから、障害者問題に自分自身の問題として取り組まなければならない」。これに対して介護を必要としている人から大ブーイングがあった。生きづらさを被る側とそうではない側に峻別がある。 あ〜、タイピングがついていけない…

2011-03-19 15:25:00

「当事者の声はなぜ大切にされるべきか」声を上げることが当事者の必要条件ではない。まさにそこに生きているから尊重されなければならない。このことと「言ったようにやらなければならない」という話とは別。

2011-03-19 15:26:12

「声を上げる」と言うことは当事者にとってはすごいハードルがあるということを再確認したい。声を上げたとしても聞いてもらえたという経験がないと思っているから声を上げないということがあるかもしれない。いろんな不安がある。

2011-03-19 15:27:17

声を上げることが賞賛されたり、もっとひどいことでは「当事者は声を上げなければならない」ということがいわれる。これは違うと思う。

2011-03-19 15:27:56

当事者性はある種の普遍性や正しさを持っている。当事者を社会によって無力化させられた人たちと考えることによって普遍的な概念が呈示できる。

2011-03-19 15:29:50

当事者性の持つ普遍性と連帯。危ういながらもそこに連帯のかすかの火がともされる。

2011-03-19 15:30:58

個人と社会の関係、個人と個人の関係は社会を変えるだけではうまくいかない。答えがない。

2011-03-19 15:33:05

あ〜、むずがゆい。もうひとつまとめてほしい…。自分の問題意識と微妙にかすってるんだけどなぁ…。

2011-03-19 15:34:27

で、壇上の意見交換。

2011-03-19 15:34:47

矢吹さん「なかなか眠たくて、難しい話。自分は提起しただけで帰ろうかな(笑)。自分の中でとっても疑問なんだけど。たとえば障害者で大学に行っている人に何を学んでいるのと聞くと「社会福祉」という。なぜわざわざ大学まで行って。あなたの体一つでいいでしょう」

2011-03-19 15:36:48

自分も障害者運動をやるために生まれたわけではない。いろいろあって、いろいろ仕向けられて、今こんなことをやっている。体が動かなかったとき、あんなことしようこんなことをしようと空想していた。でもやっぱり生まれてきた以上、黙って生きているのは楽しくない。

2011-03-19 15:38:12

いろんな人と関わることが楽しい。それができない人はどうしたらいいのか。

2011-03-19 15:39:22

「当事者の主体性」という言葉に流れ込んでいく中で、自分も「当事者」という言葉を使い始めた。かつては「当事者」という言葉を使わずに自分のことを語っていた。こんな子ども扱いされているのはおかしいと声を上げてきたのが障害者運動だった。

2011-03-19 15:41:01

でも、声を上げられない人を代弁してきたか。声を上げてきた人はよくしゃべるんだわ(笑)。すると置き去りにしてきた人がいるんじゃないか。

2011-03-19 15:42:01

今までのやり方は絶対間違ってないと思う。でも、それをどうやって膨らませていくか。

2011-03-19 15:44:32

熊谷さん。杉江さんが来ておられないのが残念。ビデオを見て感じたこと。一番に思ったのは、軽い重いでははかれない、障碍の変化。重い障害でも安定していれば「こんなもの」とイメージがつくれる。軽くても変化するとイメージがこわされる。

2011-03-19 15:47:06

日々の根本にある信頼感。予測ができる人は、それを空気のようにすっている。予測できない人のことを、これまでの障害者運動はすくいとれてこなかったのではないか。

2011-03-19 15:48:23

もうひとつは「痛み」のこと。慢性疼痛。自分のボディイメージが崩されたとき、それを「痛み」として感じる。幻視痛。進行が早ければ、アップデートがついていかない。存在自体が痛いということを抱え込む可能性がある。

2011-03-19 15:50:20

痛みはインパクトがある。時間を止める。悪夢。自己決定は、明日への予測と信頼があるからできる。それをゆるがすと怖くて動けなくなる。自分が決定できなくなると時間を止めてしまって過去に生きてしまう。

