インプットの不足

今日のおべんきょは、わたしの関心事についての発表。幸か不幸か三週間前に出したペーパーの内容がまだ残っていたので、それでごまかすことにしました。
「20分しかもたないかとドキドキ」
とか笑いながらはじめたのですが、内心ガチで
「20分しかもたないかも」
とビビッていました。
でも、最終的にはセンセに話題をふくらませてもらいながら、かなり有意義な時間を過ごせ、たくさんの示唆をもらえたのですが…。
なんか、終わってから、
「今の自分って、ストックを吐き出しているだけやなぁ」
と、しみじみと考えてしまいました。あまりにもインプットが少なすぎる。いや、正確にはインプットはものすごくあるのです。日常生活そのものがインプットの連続なわけです。じゃぁ不足しているインプットは?
先輩の呑み友だちがこんなことを教えてくれました。

素材があって、それをおいしくもまずくもするのはコック次第。なに料理にしたいのか(分野)、どんな段取りでやるのか(手法)、調味料になにを使うか(枠組み)、とかとか。

あぁ、わたしのまわりに豊富にあるのは「素材」なんですね。で、いままでわたしはそれを「刺身」で出してきた。いかに持ち味をそのままに出すかを考えてきました。
でも、今いる場所は「コース料理」を出さなきゃならない。そのためには、レシピの研究や試行錯誤、さらには盛りつけや鍋振りの練習もしなきゃなりません。そのインプットが圧倒的に不足しているんですね。
まぁ、それがわかったことは大きな収穫かな。
ありがと、センパイ!

疲れは対比から生まれるのかな

今日は朝からなんかしんどかった。
朝、家から出ると路面に雪(T_T)。自転車で駅まで行くのがこわいです。いや、リアが流れるのはかまわないけど、フロントが流れるのを極端に恐れる人なんです。
職場に着いて始業前に雑務をしようと思ったけど、服装頭髪一斉点検(T_T)。雑務ができません。
で、授業。全体としてはとても静かなんでしょうが、小さな私語がやたら気になります。とうとう
「うるさい。集中が切れる。授業ってのはな、とても集中してやってるんだ」
と、とても静かにブチ切れてしまいました。
で、反省しながら午後から出張。
夜はおべんきょ。
家に帰っても、積み残しの雑務のあれこれがなんとなく頭の中にあります。そのままネガティブモードに突入。うーん。
まぁ、この土日はとてもゆったりとした2日間でした。その土日に雑務をすればよかったのかもしれません。でも、したくなかった。それはたぶん正解です。
でも、そんな「特別な」土日と平日のギャップの中で「疲れ」を感じたのかなぁ。決して悪いことではないはずなんですけどね…。

泣ける

なんでも、冬休みの宿題の読書感想文のために、教員から推薦図書を募っているらしいです。で、なぜかわたしのところにも生徒が来て「書け」と(T_T)。
最近本を読んでないしなぁと思いながら、とりあえず書いてみました。

ひとこと分類「泣ける」
書名「若き詩人への手紙」
著者「リルケ
推薦文「詩人をめざすか現実的な仕事を選ぶかで迷う若者に、リルケが宛てた書簡集。リルケ自身が深い孤独の中であがいていることを若者に包み隠さず伝える姿は、言葉を研ぐ厳しさと、そこから生み出される言葉の持つ魔法のような力の存在を感じさせてくれる」
推薦者「数学科・いつき」

あぁ、恥ずかしい(#^^#)
でも、ほんの少し憧れます。
例えば、数学者でいうなら「ラマヌジャン」。すごいよなぁ…。

言葉をばなにに例えん

で、みんなとわかれて、わたしは昼呑みへ。待ち合わせ時間までちょいと時間ができたので、ブログの更新をしたりして。
で、ビールを呑みながら、久しぶりにガチンコのしゃべり。んー、心地よい。
一つ一つの言葉を慎重に選び大胆に使う。そんな行為がこんなにも疲れ、こんなにも楽しいかと思いました。
人と話をすることはとても難しい。でも、思いや考えを言葉に乗せて、それが伝わった時は、その難しさがあるからこそ「伝えることができた」喜びがあるんですねぇ。
でも、因果な性格だとは思います(T_T)。

