あきらめることと、フォロー

今日は久しぶりになんということもない一日です。スケジュール的には…。てことで、買い出しなんかもちょこっとして、さっさと家に帰りましょう。紙とペンでできる仕事は電車の中でやればいい*1

なので、久しぶりにパートナーとゆっくり話。
もしかしたら「可能性がある」ってしんどいことなのかもしれませんね。なぜなら、いずれも可能な状態で、ひとつを選ぶということは、残りを選ばないということですから。ちょうど「nCr=nCn-r」みたいな(笑)。
となると、わたしみたいに選択の余地がない人間は、ある意味楽に生きられる。でも、一見選択の余地がないけど、実はあって、それは「プラスアルファ」だったりするわけです。で、その「プラスアルファ」をひとつ選ぶたびに、自分が持っているなにかを捨てる。
わたしはたぶん、「プラスアルファ」を山のように選択をしてきたんだろうなぁと思いました。で、そのたびに、少しずつ少しずつなにかを捨てる、あるいはあきらめてきたんだろうなぁと。でも、そのことに気づいてこなかった。なぜだろうと、今考えると、わたしが捨ててきたものは「わたしが捨てても誰かがフォローしてくれるもの」だったのかなと。もっと有り体に言えば、わたしのわがままを誰かが尻拭いし続けてくれたということなのかなと。
まぁ、たいがいな人生だと思うし、それに気づいた今もあともどりしないという最低な人間なわけです、わたしは…。

でも、どうやら、今新たに選んだ「プラスアルファ」はそういうわけにはいかないようです。なぜなら、それは直接的には誰もフォローできないということなんです。でも、それよりも大きいのは、それを選択した結果、処理しなくちゃならないことが、自分の能力の限界ギリギリのところにきているんだということを、それを選んではじめて気づいたということなんです^^;;。
知らず知らずのうちに、いろんなことが自分の「器」からこぼれ落ちている気がします。でも、いろんな人がフォローをし続けてくれています。
ここから、さらに自分の処理能力をあげられるか?それもしなくちゃならないでしょうね。でも、たぶんわたしは幸せ者なんやろなぁ。それに気づいた限りは、そのことに感謝しながら「プラスアルファ」をやりきらなきゃ。

*1:除く、成績処理関係(笑)

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