2011-03-19 15:51:58

中途障碍と生まれながらの障碍の2次障碍の共通点。「どこまで変化するんだろう」という不安。

2011-03-19 15:53:16

従来は重いか軽いか考えてきたけど、変化で考える必要がある。でも、それを言語化できないから、わがままとうつる。

2011-03-19 15:54:11

西田さん。「痛み」がすごく参考になった。杉江さんと出会う前は自分の考えを形に表すことができていた。でも、支援がはじまって、わかろうとすると空まわりになる。うまく言葉が生まれない。たずねられると、かえってそれが責められた気になる。

2011-03-19 15:56:26

思いを確認するときに「論理的にせめないでほしい」と言われた。

2011-03-19 15:57:38

野崎さんへの熊谷さんのコメント。「個人の語り(医療モデル)と社会の語り(社会モデル)。個人と個人の関係を語る言葉がないのではないのか?」という問いに対して。

2011-03-19 15:59:52

「社会モデルって、個人と個人・個人と社会について何も言ってないのか?」「言っていると言えば言っている」

2011-03-19 16:00:27

障碍は個人と社会の間のなんらかのずれ。なので、個人化はできない。障碍を語ろうとすれば、自ずから人と人、人と社会の関係に言及してしまっている。どういうものを新たに考えなくちゃならないのか?イメージができない。

2011-03-19 16:01:31

「痛み」に引きつけると。「痛み」は従来は医学的なものと考えられてきたけど、同時に社会関係によって与えられる。医学モデルだけでは太刀打ちできないことは知られている。社会の中でどのように痛みを語っているか。どういう語り方なら許されるか。

2011-03-19 16:02:46

自ずからその関係に踏み込まないといけないんじゃないかなぁ

2011-03-19 16:03:24

フロアからの返し開始。

2011-03-19 16:03:49

共同作業所の代表。脳梗塞で倒れられた方。「痛い」ということがある。自分は骨形で痛みは知っているけど、それとは違うみたい。まわりはどうすればいいのか?

2011-03-19 16:05:45

熊谷。「できること」と「痛いこと」が密接に関係している。「原因のある痛み」=急性疼痛。治ればなくなる。「慢性疼痛」はかつては「わがまま」「サボり癖」とか言われてきていた。今はもう少し変わってきた。

2011-03-19 16:07:36

今慢性疼痛の人に向いていると言われているのは、ひとつは。予測が立たない状態に置かれていると、痛覚過敏になる。予測が立つ情況にする。自分が抜け出せたのは「大丈夫」と言われたことと、その担当医を信用できたこと。

2011-03-19 16:09:38

近くにいる人ができること。「無理するな」はあまり意味がない。安静にしすぎるとボディイメージが更新されないので、ますますだめの可能性がある。基本的には「知識」と「信頼」あるいは「安心」。それがあると、痛みがふと消えることがある。でも難しい。

2011-03-19 16:11:33

フロアから。「差別とは別に痛みを考えてもいいのでは」という提起について。

2011-03-19 16:20:34

差別と痛みは別とは考えてない。差別は痛みを与える。差別や疎外と体の痛みは切り離せない。そのこととは別に、障害の重さとゆらぎは関係をしているけど、いままで「ゆらぎ」を自立運動の中ではうまく扱えなかったのではないのではないか。

2011-03-19 16:22:35

いままでの自立運動を否定するのではなく、プラス、そのことを考えないとまずいんじゃないのか。いろんな人が入ってくるとシステムは壊れる。すると、牙を抜かれた私たちは考えなくてはならなくなる。システムを温存するだけではリスクが上がる。

2011-03-19 16:23:56

先輩たちは「牙を抜かれた」と私たちを言うけど、新しいわたしたちを排除してはいけない。継承したものを受け継ぐためには一回崩さないといけない。

2011-03-19 16:24:55

矢吹さん。熊谷さんや野崎さんがCP当事者だから許せるよなぁ。もしも当事者じゃなければ騒然となる。かつて自分たちは障害者運動の何でも屋だった。それこそ難しいことなんか考えている暇もなく、目の前の敵と闘うことしかできなかった。