指導案なんてなぁ(T_T)

なんか、
「平和学習の学習指導案を書け」
とのお題が出ていまして。これ、二重の意味できついです。
まずは、平和学習、やったことがないという^^;;。で、やったことがなくても、自分のテリトリーであれば、それはそれなりにできるとは思います。でも、その指導案、模擬授業で使うと。これ、メッチャつくりにくいです。ターゲットがわからないわけです。で、ターゲットが絞り込めないままに、題材も自由に選べる。もう、足下が定まらないままに
「なにをしてもいいよ」
と言われているわけで、これはきつい。でも、空気中のH2Oを集めて雲を作るような気分では、なんとかテーマは見つけました。
で、もうひとつの「きつさ」は、学習指導案なんて20年以上つくってないよと。
いや、新採の頃はつくっていました。2カ月だけ(笑)。でも、つくるのやめました。つくっても、指導案通りに授業がすすんだことがなくて、
「意味ねーじゃん!」
と(笑)。それ以来ずっとライブ感覚を重視する*1毎日です。
だいたい「予想される生徒の反応」なんて、ふだんでもわからないのに、ターゲットがいない状況で書けるわけがない。留意点だって、ターゲットがいなけりゃ書けないっす。結局、指導案なんて「自分がやりたいこと」のタイムラインでしかないんとちゃいますのん(爆)。ついでに言うと、生徒に意見を聞いたりしたら、指導案なんてムチャクチャになります。だって、予想外の意見が出た時こそ「授業」が成立すると思うわたしなんで、「予想外」を案に書くことは不可能です。結局、指導案なんて、予定調和なんだと(笑)。
とは思いながらも、書かなきゃまずいので、しょーことなしに書いていますよ(T_T)。

*1:早い話が出たとこ勝負(笑)

小中高の連携

今日は午後から出張。地元の中学校で公開授業があるそうな。で、行ってみました。行ってみてわかったのは、京都府全体の研究会だったということ。知らなかった^^;;。
午前にお呼びのあった公開授業があったんですけど、わたしが参加できたのは、午後からの全体会と分科会。せっかくだから参加してみたんですが…。
いやぁ、おもしろかった!中学校の教員の方々がほんとうにていねいに子どもたちを見ようとしておられることがよく伝わってきました。その中学校と高校の温度差はいったいなんだろう…。
たぶんそこにあるのは義務制と「高校制度」の差なんだろうなぁ。
わたしはいわゆる「学力の高い高校生」と話をした経験が、ここ数年ほとんどありません。少なくとも教科の教員としては…。なのでいきおい中学校に対して「○○の力をつけてほしい」というお願いをしてしまいます。ところが中学校側としては「やってるよ!」となる。そりゃそうです。やってるんです。つまり、中学校がやっているにもかかわらず、それが身についていない子「ばかり」しかわたしが知らない。当然、よそのガッコには「身についている子ばかり」しか知らない人もいるわけで(笑)。
たぶんこのあたりに中高連携の難しさがあるんじゃないかなぁ。
でも、連携を必要としているのは、たぶんうちに来ている子らだと思います。うちのガッコは校区の中学校とやってはいるんだけど、一部なんですよね。もう少し広げるための、なにかいい突破口はないかなぁ…。

あきらめることと、フォロー

今日は久しぶりになんということもない一日です。スケジュール的には…。てことで、買い出しなんかもちょこっとして、さっさと家に帰りましょう。紙とペンでできる仕事は電車の中でやればいい*1

