朝、出掛けに家族四人で再度チェック。
「この人は?」
「あー、ほれ、このことについて書いてないやろ。てことは、態度を濁してごまかしてるねん」
「ふーん」
みたいな会話をして、自転車に乗って投票所に向かいます。
ほんとに直前まで悩みに悩んで、やっとの思いで入れました。
でも、ほんとにまったくワクワクしないというか、もっと言うなら絶望感しか起こらないんだよなぁ…。
あ、もちろん「統計」にはズレが生じそうで、それはおもしろいんですけどね。
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朝、出掛けに家族四人で再度チェック。
「この人は?」
「あー、ほれ、このことについて書いてないやろ。てことは、態度を濁してごまかしてるねん」
「ふーん」
みたいな会話をして、自転車に乗って投票所に向かいます。
ほんとに直前まで悩みに悩んで、やっとの思いで入れました。
でも、ほんとにまったくワクワクしないというか、もっと言うなら絶望感しか起こらないんだよなぁ…。
あ、もちろん「統計」にはズレが生じそうで、それはおもしろいんですけどね。
さて、夏休み。普段できない仕事がてんこ盛りの夏休み^^;;。
で、夏休みがあるのはガッコだけではなくて、他の仕事にもお盆休みなんかがあるわけで。
てことで、この時期のゲンコは
「〆切厳守!」
です。
ところで…。申しわたられた〆切が、おべんきょレポートの〆切日とぶつかってます。しかも、月曜日にぜんぜん別のレポートも出さなきゃなりません。さらに、月曜日に他のレポートが降って来るはずです。
…。
死ぬな。これは死にます。
てことは、今日からとりくむ以外方法はありません。
てことで、朝からゲンコです。
内容的には、先月あたりから「転換点」なんですよね。スキーでいうところの「回転前半から後半に移るあたり」って感じでしょうか。一番不安定な時期を少しずつ脱出しはじめている感じです。
なんか書いていて
「いろんなことがあったなぁ」
と、少し和やかな気持ちで振り返れるようになってきました。
とは言え、今後「今」に近づいていきます。まだ評価の固まっていない「今」をどう表現するか。それはそれで今後の課題ではありますね。
てなことを考えていたら、書けちゃった^^;;。
なんか今度「リヴオン」というところが主催の学習会みたいなのがあって、
「パネラーをしてくれ」
って言われてしまい、できるかどうかわからないのに引き受けてしまい^^;;。みたいなことがあって、今日は打ち合わせです。場所は京都駅近くの沖縄料理のお店です。
沖縄料理と言ったら、当然オリオンビールと泡盛です。はっきり言って、打ち合わせになる自信はまったくありません^^;;。
でも、幸いリヴオンのO角さんとU生さんは飲まれないみたいなので、安心です(笑)。
で、もうひとりのパネラーは「山科醍醐こどものひろば」のM井さん。
なんか聞いたことのある名前だなぁと思っていたら、おべんきょ場所のセンセから聞いたことがあったんですね。どこかでつながってるなぁ。悪いことはでけんなぁと思いながら、打ち合わせ開始です。
どうやら今回は「場」をどうつくるかみたいなことになりそうだなぁと思いました。
学校の中の「場」…。
たぶんいろんなところにありますね。例えば保健室。あるいは図書室の奥の方。あるいは生徒会室や放送室。
すべてが教員に管理されている学校において、その管理のすきまを縫って存在する「場」。それは偶発的に出現するかもしれないし、意図的につくりだすこともある。
たぶんそれがわたしがやっていることなんでしょう。に対してM井さんは学校外にそういう「場」をつくってる。で、O角さんは、そういうM井さんとわたしをつなぐ。
ところで、みんなで話しながら思っていたのは…。
学校の教員って、世間でいうほど「世間知らず」ではないと、わたしは思っています。思いもよらない広い世界を知っている人がけっこういます。
ただ、一方で思うのは、その中にはけっこう「学校と地続き」な広さの中にいる人もいるんじゃないかなってことです。
なんだろ…。