2011-03-19 16:26:40

今はもっともっと総合的な障害者運動になればなぁと思うけど、当時は違った。年寄りのグチになるけど。障害者の重度軽度は自分たちが決めてきたことではない。医者と福祉事務所が勝手に決めてきたんだ。

2011-03-19 16:28:57

フロアから。情報化社会が進んできた中で、よくも悪くも情報がどんどん入ってくるようになってきた。希望を持てたり絶望感を持ったりすることが増えてくると思う。これからそういう子どもたちにどういうふうに接したらいいのか。

2011-03-19 16:31:51

矢吹さん。簡単な感想を言う。障害児が自分の未来に不安を感じるのではないか。たしかに筋ジスの人たちが感じるのは、でも昔からあった。「いつまで自分の命が保たれるのだろうか」と「いずれ人間は死ぬ」の間で、中間にいる大人たちが情報を料理をする必要があるんじゃないか。

2011-03-19 16:35:35

熊谷さん。見通しがたつべきだ。

2011-03-19 16:37:04

西田さん。杉江さん「見通しが立たないことが一番怖いことだ」。地盤が経験的なものから積み重ならない。

2011-03-19 16:38:31

熊谷さん。財源の問題もやってみたら。明らかに財源が先細り。これも先が見えないことの根っこになっている。

2011-03-19 16:39:31

最後に一言ずつ。

2011-03-19 16:39:45

野崎さん「あえて反論を。世界への信頼感が自己決定を担保。では、世界への信頼をかけることができるのか。自分としてはイメージを崩させるものを大切にしたい。言語化できないものの存在が世界への信頼感につながるのでは。

2011-03-19 16:42:07

実践的には不安を排除するわけだが、不安を排除することが信頼につながるのか。

2011-03-19 16:43:10

西田さん。とくにないです。

2011-03-19 16:43:24

熊谷さん。今の野崎さんへの反論。かつては「変化させる余白」が希望なんだという思想が流行した。頑丈な建物を壊さないと檻から出られないという時代にはそうだった。しかし、今起きていることを考えたときに、杉江さんに直面したときに、ロマンティックなことは言えない。

2011-03-19 16:44:51

破壊することに希望を持てる人は、安定を享受している。ポストモダンとかね(笑)。崩せることに希望を見いだせるのは、マイノリティであれマジョリティであれ安定を享受している人。そうではない人には破壊だけじゃなくて安定へのエネルギーが大切。

2011-03-19 16:46:17

これは、観念的な話じゃなくて、現実的な話として、今、どちらに針が振れているのか。余白を残すという意味では希望なんだけど、安定をつくっていくことも大切ではないのかなと思う。

2011-03-19 16:47:06

矢吹さん。閉会のあいさつを兼ねると思うけど。JCILの創始者からたたき込まれたのは「既成概念の変革」だった。わたしたちの生活は「日々変化していかにゃならん」と思いながら、なかなかそうはならない。そうなっているうちに、今日のシンポジストみたいな人がいることが

2011-03-19 16:48:54

そういうことにつながっているのかな。自分が生きる場を確保しつつ、何か人の役に立っていく存在だし、今自分が間違った存在じゃないということが、結局当事者ということなのかなぁ。

2011-03-19 16:50:38

あ〜、めちゃくちゃおもしろかったけど、タイピングがついていかなかった。やれやれ…。
2011-03-19 16:52:03

さて、考えたことは明日のブログで。

すべてそろった

昨日、『現代性教育研究月報』の2011年3月号が届きました。この号をもって休刊とのことです。と同時に、わたしに依頼があった2年間の連載「いつきのつれづれ日記」も、とりあえず終了です。
全部で24回。長かったような短かったような。
とりあえず、うちの職場の世話になった人たちに
「まぁヒマな時*1にでも読んで下さいませ」
と言いながら、24回分をコピーして渡しました。

*1:◯会中とか(笑)