なので、久しぶりにパートナーとゆっくり話。
もしかしたら「可能性がある」ってしんどいことなのかもしれませんね。なぜなら、いずれも可能な状態で、ひとつを選ぶということは、残りを選ばないということですから。ちょうど「nCr=nCn-r」みたいな(笑)。
となると、わたしみたいに選択の余地がない人間は、ある意味楽に生きられる。でも、一見選択の余地がないけど、実はあって、それは「プラスアルファ」だったりするわけです。で、その「プラスアルファ」をひとつ選ぶたびに、自分が持っているなにかを捨てる。
わたしはたぶん、「プラスアルファ」を山のように選択をしてきたんだろうなぁと思いました。で、そのたびに、少しずつ少しずつなにかを捨てる、あるいはあきらめてきたんだろうなぁと。でも、そのことに気づいてこなかった。なぜだろうと、今考えると、わたしが捨ててきたものは「わたしが捨てても誰かがフォローしてくれるもの」だったのかなと。もっと有り体に言えば、わたしのわがままを誰かが尻拭いし続けてくれたということなのかなと。
まぁ、たいがいな人生だと思うし、それに気づいた今もあともどりしないという最低な人間なわけです、わたしは…。

でも、どうやら、今新たに選んだ「プラスアルファ」はそういうわけにはいかないようです。なぜなら、それは直接的には誰もフォローできないということなんです。でも、それよりも大きいのは、それを選択した結果、処理しなくちゃならないことが、自分の能力の限界ギリギリのところにきているんだということを、それを選んではじめて気づいたということなんです^^;;。
知らず知らずのうちに、いろんなことが自分の「器」からこぼれ落ちている気がします。でも、いろんな人がフォローをし続けてくれています。
ここから、さらに自分の処理能力をあげられるか?それもしなくちゃならないでしょうね。でも、たぶんわたしは幸せ者なんやろなぁ。それに気づいた限りは、そのことに感謝しながら「プラスアルファ」をやりきらなきゃ。

*1:除く、成績処理関係(笑)

「いい話」と「ええ話」

最近、駅までの自転車漕ぎ5分間がけっこう寒くなりました。でも、身体がピンとして、気持ちいいんですよね。まぁ、そんなことを言ってられるのも、そのあと電車が暖かいからだという話もありますが…。

で、今日は1年生がキャリア学習なるのがあって、そいつの放送セットをしなくちゃなりません。セットしついでにずっといたのですが…。
この子ら、先週と今週、2週続けて講演なんですね。なんか、先週のほうが長かったけど聞いていたような気が。たぶんこの子ら、「いい話」よりも「自分の話」の方がよく聞くのかなぁ。
いや、今日の講師の方はメッチャ話はうまいし、時間の読みもピッタリだし、話の内容もフォーカスがピタッとあっていて、すんごいよかった。ほんとに「いい話」だったんだけど、その「よさ」は、それを「いい」と理解できる状況じゃないとわからないんですよね。まぁ、簡単に言うと、メッチャ体調の悪い時にヱビスを飲んでも味がわからないという感じ(笑)。
そういう意味では、先週の話は時間配分もメチャクチャやし、話し方も不慣れだし、「講演」としてはイマイチだったかもしれません。でも、子どもたちにとっては心に残ったかもしれないし、わたしはなんか
「ええ話やなぁ」
と思ったという。まぁ、それだけのことなんですがね。

育てるとおもしろそう〜あたしゃピンやなぁ… 

今日のおべんきょは、おべんきょ仲間の発表です。なにやら、おべんきょ仲間の最終目標が、かなり壮大になりそうなので、センセもわたしものけぞっていました。でも、ほんとうにできたら、きっとおもしろくなりそうです。てか、最終目標の手前の時点でおもしろいデータが出そうです。なんか楽しみ…。でも、きっと前途多難だな。まぁそれはわたしも同じか(笑)

で、おべんきょのあと、センセの部屋でしばらく雑談。
センセもいろんな経験をしてこられたようです。で、わたしもそう言えばいろいろあったよなぁ。センセもわたしも、後ろ盾なんてひとつもないピンの人間です。依って立つ根拠は「存在」ではなく「実践」です。だから、けっこうシンパシーを抱いてしまいます。
にしても、「正しさ」に揺るぎのない人を、時としてうらやましく感じることがあります。あるいは「スティグマ」を武器に生きられる人に、時としてうらやましさを感じることもあります。わたしはとてもじゃないけど、そんな生き方できない。もっとも、したくもないですが。
いちおう「物言い」に対する裏づけはとったけど、いらんことで消耗するのはイヤだから、適当に流しましょうか。