例えば、あるクラブ活動で全国レベルで交友範囲がある人がいるとします。この人、たぶんそれに付随して、そうとう広い世界を知っているんだろうなと思うのです。でも一方、それは学校と地続きな世界でもある。
まぁ、教員という仕事をしているわけですから、学校とまったく切り離された世界っていうのは難しいと思います。それは、例えば、別の業種であっても、やはりその業種からまったく切り離された世界で「もうひとつ」生きるのはとても難しいということと一緒です。
ただ、その「続き方」って大切かなぁと思いました。べたーとした続き方なのか、せまーく続いた先にあるのか。
わたしはできるだけせまーい続き方の先にあるような「地続き」でありたいなぁと思うのです。
とある場所から来たメール。いろいろ関連するサイトを見ていると、ふいに「かつて出会った壁」に直面しちゃいました。その瞬間、心がざわめきました。
まだ「つ」があるんだなぁ…。
自分のまわりにいる中二病の人…。
Hすいけさん、Kちゃん、Tーマス、Uじ。
なんか、わたしのまわり、中二病が多い(T_T)。類は友を呼ぶのかなぁ…。
と、ダメダメ先輩からひとことコメント
「中ニ病は、ある意味、ピュアでとんがってて、傷つきやすくて、だから、時々同じ人間同士集まりたくなるんです」
あー、だから(笑)。
でも、そんな集まり、たいへんですよね。迷惑ですよね(笑)。でも、「ほっとけない臭」がすごいからなんとかなってるんでしょう^^;;。
ところで気づいたことは、みんなどこかで「M」にかかわりがあります。
そもそも中二病ってなんだろ。
たぶん、誰もが一度は中二病にかかるんでしょうね。でもやがて「現実を知り」「あきらめる」ことで中二病菌が離れていくのかな。そして、中二病菌が離れていくタイミングによって、その後の人生が方向づけられるのかもしれません。
とても早期にあきらめた人は、まぁそれなりに現実に適合した人生を歩んでしまうのかな。で、遅くまであきらめなかった人は、現実に適合できない人生を歩まざるを得ないのかな。で、いまだあきらめてない人が中二病患者(笑)。
で、なんとなくではありますが、女性の現役中二病患者は少ない気がします。もしかしたら、人生のどこかで「あきらめる」ことを強いられてしまうからなのかな。それは、例えば高校卒業時点かもしれないし、大学卒業時点かもしれません。あるいは「結婚」なんていうのもそうかもしれません。いずれにしろ、人生の節目に「あきらめ」の要素は転がっているように思います。
でも、すべての女性があきらめてしまい、中二病菌が離れていくわけではない。きっと女性の中にも保菌者はいます。たぶん、フェミニズムって、そんな「保菌者」にとって、大きな救いとなるのかな。「保菌者でいていいよ」って思わせてくれるし、もしかしたら、それは「生きること」そのものとつながるのかもしれないな。だって、現役中二病患者が「中二病をやめろ」とか言われたら生きていけないもん。
そんなことをフラフラと考えました。
下の子どもの誕生日のお祝いを買うべく、アメコミの輸入サイトを見ると、えらい値があがってます。あぁ、円安な…。
アベノミクスか…。
某所に書いているゲンコですが…。
とても難しいです。
公開されているものは、あくまでも「結果」でしかありません。その結果へと至る過程で、「ボツ」もあるわけです。
で、なぜボツなのか…。
たぶん「ざらつき感」がないんですよね。こなれた文章でさらりと書き流す。意味はわかるし雰囲気もわかるんだけど、何かが足りない。だまされた気がする。あと一歩知りたいのにそこをはぐらかされた気がする。
たぶんそんなことなんでしょうね。
でも、なかなかその「ざらつき感」を出すのは難しい。なぜなら「さらり」がわたしの芸風というか、そうやって生きてきたからなんですよね。
それは「伝える過程」で、もともとのものと変質せざるを得ないということなのか、「ドロリ」が嫌いなのか、はたまた、単純に「一番目の子どもにありがち(笑)」なことなのか…。
ま、今後も続く課題です。
てな書き方が「さらり」なんですよね(T_T)。