やっててよかった

今日は京都の在日外国人生徒交流会です。
わたしの宣伝が下手なんでしょうね、基本的にはとても少人数の交流会です。さらに、うちの生徒を誘ったら
「その日、バイト」
って言われてしまいました。誘うのが遅かったんやなOπ

で、いざふたを開けてみると、在日コリアン2人とフィリピン人1人、日本人が一人。合計現役高校生が4人参加してくれました。あと、強制参加をさせてしまったBんちゃんというのがいましたがね。

でも、しっとりとしたいい交流会になったんじゃないかなぁ。
それぞれが自分の家の話をしたり、名前の話をしたり、言葉の話をしたり。
こういう時間を持つって、日常ではなかなかないんだと思います。だからこそ、そういう「場」で「あえて」持つことがとても大切なんだと思います。
もちろん子どもたちにとってそういう時間を持つことはきっと「めんどくさい」ことなんでしょうね。だって、意識しなかったら考えなくてすむから。考えなくてすめば、そのことのしんどさとかを感じなくてすむから。でも、そのめんどくささとかしんどさの先に、とてもおもしろい世界が広がっているんですよねぇ。

なんしか、こうやってしっとりとした時間を持てた後は、
「やっててよかった」
と思うんですよねぇ。

追体験の大切さ

朝、職場に到着した瞬間から、とにかく仕事をガシガシやります。じゃないとまわらない。なにせ、今日原稿をあげなければいろんなタイムスケジュールがぐちゃぐちゃになって、最悪えらいことになってしまいます。
いくつかミスを発見しながらも、今の時点でミスを発見できてよかったなぁと、ちょっと安心。
で、試験監督を終えたら、「採点の祭典」の開始です。とはいえ、数学の採点は「祭典」にはほど遠いものですけどね。てことで、1時間ほどで1クラス終了。お弁当を食べながら、次の仕事の段取りだけはしておくことにしましょう。
で、昼過ぎに同僚3人と一緒に行動開始。今日は京都府南部の高校の人権研修でウトロに行くことになっています。
例年は人権担当だけで行っていたのですが、最近新採の人たちが増えてくるにつれ、やっぱり校区の「被差別地域」を知らないといけないだろうということで、今年は近場&オープン参加ということにうしました。ふたを開けるとこれがピタリとはまったみたいで、約30人の参加がありました。てか、これくらいの人数ってフィールドワークの限界に近いですけどね。

で、フィールドワークの開始。今回の案内人は「ウトロを守る会」のS藤さんです。この方、おそらく誰よりも深くウトロに入り込んでいる人じゃないかなぁ。いや、そういう人はあと2人いますが、その中でもトップレベルでしょう。そのことを裏づけるような話が、説明の中にチョロチョロとあらわれます*1
今回のフィールドワークの「売り」は「飯場跡」です。なんでもちょっと前に,中に入れるように、町内会長さんがきれいにしたそうです。
で、飯場跡に入ったんですが、なんというか、すごいです。6畳・2畳の二間に家族が入れられたらしいのですが、実際に入ってみるとすごいです。はじめのうちはすきま風と雨漏りのする建物だったようですが、それをウトロの人たちはいろんな工夫をしながら少しずつ「住める」ようにしていかれたそうです。そうやって、その建物、1960年代まで使われていたというのですからびっくりします。
さあらに水道敷設の問題や、洪水の問題、そして立ち退き訴訟の問題など、ほんとうにていねいな話をしてくださいました。そのせいでっていうとなんですが、ひとまわりするのに10分ぐらいの土地なのに、1時間以上かけてまわることになりましたが(笑)。

フィールドワークのあとは、たまたま韓国から「農謡」の保存会の方がウトロの人たちを励ますために来られているということで、その公演をウトロの人たちと一緒に見ることができました。
もちろんわたしは放送担当。というか、町内会長さんから
「頼む」
と言われたわけで、それは断るわけにはいきません。
おかげさまで、懐かしい人たちといっぱい会うことができました。てか、また遊びに来なくちゃね。

*1:もちろんそのことを自慢するような話ではないです