今日は午後から出張です。向かうは西成高校。今度の夏季研で来てもらう肥下さんとの打ち合わせです。
もともとは「夜の打ち合わせ」にしようかと思っていたのですが、打ち合わせって公務だし、「出張だよ」とも言われていたので、そもそも「昼の打ち合わせ」をしないと、なにも決まらなかったりしますからね^^;;。
てことで、新今宮へ。カマを通って鶴見橋商店街を通って、「聖地」に到着です。
しばらくしたら、神奈川のK巻さんも来られて、西成高校のとりくみのレクチャーや、朝鮮語教室の見学をさせてもらいました。
なんだろ。西成高校のとりくみは、日々進化している感じです。前に行ったのは三年ほど前ですか。その時聞いたことや、本で読んだことは、たぶんすでに過去のことになっています。教材が教職員全体に浸透する中で、学校の空気になり、さらに学校のあり方そのものになっていく。そんな感じでしょうか。
で、それはひとりではできない。
もともと、西成高校には西成高校の環境がある。で、西成という地域には地域の環境がある。それぞれのところでほんとに真摯なとりくみがある。でも、互いに遠慮や不信感なんかがあるときは、それは単なる「置かれた環境」でしかない。それがコラボをはじめた瞬間、「環境づくり」へと進化と深化をはじめる。
実践を言葉であらわすことは簡単なんですが、それを言葉にする前に実践しているってすごいことだなと思います。
さて、わたしはここからなにを学べるだろう…。
わたしにはわたしの置かれた環境があります。それは西成とはまったく違う。学べることは、おそらくは「進化と深化の可能性がある」ことだけです。あとはスクラッチから…。
そうそう。
打ち合わせもしました。
うーん。ま、簡単に言うなら、
「肥下ちゃんはなぜ肥下ちゃんなのか」
ってことでしょうか。
どんな話が聞けるか楽しみですo(^^)o。
今日はいろいろあって、車で出勤。通勤時間のこともあるのでいつもと同じ時間に出たのですが…。
早いです。1時間ですね。
でも、ダメです。その1時間、なにもできないんです。これはつらい(T_T)。
いかに自分が電車の中でいろんなしょーもないことをしているのか、よくわかります(笑)。
さらに、帰り道。道が混んでます。
なんというか、やれることって、コーナーでちょい攻め気味みたいなことだけですか^^;;。
すっかり電車通勤の身体になってしまいました(^^)。
この「おべんきょ」、おもしろいのはおもしろいんですけどね。妙なアウェイ感を感じます。
この「おべんきょ」、たぶん基本は「知識を獲得する」あるいは「スキルを身につける」話なんですね。その中で深く考えたり、オリジナルの発想を見つけ出したりということがない。すごく簡単に言うと、技術者の養成をしている感じがするんです。
まぁ、この「おべんきょ」を含むコースそのものが、おそらくは専門家を育てることが目的になっているので、そういう意味では当たり前といえば当たり前なんですけどね。
もちろん、この行動分析ってやつも、より高度な世界になると話は変わるのかもしれません。でも、初心者レベルというか専門外のわたしにとっては、高校生の数学をやってる感じです。
で、それを楽しめる、あるいは「役に立つ」「身につけたい」という人と、「考える」「思索を深める」「自分の内側を漂う」みたいなことを求めるわたしとでは、当然そこにかける気持ちは違うわけです。
でも、まわりでニコニコしながらセンセの話を聞いている人たちの顔を見て、「あぁ、もうひとつのおべんきょ仲間とはぜんぜん違うなぁ」と思ってしまいます。ちなみにもうひとつの「おべんきょ」では、みんな「うーん…」て顔をしてますからねぇ(笑)。
でも、なんか、それだけではないような気がします。
そのきっかけになったのは、ダメダメ先輩から来たメール
「実践的である」ってことが行動学な気がします。いまでこそ批判的乗り越えがあると思いますが、学問の誕生した背景が人間の行動は観察可能で統制管理の対象であるという前提に立ってたんじゃないかなぁと思います。動物と同じ刺激−反応モデルにそった。
です。
うーん…。もう少し自分のアウェイ感を掘り下げてみますか…。